第103話 船出

 昨日さくじつに続いてイフレニィは、夜も明けきらぬ内から依頼に出た。街の中を大量に魚の詰まった箱を積んだ荷車で運搬しながら、ぶつけないように辺りに目を配る。昨日よりは仕事にも慣れ、街並みへと目を向ける余裕もでてきていた。

 そして、街の中に黒い制服を散見する。ここにも軍かと、怪訝に見た。街に着いた時には見かけなかったように思うが、どうだったろう。なんせ初日は、乗船券のことで頭が一杯だった。

 今のところ、ここが海向こうに渡る最大の港らしく、この街にも用があって当たり前ではあるのだが。それにしても、経由地で見かけた雰囲気とはまた違うものを感じていた。


 仕事を終えて宿に戻ると、また伝言があった。入り江へ出向くと、変わらず釣りをしているセラの姿がある。

「まさか、一日中ここにいたんじゃないだろうな」

「今日は街を回ってきた。組合も見てきたよ。各地で趣が違って面白いな」

 一応、物売りに出かけていたらしい。

「警備兵の詰め所にも寄ったんだが、ここにも軍が出てきているようだ」

「やっぱり、そうか。やたら見かけるとは思っていた」

 セラは重々しく頷く。思い当たる理由はイフレニィと同じなのだろう。商売以外での、向こうの国々との取引。主な相手は元老院であるはずだ。精霊溜りの活性化について準備を進めているに違いなかった。転話具で話すだけでは足りないこともある。幾ら道具が進歩し便利になったところで、所詮は人同士なのだ。

「お陰さまで、作った分の符は全て買ってもらえたよ。もっとも、光の符だけ欲しそうにしてたがね」

 嫌な理由ではあるが、地道に商売が上手くいっているようで何よりではあった。向こう大陸の事情が不明な現在、少しでも懐が暖まるのはありがたいことだ。なんとはなしに、辺りを見回す。

「あいつは」

「そこだ」

 セラはイフレニィの意図を察して、振り返りもせず目的の物体を指差した。岩場の陰に、人間大に丸まった袋が転がっている。もちろんバルジーが、外套に丸まって寝ている姿だ。遠目に見れば、セラが証拠隠滅でも企んでいる最中のようだった。

 何はともあれ、イフレニィは火を熾すことにした。枝葉の爆ぜる軽快な音を聞きつつ、セラの釣った魚を食えるように準備する。煙に芳ばしい匂いが混ざり、漂い始める。

「ううん……さか、な」

 岩陰の簀巻きが蠢いた。

「海の、藻屑……」

 やがて伸びをすると、目を擦りながら火の傍へとにじり寄ってくる。ちゃんと立って歩けと思いつつ横目に見ていると、目が覚めてきたらしくバルジーは立ち上がる。が、また岩陰へ戻った。一体何がしたいのかと動向を追っていると、荷物がある。どうやら枕にしていたらしい。その袋から何かを取り出した。

「パン、買ってきた」

 そいつを枕にしていたのかと、呆れて見上げる。

「頭を乗せていたのは水筒だから、潰れてない」

 イフレニィの渋い顔を察したようにそう言って、パンを押し付けてきた。手にある塊を怪訝に見る。文句を言おうにも、すでにバルジーの意識は別のことへと移っている。俺は調理係じゃないぞとぶつくさ呟きつつも、小刀を取り出して海で洗い、四角い固まりを具を挟むのに丁度いいように薄く切っていく。

 バルジーは荷物から野菜を取り出した。確かに、塩気がある分、野菜も食いたいと思っていたところではある。それから、もう一袋。

「これ、干してたやつ」

 何か作ってみると言っていたなと思い出した。その魚の切り身を、バルジーが棒に刺して炙りだすのを見て、イフレニィもパンに続いて野菜を適当に切り分け焼いていく。バルジーは切ったパンを奪うと、炙った魚を挟んで並べた。焼けた野菜も端から奪われていく。

「準備、出来たよ。早く食べよう」

 まるで獲物を追い詰めたかのように、バルジーはパンを睨みつけた。

「焼けたぞ」

 食われる前にと、セラに声をかける。三人並んで腰を降ろすと、それを合図に食事は始まった。しかしパンに齧り付き、味を認識できた間の後に三人は固まる。バルジーは両頬を膨らませて震え、セラは慌てたように水筒を取り出した。イフレニィも、どうにか吐き出す前に水筒を取り出し飲み下す。

「なにした」

「失敗だったな。塩をまぶしておいたんだ」

 バルジーの代わりにセラが答えたが、それは分かっていた。だが、塩の味しかしなかったのだ。遅れて水を呷った女が悪びれもせず言う。

「ふぅ……どばあっと漬け込んだ方が、いいかと思ったんだけどな」

「止められずに、すまん」

 何故かセラが謝った。

「水に漬けてくる……」

 バルジーは恨めしそうに切り身を見下ろしつつ海へ向かった。余計に不味いことにならないかと思ったが、塩気が抜けた方がましだろう。改めてイフレニィは、溜息と共に挟んだ切り身を取り出して分割し、他のパンに挟むことにした。少量ならそう酷くはない。その分、野菜を詰めまくることになった。

 味を調えた食事で腹を満たした後は、今後の行動予定について話し合うことにした。海向こうの国での、行動方針についてだ。

 朝到着の航海予定ではあるが、なにぶん自然任せのことだ。日中につけばいいが、深夜だとどうなるのか。船で待機さてもらえるのか、外に野営地なりがあるのか。その辺を、セラに確認しておいてもらうよう頼む。

 次に、到着後はイフレニィの依頼を終了するまで待ってもらうことになることだ。後片付けなどの仕事もあるだろうし、手続きをして出るまでにどれだけ時間がかかるか分からない。その間、二人には宿の確保なり、行商なりしていてもらうことにする。そんなことを、思い付く範囲で決めていった。

「前もって言っておくが、さすがに向こうの情報はないから、今後は宿については期待しないでくれ」

 随分と今まで、セラに頼りっぱなしだったと思っている。

「組合があるなら、地図を確認させてもらおう。組合もどこまで同じか分からないが、そこは期待するしかないな」

 海を渡れば皆が冒険者だなと、イフレニィは半ば皮肉気に思った。別に胸が高鳴ったりはしない。元々、未知のものへの憧れなんてものもない。手探りの不安と、面倒臭さだけが心を占めていた。


 そうして数日が経ち、出港の日はやってきた。毎日忙しく働いていたために、あっという間のように感じられるが、荷運び中の様々なことを思い返せば、たった一週間の出来事とは思えない多くの日々を過ごしたようでもあった。

 荷物の量に反して人の少ない、閑散とした波止場を眺める。

 記憶の中にある北の海、回廊周辺が思い出された。その場所とはまた違った色の、静かな海だ。父が生きていて国へ戻ろうとしたなら、この景色を共に見ていたのだろうか。視界に、父の白い外套が翻ったようで、眩さに目を眇める。

「おおおおうい!」

 突然、野太い声が、イフレニィの感傷を引き裂いた。振り向かずとも、声の主が誰かは気が付いている。ゆっくりと体を向けてみれば。

「間に合ったな!」

 何故か潮流亭の主人だけではなく、作業員一同が見送りに来ていた。つい疑問が口をついて出る。

「うちの宿から海を渡る客なんて珍しいからな。しかも仕事仲間だ。職にあぶれたら面倒見てやるぞ!」

 イフレニィとセラの顔を交互に見ながら朗らかに言う魚主人に、お断りだと思ったが口にはしない。

「おっと、こいつを持っていけ」

「いやあ、重かった。これで解放される」

 数日の作業仲間が木箱を腕に抱えており、有無を言わさず押し付けられた。

「ふんふん……これは、魚!」

 バルジーが獣並みの嗅覚を発揮させるが、そんなことをしなくとも魚主人が持ってくるものだ。想像はついた。保存の利く食物なら助かるとはいえ、食べきれない程の量だ。しかも船でどうすればよいのかと戸惑う。甲板で炙るのはさすがに無理だろう。しかしせっかくの好意だ。大人しく厨房に渡すことにして、ありがたく受け取った。

「世話になった上に、食い物まで悪い、ぶはっ!」

 力任せに背を叩かれ、乗船を促される。

「また来いやあ!」

 野郎共の声援に見送られながら船内へ続く階段を登り、振り返る。イフレニィも一度、手を振り返した。忙しく、そして気安い街は、嫌いではなかった。

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