第57話 対価

 戻りの道すがら、バルジーはよく喋った。

 体に刻まれた魔術式が、実際に反応するなどありえない。そんなものを持つならば、誰だって隠そうとするに決まっている。その気持ちは理解してもらえたようだった。

 隠したいことがあるのはお互い様で、それがとても人には言えない、言っても信じられないようなことだった。だからバルジーも、イフレニィが何かを企んでいると思っていたことが自分と同様の理由だと知れて、その部分では安心したのだろう。

 ――だからと言ってな。

 イフレニィは辟易として、歯を食いしばって耐えながら耳を傾けている。どこか気分よく話しているところを邪魔すると、後がうるさいに違いなかった。

 その喋り倒している内容というのが、セラに雇われた際の経緯で、それはいい。すぐ打ち解けたとか、どう苦労したかとか、どれだけ感謝しているか云々が延々と語られるのだ。

 ――誰も、お前と商人の馴れ初めなんか聞いてない。

「うんざり顔」

「日が沈みかけてるから、そう見えるんだろ」

 隠しきれていなかったらしいイフレニィの心情に気付いたバルジーは、口をひん曲げて見上げてきた。

「大切なこと話してるのに」

 お前にとってだろ。俺には関係ない。勝手にやってろ。そんな心情は、もっとあからさまに出てしまったようで、バルジーは呆れた声で続ける。

「あのね、あなたに関係あると思うんだけど」

 思わん。声なく視線だけ逸らしてイフレニィは否定を示す。

「私たち、もうすぐ旅に出るんだよ。また付きまとうんでしょ、違うの?」

 その言葉に、渋々と視線を戻した。妙なところで鋭い。そんなことはないか。

 イフレニィの行動と理由、その原因を知った今なら、そう考えるのは当然だった。実際にイフレニィ自身、バルジーに纏いつく精霊力が示す先を、次の目標と定めたのだ。そのためには、否が応にも後を付けなければならなかった。今度こそイフレニィから話そうと考えていたし、そのために先日も予定を訊ねたというのに、うやむやになったことを思い出して溜息を吐きたくなった。

 しかし、こうして持ちかけられるなら話は早い。それはいいのだが。

「お前らの話と、何の関係がある」

「あ、ちゃんと聞いてなかったね」

 バルジーは、わざとらしく盛大な溜息をついた。こちらに向けて。

 こいつは一々癇に障ることをせねば気が済まないのかと、睨んでみせるも、まったく気にする様子はない。

「だから、私、ユリッツさんに南へ行きたいって話してるんだってば」

「それは、聞いてる」

 イフレニィは意図が見えず、訝しげな視線を向ける。

「ユリッツさんの希望は街を巡ること。私は南へ。だから街を西回りで転々としながら、南へ移動してる」

 そこまでも、聞いていたはずだ。どうやって聞き出そうか苦心していた旅程ではあったが、もっと詳細を聞かせてくれようとしているのだろうか。

 語られたのは、バルジーが提案したということだった。始まりは、セラが国内の拠点を巡ってみたいと語ったからだというが、大した資金もないのに現実的な話ではないと考えていたようだ。そこに、バルジーが護衛の契約料を下げると交渉したことで同意したらしい。思えば、希望だか利害が一致したとはいえ、たかが雇った護衛の提案に乗るというのもおかしなことだ。その答えがこれだ。

「ユリッツさん、人が好すぎるの」

 笑顔で言われたその情報は、必要なことなのかと眉を寄せていると、バルジーは目を吊り上げる。

「まだ分からないの? 人柄を知るって付け入るのにすごく重要だと思うよ。せっかく話してやってるのに」

 バルジーは膨れっ面になり、暫く文句を聞くことになった。

 理解できないのも当然だった。イフレニィだけでなく、真っ当に生きている人間なら誰も思い至るまい。バルジーは、イフレニィがつきまとうに必要な理由を見つけやすいよう、相手の弱みを聞かせてくれているということなのだ。仮にも恩人と言い張る男に対して、その物言いはどうなのかと唖然としていた。とんでもない女だ。今さらながら、この女に秘密にしたいことを話してしまったのは良かったのかと悩まずにはいられない。

 どうにか頭を振って気持ちを落ち着ける。

「お互い秘密をばらした。それで等価だ。だが、感謝はする」

 バルジーは満足したように、ふんと鼻をならした。イフレニィは、その癖、やめた方がいいぞと内心で呟くしかできなかった。

「結局、あの魔術式はなに」

 前方を見たまま、バルジーは尋ねてきた。本当に聞きたいことには、真面目な顔をする。

「生まれ持ったものだ」

 完全な嘘とは、いえない。資質がなければ現れないのだから。各王家の血筋であることが必要条件だ。ふと、その点が気にかかったが、バルジーの微妙な面持ちを見て事実を付け加える。

 本来、ただの模様でしかなかったが、空の異変によって精霊力が流せるようになったことだ。どの時点の空の異変かについて言う気はなかった。イフレニィ自身、どの時点とも、はっきりしないからでもある。それどころか、あやふやなことばかりだった。

「思うに、目的地だかなんだか知らないが、向かう先は同じなんじゃないかと」

「かもね」


 組合へ戻り、その日の内に納品と精算を済ませておくことにした。特に感慨に浸る気力も無く、分け前を受け取り、宿へと重い足を引き摺る。宿に着くと、バルジーが前に出た。

「ユリッツさんに、同行してもらえるか話してみる」

 突然そう言い出すバルジーの腕を掴み、慌てて引き止めた。相手の一人を引き込めただけでも運は良かった。恐らくイフレニィと関係が深い方である、バルジーが乗り気でいてくれるのも、やりやすくはある。しかし、あくまでも雇われでしかない身だ。どうあがいても旅の主導権はセラにあり、相手が幾ら人が好いとはいえ、仕事を失くし得る行動を取らせるわけにはいかなかった。

「俺のことだ」

 なぜかバルジーは疑うような目を向けてくる。

「言えるの?」

 そう言われては気まずく、空咳をしてから頷いた。

「それでもだ」

 何を言うつもりだとしても、込み入った話は二人でやってくれと。

 まずはイフレニィ自身で交渉するのが筋だろう。前回は行き先が同じだからということで、同行を許されたのだ。イフレニィは組合本部を見たくて帝都に行くと、話して聞かせた。大体の田舎者が旅をする理由など、一度は国の中心を見てみたいだとか、都なら稼げるだろうといったようなものなのだ。今はその終着点といえる場所にいる。ならば、次はなんのために旅についていくというのか。今度こそ、雇って欲しいのだと思われるだろう。短い間ながら行動を共にしたことで、セラから話を聞かずとも、この女一人雇うのでさえ精一杯なのは理解できた。危険な目に遭ったからと、もう一人増やせと言ったところで、無理なものは無理だ。渋るのは間違いなく、良からぬ誤解されないよう、説得できるだけはやってみるしかない。

 そうして、気を張り部屋を訪れる。

「お帰り。あんたを待ってた」

 数日ぶりに、セラの意識は机から離れていた。そして、掛けられた言葉と視線は、はっきりとイフレニィに向けられていた。普段の覇気のなさからは考えられないほど、しっかりとした態度だ。

「俺?」

 思わぬ事態に腰が引けてくる。後から入ってきたバルジーを見たが、何も知らないと首を振られた。

 バルジーが何か吹き込んだことに対する策が固まった、といった可能性が頭をよぎった。そういえば、バルジーのことだ。あることないこと話しているだろう。それらを知らず、対策もせずに話をするのは得策ではない気がした。とうとう、イフレニィが付きまとってることに言及されるのだろうか。

 それも仕方がないかと身構えていると、椅子を勧められた。いつも、椅子代わりは木箱を寄越されるというのに、よほど重要な話でもあるのだろう。座面を見ても、釘やら針などの罠は見受けられない。息を詰めて、着席する。

 代わりにセラが木箱へ腰掛けて、イフレニィに向けられたのは、心なしか晴れやかな表情だ。疑問は深まった。

「無事、全ての申請が通った。それに符の準備もできた。これは礼だ」

 机に置かれたのは、真新しい符。氷属性の符だった。

 ――礼?

 余計に混乱する。

「礼なんか、される覚えはない。礼をするほうだと思っていたが」

 その呟きに、今度は言い辛そうに続いた言葉に、イフレニィは驚いていた。

「遅くなったが、命を助けてもらった礼だよ」

 そして、セラの口角が僅かに上がった。笑顔らしい。

「同行を許したが、信用していたわけではなかった。帝都まで無事に着いたし、ピログラメッジのことにしろ、ここでのことにしろ世話になった。旅立つ前に、礼をしておきたかったんでな」

 セラの説明に気付いたことがある。どうやらこれが、数日前に旅にはいつ出るかと聞いたことへの返事らしい。考えてみれば、話は聞いているし、覚えてもいるのだ。ただ、反応する時期がおかしいというだけで。

 本当に、この二人には、通常の考え方では対応一つとっても苦労させられる。イフレニィは項垂れそうになるのを堪えた。まともに話のできる機会は少ないのだから、幸いと思って集中するべきだろう。

「信用なんかしてないのは、お互い様だった」

「それはそうだが、助かったのは事実だ」

 確かに、人が好すぎるのかもしれない。

 ――つけ入る隙か。

「そこまで言うならありがたく」

 立ち上がって、置かれた符を手に取る代わりに、今日の報酬を全て差し出した。セラは不思議そうにイフレニィを見上げる。

「随分と、安い命の対価だと思わないか」

 そう言って、口の端を上げてみせた。だが目には鋭さを込めたつもりだ。常に閉じ気味のセラの目が見開いて、朽ち葉色の虹彩がのぞく。

 バルジーは何を企んでるのかと呆れた目を向けるが、口を挟むことはなかった。なにか考えがあると思ってだろう。黙って見ていてくれるならありがたい。

「魔術式の理を、教えて欲しい」

 セラは一瞬固まった後、息を吐き出した。もっととんでもない要求がくると思ったようだ。こんな場所で強請ったところでイフレニィが捕まるだけだ。そこまでのことをしでかすつもりはなかったし、旅についていくつもりなら喧嘩別れだけはない方が良いだろう。

「うーむ、知識か。高くついたな」

 セラは頭を軽く掻く。その表情に困った様子はなく、また覇気のない顔に戻った。

「なんでもというわけじゃない。単に図案を一つでいいんだ。頼む」

「図案……ただの柄じゃないんだぞ。簡単に覚えられるものでもないと思うが」

「承知の上だ」

 乗り気でないながらもセラは、いきなり解説をはじめた。

「きちんと手順を踏んで式を書いている」

「待った、今日はいい」

「じゃあ、覚えるあいだ、付いて回るわけね!」

 唐突に割って入ったバルジーへ、イフレニィとセラの視線が向く。結局我慢できなかったらしいバルジーは、イフレニィが話すべきだったことを口にした。

 それに気づいたのか、セラが驚いた顔を向けてくる。仕方なく、イフレニィも水を向けることにした。

「簡単に覚えられるもんでもないんだろ? ちょうどいい。俺も旅に出たくてな。一人は心許ないし便乗させてくれないか」

 当然、セラは困ったような難しい顔をする。

「悪いが、もう一人雇う程の余裕は」

「前と同じだ。一人だと見張りの交代も出来ないだろ。そっちは交代要員が増える。悪い話ではないと思うが」

 真剣みがあるのかないのか、うーんと腕を組んで考えだしたセラを後押しする。

「心配せずとも、俺も旅人だ。行く先々で仕事するから、金のことは気にするな。ここでもそこそこ稼いだ」

 二人きりの旅を邪魔しないでくれなどと言われたら、諦めて後を付ける不審者になるしかなかったが、あっさり折れた。

「なら構わない。だが物資は増やさんとな」

「自分の分は確保する。旅の道連れがあるだけで助かるのは分かるだろ。本当に気にしないでくれ」

 そうして、話がまとまったからと部屋を出ようと思ったところ大きな声が遮った。

「ああっ、だめだよユリッツさん!」

 注意するような言動だが顔は緩んでいる。なんなんだお前はと胡散臭さに睨む。

「命の恩人かもしれないけど、魔術式だって重要な知識なんだから、対価は要るよね」

 ――こいつ。

「そうは言うが……ああ」

 バルジーは不敵に嗤い、セラは企みを理解したのか手を打った。

 今度は一体なんだと緊張に喉を鳴らす。バルジーは両手を腰に当て、踏ん反り返って言った。

「いい加減、名前覚えなさい。ほら、バルジー・ピログラメッジ」

「セラ・ユリッツ」

 セラもバルジーの隣に並んで言った。

 全く意味が分からない行動に頭が痛くなってくる。

「……なげえよ」

「え、私のはともかく、そこまで頭が……」

「分かった! ばるじー、せら、な」

 やけくそ気味に呼ぶと、バルジーはしかめっ面で睨んでくる。

 ――勘弁しろ。

「明日からも頼む」

 交渉は済んだのだ。イフレニィは部屋から逃げ出した。

 命の恩の礼に知識を要求して、なんでさらに対価を払わねばならないんだと憤慨する。そこで、気付く。

 これは、助け舟を出したつもりのバルジーに対してか、と。

 イフレニィは胸中で悪態をついた。

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