第125話 老獪どもの棲家

 ときに馬を休ませつつ、丸一日は走っただろうか。気が付けば窓の外を流れる景色から、一面の木々は消えていた。落ち着いた石造りの、小奇麗な街並みが窓の外を通り過ぎていく。大きくはない窓だが布は掛けられていたものの、完全に塞がれてはいなかった。たとえば人攫いだと騒いだところで、どちらの言葉が有効かは考えるまでもない。

 イフレニィは布を捲って、隙間から通りを眺める。道幅は森の中と大差なく、速度は落としており、店先で働く人々の様子も良く見えた。そこで、何処かで見覚えのあるような雰囲気を感じて眉間を寄せる。近くを通った者が、ふと馬車へと向けた目に、イフレニィの息は詰まる。瞬く間に通り過ぎていったが、瞳に青みが反射したのを見てしまった。

 まさか、あれらが皆、トルコロルから避難してきたのではないだろう。そう思いつつも、少なくない人数が滞在しているという前情報を垣間見たようで、イフレニィの胸を小さな棘が刺すようだった。

 城下町は小規模なもので、間もなく街を通過すると緩やかな傾斜を登る。やがて、そう高さのない壁に囲まれた場所へ辿りついた。窓から見える限りでは、壁の両端は森に閉ざされているようだった。城壁に設けられた大きな門を、馬車に乗ったままくぐる。この壁の内一帯を指して元老院と呼んでいるのだろうかと思いを馳せていると、馬車は動きを止めた。

「ここが、中央城ですよ」

 馬車を降ろされた側から、絨毯男が寄ってきて自慢げに言った。門衛に止められることなく通されたことからも、絨毯男が元老院の一味であることは確かとなった。男の言葉に頷くでもなく、イフレニィは視線だけを向ける。城と言っても、帝都のように高さのある建物はない。代わりとばかりに、横には広い建物が幾棟も連なっている。

 その一つの前へ絨毯男は進むよう促し、イフレニィは気が進まないままに重い足を進める。石を積んだ基礎に赤茶けたような土の壁を、枠に組まれた太い木の柱が黒く縁取る。帝国の砦のような城とは違い、領主の住まいといった方が似合う佇まいだった。

 横幅の方が長い両開きのある入口。その脇の壁には、黒ずんだ濃緑の金属板が打ち付けられている。そこには東屋にでも置かれそうな木製の長椅子を思わせる意匠と、名が彫られていた。

『ミッヒ・ノッヘンキィエ研究院』

 元老はどこへ行ったと胸中で文句をつけながら、この建物が魔術式研究の中心地ということなのだろうと考えていると、扉が重々しく軋む。緩慢な態度に苛立ったのか、絨毯男に背後から押されて足を踏み入れることになった。加工も施されていない石の通路は、やたらと足音を反響させる。不審者対策にはもってこいだろう。

 入り口からほどなく、別の大きな扉が開かれる。そこは殺風景な長方形。家具の一つも置かれていない、異様な広間――ただし、至る所に魔術式が刻まれている。

 壁には垂れ幕が飾られ、滑らかに加工された石の四角く区切られた床や天井の全てに、何かしらの魔術式が区画毎に刻まれていた。

 広さに反して、イフレニィの精神は息苦しさを訴える。

 それらから意識を逸らすように、室内の一点へと目を向けた。

 部屋の奥、数段の階段を設けた壇上に立ち、ひっそりと待ち受けている姿があった。式を図柄に組み込んだような壁掛けを、両手を後ろ手に組んで見上げながら、今は背を向けている。体付きや立ち方からして男だろう。身にまとっているのは、イフレニィ達を攫ってきた男と同様の赤い外套だ。ただ、その襟元あたりを縁取る帯状の飾りには、一際豪華な刺繍が施されていた。

 それが、立場の違いを明確にしている。

「代表閣下。お連れしました」

 部屋を進んで絨毯男が声をかけると、やや背を丸めた男は、ゆっくりと振り返った。頭まで覆っている布の間からは、深い皺を刻んだ顔が覗いている。老いによる白く豊かな眉の下には、理知的な奥まった瞳が状況をつぶさに観察しているようだった。それ以外の表情は、口髭と顎鬚に隠され分からない。

 老いた男は一同を見渡しながら、溜息をつく。憂いのためか皺を一層深くし、やがて一言、呟いた。

「愚かな真似を」

 その内容を判断する前に、聞き覚えがある声だという事実がイフレニィの思考を止める。どこでと考えれば、それは天幕での会談にて転話具越しに聞いたものだった。そして代表だと名乗っていたことも思い出した。その時に比べて深刻さを滲ませた低い声は、がらんとした広間によく通った。威厳を漂わせた絨毯爺は口を開き、さらに何事かを言わんと、息を吸った。皆が注視する。

 その刹那、静寂は断たれた。

「あっ、私たちはただの行商人ですから。このひととは無関係です!」

 バルジーがイフレニィを指差して声高に宣言すると、セラも相槌を打つ。

 他の全員から冷めた視線が二人に集中した。

 ――薄情者が。

 思わずイフレニィは内心で文句をつけたが、自分のせいで迷惑をかけたのは事実のため止めることはしない。

「では外に出ていますね! ぶふっ」

 バルジーが勢いよく後ろを振り向いたところに、人攫い絨毯男がいて睨みを利かせた。横幅のある男にぶつかって、無言の威圧を受けると、二人は渋々こちらに向き直る。しんと静まり返った中、そんなことは何もなかったかのように、話は続いた。

「元老達の手荒な出迎え、どうかお赦し願いたい。こんなことを、指示したわけではなかった」

 その言葉に、イフレニィは奥歯を噛み締めた。身内の罪を軽くしたと気付いたためだ。あくまでも迎えであり、攫ったように思わせたのは手違いだと言ったも同然だった。そして代表であるらしい男の指示であるからには、元老院から差し向けたことになる。

 許しを請うと見せかけて、本質は目の前の男も変わりがないことを突きつけられていた。

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