第55話 ずれた意図

 肝心の話はできず仕方なく部屋に戻ろうとして、廊下と呼ぶにも短すぎる半ばで立ち止まった。部屋との間に狭い階段がある。階下へおりて、水場の方へと足を向けた。バルジーは素振りをすると言っていたが、そんなことができそうな場所は他にない。話しかけるには丁度いいだろう。普段の姿からは想像つかないが、真面目に体を鍛えていたことに感心していた。そこはイフレニィも見習わなければと思いつつ、近付きながら、今度は別の理由で足が止まった。

「えいっ、とうっ、おりゃっ」

 気の抜ける掛け声が、はっきり聞こえてきた。声と共に軽快な破裂音も。なんの素振りなのだというのか。宿の主人に話してあるのかも気になった。夜な夜な鉈を振り回す女。知らずに出会ったら倒れられるか、通報されるのは間違いない。

 しかし、音など駄々漏れの宿だ。今までこんな掛け声は聞こえなかったはずだが、気落ちしていたせいなのだろうか。疑問に思いつつ目的地を覗くと、案の定、屋外に設けられた洗濯用の狭い場所で大鉈を上下に振り下ろしている女の後姿が見えた。振り下ろした先の地面には、薪。

 斬新な素振りとやらに眩暈を覚えていると、突如振り向いた鬼気迫る視線と合った。

「素振りってそれか」

「女将さんに頼まれたのよ」

 ふいと視線は、薪へ戻される。家主の了承を得ていたことに安堵し、このような小銭稼ぎの方法もあったのかと感心した。組合を通さず仕事を請け負うのは褒められたことではないが、この程度の手伝いならば目くじらを立てるほどのものではない。恐らく仲良くなった話のついでだろう。

 再び別の枝を置くバルジーの背を見る。

 どこまで話そうかと考えるも、相手が相手だ。流れに任せた方が結果はいいだろう。もう一度、印を通した精霊力とバルジーのものとの、感覚の違いや共通点を判断してもらうのも手だ。言われたことを信じるならば、印の魔術式は見えない。なら、街の中で使っても問題ないではないかと考えたものの、あの光は誤魔化しようがないだろう。それに城も近い。どこに魔術工兵がいるか分かったものではない。出元の不確かな精霊力に気が付く者もいるかもしれないのだ――たとえば、例の女騎士のように、印を持つ者が。

 どのみち、話をするにしても、こんな音の響く場所では無理だ。もう一度くらい、山に入っても問題ないだろうか。実際、初日に獲物を持ち込んだのは門兵にも確認されている。新入りが味を占めたとでも思ってくれればいいのだが。さすがに地理を掴むためといえど、依頼書もなしで二度目は怪しいだろう。

 この状況にうんざりしつつ、バルジーの背に声を掛けた。

「明後日、時間あるか。もう少し話を聞きたい。例のことで」

 振りかぶったまま、バルジーは答える。

「うーん、大丈夫だと思う。けど、それってまた」

「山だな」

 鉈は振り下ろされた。乾いた枝の割れる音が響く。枝自体は、辺りに弾け飛んでいる。

「不愉快だけど、そうね。確かめたいとおもってたし、いいよ。あなたの慌てる顔見るのも、笑えるし」

 変わらず余計な一言がついてくる。

 ――次は、お前が慌てる番だ。

 むっとしつつ約束を取り付けると、さっさと部屋へ戻った。

 バルジーの言葉で、明後日はまだ滞在していることは判明した。セラの方の都合だろうが、職人関連の申請が終わったなら、他に何をすることがあるのかと首をかしげる。なにやら書きものをしていたセラの姿を思い浮かべ、そこで気付く。符を用意してるのだと。今のままでは売り物がないのだから、作成に充てるのだろうと納得した。

 翌日、イフレニィは何も考えず仕事に打ち込んだ。

 青果市場で開かれる臨時市場に、持ち込まれた荷物を次々と運び入れ、並べていった。辺境暮らしのイフレニィには予想以上の盛況さで、肉体の疲れよりも人波で目が回るようだった。

 やりがいはあった。その日の昼飯は、状態の悪い果物類を勧められるままありがたく頂戴し腹を満たすことが出来たし、仕事が終わればささやかな報酬として渡されもした。働きに満足してもらえたということだ。抱えられるだけ持ち帰ったものを、宿屋の主人やセラとバルジー二人にも押し付ける。寝台に入るなり意識は落ちた。ぐっすり眠れるというのは、幸せなことだ。



「で、なんなの、この編み籠」

 イフレニィは総菜の持ち帰りように買わされる籠を一つ、バルジーに押し付けていた。次の利用の際に使いまわせるのだが、必要なければ椀と一緒に返却し、その分の代金を返してもらえるものだ。

 ただしイフレニィは、組合からの帰り際に買うため、宿に取りに戻るのも面倒で幾つか余らせていた。

 それを流用しての、山菜採りである。

 昨日の依頼は上りが早かったため、組合への報告ついでに掲示板も確認した。この依頼を見つけたときは、内心小躍りしたものだ。今までの山とも別の、少し離れた場所だが、歩きながらでも話はできる。バルジーは少し呆れた顔を見せた。

 以前の山ほど奥まってはいない場所にある上に、緩やかな傾斜が長く続く。これは人が多いかもしれないと思ったが、報酬は格安だ。受付嬢の話ぶりだと、旅人に人気のある仕事ではないだろう。実際、森に分け入ってしばらく経つが、誰の気配も感じられない。

 依頼書に大雑把に記されている群生地の目印を確認し、簡単に書き写してきた周辺地図とを見比べる。めぼしい場所を書き留めると、念のため、さらに奥地へと進む。そろそろいいだろうと、移動しながらも話を進めることにした。

 今度は、探りを入れるだけの話ではない。ほんの少しの覚悟の後に言った。

「知りたいことがある。代わりに、俺に関して聞きたいことがあるなら、答える」

 バルジーは辺りを見回しながら歩いていた。猪突猛進としかいえない女にしては、珍しいことだ。それとも、訊ねられると嫌なことがあり落ち着かないのかもしれない。しかし、落ち着かなく顔をあちこちへ向けながらも、ぞんざいに答えた。

「聞けば」

 単純明快な答え方はありがたい。先にイフレニィの方から答える覚悟をしてはいたが、譲られるままに問うた。

「子供の頃に始まったと言ったが、それは空の異変からだな」

 バルジーは口を結んでひん曲げた。目には険しさが滲む。あれに嫌な記憶を持つ者は少なくない。だが、それが顕著に表れるのは、北方に住んでいた者だ。

「北の出身か」

 バルジーは深く息を吸って、何かを言おうとし、また閉じる。ふと、イフレニィの訳の分からない目的の為に、嫌な思いをさせるのは申し訳ない気もした。

「それが、なんなの」

 バルジーの性格からして、同情するようなことを言えば逆に怒らせるだろうか。

「俺の精霊力の変化も、あれに関連してると思ってる。それを知りたくて旅に出た。初めて、有力な情報を得たと思ってる。悪いとは思うが、どうしても手掛かりが欲しい」

 バルジーは無表情になり、瞳は暗く翳る。以前、傷は大丈夫なのか聞いたときに見せた顔だ。その顔を見せる理由が、おかしな精霊力によって傷が癒えたときのことを思い出させるのだと知った。その時のことを思い出すと嫌な気持ちになると言った。それが、他の者が失われる中で起こったからではないかとイフレニィは考えていた。

「他にも、そんな人いるんだ」

 低木の続く森の中、バルジーの呟きが耳に届いた。獣道のような道を進んでいる。あまり奥へ行っても戻りが大変だ。

「確かに質は似てる。でも、それ以外はぜんぜん違うじゃない。まあ、いいけど」

 バルジーは、はっきりと声を出した。話してくれる気になったようだが、やはり昔の事は避けようとしているようだった。

「理由は分からない。でも、南に進むってことだけ分かるの。この纏わりついてるのが、そう促してる気がして」

 それが、イフレニィに殴られたような衝撃をもたらした。

 昔の事を避けるために他の真実を話そうとしたのだろうが、イフレニィにとっては、そちらの方がよほど重要なことだった。

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