波間

第104話 閉塞

 見たくないものを見た。

 何故、気が付かなかったのか。

 イフレニィの視界の端に映り込んだのは、忌々しい色が二つ。思いもよらぬことに、避けることも出来ず体は固まっていた。苦みが走ったよう口元が歪む。


 それは、出港して間もない頃だった。

 臨時の船内作業員として乗りこんだイフレニィは、客であるセラとバルジーと別れ、集合場所へ向かった。新人は経験のある者と組んで作業の指示を受けると、各員は持ち場へ移動する。

 その途中、狭い船内の通路の先に、船室へ向かうところだろう客の姿が飛び込んで来たのだ。薄暗い通路でさえ認識できたのは、白と黒の衣装が並んでいたためだ。

 最も会いたくない、二人だった。軍の黒い制服姿である髭面の男のすぐ後に、白い外套の下に防具を着込んだ亡国の生き残りである女騎士。

 港町には海を渡るらしき正規兵の黒服を見た。だから、可能性を考えはした。だからといって、予定を変更することは出来なかった。とはいえ、同じ便に乗ることを誰が考えるだろうか。

 そうなるとイフレニィ一行の後に、そう間を置かずして鉱山を出たということになる。しかし後を追ってきたのかという考えは、すぐに消した。二人は別の任務で赴いていたようであり、身軽な立場には見えなかった。

 こちらが徒歩の旅と知れていようと、ほんの少しでも早く付けば前の便に間に合っていたのだ。そもそも一晩の遅れはセラの実験に付き合ったためであり、イフレニィさえ知らなかった予定の推測など誰にもできはしない。立ち寄った拠点から転話具で連絡が入っていたところで、前の便であれば、聞いてから乗り込むのは間に合わなかっただろう。軍の権限で止めるよう連絡が入っていなければ、だが。

 力なく首を振った。今さら、過ぎたことの想像をしたところで意味はない。

 ただ、予期せぬ事が起こるのは嫌いだというだけだ。それなのに、こういった状況が頭を過ったとき、その考えを無意識に追いやっていた。またしても「まさかそこまではないだろう」と思って放棄したのだ。予想さえしていれば、不意に驚かされる不快感は和らいだはずだった。時が経つほどに、気が緩んでいっている自分を殴りつけたい気分だが、それでこの状況が変わるわけでもない。

 ――無視しろ。いや、考えろ。

 どう対応するかについて、まず己の希望が浮かんだが、向こうが大人しく無視されていてくれるはずはない。出来ることは、精々心の準備だけだが、腹を括るしかない。どのみち避けられないのならばと、足を止めて相手の出方を待つ。

 擦れ違うというところで、目が合った。

 快い相手ではない。自然、イフレニィは警戒の目を向けたが、二人は睨んだと捉えたのだろう。イフレニィの気構えに対して、相手は苦笑を残したが、そのまま通り過ぎていった。

 肩透かしを喰らったようで、その後ろ姿を呆然と見送る。姿が見えなくなって、ようやく体の強張りは消えた。

 自意識過剰だったのだろうか。

 さすがに、イフレニィを追うためだけに他の任務を放って国を出ることはないだろうから、別の目的があるとは考えている。海向こうの国々との交渉事などだ。それに見合った地位と理由が彼らにはある。遅れて、どっと疲れが襲ってきていた。

「おい、遅れるな。迷うぞ。仕事はこっちだ!」

 慌てて振り返れば、今日のところの相棒が、通路の曲がり角から頭を出して叫び手招きをした。何度もこの仕事をしている経験者で、今回は新顔の監督も含まれているだろう。

「悪い」

 仕事に集中すべく、一つ深呼吸をしたイフレニィは、気持ちを切り替えて相棒の後を追った。


 その日の午前中の仕事は、船内の巡回とのことだ。説明を受けながらのため、巡回経路を覚えろという意味もあるだろう。

 一応の説明は、前日に仕事内容と併せて受けたのだが、船内の案内はほんの一部だった。具体的には今朝指示を受けた集合場所までだ。初めから、詳細は乗り込んでからという決まりなのだろう。実際に、その辺りを相棒に尋ねてみれば、特に秘匿事項でもないのだろうが些か赤裸々に語られた。

 前日に説明までする手間をかけても、当日の朝に取り止めを訴える者がいる。それならまだしも、来ない者もいるだとかで面倒だから出港後に決まったということだ。話はそれで終わらず、過去にはその説明会を利用して下見に来る盗人がいただとか、ただの盗人だけでなく盗賊団に乗り込まれたり、お尋ね者の密航者がいたりだといったことだ。果ては元の船員の中に闇取引に加担する者がいてなどと、話が悪い方に壮大に逸れて行く。どこまで本気に捉えれば良いのか、そもそも本当に部外者が耳にしていい事なのかと混乱しはじめた頃に、区画が変化した。

「おっと、ここは見ての通り積荷ばっかだ」

 話が途切れて心底助かったと思いつつ、仕事の指示へと耳を傾けなおす。

 実際に出港してしまうと、また違った雰囲気があると感じた。単純に言えば閉塞感が増したようだった。そう大きな船ではないが、積荷に埋まった船倉の合間を縫って歩いていると、迷路のようだった。そんな中を、荷崩れはないか、縄はしっかり固定されているかなどを確認して回る。先ほどの不穏な話に垣間見えたことから、不審者がいないかを見て回るのも含まれているようだ。

 単純作業だが、そうした巡回はイフレニィらだけの割り当てではない。別の二人組と定期的に擦れ違った。一定間隔で常に見回っているようだった。それは、イフレニィのような新人への警戒もありそうに思えた。悪事よりは、怠けていないかという方を心配されているようだったが。そう考えると、短時間とはいえ朝の遅れは失敗だ。

 もしかして脅すような話は、その件で特に釘を刺されたのだろうかと思い、前を歩く相棒の様子を窺う。

「で、ある日はよ、妙な物音がするって、箱を開けたら兎が大量に飛び出して、追っかけて連れ戻すのに一苦労してな――」

 相棒は、船内の珍事件を一人話し続けていた。たまに振り返る横顔は笑顔であり、腹を立てているどころか、初対面の新人を警戒する素振りさえない。単なる暇つぶしなのか止まることなく続く話に、聞くともなしに相槌を打ちつつ、ともあれイフレニィは真面目に仕事に取り組んだ。

 休憩は他の二人組と交代で取るとのことで、イフレニィの組は、昼飯時から少し遅れた頃だ。ようやく、お喋りから解放されたイフレニィの肩から力が抜ける。相棒は食堂へ向かうとのことだが、イフレニィは甲板に上がることにして別れた。セラから、昼は上にいると聞いていたためだ。

 その僅かな自由時間にでも、伝えておきたいことがあった。

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