第113話 会談の後で

 気を取り直したように前を向いた女騎士フィデリテから、先ほどの怯んだ様子は消えていた。

「私達は帝国軍との交流のため赴いていたのです。異変時、急ぐからと、父は私を城に預けて発ったのです」

 イフレニィに挑むように、フィデリテは答える。

 どうしたものかと、イフレニィは考えあぐねていた。不意に訊ねたことから知れたことは、思わぬ収穫ではあった。訊くことは山ほどある。訊けることと、訊くべきこと。しかし時は限られている。

 話したいことが積もっているだろう相手だ。女騎士から始めずとも、先に話すよう促すつもりではあった。それで少しは大人しくなってくれないかということと、イフレニィから何も言わずに済むといった希望もあった。そして目論見通り、ほぼ時間はなくなった。イフレニィの方はこのまま終えてもよかったが、それではこの女騎士は納得しないだろう。

「本当のところ、貴方はどうなのです」

 そう、はっきりと口にしたのだ。

 女騎士が目に力を取り戻したことに、イフレニィの発言が影響している。あの質問は、イフレニィ側の事情を垣間見せることにもなった。初めからイフレニィ側の経緯を知っていたとは思えなかったが、後から調べることもできただろう。それでも、これまではイフレニィが一切を否定してきたために、直接には触れずにいたようだった。しかし、これで似た経緯を以って帝国に滞在する者同士という前提を得たのだ。今、イフレニィを見る瞳の力強さは、懇願にも似ていた。同志であって欲しいといった願いが、込められているようだった。

 恐らく、彼女の話の一つにでも響くことがあり、何かしら快い感想をイフレニィが口にすることを期待しているのだ。全く徒労なのだが、これまで言葉でも態度でも拒否してきたというのに変わりないのだから、根本的に理解できないだろう。

 だから別の話を持ち出すしかない。イフレニィにとっては情報を引き出せ得る機会とでも思うしかないのだ。残り時間で聞けることを選択すべく、予め考えていた質問を幾つか頭に浮かべる。

 何か一つ、聞くとするなら。そう考えて用意していたものは、ある意味、知ろうが知るまいがどうでもいいことでもあった。印そのものについてなど、あまりに核心を突くようなことは避けるつもりであったし、事実と歪められた答えを返されようとも、影響の少ないだろう事柄を選んだためだ。

 だが、不意に訊ねてしまったことで、イフレニィとしては十分な結果になった。無意味だと思うことを、あえて持ち出すことが虚しくなり、それらを投げ捨てる。真っ当に答えるつもりはなかったが、代わりに、親についての話題から浮かんだことを口にしていた。

「父は亡くなる前、異変時に……体調を崩した」

 つい出かかった、『印』という言葉を止めた。それが原因の一端らしいことは、憶測でしかない。省いたのは、両隣に聞かれることを避けるためでもある。

 バルジーには体におかしな痣――印があることは伝えてあるが、それにまつわることは、バルジーとの目的に関すること以外は話していない。今ここで思い出されては面倒だ。

 だが、もしも女騎士の父親が体調を崩していたならば、印を意識させることになる発言ではあった。それでも、あえて目を逸らさずに問いかける。

「あんたの方は」

 話し辛いだろうと承知の上で。また説得しようと、話す機会を持とうとしてくるだろう。それがイフレニィにとってどれだけ負担か、同じ事を強いているのだと、分かってもらう必要があった。

 言わんとすることに思い至ったのか、女騎士は蒼白になった。それだけで、答えは得たようなものだった。か細い声が返る。

「おっしゃる通りのことが、私の父にも起こりました」

 それでも、旅立ったのだ。異変後、イフレニィの父や多くの騎士がそうしたように、祖国へ戻ろうとした。女騎士の父親は急ぐためとのことだが、道のりが荒れることを予想し、娘の身の安全を考えたのだろう。それとも、死を予感したためだろうか。

 その後、音信不通ならば生きてはいないだろう。アィビッドは、最も情報が交錯する地であり、正確に情報を掴んでいる国の筈だ。しかも女騎士はその軍下にいる。トルコロルの現状も常に把握しているだろうに、彼らの情報が入らない。既に生きてはいないと、分かってはいるのだろう。ずっと元老院とも連絡を取り合っていたなら尚更。

 だが、それでも彼女は、もしかしたらと考えている。それが唯一の、心の支えなのかもしれなかった。頭では分かっていてさえ、皆が滅びるなど在り得ないと信じたい。その心情は、分からなくもない。ただ、イフレニィにとっては、既に遠い過去のことだというだけだ。

 だが未だに、続いていることとして生きている者がいる。そのことは念頭に置いておくべきだろう。別の似たような者に会う可能性もあるのだから。

 十分だと、イフレニィは音もなく立ち上がる。

「お待ち下さい」

「悪いが、時間だ」

 左右を見れば、散々食い散らかした二人が、啜っていた茶を飲み干そうとしていたところだ。通常の食事よりも、時間はかかっている。二人にも出るように促した。

 部屋の外へ出て通路を数歩進み、ふと足を止め振り返る。逃げずにいられた、そのことに多少の自信を得たのか、扉の側で見送る姿に声をかけていた。

「また、時間が合う時に」

 頷いた青白い顔は、やや力を取り戻したように見えた。


 他人に聞かせるには、少しばかり踏み込みすぎたと感じていた。戻りの通路でイフレニィは、同行者の様子をそれとなく窺う。セラの眠そうな様子は普段と変わりない。膨れた腹を撫でるバルジーは、機嫌が良さそうな声を上げた。

「こりゃいいね。またタダ飯にありつける」

 この二人が内心で何を考えているのかなど、読み取れるはずもなかった。恐らく、例え旅の道連れとなった者の事情だろうと、自分に降りかからねば心底どうでもよいのだろう。

「もうない」

「そんなっ」

 イフレニィがすげなく言えば、狼狽えつつ筋違いの抗議をしてくる。その肩をセラの方に押しやった。

「餌が足りてないようだぞ」

 セラが困ったように眉尻を下げた。

「た、足りてる。量は足りてるよ」

 珍しくセラが反応したのを見て、バルジーは焦って弁解する。いい気味だ。視線を二人から暗い通路へと戻す。

 結局のところ、最後まで気分は重いだけの面会だった。それでも、イフレニィは、譲歩の言葉を投げかけていた。一つ、自身のわだかまりを乗り越えたことに違いは無い。

 自ら口にした以上、気は進まなくとも、また話を聞かなければならないだろう。今まで頑なに、印の問題とトルコロルとの関係を避けてきたのだ。どうにもやり場のない思いが払えず、その夜の見回りは、うるさい相棒の存在がありがたかった。

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