第76話 来訪

 ブラスク・ブラックムアという名以外の情報がない、北端の街に特殊な任務で隊を率いていた男。何故、この状況で、帝都よりも南の地にいるのか。狭い通路でわざわざ待っていたなら、他の泊り客の邪魔になりそうなものだが、不幸にも地下階にはイフレニィ達以外の客はない。

「軍服」

 バルジーが呟き目を向ければ、セラも情けない顔つきで、疑心暗鬼に互いの顔を見る。一体誰があの男の生贄なのだろうか、と。間を置かずして、二人の視線はイフレニィの顔で止まった。イフレニィは顔を逸らした。

「あなたにも、友達いたんだね」

 二人は自分達には関係ないと知って、安心したように歩き出した。

「これは失礼」

 待っていた人物である髭面は、自然と脇に避けた。二人に用がないのは、その態度でも明らかだ。部屋へと向かう後にイフレニィも続く。当然だが、髭面も続いた。

「なんで、俺の部屋に……」

 セラの困惑を無視して部屋に押し入った。寝台を置くしか場所がない独房のような部屋に、軍の偉いさんと閉じこもるなど、恐ろしい尋問を連想して嫌だからに決まっている。偏見かもしれないが、これまで正規軍に用があったことなど一度だってないのだ。不安は嫌増す。

 一つだけ、まだ心に余裕を持てるのは、例の女騎士が居ないためだった。

 この街でトルコロルの白い衣装で出歩いていたら、さぞ目立つだろう。避けるのも楽に思えたが、もし他の帝国軍の規定服などを着ていられたら気がつけない。

 背後で扉を閉じた男は、嫌々振り向いて黙っているイフレニィを見て、話し始めた。

「食事だからすぐ戻ると聞いたので、待たせてもらった」

 宿の主人の仕業だった。

 ――あの野郎。

 イフレニィらが出かけるときは、まだ入り口にいたから、引き上げる前に入れ違いになったということだ。戻りが早いと聞けなければ、大人しく帰っただろうに。そう考えてから、それはないと気付く。まず、真っ直ぐに岩窟亭へと来たのだ。組合に報告している以上、居所を知られているのは当然と考えていたではないか。気まぐれに訪れたのではなく、明日には鉱山にでも押しかけたに違いなかった。

 ならば、少なくとも人目のない、今で良かったのかどうか。さらに、じっとイフレニィは黙して相手を見る。口元だけに笑みを浮かべてはいるものの、当然のことなのだろうが髭面からはなんの心境も読み取れない。

「慣れぬ土地で、見知った顔に会えるのは良いものだな」

 反応がないことにも構わず、髭面は抜け抜けと言った。

 ――なにが慣れない土地だ。帝都のすぐそばだろうが。

「まずは君の仲間に自己紹介しておこうか。見ての通り、軍に属しているブラスク・ブラックムアだ」

 どこか観察じみた視線をイフレニィに向けていたが、二人へはやや表情を和らげる。そこに以前のような堅苦しさはない。無関係の人間がいるからか。単にこれが素なのか。

 しまったと、イフレニィの顔は強張る。わざと名乗り出たなら、二人を巻き込む気でいる。イフレニィに戻された顔から、笑みが消えた。

「ここで、何をしている」

 はっきりと問い詰めている。それには、困惑が湧いていた。

 軍と組合からの依頼を、イフレニィは拒否し、この男は納得したのだ。もう構わないのではなかったのかと疑問が浮かぶ。もちろん、傍らに未練がましい女騎士がいたのは無視できないが、彼女もその決定に異は唱えなかったのだ。

「見りゃ分かるだろ。商人の護衛だよ」

「護衛は、そちらの方だと聞いたが」

 ブラスクは、バルジーの方に一瞬目を向けて言った。どうせ全て調べているだろうにと思えば馬鹿馬鹿しい会話だ。再び口を閉じる。閉じざるを得ない。目的が、不明過ぎた。

「これが、何を差し置いてもやりたかったことか」

 何故、そんなことを聞かれなければならない。忙しいはずの人間が、たったそれだけを確かめに来たとでもいうのだろうか。

「多分」

 苛立ちもあるが考えもまとまらず、真面目に答える気にもなれない。

「曖昧だな」

 ブラスクの表情は、険しさを増した。

「こちらは明確な危機を見せ、出来ることを提示した。それに対する答えがそれなのか、と尋ねている」

 責めるような問い詰めに、俺が何をしたと不快さが増してくる。突然押し付けようとしたことを、断られただけにしては根に持ちすぎだ。

「答える義務があったとはな」

「彼らを、見捨てて逃げたのでないならば」

 良心に付け入るような物言い。またその手口かとうんざりする。そんなことを言われる筋合いはないはずだった。

 ――俺が、一番、帰ることを望んでいるんだよ!

「嘘に、はったり、そして隠し事。よくも言えたもんだな」

 睨みあう沈黙。僅かの後に、またブラスクは不遜な笑みを浮かべた。

「まあいい。顔色は、いいようだな」

 そう言いつつ踵を返すと、部屋を出て行った。あまりにあっさりとした行動に、呆然とその姿を見送る。扉が閉まる音で我に返った。

 そうだった。イフレニィは依頼を断るのを、体調の問題を解決するためだと告げていた。実は暇人か。本当に、イフレニィが言ったことを実行しているかどうかを、確かめに来ただけだったのだろうか。

 しかしあの物言いなら、進展はあったと、一応は納得してくれたということなのだろう。そして、体調が戻ったなら、戻れという脅しを含めて。

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