第126話 三竦み

 たまらずイフレニィの口から非難の声が出ていた。

「これが、ただの出迎えなのか」

 天幕での会談で伝えてきた名は、元老院と同じくノッヘンキィエ。イフレニィの少ない知識の中では、かつて国だった頃の王族を据えているわけではない。そのようなことをすれば、中立を謳う研究機関として受け入れられないと考えたのだろうか。確か、研究で大きな貢献をした者が代表として選ばれるとのことだった。代表の立場は名と共に受け継がれるものということだ。

 その、現在の代表である絨毯爺は、静かにイフレニィを見ていた。値踏みでもしているのだろう。単に反応が鈍いのであればどんなにいいかと思いながら、イフレニィも慎重に動作を窺う。

「ご不満は、全くもってその通りです」

 絨毯爺は、ゆっくりと壇上から降り、深々と頭を垂れた。まるで、誠心誠意申し訳ないといった態度に見えるものだった。なおさら胡散臭いものに、イフレニィの目には映る。

「なっ、閣下が頭を下げる必要などありますまい!」

 驚いたように喚く絨毯男を、イフレニィは肩越しに睨んだ。事実、頭を下げるべきは、この男の方である。代表に向き直り、確認の意図も込めて言葉を選びつつ、話を進めることにする。

「既に起きたことだ。言葉一つで了承とはいかない」

 ここで謝罪を受け入れることはもちろん、後回しにすることもできない。そうすれば、イフレニィは元老院のその後の予定を拒否する手札もなくすことになる。かといって、不利な場所と状況で完全に突っぱねることも得策ではない。だから単純な落としどころとして、事実をなかったことにはしないが詫びに、こちらの望みを一つ叶えることで怒りを治めようと伝えたわけだが。

「お止めなさい!」

 突如女騎士が声を上げると同時に、イフレニィは背後から腕を掴まれていた。その手を咄嗟に掴み返してはいたが、驚くほど絨毯男の力は強く、とてもただの職人とは思えない。門衛もいたのだ、街を維持するにも元老院の人員全てが職人の筈はない。イフレニィらを待ち伏せていた時の動きを考えれば、警護を担当しているのかもしれない。絨毯男は憎々しげに言葉を漏らす。

「危機も知らず、のうのうと生きているだけの若造が」

 掴まれた腕を引き、離せと睨む。

「お前らが隠しているものを、どうやって知れっていうんだ」

 代表が近付き、引き離そうとした女騎士を止めて、絨毯男へ命令した。

「手を離しなさい。どんな時でも、やり方を誤るべきではない」

 絨毯男は怯んだのか、手から僅かに力が抜けた。その隙に振りほどき肩を突いて警告する。

「近寄るな」

 次は床に這い蹲ることになる――声には出さなかった意図を込めて睨むも、視線は遮られる。

「連行する目的は果たしたろう。大人しくしていろ」

 何のつもりか知らないが、髭面がイフレニィとの間に割り込み絨毯男を下がらせたのだ。

「そんな風に暢気に構えているから、何も進まんのだ!」

 だが、髭面に遮られたことで我慢できなくなったのか、絨毯男は文句を喚き立て始めた。その矛先は何故か、己の陣営であるはずの代表に向けられている。

「愚かと言いましたな。このまま手をこまねていている方が、よほど愚かなことではないか。もっと早くに拘束しておれば良かったのだ……いだだだだ!」

 興奮のあまりか再び飛び出そうとした男を、髭面が腕を捻り上げて抑えた。

 勘弁して欲しいのはこっちだと、イフレニィは唖然とする。各国との軋轢を心配していたら、よもや元老院内部での派閥争いまであるとは、そんなことでどうやって周りをまとめていくつもりなのかと頭が痛くなっていた。

 ――外を巻き込むな。目的くらい統一してろ。

 内心で罵りながら、半分、体を後ろへ向けたまま代表に目を向ける。

「謝罪は必要ないという意味だ。開放しろ。それだけだ」

 白い口髭が歪む。しかし表情は読み取れなかった。

「その者がしでかしたことを、正当化するつもりはありません。ですが、せっかくお出でいただいたのです。もののついでに、寛いで行かれるとよい」

 まるで不意に訪れた客を歓迎するかのような声音に、先ほどまでの重々しい響きは欠片も残っていない。イフレニィは空いた口が塞がらなかった。文句を返す前に代表は続ける。

「もう日も暮れる。泊まっていきなさい」

 確かに、それは事実だ。見知らぬ土地で夜道を出歩くくらいならば、宿を求めるべきだろう。しかし、それはあくまでもごく普通に訪問したならばだ。だというのに、代表は話は済んだというようにイフレニィから離れると、今度ははっきり笑顔と分かる表情を作り女騎士へ向き直る。

「貴女の来訪も、首を長くして待っておりました」

 仲間割れしているのではないか、という考えは訂正する必要がある。絨毯男と代表の目的は、同じだ。

 イフレニィを――いや、王の血筋の生き残りを攫う時期を早めるか、慎重に行くか、それだけの対立なのだろう。

 結局、イフレニィが巻き込まれることに変わりはない。


 もう文句の一つすら出ず、挨拶を交わす女騎士と代表を眺めていると、部屋の外で騒がしい声が反響した。イフレニィ達が入ってきた大きな扉以外に、壇横にも片開き扉があり、その向こうから聞こえるようだ。

「……という……構わない。いいから、離せ!」

 咎めるような男達の声の中に、少し高めの若い男の声が響く。直後に扉は音を立てて開かれ、飛び込んでくる者がいた。

「代表閣下、使者が到着したと聞きました!」

 これも聞き覚えのある声だった。他の者と同じ元老院の衣装を身に纏い、その裾をはためかせて走り寄る。この場にいる者と違い、刺繍などのない簡素な布だ。見た目の通り見習いといった風情だが、横柄な態度や他の者が止められないことから、実際の地位は高いように思われた。

 駆け寄るのは細身の少年。黒く艶のある短髪に、切れ長の目。少年は異様な集まりを見たといった風に見回し、イフレニィを見て動きを止めた。青みを帯びた黒い瞳が、眉を顰めて不愉快そうにイフレニィを睨む。睨んだのは、お互い様だったろう。少年の視線はイフレニィの白い髪と目の青を捉えた。

 転話越しに聞いた、もう一つの声の主。ならばあれが、ルウリーブ副王の血筋である生き残りなのだ。

 睨みあったのは僅かな間で、すぐに少年は別の目的へと意識を向けた。

「フィー!」

 駆け寄る少年を女騎士は両手で受け止めた。抱きしめるというよりは、勢いを削ぐためのようだったが。しかし女騎士は、困ったような微笑を浮かべるも、嬉しさの方が滲んでいた。

「お久しぶりです、オルギー。大きくなりましたね」

 女騎士は、イフレニィとさほど変わらないほど上背がある。少年の背丈は平均的な大人と変わりないのだが、それでも見上げている姿は姉弟のようだった。

 ――馬鹿げている。

 ますますイフレニィの心は荒んでいく。こっちは進退窮まるような状態だというのに感動の御対面だ。羨ましいことだと吐き捨てながら睨んでいると、真横から低く掠れるような声が上がる。

「ぶーたれたいのは、こっちなんだけど」

 右隣を見下ろせば、バルジーだ。

「俺達は、いつ出られる。荷車は無事かな」

 今度は左隣からセラが珍しく不満、というよりも不安の声を発した。そこまで落ち着かないほど愛着があったのかと意外ではある。家を背負って生きる、水中の生き物を思い出していた。

 ふと、イフレニィの肩から緊張が解ける。現状は訳の分からない光景が広がっているが、聞いた話からは、今のところ二人への命の危険はないと判断できるものだった。強引ではあれど、客として招きたいという元老院の意図は伝わっていた。思えば、それは当然のことだ。これまで女騎士から聞かされた断片からも、残された民を無理にでも動かす旗頭が必要らしかった。他国に対しても、表向きには友好的な交流であると見せる必要はあるだろう。その点では、安心できたのかもしれない。

 再会を喜ぶ女騎士と小僧に代表が加わり、楽し気な声と共に眉毛が揺れている。イフレニィは脱力感に襲われて佇んでいた。

 ――俺は、何しに連れてこられたんだよ。

 辟易して茶番に背を向けると、そこにもまた気力を削がれる光景がある。座り込むどころか顔を擦り付ける勢いで床に這い蹲り、ぶつぶつと何事か呟きながら魔術式に見入っているセラの姿。恐らく、ずっと我慢していたのだろう。

 そして、それに付き合っているつもりのていで怠けているバルジーは、片手で頭を支えて横になり大欠伸をしていた。

 ――安心しすぎだろ!

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