第115話 一息

 相棒の独り言を無視すれば、変わった動き一つない船内を見廻りながら、イフレニィは今後の行き先について思い巡らしていた。

 元老院。髭面と女騎士はそこへ向かうために、この船に乗り込んだのだと知れた。

 イフレニィら三人は、厳密には同じ場所へ行くわけではない。しかし、セラが行きたいという、元老院直轄の工房とやらがどこにあるのかは聞いていなかった。現地でも顔を合わせないとは言い切れないということだ。

 セラも海向こうの詳細な情報はないようだが、鉱山街の工房でお薦めされたと言うのだから、何かしら手掛かりはあるのだろう。後で確認しておこうと、頭の片隅に留める。

 改めて、元老院について知ることを記憶から掻き集めることにした。

 やや北と南に長細い向こう大陸の、中ほどに位置するミッヒ・ノッヘンキィエ元老院だが、イフレニィも子供の頃にすら行ったことはない。過去の光景から垣間見るに、父は帝国内に限らず、周辺の国々の街や市民の在り方を見て回っていたようだった。しかしイフレニィは、アィビッド帝国内を付いて回っただけだ。帝都の城へも挨拶へ赴いたが、それより西方へ行った記憶はなかった。それ以上の機会は異変によって失われた、と言うべきか。

 ともあれ、元老院方面の話は大して聞いたことがない。最低限の地理や歴史くらいは習ったが、世界にはこんな国があるという中の一つというくらいのものだった。そもそも帝国側の中央大陸と比べて、半分もない小さな大陸だ。小国ばかりが幾つか点在しているだけなのだから、巡るのに時間はかからないだろう。

 当時イフレニィ達は、トルコロル側を「此方大陸」などと呼んでいたが、帝国側は「端の陸地」と呼んでいた。潮が引けば回廊で陸続きになることもあるせいか、大抵の帝国側の人々は、大きな島のような感覚で捉えているらしいのだ。子供の頃は、それを知って驚いたものだった。しかし今では面倒なのか、互いに、ただ「海向こう」と呼ぶ以外の言葉を聞くことはない。

 それにしても、自国の在った大陸内の方が知らないことだらけだとは、皮肉なものだ。現在イフレニィの持つ知識も、一般的に知られている程度のものだ。

 女騎士は、元老院にも城下町だった場所があると話していた。元は国の一つだったということには微かに覚えはあったが、今も城と街が残っているとは知らなかった。

 考えてみれば、人々が暮らしているなら当然だった。なんでも他国に物資の補給を頼っていたなら、異変後に現在まで組織を維持できているはずもない。

 ――少なくとも街はある。

 表向きは国の体裁を取っていないと言えど、独立した地。イフレニィからすれば違いなど分からない。重要なのは、旅人組合もあるだろうということだ。あってくれれば、調べ物も早く済む。なければ、住民に場所を尋ねつつ移動しなければならず面倒なのだ。

 今のところは、まだ女騎士らと同じ行き先ではないのだが、城だか研究所だかへ用があるかどうかはバルジー次第だ。

 仕事の拘束時間が長く、あまりバルジーの様子を窺えなかったことも気になっていた。そろそろ何か変化はないのかと気が急いてしまうのは、閉塞した空間にあるためだろう。確実に変化があれば知らせてくれるとは思っているのだが、時に言葉にならない感覚があるようで、言いあぐねているのではないかと疑ってもいた。

 本当なら避けたいことだが、イフレニィも元老院へ向かう可能性は高いと考えているから、あれこれ思いめぐらせてみているのだ。

 もしもを考えれば、緊張に体が強張る。

 イフレニィの印の異常が、元老院の何某かの魔術式具のせいだったなら。それなら解決するだろう、という期待もある。だが、失くした国や女騎士達の思惑と関係していた場合、解決にあたって余計なことを聞かされるだろうといった不安も強い。それらが、嫌でも気を張り詰めさせた。

 まだ陸に着いてもないのに、こんなことでは先が思いやられると、小さく溜息を吐く。

 これまで散々思い悩んできた挙句、全てに関係がないということも考えはした。原因などなく、例えばセラが言った共鳴だったか、そんな現象の一つだとしたら。

 それならそれでも、構いはしなかった。これ以上の悪化はないだろうと判断を下せるためだ。常に痛むわけではなく我慢できないほどでもないのだから、完全な解決とはいかずとも、何処へ行くとも知れず彷徨い続けるよりは遥かによい。原因かもしれない場所へと近付くたびに、逆に、そんな風に投げ出したくなる。

 ――俺も、いい加減諦めたらどうだ。

 過去が追ってくるというのなら、追い払うために手を打てばいい。そう出来るだけの機会は、すぐそこにあるはずだった。どうにもならないなら、その原因が分かればいい。旅を続ける理由を、一つずつ潰していかねばならない。

 順調に進めば、五日後の到着だ。まだ半分も進んでないというのに、げんなりしきっている。


 上等な硝子の瓶から、琥珀の液体が小さなグラスに注がれ、イフレニィの前に差し出された。

「約束だ。さあ飲め」

 相棒秘蔵の酒だ。以前、暇つぶしに話を聞かせたら、馬鹿受けした客から貰ったという。同じような感性の持ち主が乗り合わせるとは、案外、世界も狭い。そんな曰くだから、面白話で唸らせたやつにという限定の褒美らしい。

 従業員控室にて、その褒美を頂戴しているところだった。一仕事を終えた者から点呼確認し解散となるが、その時間帯に集まった者達で、お喋りしてから寝床へ戻る。この時の話題の中心はイフレニィと相棒だった。

「とんでもない声を出すから何事かと思ったらよ!」

 イフレニィらと出くわした二人組が、相棒の情けない姿を面白おかしく描写していた。

「笑える話っつってんのに、こいつが怪談なんかおっぱじめるから、不意を突かれただけだ!」

 相棒は言い訳するが、誰がどう見ても怯えきっていた。

「形はどうあれ、唸らせたのは確かだな」

「いいから酒を出してやれ!」

「くそう、わあったよ!」

 周囲が囃し立てると、悔しそうに相棒は出て行き、酒瓶を携えて戻ってきたというわけだった。

 笑わせたのはイフレニィではないのだから少しばかり気は引けたが、強く断る場面でもない。手にしたグラスを軽く掲げて礼をすると、口に含んだ。

 鋭く刺すような刺激と熱が喉を通り、削りたての大鋸屑おがくずのような香りが鼻腔をくすぐる。酔えれば良かっただけのイフレニィなどには、もったいない上質な味わいだった。

「旨い。いい酒だ」

 相棒は悔しげな表情から一転、満足気な笑顔を浮かべた。それからイフレニィが話した事を怪談として皆に披露していたのだが、すっかり笑い話となって場を沸かせていた。自分には全く笑い話の才能がないと、イフレニィは痛感する。

 酒の芳香は、考えすぎの疲労を、そっと解してくれた。

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