第118話 鄙びた街
昼食を手早く済ませ、さあ出かけようかという時に、嫌な二人と出くわした。髭面と女騎士。イフレニィの反対などなかったように、セラ達は気楽に同行を許可した。仕方なくイフレニィも、黙って後に続く。イフレニィ自身、旅に加えてもらうよう頼んだ側だ。決定権はセラにある。
いつものようにセラが荷車を引き、イフレニィとバルジーが、荷台の後方を左右で挟みつつ付いて行く。白黒二人組に定位置はない。辺りを見回していたかと思うと、少々変わった荷車を調べるように見入ってみたりと周りをうろついていた。目障りだと、眉を顰める。
気合を入れなければと考えていたところだが、こんな緊張感は望んでいない。せめて少しでも距離を取りたかったが、行動を共にする以上そうもいかない。極力、話しかけられることのないように目を合わせないことが、唯一できる対策だった。
自然と視線は前方のセラへ向く。やけにあっさりと信用していることが気になったのだ。イフレニィの時とは大違いに思えた。相手は国の正式な使者なのだから、考えるまでもないのかもしれない。なんのしがらみもない立場なら心強いくらいだろう。だから当然だと理解はするものの、内心でぼやいてしまうのは抑えられない。髭面が側に近付いてきて言った。
「そう、ふて腐れるな」
笑みすら浮かべ、しれっとした態度に、思わず横目に睨んでしまう。それもお前らのせいではないかという言葉は、胸に収めたままだ。
「子供みたい」
今度は髭面とは逆の隣から聞こえた、バルジーの余計な言葉を無視する。本当に人を逆なでする勘だけは冴えている。
「見ての通り、こっちは急いでいない。真っ直ぐ目的地へ向かえばいいだろう」
そうしろよ、との意図を込めて言ったのだが。
「船を降りたばかりで体が鈍っている。徒歩の旅も、体を慣らすのにちょうど良いかと思ってな」
お前らだけなら強行していただろうにと、思わず言葉が漏れそうになる。奥歯を噛みしめ視線を逸らした。白々しい答えが返ってくるのも分かりきってはいた。徒歩に付き合ういわれもないのに、こうして強制参加だ。何を言っても無駄なのだと、イフレニィはそれきり口を閉ざした。それは相手も同じだったのか、それきり二人から声を掛けられることはなかった。
「見えてきた。あれだ」
街道を少しばかり北上したところから、右手の山並みへ向けて通した森の道を通り、上り坂に差し掛かっていた。髭面の言葉に山を見上げると、途切れた木々の合間から、家々が覗いている。まだ午後も半ばだ。考えたよりも近い位置に街はあった。街から離れた港など不便だろうが、話に聞いた漁村とも思えない。あれは漁村自体を潰したという話だったのかもしれないと思いながら、急というほどではないが、それなりの傾斜がある坂を上っていく。
「手を貸さずとも、問題ないようだな」
坂道で荷車を一人で引き続けているセラに、それを全く気にしていないイフレニィとバルジー。セラの怪しい機構付き荷車について知らない髭面は、不審に見やりながら呟いていた。
――惜しい。
その言葉がセラの耳に届いていたら、さすがにこの男でも余裕などなくすだろう。いつ止まるとも知れない構造についての解説を延々と聞かされる恐ろしさを味わってみるといい、などと考えたが、バルジーめいた思考に思えイフレニィは眉を顰める。
街の中心部を示すのだろう辺りに木の柵が見えてきた。徐々に姿を現す景色を目に、歩を進める。ようやく踏み入ると、
茅を葺いた屋根に、赤みのある土壁。落ち着いた色の民家が建ち並ぶ。船員達の言っていた通り、特に退屈しのぎのための魅力があるような場所ではないようだ。この道は、街道から入る主な通りになるだろうに、見る限りでは食堂すら見当たらない。
「宿がありそうにもない場所だな」
珍しくセラが感想を発する。いつも、宿なのかと思うような所へばかり行っていた者でも困惑するようだ。
ただ、街らしい雰囲気がないというのには頷けるものだ。実際に以前、似たような街を一つ通ったが、そこにも宿はなかった。店らしきものも名ばかりで、普段は物々交換をしているだけとのことだった。しかし、こちらには牧草地らしきものどころか、畑さえ見えない。この街だけで生計が立てられるのかと怪訝に見回す。山間の何処かに、畑でもあるのだろうか。狭い街なのは間違いない。
「一軒だけ宿がある。行商人を泊めるのに用意しているそうだ」
髭面の説明を聞いて渋々と後を付いていくと、通りを外れて再び森に入り込む。木立の狭間に見えたのは、他より大きくはあるが民家の一つだ。連なる山の斜面、その麓に木々に埋もれるようにして建っている。雨が降ったように水が地を叩きつけるような音が耳に届いた。斜面に川があるのなら、流れも速いのだろう。玄関側に回りこむ際、裏手に水車が見えた。麦でも挽いているのだろうか。
絡まった蔦草と柵の境が分からないほどの門に髭面が手をかけると、同時に藪の間から扉が開いた。
「ようこそ、お越しくださいました。お泊りですか」
この宿だか民家だかの主だろう男は、やけに腰の低い態度で笑顔を浮かべた。イフレニィの想像した通りのようで、その姿は粉まみれの作業着に身を包んでいる。髭面がそうだと頷くと、男は草を引き千切るように門を開き客を出迎えた。はたして、前回の客はどれほど昔のことだったのかと思わせる光景だ。
バルジーが好奇心を目に浮かべて辺りを見回し、男に質問する。
「どこから見てたの」
予め伝えていたのではないかと不審を抱いて、イフレニィは白黒組を横目に見る。
「ほら、そこの、水車小屋から見えたんですよ」
粉主人の後に付いて行きつつ、庭も森も変わりのない周囲を見渡した。木々で全体は分からなかったが、外から見るよりも結構な広さがあるようだった。奥にもう一棟が建てられ繋げられたような作りだ。宿代に違いはないというので、一人一部屋を割り当てられた。そして食事も供されるというので、玄関側に皆で戻る。
「食事まで、こちらの居間でお寛ぎください。夜は少々冷えるんで、暖炉を使いましょう」
春先の過ごしやすい気候だ。そんなに寒くなるのかとイフレニィは、薪をくべ直す粉主人の背を不思議に見た。高さはないが、山の上だとそんなものかもしれない。
案内された部屋は、ここも様式が違っていた。広々とした室内には元は赤だったろう枯草色に褪せた絨毯の上、ほとんど地面に座るのと変わらない低い椅子が暖炉を囲むようにして並んでいる。この場所は二階部分がないのか天井が傾斜しており、傾いた板との間には、むき出しの丸太の梁が渡してある。そこから幾種類もの藁で繋いだ草や果物が、乾燥させるためか掛けられていた。趣がある光景は、普段ならば大いに目を楽しませることだろう。イフレニィの場合、純粋に楽しむというよりは、余計な会話から逃れるためではあったが。
困惑しつつ足を進めたイフレニィは、暖炉から最も離れた椅子を選んで座り外套を脱いだ。暖気がこもる室内は暑い。これで寒いとは、本気で言っているのだろうかと訝しむ。各々が席を確保し、低すぎて足の置場に困惑しながらどうにか腰を落ち着けた頃、髪を後ろで一つにまとめた女性が大きな盆を手に運んできた。粉主人の相棒なら粉女将だろう。後に粉主人も盆を手に続いた。
「さあさ、お茶をどうぞ。身体が芯から温まる、ぴりっとした風味の草葉を使っているんですよ」
イフレニィは説明を聞いただけでげんなりした。これ以上、暖まる必要などないが喉は渇いている。それを受け取り、啜る。味は良い。水分を欲しているのに汗をかきつつとは意味があるのだろうかと思いながら喉を潤すと、粉主人から料理が配される。
「簡単な料理ですが」
一人ひとり小さめの盆ごと渡されたのだが、膝の上で食べるものらしい。大きな木の深皿には、小麦を使用したというとろみの強い白い汁の野菜煮込みが並々と注がれていた。添えられていたパンを千切って掬いつつ食べる。今まで食べたものよりも、随分と風味が豊かに思えた。
真っ先に食べ終えたイフレニィは、暑さに耐えられず冷たい水を頼んでいた。頼んだ水が届いた頃に、皆は食べ終わり、さらに先ほどの茶を飲み始めた。イフレニィほど暑苦しそうな様子は見えない。
同じく北国出身の女騎士も平然としていることに驚いたが、思えば温暖な帝都で育ったと聞いていた。
この街は大陸の中ほどといえど、南側に位置する。こちらの方は暖かい気候だと聞いてはいたが、まさか住む者の感覚にも、ここまでの違いがあるとはと閉口するしかなかった。
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