第75話 接触

 夜が明けるとイフレニィは鉱山へと向かったのだが、昨日とは街の空気が違っていた。どこか落ち着きがない。その理由は現場に到着して知ることになる。正規軍が見学に来ているのだ。数人程度ではなく、警備に割かれていた者達が全員集まったように見えた。

 同じく、先に来て遠巻きに見ていた旅人らに話を聞くと、正規軍の交代らしい。新たな隊は昨日の内に到着していたということだった。イフレニィは、同じ場所に留めるのではなく定期的に交代するのか、そんな風に運用しているんだなと思っただけだ。イフレニィの仕事に変化はない。黙々と昨日同様に働いた。

 帰りが早めだと得した気分になる。コルディリーでも、掘ったら何かに当たらないかなどと思いながら、組合に寄ってから宿に戻った。

 宿では早速セラが、符の材料をこねくり回している。雑貨屋で買わなかった道具袋のことを思い出し、ガラクタから袋を幾つか売ってもらった。また無料で渡してこようとするから金を押し付け、代わりに作業を見学させてもらうことになった。欠伸を噛み殺す訓練にはなっただろう。時を置かずしてバルジーが戻ると、即座に晩の買出しを提言した。

 ようやく落ち着けた気分で、なぜか三人で串焼き屋へ向かう。セラは息抜きと言い、バルジーはセラが行くならと付いてくる。荷車のある広場は、ここ数日で一番の賑わいを見せていた。見た目の通り、黒山の人だかり。正規軍の兵達だ。わずかばかり置かれた座席の内、一角を占めている。多くの兵は地元住民の邪魔にならないよう、端に寄って話に花を咲かせているのだが、なにぶん人数が多い。

 あの制服を見ていると、どうにも居心地が悪くなるせいか、イフレニィはやけに狭く感じていた。なるべく目を向けないようにして串焼き屋の前に向かうと、道具の掃除をしている。

「おお、毎度ありがとさん。焼き物は売り切れだ。あっちのを買ってやってくれ」

 串焼き屋の親父は、隣の荷車を指さす。隣は炒め物詰めのパン売りだ。あれはあれで美味いのだが、串焼きよりは値が張る。貧民の飯を奪うなと兵達に内心で文句をつけつつ移動した。

 注文はしたが、人が多いためか作り置きがあり、軽く炙り直した品を受け取ると周りに視線を巡らせる。席を探している振りで、声の大きな集まりへと耳を澄ます。

「そこの麦酒、こっちにも回せ」

 樽が兵達の間を行き交っていた。

「一人一杯だ。お前さっき飲んだろ!」

 特別に自由時間でも与えられたのか、気が緩んでいるようだ。久しぶりに会うのだろう、交代する両隊の兵達は互いを労って声を掛け合っている。そんな中、話は様々なことに移ろっていく。

「俺は、外で食っていく」

 そちらへ目を向けたまま、二人に告げると、空いた椅子を探す体で近付く。と、真後ろから声が。

「木箱借りたよ」

 飛び上がって振り向くと、もちろんバルジーだ。後にはセラも立っていた。

「戻れよ」

 腹立たし気にイフレニィが言う側をすり抜け、バルジーは兵の集まりへと近付いていく。

「私も気になるし。うらぶれた男が一人ぽつねんと佇んでるより怪しまれないよ」

 ――うるせえな。

「どこで食っても同じだ。こいつを食うなら、冷ましながらで丁度いい」

 セラは既に木箱へと腰を落ち着けていた。溜息と共に、イフレニィも箱に陣取った。熱いパンを千切る。冷ましながらも、風に乗ってくる声に耳を傾けた。

「最近、移動が多いなあ」

「全くだ。あっちこっち飛ばされて、落ち着きやしない」

 そんな愚痴が聞こえてくる。

「まさか、第一隊がこんな場所に来るなんてな」

「よっぽど人手が足りないのかね」

「ま、俺達は命令通り動くだけさ」

 今回は特に異例の事態だったようだ。

 第一隊。イフレニィが知っているのは、全部隊から精兵を集めた部隊ということだけだ。なにやら偉そうな地位の者が、こんな街の警備にやってくる。兵達の反応から、初と言ってもよさそうな口ぶりだった。国境沿いとはいえ帝都からは目と鼻の先で、わざわざ振り分ける必要もないのだろう。何かあれば、難なく帝都から援軍を出せる距離だ。

 鉱山として重要な拠点となったのは、そう昔ではない。精霊溜りの存在が需要を押し上げているとはいえ、魔術式具の原料を得るためだけの場所が、こうも重要になったのには、やはり新たな北の異変が関係あるのだろう。

 思い出したくもない髭面が、頭を掠める。

 他の兵と変わらぬ恰好で、実際の地位がどれほどのものかなど知らないが、各所と話を付ける権限を持つほどなら、このような所に現れるとは思えない。

 もし、来訪していたとして、恐らく間借りしている商人組合の建物で踏ん反り返り、部下の報告でも待っているのが普通の指揮官というもののはずだ。

 心配は杞憂だと考えつつも、イフレニィは出来る限りゆっくりと食べながら、周りの話に耳を傾けていた。

 それでもパン一つ。消えるのも早い。イフレニィより食べるのが遅い二人さえそうだ。話もせず座り込んでいるのも怪しいだろうということで、帰ろうと二人を促した。


 どこか消化不良な気分ながら、満たされた腹を抱えて岩窟亭へと戻る。暗い入り口を抜けると、脇の通路からまた外へ――行きかけた足が止まった。

 狭い通路を塞いでいるのは、一人の男。開いた扉枠へ背を預け、月明かりを受けて浮かぶ黒い人影は、顔だけこちらを向く。

「久しぶりだな」

 光の加減で半分しか見えなかろうと、聞き覚えのある声が、先ほど頭から追い払ったばかりの髭面の男だと告げていた。

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