第119話 白黒の立場

 突然、バルジーが盆を脇に置いて、床に両手をつく。また禄でもないことを思いついたのだろう。四つんばいとは思えない速度で白黒二人組みに近付いていくのを、イフレニィは諦めの境地で見送る。それでも、もっと人間らしくしてくれと、内心一言ぼやかずにはいられない。

「髭さん、元老院の特産品ってなに。美味しいもの」

 イフレニィは外した視線を再びバルジーへ向けていた。とんでもない呼び方をしていることに気付いたのだ。思えば合流時にはすでに呼びかけていたが、心境的に気にするどころではなかったのだ。人には長ったらしい名前を覚えさせようとしていたくせにと、不満気に口を曲げる。

「む、これは失態だ。その辺りの情報は調べていなかった。フィデリテ、どうだ」

 髭面は不満など微塵も見せることなく、女騎士に投げる。女騎士の方が元老院に詳しいのは、これまでの話からも理解できることだ。だが、その些細なやりとりからイフレニィが感じたのは、元老院との連絡に女騎士にある程度の自由が与えられていたらしいということだった。振る舞いからも、完全な監視下に置かれているわけではないのだろうとは窺えるものだが、そこまでして手を貸す理由に見当がつかない。国の立て直しに関することを想像はしたが、帝国に大した利があるようには思えないのだ。

 バルジーが、くるっと体勢を変える。

「騎士さん、怪物系はあるかな」

「怪物? そうですね……特別なものではないようですが、聞いた覚えがあります」

 女騎士は意味不明な単語に一瞬眉を顰めたが、すぐに無視した。意外にも順応が早い。そして、あれは癖なのだろう。片手を頬に添えて、僅かに首をかしげて考え込む。

「確か、好まれているものに、甘みのある芋があるとか」

「芋が、甘い……!」

 聞いた途端にバルジーは、顔を邪悪に綻ばせた。思わずイフレニィがセラを見れば、困ったような目と合った。その情報はまずいと考えたのは同じらしい。余計な時間を取られることになりそうだと、イフレニィは内心で溜息を吐くと立ち上がった。バルジーが話しているならちょうど良い。巻き込まれない内に立ち去ろうとしたのだが、それを鋭い声が制した。髭面だ。

「誤解があるようだから、この機会に我々の立場を説明しておこう」

 バルジーは芋の話を聞けなくて残念そうな表情を浮かべるが、有無を言わさぬ空気に口を閉じた。

「まあ、聞け」

 硬い表情を見せるイフレニィに、髭面は釘を刺す。命令ばかりしてきたのだろう。相手が思い通りに行動するのが当然といった、疑いのない声音だ。イフレニィには言葉を発するまいと奥歯を噛み締めた。無視して部屋へ引き上げれば、明日からも煩いに違いなかった。イフレニィは元の椅子へと乱暴に腰を下ろす。腕を組むと、話せと態度で促した。

 始まったのは思わぬ話だ。

「色々な立場がある。地位が高いからと、皆が考えているほどには自由に動けるものではない」

 まるで、これまでのイフレニィの疑念に答えるようなものだったのだ。

 その割に随分と自由気ままに旅立てるようだがと、胸中で皮肉を呟く。イフレニィ側に誤解があったとして、解く必要などあるだろうか。髭面を窺い見る女騎士の様子から、ああまたこいつの希望なのかと思えた。自分の説得では手応えがないために、手を借りたのだろうと。帝国に暮らす者である自覚のあるイフレニィに、正規軍からの話は無視し辛いものだ。

「今まで、回廊対策の為に大きな計画を進めてきた。だが、一度走り出せば、後は各担当の者が全力でことに当たる。既に我々の出る幕はない。しかし他に出来ることは幾らでもある。元老院への訪問も、その一つだ」

 使者からの話を聞くだけでなく、一度、自身の目で見ておきたいのだと、髭面は締めくくった。詳細など知らされたわけではないが、今後も堅密に連携をとる必要があるのは、その通りだろう。でなければ、わざわざたった二人で出てくるはずもない。

「不満なようだな」

 不満というわけではなかったが、何か一言ぶつけたい気持ちが顔に表れてしまっていた。もう何を言われようと反駁するつもりなどなかったのだが、相手は言葉を待っている。

「立場によって出来ることは変わる。偉い地位にいるんだろ。まずは足元のことをどうにかしたらどうだ。そう、思っただけだ」

 口元を歪める髭面を、何かおかしいかと睨む。 

「例えば」

 この男が、ただの愚痴など聞くなどとは考えていない。そう聞かれもするだろう。しかし特別伝えたい何かがあったわけではない。彼らの取り組みと比べれば、些細なことだという思いはあった。しかし問い詰められるよりはと、ふと心を過ぎったことを伝えてみることにした。

「以前、この街みたいに人気ひとけのない街を通った。コルディリーを南西に進んだ辺りにある小さな経由地で、軍の定期巡回でもなければ人も滅多に訪れないそうだ。あの辺は、精霊溜りの影響もありそうだというのに組合もない。長一人で帝都まで陳情に向かっていたり、何かと大変そうだった」

 そこにセラが口を出し、バルジーが感想を添える。

「ルローの街か。確かに何もなかったな」

「木の実が美味しい街」

 掠れて消えていたため判別できなかった街の名前を、こんなところで知るとはと、一瞬気を逸らされるが意識を髭面へ向けなおす。髭面は苦笑を浮かべ、顎の無精髭を撫でながら、わずかに考えるようなそぶりを見せた。

「国内の問題にも、当然意識は向けている。だが、今私一人が赴いて、どうにかできる問題ではないな。しかし覚えておこう。次に国と連絡をとる機会には、伝えておくことを約束する」

 その答えが意外で、イフレニィは内心驚いていた。そんな些細なことと国の危機を比べるのかと諭されるくらいには考えていたのだ。

「その精霊溜りの問題も、回廊の影響によるものだ。国も、元から断つ計画を進めていることは理解しておいてもらいたい。景色を写し取る魔術具がある。あの時に、他国の協力を募るべく証拠を抑えておいた」

「景色を写し取る魔術式具?」

 セラが反応したが、すげない返事が返ってきた。

「それ以上のことは、今は言えんな」

 髭面の話は一通り終わったようで、隣に目配せをする。それを受けて女騎士は、自身の都合について語りだした。

「私にとっては、ここまで面倒を見ていただいた恩義に報いる意味もあるのです。アィビッドの王は、大らかで義に厚い方ですよ」

 イフレニィは曖昧に頷いた。そんなことで国を引っ張っていけるのだろうかと訝しんだのだ。

「もちろん奉仕などではありません。私が努力し、力を付け、国の為に働いてお返しすることが条件でした。回廊周りの件で一通りの準備が整い、海を渡る許可を得ることができたのです。そんなことで、お返しできたなどとは考えていませんが、今後のためにも良い協力関係を築いていかなければと思っているのです」

 それには、これまでの的を外した懐柔めいた話よりも、よほど納得のいく理由ではあった。結果的にイフレニィらの旅と行動が被ったのも、本当に偶然だった、とでも言いたかったのだと思い至る。

「このくらいにしておこうか」

 髭面は唐突に話を打ち切ると、素早く立ち去った。言いたいことだけ言って随分と勝手なことだと見ていると、女騎士はふと足を止め振り返る。

「彼は、王の乳兄弟なのです。個人的、といってよいのか分かりませんが、自分の意思で動くことのできる立場にあります。確かな信頼のある立場ですので、ご心配には及びませんよ」

 そして、軽く礼をすると身を翻し去っていった。

 イフレニィは愕然とその背を見送る。言い残されたことに、内心で頭を抱えるしかなかった。

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