第77話 辟易

 ありもしない閉じられた扉の残響が消えるのを待つかのように、動けないでいたイフレニィは、力なく椅子に腰を下ろした。髭面の出て行った後を睨みつつ、歯を軋ませる。

 ――くだらねえ。

 なぜ無関係の人間に、行動の許可を取る必要がある。しかも、一々試すような真似をする相手に。

 文句は溢れる。

 軍だけではない。結局は、旅人組合からも監視されていると、確かなものとなったようなものだ。当たる先が組合へと移れば、副支部長の顔が浮かんだ。

 ――くそオグゼルの野郎。

 半端な情報など、寄越されない方がましだったとすら思える。それとも、監視どころか軍が諦めていないことを知ったから、伝えようとしてくれたとでもいうのだろうか。イフレニィは一旅人でしかなく、そんな義理はないはずだった。精霊溜りの掃討依頼では自然と同じ顔が並ぶため、そういう意味では他の旅人よりは付き合いもあるだろうが、それだけのつもりだった。そこで再び、天幕での会談の晩に見た支部長との態度の差が浮かぶ。口が多く、支部長に対しても物怖じするような男ではないのに、あの晩だけは不機嫌そうに支部長を見て口を噤んだのだ。

 背もたれのない椅子だ。項垂れると机に肘をついた。

 わざとらしく注意してくれる気があるなら、もっと分かり易く言ったところで構わないだろうに。コルディリーを出てからというもの、誰も彼もが、あと一言のところで口を閉じるよう口裏を合わせているのではないかといった錯覚すら抱く。

 それにしても、オグゼルの行動にはどのような意味があるのかと考えてしまう。支部長や副支部長になる者は、一度帝都の組合本部で研修する決まりだ。旅人組合の支部長は領主に次ぐ地位と権限を持つため、様々な試験を突破しなければならないという。要するに、いずれはオグゼルも、民を管理する側になることが約束された立場なのだ。

 しかし思い返してみれば、いつもオグゼルは率先して現場に出てきては皆と行動していた。どちらの事も見てきたのだろうが、性格的に上のやり方が気に食わない、というただそれだけのことかもしれない。イフレニィと同じく。

「ああ、その、言い辛いんだが」

 次第に文句は八つ当たりへと移っていたが、声が思考を遮った。顔を上げれば、セラの困り顔が見下ろしている。

 人の部屋だと忘れていた。不貞腐れていた顔を誤魔化すように撫でて、イフレニィは立ち上がる。

「おかしな客のことは、忘れてくれ」

 出て行こうと扉へ向くと、バルジーが両腕を腰に当てて立ち塞がっていた。無表情ながら、じっと見上げてくる。何も聞かずにいてくれというのは、さすがに勝手すぎるだろう。これも自分の蒔いた種だと思い、何事か言い淀んでいたセラへと向き直った。

「その……俺は、工房では扱いに困って放出されたようなもんだ。揉めたこともあるが、喧嘩別れも規定違反もしていない。東の港町沿いにある工房だ。なんなら確認してくれて構わん」

 イフレニィは怪訝に見る。てっきり問い詰められるのだと思えば、逆に弁解めいたことを言いだすとは――軍の関係者と、勘違いされているのだと気付いた。

「俺は軍の手先なんかじゃねえよ」

 すると、さらに微妙な顔付きをされる。

「お尋ね者でもない!」

 妙な誤解を生んでしまったようだ。せっかく関係もましになってきたというのに、これ以上ややこしくしないでくれと、誰にともなく喚きたくなった。

「問題なんぞあったら、組合で仕事できるわけないだろ」

 心配なら組合で聞けと伝えれば、セラもようやく安堵したらしい。しかしその理由は、自分が追われているのではない、ということについてのようだった。それで一息ついたと思えば、背後から追い打ちをかける声。

「でも、組合とも何かあるよね」

 ――今それを言うかよ!

 またセラが情けない顔をするのを見てバルジーを睨むが、当然のように効きはしなかった。

「お茶にしよう」

 ふいとバルジーは荷物から水筒を取り出す。茶などという贅沢品を飲んでいるところなど見たことはないため、湯を沸かすのかと思えば、そのまま木杯に注いだ水を差しだされた。

 力が抜けて、また座り込む。今度は二人も、疲れたように肩を落として座った。セラが口を開く。

「軍に目を付けられる、か。分からんでもないな」

 顎に手を当てて、考え深げに頷いている。分からなくていいと思うが、一応話を聞こくことにした。他に何をするのも億劫だった。

「どういう意味だ」

「工房では、符使いを雇うこともある。職人達だけでは手が足りんから、調整後の確認や、符を出荷する前の検品を頼むんだ」

 また職人話だったが、そんな仕事もあるのかと感心する。想像以上に作業工程が多く面倒な仕事のようだ。

「そう実例を知るわけでもないが。あんたのように、展開……発動できるやつを見たことがない」

 セラが言い換えたのは、展開時の魔術円が見えないせいだろう。そして、そんな場所ですら、イフレニィのような者はいなかった。

「市場に出てないだけで、効果を高めた魔術式だとか、あるんじゃないのか」

 試しに聞いてみたが、まず首を振って否定された。

「ただでさえ発動には顔料の消費割合が高い。効果を高めるだけなら、あれほど大きくする必要はない」

 通常は魔術式側で調整するものであり、式自体が変わってくるため、ただ巨大にするなら無駄に燃料を食うだけで得は無いということらしかった。そもそも精霊力の個人差で効果が変化するなどおかしいことだがと、呟きは続いたが、珍しく思考の波に呑まれることなく視線をイフレニィに戻してくる。

「材料は揃ったよ」

 セラが、イフレニィを真っ直ぐに見て言った。一体、なんのことだと問いを乗せて見返せば、言葉は続いた。

「いつでも出ることはできる」

 突然、何を言い出すかと思えば、旅立ちを早めてくれるというのか。

 ――本当に、お人好しだな。

 一つ息をついて、バルジーに視線だけ向ける。

「明日の仕事は、受けちまってるだろ」

 こくりと頷きが返すのを見て、セラが繋げる。

「なら、明後日までに少しでも符を作成しておくよ」

「じゃあ明後日の朝、出発ね」

 バルジーがイフレニィに予定を告げる。

「俺は、いつでも出られる準備はしている」

 互いに頷き合うと、イフレニィは部屋を出た。逃げて来たわけでもないのに、これでは本当に逃亡犯のようだ。肺から絞り出すように息を吐き出した。

 ただ、ただ、辟易する。

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