第114話 滑稽

 セラ達と別れて控室へと向かいながらも、イフレニィの頭には、今しがたの話し合いの場が再現されていた。女騎士との会話内容が浮かんでは、別の事柄を想起して流れていく。

 ひとまずは頭の奥に追いやろうとすれども、難しいことだった。様々なことに絡んでくるようで、記憶を刺激する。

 女騎士の父親は、騎士の隊を率いて帝国軍との交流のために訪れていた。外交に充てられる人材といえど、王のみが持つ騎士の一団を率いる者ともなれば、城住みの身分だ。だから、イフレニィの父よりも立場は上――継承順位が高いと考えてきたが、そこに引っかかりを覚えた。王の座が近い位置にいたといえど、それは副王だ。思えば、各家の者が別の家の頂点にある王になることはなかった。三王の中でも序列はあり、主王に次ぐのは副王マヌアニミテ、そして副王ルウリーブと続いた。もっとも、緊急時でもない限り副王の二人は同等とされていた。

 イフレニィはまとめて雲の上の話として片づけていたのだが、主王が最も重要ならば、他家と継承順位を比べるのは意味のないことのように思えた。気にかかるのは、印に関するためだ。何かが仕込まれているとは思うのだ。しかし各王家の模様の違いから、働きは違うのではないかと考えていた。例えば、最近になってイフレニィに起きた、精霊力の増幅や痛むほどの精霊力による信号の受発信。そして変化は、女騎士にもあった。天幕でイフレニィに問うたのだ。精霊力が増したかと。

 それは、魔術式の仕込まれた働きが違う証拠ではないかと思えるのだ。

 だが、異変時には女騎士の父親にも体調不良があったという。イフレニィ父子の持つ主王の印が、特別精霊力感度を高める働きがあるためではないかと推測していたが、印持ちであれば全て似た状態になったのだろうか。そこで、女騎士自身の体調については触れられなかったことに気づいた。

 半端な情報の欠片を得て、ちらつく答えの影に踊らされる。前進したと思えば、自己嫌悪に陥る。そんな自分に溜息を一つ吐き、沈殿していく思考を追い払った。控室の前に到着していた。


 夜の見回りのため、暗い通路に出たところで相棒が振り返り、イフレニィに指を突きつけた。

「今度こそ、お前が話す番だからな。簡単に俺を唸らせられるとは思わないが、精々試してみろ」

 そう挑発気味に言われても、素直に披露してみる気になっていた。たった二日であるが、何か事件が起きることもなく、もしものために淡々と歩き続けるといった日々が続くのであれば、喋り倒していた相棒の気持ちも分からないではなかったのだ。面白い話など、したことも考えたこともないイフレニィだが、眠気覚ましになるというなら試してみるまでだ。

 今晩は波も静かなようで、船体が軋む音もそう大きくはない。声を張り上げる必要がないのはありがたいことだ。相棒が燭台を手に先導する暗い通路を、ゆっくりと進みつつ、イフレニィは一つ咳払いして話し始めた。

「それは野営中のことだった。俺は見張りをしていたんだ」

 一瞬、相棒は驚いたように肩を震わせ振り向いた。

「ほう、そう来たか」

 なにか問題があったのかと思ったが、また前を向いて進みだしたため、相棒の背に話を続ける。

「灯りといえば、ぼんやりと揺らめく焚き火だけ。ふと気付くと、黒い霧のようなものが辺りに絡みつくのが見えた……」

「そ、それから、なんでえ」

「背中に、ひやりと冷たい感覚が走り、思わず振り向いてしまった……するとそこには」

 ごくりと喉を鳴らす音が聞こえる。

「怨嗟渦巻く邪悪な双眸が、地面から見上げていた。その目はまるで果てのない暗闇のように、ぽっかりと開いており、こちらの様子を窺っていた。目を合わせてはならなかったのだと気付いても遅い。じっと、身じろぎすらせずにいたそれは……」

 相棒が、つま先立ちするように背筋を伸ばし、小さな呻き声を上げる。

「ふおお……一体、なな何が始まるんだよ」

 前方から聞こえるのは笑い声、ではない。首を傾げつつ、話を促されているとみてイフレニィは続ける。

「すると背後にいたそれは、人ならぬ音を発したんだ。……ガサ……ガサ……。地の底から這い出たのは、まるで地獄から伸ばされた闇の手だった。呆然としている間に、何かが辺りに散らばった。視界に入ることもなく、何かが体に触れたことだけは分かった。恐る恐る、自分の体を見下ろせば……」

 気が付けば相棒は、広い背中を丸めて身を震わせている。笑いを我慢しているのではなかった。

「ひよおおお……もう、や、やめろ!」

「まだ、話し終わってないが」

「いいから! 十分だ!」

 別に大した終わりではない。バルジーが枯れ枝を投げつけて来たところを木の杭に変えて、心臓目掛けて襲い掛かってきた、ということにしようと思っていたのだ。相棒の様子を窺えば、どうやら怯えているらしい。

「怖えぇ……いや大丈夫だ怖くなんかない……大丈夫、呪われなければどうということはない……」

 恐怖心を誤魔化すためか、よく分からないことを呟いている。

 事実を誇張して話せば、面白い話になるのではないのか。困惑と気まずさから、イフレニィは己の顔を撫でる。

 しばし背を丸めてぶつくさ言っていた相棒が、背筋を伸ばした。

「いやあ、なかなかやるじゃねえか。だがな、俺ぁ面白い話ってのは笑える話のことを指してたんだ。怪談じゃあねえよ!」

 怪談。

 確かに、バルジーの話していた伝説の怪物の話なら、怪談になりそうだと考えたが。これは、バルジーのある晩の日常的行動を話しただけだった。イフレニィは怖い思いをしたが、そういった話を他人に話せば笑い話になるものだと思っていたのである。

「それはそれで面白いがよ……今晩眠れるかなー」

「作り話だ」

 慰めになるかと、身も蓋もないことを言った。

「作り話でもなんでも、怖いもんは怖い。冗談だって作り話でも笑えるだろ。それに、作ってるって割に、やけに実感こもってたじゃねぇかよ……」

 イフレニィにとっては体験談だから実感もこもろうというものだが、相棒は感受性が豊かなようだ。相棒がイフレニィに文句を言うのに振り返っていた顔を前に戻したとき、通路の曲がり角に差し掛かった。暗い角から、ぬっと影が躍り出て。

「ふゃあああああああっ!」

 相棒から魂の抜けるような叫びが響き渡った。

「うわっ! なんだよ、いきなり驚かせるな!」

 顔を出したのは、他の見回り組だ。擦れ違うことは常だというのに、運悪く曲がり角で出くわしてしまった。

 相棒には悪いが、イフレニィにとっては運が良かった。お陰で、その後は何か話せとせっつかれることもなかったのだから。

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