第116話 接岸

 甲板から見渡せる景色に、イフレニィは目を細めた。崖と木々が、なだらかに、どこまでも続いている。待ちに待った陸が、近付いているのだ。

 街らしき影はないが、開けた場所が見える。相棒に聞いたところ、異変後に急遽、小さな漁村だったらしい場所の側に拓いたということだ。だが、波止場が一望できる範囲には倉庫らしき建物が並ぶだけで、店どころか民家の一つも見えない。甲板上で船員らが怒声を上げて動き回る喧騒とは対照的に、地上では鳥の鳴く声の他には、潮騒だけが、その場の音だった。

 南周りに進んできたのか、イフレニィに知る由もないが、船は回りこむようにして桟橋へと距離を詰めていく。束の間、波止場の静けさを乱すようにして、船は重々しい動きを止めた。波の打ち付ける音が戻る。

 日は高い。嵐もなく静かな時期だったが、風や波の具合だとかで、本来は早朝到着の予定が遅れたようだ。それでも午前中に到着しているのだから大したものだろう。それには、この荒波の内海にある特徴的な海流のお陰がどうたらと相棒の説明は続いたのだが、その辺はイフレニィに理解できる知識がなく耳を通り過ぎていった。

 船梯子が下ろされ人が吐き出されていく。閑散とした波止場は、一時的な活気に彩られた。

 久しぶりに地面に足をおろすと、思わず、しっかりとした大地を踏みしめていた。やはり自らの意思で動けるほうが気は楽だと安堵すると同時に、帰りを思うと溜息がこぼれていた。

 荷降ろしは大した量が無く短時間で終わり、依頼を終えた報告のために、臨時作業員は連れ立って倉庫へと向かう。こちらの管理所も倉庫の一角に設けられていた。短い間とはいえ、一生分の会話をしたのではないかという相棒ともここでお別れだ。話していたのは相棒の方だったが、イフレニィもそれだけの相槌を打った実感がある。

 お別れといっても、ほとんどの者達――というよりイフレニィ以外は、そのまま取って返すようだった。金を受け取ると出航までの間を、この港で過ごすそうだ。

 こちらの事情に詳しい者はいないかと幾人かに尋ねてみたが、誰もここから出ることはないという。滞在は短く、何事かあって乗り損なうと困るからということだ。実のところ、興味を惹かれるような大きな街が近場にはないというのが大きな理由のようだが。最後には管理所の事務係に、旅人組合はどこにあるか尋ねた。

「あるにはあるが、アィビッドほどのものは期待するな」

 そうして場所を確認できたのはいいが、この街にはなかった。

 ここは街と呼んではいても、帝国とのやり取りのために、急遽増やしたような場所らしい。異変前に、最大の港といえば南端の国にあったのだ。

 ここからの移動手段も特にないとのことだ。現在は物資を定期的に運ぶ馬車に、荷物の量によっては便乗できるかどうかというところらしい。どのみち徒歩の旅だから無駄な情報ではあったが、話してくれるままに頷いた。

 最後に宿の場所を聞いたが、ほとんど船員が利用するだけのため、やたらと立ち並ぶ倉庫の端に宿泊所を用意しているという。要は、普通の生活機能を求めるなら、隣の街へいけということだ。

「良い旅を」

 渋い顔を見せるイフレニィに、事務係は皮肉を投げかけ、うんざりとしたように手を払った。

 降りてすぐに見も知らない場所を移動することに辟易としつつ、管理所の表に出ると、船員らが固まってざわついていた。

「今回も無事の航海を祝って騒ぐぞ!」

「お、やっと出てきたか。お前も来い!」

 いまや元相棒が、イフレニィを見ると声をかけてくる。

「そうしたいが、仲間を待たせてる」

 宿にしろ組合にしろ、隣街のことについてセラ達へ相談しなければならない。

「そうか。帰りも会ったらよろしく頼むぜ!」

「気をつけていけよー」

 さすがに戻りは別の相棒を頼みたいと内心願いつつ、軽く挨拶を交わして、一時の仕事仲間達と別れた。こんな仕事だと、出会って別れてが当たり前なのだろう。仰々しさなど欠片もない。

 辺りを見回せば積まれた木箱や人が視界を遮る。荷車を探したほうが早い。

 海沿いに歩いていると、黒服の一隊が整列しているところに擦れ違った。向かい合って立つのは髭面と女騎士だ。何事か指示を出しているのだろうか。それを横目に、通り過ぎた。

 結局、一度の晩飯から後、女騎士とのまともな話し合いの場はなかった。そもそもイフレニィの休憩時間が合わなかったこともある。擦れ違い様の多少の挨拶はあれど、それ以上は諦めたのか。それとも、少しは満足してもらえたのだろうか。

 積まれた荷物の陰に、見覚えのある車輪が見えてきた。二人の姿も。目が合い、軽く片手を上げる。

「船旅ってのは疲れるな。仕事くらいしかやることがない。そっちはどうだった」

 イフレニィの声に、セラも疲れた顔を見せて頷いた。

「似たようなものだ。そのお陰で、十分な符は用意できたよ」

 バルジーを横目に見る。この女の仕事といえば、護衛だが。幻の怪物から船を守った。そういうことにしておき、視線をまたセラに戻したが、バルジーが頭だけ割り込ませてくる。

「なに、その目。私だって仕事したんだから」

「そうだな、品質確認をしてもらった。すぐそばに符使いがいるのは便利だよ」

 それを聞いて、バルジーは得意げに「えっへん」と胸を張る。

「どうせ書いてる時点で、失敗したかどうかくらい分かるんだろ」

「うっ、ん、まあ、そうだが」

 イフレニィが何気なく言ったことに、セラの目が思い切り泳いだ。それを見てバルジーは衝撃を受けたらしく、大きく口を開けて固まる。思い至らなかったらしい。

「からかうのはやめよう。また飯を奪われるぞ」

 威嚇する魚の如き頬を膨らませたバルジーをそのままに、イフレニィらは移動を始める。歩きながら、事務係から聞いた情報を伝えた。セラなりに船内でも話を聞いて回っていたそうだが、要領を得ない答えだった理由が分かったと頷いていた。互いに、まさか民家がないとまでは考えていなかったのだ。

 まともな道もなく、むき出しの土を踏みしめる。その緩やかな上り坂を、港の外へ向けて歩みを進めた。時折、吹き上げる海風が、背中を押す。涼しいのだが、湿気のせいか体にまとわりつくような重みも感じられた。

 ふと立ち止まって、海を振り返る。二人も、つられて足を止めた。

「つやつやしてるね」

 まるで食べ物を前にしたかのようなバルジーの表現に同意はしないが、気持ちは同じだったのかもしれない。帝国側から見た灰色の海とは、また違った色合いを帯びていたことに、どこか感慨深いものがあった。

 灰色に深い緑が混じりあう。その色は、記憶に残るだろうと思えた。

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