第128話 火の符使い

 思わずというように、イフレニィは鼻で笑っていた。

「ここで勝負ね。俺に不利だろ」

「もう少し、ましな言い訳を考えろ。さあ立て」

 決闘だのと、吹っ掛ける方には単純明快な手段かもしれないが、言われる方が受け取れるものは内容に見合っていないことが多いものだ。

「嫌だと言った」

「臆したか」

 イフレニィは力なく頭を振る。初めから意味が通じるとは思っていない。

「聞こえなかったか。お前の都合ばかりだ。勝っても負けても俺の損。そんな公平でないもんは、反吐が出るほど嫌いだと言っている」

 机に片手を突いて身を乗り出し、絞り出した声は、自分の思う以上に響いた。そして当然、小僧は怒りに体を強張らせるのだが、それは単にイフレニィの横柄な態度に対してとは思えないものだ。何が逆鱗に触れたのか、小僧は激昂した。

「よくも……貴様、如きが、公平性を語るなッ!」

 殴りかからんばかりに飛び出そうとする小僧を、周りが宥める。しかしイフレニィに、そんな心情など知ったことではない。こちらの気持ちを慮ることなど微塵もなかったのは、向こうなのだ。

「俺が勝ったら、そいつらは黙って見逃してくれるとでもいうのか」

 言外に、有り得ないだろうとイフレニィが吐き捨てれば、小僧は鼻息荒く反論する。

「勝てると思うな!」

 提案者は大抵が負けることを想定しない。

「話にならない」

 くだらないことを考えず、さっさと続きを話せばどうだと、イフレニィは手で席へ戻れと示す。小僧は顔を真っ赤にして目を吊り上げた。

「どれ、ならば私が一つ保証しようではないか」

 皆の視線が、一斉に上座へ寄せられる。イフレニィも、意外に思い目を向けていた。

 代表が、本会議初の意見を述べたのだ。それが、こんなくだらない事に対して。

 それはお仲間も同じ意見だったのだろう、すぐに周囲は騒然となる。

「なりません、代表閣下!」

「どんな汚い手を使ってくるか、知れんのですぞ!」

 それはお前らだろうが――イフレニィが呆れていると、手で場を鎮めた代表は二人の人物へと首を向けて言った。

「オルガイユと、そこな旅人の男。この場での決闘を申し渡す」

「……閣下、ありがとうございます! 必ずやこの男を捻じ伏せて見せます!」

 感激し、やる気に満ち溢れている小僧を見ているだけで、イフレニィの精神は削れていくようだった。頭を抱えたくなったイフレニィだが、続いたのは意外な言葉だ。

「早まるでない。先がある」

 代表が眉を上げ、はっきりと見えた視線はイフレニィを向いていた。

「心配召さるな。結果による拘束はしない」

 無理やり体を動かされる分だけ、丸々損なことには変わりないではないかと、イフレニィは内心で吐き捨てた。

「何故ですか!」

 小僧の反論に、代表は続ける。

「決闘に応じて頂けるならば、その後は好きにするとよい。皆に申しおく。正式な採択である。破るものには罰が与えられる。それでもなおと言うならば、元老の資格を剥奪される覚悟で臨みなさい。以上」

 そんな約束はとても信じられるものではないが、ここではこれが規則なのだろう。周囲には奇妙な静けさが下りていた。立ち上がった代表は、歩き出しながら隣室の広間へ続く扉へと手で促す。

「ささ、その辺でどうぞ」

 今度は見世物にされる不快感に気分を害するイフレニィだが、正直なところ、これ以上座って待っていられる自信はなかった。ささやかな安堵を胸に、足早に扉へと向かう。

 そうして絨毯男らによって隣室への大きな両開き扉が勢いよく開かれると、一瞬、場は静まった。

 広間には、床に貼りついている姿があったのだ。未だ這い蹲ってあちこち魔術式を調べているセラと、うつ伏せに倒れているバルジー。よくも、こんな場所、こんな状況で寝ていられるなと、イフレニィは呆れつつもセラに呼びかける。声に苛立ちが滲んでしまうのも仕方ないだろう。

「隅に避けてろ」

「う、ん……黄金色の芋」

 バルジーを爪先でつつくと、涎を床から伸ばしながら起き上がったのだ。

 二人を壁際に追い立てると、すかさず代表が補佐爺らに何事か指示し、床の大きな魔術式が光り始める。当然ながら飾りなどではなく、イフレニィはそれらを忌々しく思いながら部屋を見渡した。

 部屋の中心、一際巨大な床の円が光り、そこへ向けて壁と天井から展開された魔術円が迫り来る。四方からの巨大な魔術円が接触すると金色に輝き、イフレニィと小僧、二人だけを取り囲んで固定した。もちろん他の絨毯軍団は位置を知っているだろう、気が付けば遠巻きにしていたのだが、イフレニィが逃げないための動きかもしれなかった。

 小僧へと体を向けつつ、慎重に視線だけを周囲へ向ける。魔術円の檻の中に閉じ込められたが、ただの光だ。出られないわけではない、と思うのだが、触れる気にはなれなかった。イフレニィの視線に宿る疑問を読んだかのように、代表が説明する。

「おお、失念しておりましたな。それは符の効果が四散しないようにするものです。触れたところで、切り刻まれたりはしないので御安心を」

 ――効果の、四散を防ぐ?

 その意味に眉を顰めた時だった。同時に展開された複数の魔術円が、頭上で金色に輝く。発動と、戦いの始まりを告げる合図。イフレニィは横に飛んでいた。襲い来たものの範囲外へと転がり、片膝を立てたところで、先ほど立っていた場所に何が起きたかを見た。

 燃え尽きた符が、火の粉となり散っている。それも大量に。

 ――ありえん。火の符で、範囲術式など。

「逃げるな、当たれ!」

 勢いをつけて立ち上がり、距離を取るために後ずさる。既に第二段が準備されていた。淡く白い光の円が、小僧の前面に重なり合うようにして次々と展開されていく。これまでイフレニィが目にしたことのない流れの良さは、小僧の力量のためだけではない質の高さを感じ取れるものだ。さすがは魔術式研究の本場であり、通常の符と考えてはならないと意識を改める。

 頭を庇った際に痛みのあった左手の甲を横目に見れば、赤い筋が皮膚を盛り上げていた。

 火傷。

 再び、頭上の数カ所から拳大の火球が一斉に降りかかる。後ろに跳び退り、さらに距離を取りつつ代表を睨んだ。

 ――そういうことか。

 殺してしまえば、結果の如何など、どうでもいいことだろう。

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