第56話 力が絡むとき

 思わず立ち止まって、バルジーを見た。

「なに? 馬鹿なこと言ってるって、わかってるけど……」

 イフレニィの態度を責めていると思ったのか、そんな言い訳と共に視線を逸らす。その態度で、真実だと疑わない自分の方を笑いたくなった。以前なら、法螺の好きな類の人間の言う事だと聞き流しているだろう。だが、互いに異様な精霊力を見ている今、嘘を言っても仕方のないことだ。

 鼓動は期待に高まる。

 それは、新たな道標ではないのか。

 イフレニィの印はバルジーを指し、捉えれば消えた。だがバルジーが受け取っているらしい信号は、まだ生きている。南を指していると言うのだ。ならばイフレニィの原因も、そこにあるのかもしれない。二人の変化に関して、直接的な繋がりは未だ見出せないものの、何かを示しているという共通点を知れたことは大きなものだ。

 だが、すぐに希望はしぼむ。

 一度あったことなら――バルジーが目指している先もまた、何かを経由しているのではないのか。

 それでも、イフレニィは旅に出て、ひとまずの目標に到達した。さらにバルジーの目標に近付く以外に、やる事があるかといえば問うまでもないことだ。これが、現在提示された唯一の手掛かりなら。

「俺も同じだ。南を、目指していた」

 嘘ではない。事実バルジーは、イフレニィよりも南方にいたのだから。バルジーは顔を曇らせて向き直る。

「あのね、微妙に違うこと言ってるよ。どうやって調べるかもわかんないのに、一人で旅に出るって変だし。組合の人達と、何か企んでる?」

 怪しまれるのも当然だろう。イフレニィの答えは、明らかに取ってつけた後出しだ。そのためもあり、引き換えを差し出したのだ。

「だから、代わりに聞きたいことがあれば答えると言った」

「急にそんなこと言われても……」

 その返事に気が抜ける。そこそこ過ごして、あれだけ気になることがあったというのに、深くは何も考えなかったのかと頭が痛くなってきていた。

 バルジーと駆け引きするということが、間違いだったのだろうか。これ以上は情報から遠ざかるだけな気がして、溜息を吐いた。

 ――仕方ない。

 訝し気なバルジーの視線を、真正面から見据える。

「なら、俺から」

 二人は帝都を旅立つ。こうして連れ出したときから、話し合うなら最後の機会のつもりでいた。

 だから、最大の面倒事を教えることにした。

「できれば、他言してほしくない」

 それはバルジーの為でもある。おかしな輩を引き寄せるかもしれないと、半ば脅すように伝える。バルジーは鼻で笑うだけだ。

「あなたの異常な状態を話したところで、私の方が変な奴扱いされるだけでしょ」

 癪に障る言い方だが、それもそうだと納得しないわけにいかなかった。周囲の様子を窺い、なるべく視界の遮られる場所へと移動した。

 木々や段差で囲まれた場所に入り込む。辺りに人の気配はない。遠見の魔術式具を使っているような精霊力も感じない。なにも持たないイフレニィにできる警戒など高が知れている。それで良しとして立ち止まった。

「念入りね。なんか、あやしい……」

「知られたくないことだと言ったろ」

 訝しげに見ているバルジーへ向き直りながら、おもむろに上着を脱ごうと手を掛け――鼻先に、鉈が突きつけられていた。

「違、」

「ふざけた真似したら、自分の内臓見ることになるよ」

 ――この、アマ。

 思わず出た内心の文句はともかく、これは俺が迂闊だったと、イフレニィは苛立ちに歯を食いしばりながらも両手を上げて後退する。

「悪かった。誤解だ。距離を取るから」

 背後の木に阻まれて足を止め、構えたままの女を見据える。

「そのままでいいから、見てろ」

 上着を脱ぐのは諦め、背を向けて服を捲った。

「……魔術式」

 バルジーの呟きで、見せたものがなんであるか理解したことを知れた。我ながら嫌な状況だと、溜息が出る。この不便な位置にあるのは、どうにかならなかったのかと、印をつけた誰かに愚痴を言いたい気分になるのも幾度目だろう。

「これが、お前が嫌いだという精霊力の出処だ」

 余計な口を挟まれる前に精霊力を流そうと思ったのたが、考える前に印は反応していた。全身を冷やすように精霊力は瞬く間に駆け抜け、魔術式を白い光が辿り、模様を塗りつぶすほどに膨張する。そして、すぐにも発動を示す金に塗り替えた感覚。苛立たしい変化だ。だが、これで意味が理解できただろう。

 と、思ったとき。

「ば、ば馬鹿っ! 何考えてるの!」

「うおっ」

 なぜかバルジーは鉈を投げ捨てると、顔色を変えて飛びついてきた。咄嗟に躱す。

「いきなり、なんだ!」

 警戒しつつ距離を取るが、バルジーの勢いは収まらない。

「顔料で刺青とか、格好つけて焼け死ぬなんて、馬鹿以外に何があるのよ! やめなさいって!」

 さらに飛び退る。

「違う!」

 意外な反応だった。いや、それもそうだ。なぜ思い至らなかったのか。イフレニィ自身、初めは似たようなことを考えたというのに。

「すごく符のことに偏執的だっておもってたけど、ここまで馬鹿なんて、馬鹿!」

 言いがかりにしても酷い言いぐさだが、バルジーは本気で動転しているらしかった。青褪めているところなど初めて見た。確かに、目の前で弾ける焼死体など誰も見たくはないだろう。しかし、認識してもらわなければならない。取り付いて来ようとするバルジーを牽制しつつ説明する。

「落ち着け、精霊力をよく確かめろ」

 バルジーは、何かに気付いたように固まった。両手は掴みかかるように前に伸ばされ、半開きの口で動きを止めた姿は、恐ろしい物語の中で墓場を彷徨う化物のようだ。

「今、なにか失礼なこと考えなかった」

 余計なところに勘を働かせるバルジーに確認を促す。

「刺青でも書いてるんでもない。分かるだろ」

「うううん、あれ? なに、これ変ね……気持ち悪い……」

 ――大概失礼なのはお前だよ。

 バルジーは、おかしな態勢をやめて立ち尽くす。信じ難い様子だが、悪戯などではないと気付いてくれたようだ。ただの飾りではないということも、符を通してでもなく流れていた精霊力の理由も結びついたはずだ。

「これが、お前と同じように、南を指してるように感じたんだよ」

 些か無理矢理に話を戻したのだが、バルジーは気味悪そうにしながらも近付いてきて、印を見たままだ。まだ話を聞けるほどではないのだろう。じっと印を凝視しながら、人差し指をそろりと伸ばしてきた。その指をはらう。

「触るな」

「やっぱり書いてるんじゃないの? けち」

 確かめる素振りで最後に本心が出ていた。気にするべきは、そこなのかと叫びたくなってくる。やはり見世物気分でいるのだ。この女と話しているとすんなり進まないことに頭が痛くなってくる。

 もういいだろうと上着を整える。印への力も、今度は忘れずに止めた。空を見ると、日が真上だ。

「依頼にかからないとまずい」

 なにか言いたそうなバルジーを制し、急いで目印の場所へ戻った。


 山菜採りは、想像以上に苦労した。

 バルジーは慣れているようで、手際よく摘んでは籠に詰めていく。イフレニィも真似ながら摘んでいくのだが、しばしばそれは違う草だと指摘されつつで捗らない。

 真剣に草と向き合って唸りながらも、気分は軽くなっていた。

「言っておくけど、私、あなたみたいに魔術式に変な趣味はないから」

「その言い方はやめろ」

 相変わらず偏執狂呼ばわりだが、言いたいことは、バルジーは印を持たないということだった。やはり、トルコロルとは無関係なのだろう。

「でも、変なのはそれが理由っていうのは分かった」

 バルジーは、それが納得できたことですっきりしたようで、ここまで見せても他にはなんの追求もなかった。イフレニィは呆れるしかない。

「それだけか」

「南を指してること、気にしてるんだっけ。似た精霊力なら、ありえるんじゃないの」

 やはりバルジーの答えは素っ気ない。

 自分で気にするほど人は気にしないものなのだと、そう思うしかない。この女ならではという気もしたが、ひとまずはイフレニィも、それで言いたいことを収めることにした。

 南への標があるのだと、実感が湧いていた。

 霧が、晴れたようだった。

 目標が、目的がある。それだけで、こうも精神が安定する。街で細々暮らす分には、やることに事欠いたことなどなく、宙に浮いたような状態がこんなに不安だとは思わなかったことだ。

「あ、不遜な態度に戻ってる……もう少し、へこんでたらいいのに」

 ぼそっと、禄でもない呟きが耳に届いた。やる気をくじかれたように脱力するも、だからこそ気を張らずに済むのだろうと思えば、それもいい気がしていた。

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