接点
第41話 帝都フロリナセンブル
盗賊に襲われるようなこともなく、イフレニィ一行は鬱蒼とした山並みを超えることが出来た。本来、想像ほど頻繁に出くわすようなものでもないのだろう。
野営した場所は山の上といってよいものか、わずかながら他を見下ろせるような位置にあった。そこからは丘の狭間をうねるように道は続いていたのだが、長く緩やかな勾配だった。下りきると、街と外を区切る壁が遠目にも見えてくる。イフレニィの見立て通りに、そう遠くはなかったらしい。
合流した道は城門に繋がるのだろう。幅があり、敷かれた石も滑らかで立派なものだ。城壁周辺を囲むような道で、ようやく巡回の警備兵とも通りすがったが、荷車を妙な目で見られたものの詰問されるようなことはなかった。前の街の周辺が、悪事を働くには穴場だったのかもしれない。北へ戻るときには前の街を迂回しようと、イフレニィは密かに考えた。
ちらほらと他の人間とも擦れ違うが、誰も周りを警戒しているようではない。のんびりとした幌のない荷馬車などとも通りすぎる。日常的に利用しているように見受けられた。
そのまま進んでいくと、他の街にはない立派な門らしきものが見えてきた。開かれた扉の傍らには、まともな装備に身を包む門兵が幾人か立っている。セラによれば、裏手になるから小さめの出入り口とのことだが、さすがは多くの人口を擁する首都といったところだ。しかし、特別な検閲らしきものがあるわけでもなかった。
どこから来た何者か。北から来た旅人だ。
そのような内容を交わしただけだ。そこは他の街と変わりない。別の兵の前に居た、近場から頻繁に行き来しているらしき商人は何か通行証のようなものを見せていたから、何かしら基準はあるのだろう。
人通りの邪魔にならないように門の端に寄り、バルジーと並んで振り返れば、荷物を漁っていたセラが何かの板切れを取り出し兵に渡すところだった。どこぞのごろつきと言ってもよい旅人よりも、身元を辿り易い商人の方が確認に時間を取られるとは不思議な気もした。
しかしそれも僅かな時間で、すぐに兵は板切れを返す。荷車を引いて進んでくるセラに並ぶと尋ねていた。
「組合に入ってるんだろ? 商人に許可証がいるとは知らなかった」
「荷物があるからな」
納得したものの、その荷物さえ調べられたわけではないのだが、そこは板切れの内容によるのだろうか。影が差し顔を上げる。
『帝都フロリナセンブル』
石を積まれた分厚い壁。門の上部に大きく刻まれてある文字を見ながら、門をくぐった。
――さて、どうするか。
とりあえず帝都に着いた以上、二人と同行する理由は無い。セラは、話によると諸々の申請手続きのために時間がかかる。しかも申請場所は城内になるとのことだ。前の街よりも長い滞在となるだろう。そのため、バルジーの方も別の依頼を受けるそうだ。
今後を考えれば、そろそろイフレニィも一仕事したほうがいいと考えている。それに、やはりバルジーの護衛依頼は帝都までであり、再契約するということだ。息の合う相手と巡りあうのは運だ。そのため行き先が街ならば、片道ずつの契約が多い。そこで別の護衛を雇うことができるためだ。相手が気に入ったなら、大抵は依頼を延長するものだった。
ともかく三人とも、旅人組合へは用があるということだ。
旅人なら新たな街に来れば、まずは情報を得るためにも寄る場所だ。旅人組合本部へと続くらしい本通りを目指して、今は雑多な居住区の狭間を進んでいた。街中だから、荷車を引くセラの姿も別段目を引くことはない。だがすぐにセラは足を止めた。視線は傍らの路地を示している。
「俺は宿を取ってくる。荷車を置いてきたい。二人は先に組合へ行くといい」
セラは返事を待つでなく、右手の小道へと歩き出した。その背にイフレニィは慌てて呼び止めた。
「そこは安いのか」
「最安値のはずだ」
「俺の分も頼む」
セラは振り返って頷くと、「月の砂漠亭」と残して遠ざかっていった。
「砂漠って敵地じゃないか」
「いつの話してるのよ」
イフレニィの呟きに、バルジーは呆れた声を返した。その後は無言で歩く。
間もなく雑多な区画が途切れて、本通りと呼ばれている広い通りに入る。多くの人々を避けながら、その道を左手に進んだ。
両端の建物は赤煉瓦の壁へと変わっていた。大通りに足を進めるほどに、ざわつく雑踏の音が遠くなっていく。
目に映る景色が、イフレニィの記憶を刺激した。脳裏に浮かんだ街並みと現在のものに、さほどの違いはない。建物が古くなったとも感じなければ、活気は増してさえいるようだった。子供の目に映ることなど、外見の違いくらいのものだろう。人々の生活習慣などへ目が向いていたとは思わない。それでも、眩しいような錯覚に目を眇めた。
記憶の中の光景が、目の前に重なる。
イフレニィの目の前には、風にあおられてはためく真っ白の外套。それは日差しを受けて眩むようだった。トルコロルの正装である、白く裾の長い外套だ。
この時も、父の後を付いて歩いた。いつものように。その背中が、ほとんどの思い出を占めている。イフレニィの少し後ろには護衛の騎士らが続き、歩く度に武具の擦れる音が響いていた。
いつも見上げていた光景だ。
今、イフレニィは、父と同じ高さでこの街を見ている。
城壁の周りを囲むように、重要な施設が配置されているとセラに聞いていた。旅人組合本部も、その一つだ。入り口に立ち止まったバルジーが、気の抜けた感想をこぼす。
「これが旅人のための施設なんて、思えないね」
「まったくだ」
イフレニィとバルジーは驚きに口を開いていた。異彩を放つ立派な建物に圧倒される。赤煉瓦の建物が続く中で、本部とやらは黒い石の壁で覆われているのだが、かなり広く四階層はある高さだ。砦と言われても納得するだろう。
規模は比べるべくもないが、コルディリーの組合も頑丈そうに作られていたことを思い出した。非常時にどこかからの攻撃でも想定しているのだろうか。そして、これも共通点らしい、入口の扉は開け放たれている。
一歩踏み入れたその広間に、さらに驚く。今まで見た他の拠点全てが収まりそうだった。
「うわー」
バルジーから思わず出たといった感嘆の声に感情が乗っている風ではないが、きょろきょろと見回す姿から、事実気圧されているのだろう。
「おまえも来たことなかったのか」
なにが不服なのか睨まれたが、バルジーは頷くと気まずそうに見回す態度をやめる。しかし視線だけは潔く彷徨っていた。それはイフレニィも同じだろう。これまでのバルジーの話が推測ばかりだった理由が知れた。
セラは実際に来たことがあるらしいのだが、以前は東の街で職人だったはずだ。職人など工房から滅多に出るとは聞かないため、旅の経験があるというのも不思議なものだ。どのみち、イフレニィのような旅人の知らないことなど幾らでもあるのだろう。
もう昼になるというのに人も多い。さすが本拠地なだけはあった。
イフレニィ同様に典型的な小汚い見た目の者らだけでなく、やたらと身奇麗な者もいる。仕事の幅も広そうに思えた。無意識に、長い受付へと向かっていた。
「俺は登録してくる」
「私も」
旅人として依頼を受ける際、各街の拠点で、それぞれ登録する必要がある。失くして困るような証明書は、旅人のような臨時雇いに一々発行されないものだ。魔術式を使った証明書は、耐久の問題で数回しか使えないし、原価が高すぎる。
その代わりに、実績があるなら活動拠点を提示することで、依頼の制限を下げるのだ。
「コルディリー北方支部ですね。照会しますのでお待ちください」
身綺麗な受付嬢は、イフレニィが必要事項を記した書類をさっと手に取ると、奥へと引っ込んだ。
実績があるなら、元の街の拠点に依頼受諾履歴が拠点に積まれているので、こうして照会してもらうのである。安い依頼だろうと、住人でもない何処の誰かもわからない人間に、例えば配達仕事等は任せたくないからだ。
転話魔術式具のお陰だ。
地理に疎いので、なるべく早く把握してしまおうと予定を立てる。地理といえば、周辺の地図も手に入れたい。店の場所をまず確認しておこうと算段を立てていく。
ふと、依頼を受けると場所もばれるだろうかと気になった。まさか一人に人手を割くほど、暇でもないだろうとは思うのだが。それに居場所を知られたからといって、どうというわけでもない。相手をするのが面倒なだけではある。
今まで見たどこの建物も、受付台の奥にすぐ扉があったのだが、ここではその奥にも幾つもの机が並んで、なにやら作業をしている職員が行き来している。さらにその向こうに、別室の扉が見えた。
広いと移動も大変そうである。受付嬢がそこから小走りに戻り手招きした。
「お待たせしました。照会の準備が整いましたので、あちらの部屋へお願いします」
イフレニィは頷くと、前を歩く受付嬢の後に続く。
「変ね。照会が厳重になったのかな」
隣からひそめた声が聞こえた。
「以前はなかったのか」
「少なくとも、今まで私が照会された所にはなかった」
「帝都だからじゃないか」
「そうかもね」
他の拠点で依頼を受けたことがないイフレニィは、実際のやりとりをするのはこれが初めてであり、少しばかりの緊張と期待が混じって足取りを軽くしていた。
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