第40話 降り注ぐ予兆

 目の上に手を翳し、強い日差しを遮る。やや高台の上、転がる大きな岩の上から、街があるはずの方向を見やった。その周辺を覆うように山々が囲んでいく。

 守りやすいような地を選んで拓いたのだろう。ここからは、段々と隆起が激しくなっていき見通しは悪い。同じ丘陵地でも、枯れたような北の地とは違い木々で鬱蒼としている。

 幸い、この街道は帝都へ続く。整備は行き届いており歩き易い。それでも、主要の南側の街道と比べると貧相という話だった。

 行商人でもないイフレニィには、歩き易さなどはどうでもいいことだ。元より、道などない荒野を掃討依頼で歩き回るような立場なのだ。岩から飛び降りると、街道側に戻った。

 護衛任務を果たすべく同様に辺りを見ていたバルジーと、ぼんやりと佇んでいるセラへと声をかける。

「ここから先は、視界が悪い。治安については?」

 イフレニィよりは最近の帝都の事情を知っているだろうと問いかけたのだ。

「人が集まるからね」

「今まで帝都周りで被害にあったことはないな」

 そういった話を聞いたことはある、ということくらいで詳細は知らないようだった。

「少し警戒するか」

「ふうん、今から」

 バルジーがじろりとイフレニィを見た。

 ――ああ悪かったな。ここに来るまでだらけてたよ。

 ちらと視線を合わせただけでイフレニィはバルジーの嫌味を受け流して続けた。

「軍が哨戒にあたってると聞いたが、どこまで回ってるんだろうな」

「もっと街の側だろう。本来は、西側の国境周辺を見張るための任務だ」

「領内方面は、普通の警備兵が回ってると思うよ」

 セラに続いてバルジーが推測を添える。街道を進みながら話を続けた。

 帝都は今でこそ城があり王も住んでいるが、元々は隣の砂漠地帯の国々との戦いにおいて最前線基地だった場所とのことだ。その辺りの国とは、大異変前まで小競り合いは続いていた。そして、大異変時に大きく動いたのが最後だ。錯綜していた情報が、数年かけて正しく行き渡ったために沈静化した。それは、結局のところ精霊溜りという新たな問題が持ち上がったからなのだろう。それこそ大陸の端だけで済む危険ではなかったのだから、一時的にでも戦意を抑えるしかなかったわけだ。それが一時的なものに過ぎないと多くの者が考えているのは、なにかの協定を結んだといった話が聞こえてこないからだ。アィビッド帝国領土の西側の中心、砂漠側へと大きく突出した位置にある帝都は、未だに戦地の中にある。

 何故そんな位置に都を置いたのかイフレニィは知らないが、傭兵が興した国ならそんなものかもしれない。一住民であるイフレニィにとって、もう随分長いこと平和なのは素直にありがたいことだ。

 北で会った、軍の指揮官である髭面の男が思い出された。ブラスク・ブラックムアと名乗った男は、連合軍などというものを呼びかけるつもりのようだったが、帝国の背景を考えれば現実的な話には思えない気がしてくる。

 イフレニィの知ったことではないが、一応は落ち着いた情勢下とはいえ、ご苦労なことだと考えを払った。


 順調に、のらりくらりと進み、夜が来て、野営の準備をしている。

 イフレニィは溜息をこぼした。予想通り、現在の速度で今日中に辿りつくはずはなかったのだ。

 道も真っ直ぐな所は減り曲がりくねっていく。さすがに帝都周辺とあって、勝手な近道などは作られていないらしい。作っても潰されるだろう。

 街道を離れたところに岩塊の寄り合ったような場所があり、陰で腰を落ち着けた。二人は変わらず火を起こしている。それを横目にイフレニィは、側の積み重なった岩を登り、高い足場から辺りを見渡した。すでに頭上は紺が塗り替え、山々の狭間に薄紫が消えようとしている。低い山谷が連なる地形は、帝都への侵入を難しくさせるのだろうが、人が潜むには困らないように思える。人通りが確実にある場所だからこそ、盗人らが危険を冒してでも近付くかもしれない。

 まだ帝都からは離れている。巡回の兵も、ここまで回るとは思えなかった。岩陰とはいえ焚き火は目に付きやすいのではないかと注意を促せば、セラは食事を作り終えると火を消した。

 三人は火の消えた枯れ枝を囲んで、食事を静かに摂る。

 火を消すと空の光が強く見える。イフレニィは空の帯を見上げた。その帯から、小さな異変の後に降り注ぐ量を増した黄金の滝も相変わらずだ。なるべく考えないようにしていたせいもあるが、随分久しぶりに目にしたように感じていた。

 光の洪水に目を眇める。

「どうした」

 珍しくセラが問う。不快な表情が出ていたのだろう。

 なんでもないと、口を開こうとして遮られた。

「あなたも、滝が見えるの」

 バルジーの顔には複雑な心境が表れている。この言い方では、バルジーも見えているということだ。

「俺以外にも、見える奴がいたとはな」

 困惑を隠さずそう答えておいた。

 正規軍などには幾らでもいるだろうが、イフレニィが住んでいたのは辺境の街だ。知り合いにそれとなく聞いて回ったが、イフレニィほどはっきりと見えている者はいないようだった。

 ということは、少なくともバルジーは、イフレニィ並みの感知能力を持つ程度には特殊だということだ。

 だからといって、数日かかる距離に精霊力を飛ばすなどという芸当が出来るだろうか。魔術式符の使い方からしても、そこまでとは思えない。

「その精霊力、異常だって分かってる?」

 バルジーは、イフレニィの精霊力について何か思うところがあるらしい。そんな節は、しばしばあった。

「言ったろ。人より強いらしいって」

 イフレニィの素っ気ない言葉に、いつものしかめ面で続ける。

「人より少しばかり、なんてもんじゃないから。私も人より強いと思ってた。そう言われてたし。見て」

 腰の小さな道具袋から、バルジーは符を一枚取り出した。イフレニィが渡した嵐の符だ。

 数歩歩くと、それを置いて戻ってくる。何をするのかと見守る。

 バルジーは手を翳し、離れた符へと精霊力を流した。流れ出た淡く白い光は、霧のように曖昧な形だが、即座に符へと吸い込まれるように進む。それは嵐の式を解き、ゆっくりと展開させた。

 そのまま留めると、こちらを見る目と合った。

「私、離れていても発動できるの。だから、そっちの符を使って攻撃もできるんだから」

 イフレニィは、なるべく表情を消したつもりだったが、それが余計な詮索を生んだ。

「驚かないんだ。やっぱり」

「流れが丸見えなのに、どうやって驚くんだ」

 たじろいだのは、バルジーの方だった。どうとは言えないが、まずいことを口走った気がした。

「なに、何を知ってるの? 言いなさい!」

 掴みかからんばかりに詰め寄られる。気がついてないらしい。

「いつからだ、それができるようになったのは」

 静かに見上げた。

「それがなんなの。気がついたらよ。覚えてないくらい昔、子供の頃。それでなんなの」

 不安ともつかない表情、動転するような事なのだろうか。

 バルジーの精霊力は、他の者よりは強いが、僅かな差でしかないようにイフレニィには見えていた。それなのに、元々これが出来ていた。イフレニィは肉体が変化を始めてから初めて、精霊力を体の外へまで誘導できるようになったというのに。

 ならば空や北の変化と、イフレニィの体の変化とは無関係とでもいうのだろうか。それとも気付いて練習すれば、誰でも出来るようになるということだろうか。確かに、そうなのだろう。問題は、本来なら人体が精霊力を通し辛いために有り得ないということを除けばだが。

「手から精霊力の流れが見えてる。それだけだ」

「うそ……」

 バルジーは息を呑み、口ごもると後ずさった。

「やっぱ、おかしいよ」

 ぶつぶつ言いつつも、一応は納得したのだろう。イフレニィから目を逸らし考え込んでいるようだった。

 放置して、後ろでやりとりを眺めていたセラに話しかけることにした。

「あんただって符の職人なら、精霊力の強いやつくらい見てきたろ」

「俺は、精霊力が無いも同然だ。だから分からん」

「は?」

 今度はイフレニィに疑念が湧く番だった。

「魔術式を学ぶために、必要な資質の一つ、だろ。違ったか?」

 セラは頷いた。

「そうだが、俺にはない」

 イフレニィは混乱する。あれだけの魔術式道具を作れるなら、かなりの実力があるはずなのだ。

 眉尻を下げ苦笑しているセラを見るに、こちらも訳ありなんだろう。それが理由で工房を出てきたとしてもおかしくはない。

 それにしても、気が付けなかったことにも驚いていた。精霊力が強い分には目に見えて推し量れるというのに、弱いことがわからないのだ。周囲の人間は大抵十把ひとからげに見えていた。一定水準以下だと差異が分からないのだろうか。バルジーの言うように、自身の精霊力が異常に高まっているせいで、周りが低く見えているのかもしれなかった。

 以前はどうだったろうかと考えるも、この感覚に慣れてしまい思い出せない。

 皆が黙り込んだ場で、また空に視線を戻す。改めて見渡すと、北方へ向けて光は強くなっているように見えた。

「北の方が強いな」

 なんとなく呟くと、意外な言葉が返る。

「強いんじゃなくて、集まってるのよ」

 当たり前のように言い捨てるバルジーを思わず振り向くが、あることに思い至り空へ目を戻す。

 光の流れを意識するように、改めて北を見る。勢いよく降り注いでいる光の滝の周りを、霧のように拡散した粒子が舞う。

 それらは、漂っているのではなかった。

 一見すると動いているとは分からない、ゆらりとした動き。

 全体を把握しつつ追うと、ゆっくりゆっくりと、北の一点へ動いているようだった。

 言葉にするならば、そう、集まっている。そして、吸い込まれていると言い換えることもできる。精霊溜りが、精霊力を取り込むときと同じく。

 背筋が凍る。

 以前、家程の凝縮された精霊溜まりを見たとき。魔術工兵の隊と半日かけてようやっと枯らしたのだ。

 ――どれだけ長い間、ああだった?

 冷たい汗をかいた手を握り締めていた。

「そんなに、まずいのか?」

 精霊力が無いというセラには、あれが分からない。

 バルジーは、見えてはいるが恐怖は感じないのだろうか。その理由を知らないからなのか。バルジーは回廊を目にしていない。

 バルジーは子供の頃から符を使っていたためか、精霊力はイフレニィほど強くなくとも、ものの見方は優れているのだろう。

 ――俺は、何故、気が付かなかった。

 北方軍への協力を拒んで出てきたことは、間違いだったのだろうか。たかが一人の人間に何が出来るといえど、あれを見過ごしていいはずはない。上層の人間は知っていて黙っていたわけだが、とうとう行動を起こしている。しかし、どれほどの危機かまで判断出来ているのだろうか。

 できているのだろう。元老院が背後にあるのだから。

 その晩は、まんじりともせず鬱々とした気持ちでいた。

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