誘(いざな)い

第117話 長すぎる一日

 木も疎らな森の中、坂を上りきると、それは唐突に途切れた。左右にあるのは、どこまでも続くように見える道。

「街道、なのか」

 土や草と絡まりあうような狭間に、砕けた石の欠片が覗く。人通りはあるようで、枯れて倒れた草は変色し、踏み固められた地面の一部となっていた。

 以前は、トルコロル共王国からの乗合馬車や、定期配達の馬車も走っていたはずだった。遠い昔に苦労して作り上げ、維持してきたという街道が、荒れつつある。最も保全に力を注いでいた国が消えた。こちらの大陸に残った国々の力の衰えを、肌で感じるようだった。

 寂しい光景だ。

「地図は」

 同じく、立ち止まって辺りを見回していたバルジーが呟いた。イフレニィは足を止め腰の道具袋を漁る。管理所で尋ね、道のりを書きつけた紙切れを探し当てた。しかし、組合でのように地図を借りて自分で書き写すのとは違い、港の点から線が伸び、目的地らしき場所の点に繋がるだけ。観光案内など事務係の仕事ではなく、大雑把に元老院の方に向かえばあると、話は打ち切られたのだ。ほぼ確認する意味はなかった。

「そう遠くはないらしいが、これじゃ分からんな」

 イフレニィの言葉に、紙切れを覗き込んだセラとバルジーも眉間に皺を寄せる。

「まあ、疲れたら野営すればいい」

「志半ばで行き倒れるというのか……いや道を迷わせる幻術など撥ね退けてみせる!」

 各々勝手に呟きつつ納得する。紙をしまって、また進みだそうとしたところをセラが止めた。

「ここで昼飯にしておこう」

 確かに、少し早めだがいい区切りだろう。道の端に寄って腰を落ち着けると、久々に硬い保存食を取り出した。やけに懐かしい気もしたが、船内の食事も大差があったわけではない。

 誰もが無言で、噛み砕く音だけが響く。分かりづらいが、すっかり士気が落ちているのだ。

 歩いている内に少しは気力が戻ればいいがと思いつつ、食事を終えると立ち上がって伸びをした。イフレニィが真っ先に食べ終えるのはいつものことだが、二人も急いだようで、普段よりは早く終わる。野営することは構わないのだろうが、なんせこちらの最近の事情など全く分からない。なるべく日のある内に、できるだけ移動したいという考えは同じなのだろう。

 簡易の地図でも入手できなかったことは、大きな不安要素だ。元老院に向かうと決めたときには、なんでも揃う帝都を出た後だった。その後も大きな街はなく、購入の機会はなかった。それでもと、景色に目を向けた。目の前には道がある。子供の頃に得たはずの知識を掘り起こし、おぼろげながら頭に描いていく。街道は南北に延びているが、北には用がない。そもそも危険地帯だ。内海を挟むように、二つの大陸は弧を描いている。ちょうど現在地である港は、そのくびれた中ほどのようだった。元老院も、大陸の中ほど。海からは内陸側になる。

 イフレニィの視線は街道を横切り、向かい側に塞がる木々と、低いながらどこまでも連なって見える山並みへと向いた。

 ――知らない場所で、森を突っ切ることになるのか。

 荷馬車を利用するなら、道も整えてはいるだろう。港から上ってきた道は、人は通るに問題ないが馬車向きではない。どこかに傾斜を緩めるために曲がりくねった道を通しているのだろうが、目に付いたところを上がってきたのだ。木々の狭間では出入り口を見落としがちだ。向かい側の森に目を向けつつ、しばらく街道沿いに歩くしかないだろう。どうにか道筋をつけて、さあ歩こうかと気合を入れたときだ。

「間に合ったか」

 再び、声が遮った。しかし、セラのものではない。港側の道から現れたのは、白と黒。内心、唖然とする。

「あれ、髭さんと騎士さん」

 バルジーから多少の驚きを込めた声が上がる。

「そういえば、同じ行き先だったな」

 セラからは、当然かと納得するような言葉が。 

 道中、擦れ違うことは考えた。しかし彼らの身分であれば、管理係が話したような馬車に便乗するどころか、貸切るなり馬だけ借りるなり、なんとでも楽な移動手段は選べるはずだった。

「どういう、意味だ」

 イフレニィが問う体で吐き出したのは、間に合ったという意味についてだ。髭面の代わりに女騎士が微笑む。

「こちらも徒歩ですから、追いつけるか心配してましたの」

「元老院に向かうのだろう?」

 言葉を引き継いで投げかけてきたのは髭面だ。元老院に向かうから、なんだというのか。元老院の領内に向かうからと、目的の住所まで同じではない。セラの用があるのは研究施設ではなく、直轄の工房であるという。女騎士の話からも、当時の城下町があるとのことで、イフレニィらの目的地はそちらと考えていた。とはいえ、厳密な位置を知る訳ではない。工房ならば帝国内と同じく街の中にあると考えていたのだが、場所柄、城の側にある方が自然なのかもしれない。

 女騎士らの目的地は研究所となっている城と知れているが、元老院の場所自体も不確かなイフレニィは口を噤む。二人の意図することを理解しながらも、初めに発した言葉の意味だけに意識を向けた。

「部下はどうした」

「我ら二人だけだ」

 耳を疑った。

「たった、二人」

 なお胡散臭いことだった。大事な交渉事ではないのか。ならば、あの黒服隊はなんだったのか。大層な役目がありそうな割には少数の隊だと感じてはいたが、それさえ護衛ではないなど考え難い。

「彼らには港での仕事がある。我々はついでに引率しただけだ」

 髭面がイフレニィの不審を読んだように答え、さらに続ける。

「こんな所で、無駄に時間を過ごすつもりなのか」

 これまでと同じく、髭面の声音は淡々としたもので、そうとは聞こえない嫌味を吐く。本気かと疑いは増した。元から、たった二人での任務とでもいうのだろうか。仮にも国の代表として、他国――元老院だがもうどちらでもいい――へ向かうというのに。

「同じ道を行くのだ。街の所在を尋ねていたろう。こちらには詳細な地図もある」

 行動を探られていたことが苦々しく、警戒心も露わに睨みつけていた。髭面は、口元を皮肉な笑みへと歪める。そこに暢気なセラの声が割り込んだ。

「地図があって、情報もある。いいじゃないか」

 イフレニィは答えずに口を引き結ぶ。代わりというように、バルジーが前に出た。大股で黒髭に近寄ったのを見て慌てるも、咄嗟に伸ばした手は空を切っていた。髭面は静かに身構え、バルジーの行動を油断なく見ていたが、すぐ側まで近付けば視線は鋭く細められる。

 ――相手は軍人だ、馬鹿やると切られるぞ!

 そんなイフレニィの声が出る前に、ほとんど髭面の下から見上げていたバルジーは、無感情な声で言った。

「殺されるの?」

 バルジーの発言は、俺達はお前に殺されるのか、という意味だろう。相手を逆なでするようなバルジーの行動に、イフレニィの背には嫌な汗が伝う。

 髭面は眉を顰める。それ以上の変化は見られないが、得体の知れないものの相手は難しかろう。その気持ちだけは理解できるものだ。

「どちらかといえば、助けたいのだがな」

 意外な返答だ。今まで散々、邪魔をしてきたではないかと腹立ちがぶり返した。

「ならいい」

 ふいとバルジーは顔を背け、何事もなかったように戻り荷車の後に付く。

「では、しばらくよろしくお願いしますね」

 女騎士が柔らかに微笑む。バルジーとセラの二人に対して。

「行こうか」

 セラは荷車に手を掛ける。出発の合図だった。

「さあ、出発だー」

 バルジーが間抜けた掛け声を上げながら、気合いの入らない拳を振り上げる。何事も頓着しない二人だが、ここまでとはと、イフレニィはただ呆然としてその様子を見守るしかない。

 痛む気がするこめかみを押さえ、動き出す荷車へと疲れたように視線を送った。目まぐるしく変化する状況は、イフレニィの精神には負担なのだ。溜息を飲み込み、気分と共にすっかり重くなった足を引き摺り始めた。

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