第38話 歪な道連れ

 空を仰いでも、建物の立ち並ぶ狭い道の狭間では、細長く横たわるだけだ。夜明けの淡い光の下、イフレニィは宿の前で道を振り返る。

「出かけられるか」

 声をかけた先に力なく立つのは、商人セラと旅人の女バルジーだ。

「準備は出来てる」

 荷車に手を置いたセラの肯定と、バルジーの不満気な表情が返した。

 イフレニィは駄目元で帝都までの旅に加えてくれと頼んだのだが、あっさり了承を得た。正確に言えば、初めは金がないからと断られて、誤解を解いた後だった。セラは、イフレニィが盗賊らに護衛として雇えと持ちかけたことを忘れていなかった。だからイフレニィが何かを目論んで近付いたとすれば、雇用のためだと考えていたらしかった。元からイフレニィが一人旅だったことを思い出させ、目的地が同じなら行動を共にした方が良い、お互いに助かることだろう、またあの手の輩に遭わないとも限らないのだからと説得したのだ。

 当然それを聞いたバルジーは渋ったようだが、最終的にはセラの判断で同行を認められた。

 それから改めて準備を済ませ、数日後の今朝、街を出ることになった。

 もう、どうにか取り入れないかと苦心するのは止めようと思った後だったこともあってか、特に大きな達成感はない。もちろん、後をこそこそ追うよりは負担がないので素直に喜んでおくのだが。別のことに躍起になって目的を見失いそうになるから、あまり気負わないように努めようと戒める。

 のんびりとセラが歩きだしたのを合図に、こうして三人は、帝都へ向けて旅をすることになった。


 南の街道に出ようとした街の境に、警備兵が見えてくる。

「なんだお前ら、連れ立って」

 運悪く、当番はイフレニィに事情聴取した警備兵だった。

 共犯で盗賊捕獲事件に関与していたのか、などと怪しまれるでなく、興味本位のようだ。横目に警戒しながらも、挨拶は返しておく。説教という名の愚痴を聞かされたくはない。持ち上げて切り上げようとした。

「忠告に従って、一人で粋がるのは止めにしたんだよ」

 途端に警備兵は顔を輝かせた。

「分かってくれたか! 若いのに人の話を聞けるとは、お前見込みがあるぞ」

 逆に詰め寄られ話が長くなりそうなのを遮って、同行者の二人を指差す。

「待たせてるから」

 兵は舌打ちと共に引き下がった。話したがりなだけだったようだ。即座に背を向け足を早めた。

「気ぃつけろよー!」

 愚痴る暇があるなら取締りをしっかりやれよと内心こぼしつつ、視線だけ背後に向ける。手を振りながら喧しい声で見送る声を聞き、街を離れた。


 顔など判別できないほどになってから、もう一度街を振り返った。

 なし崩しで滞在していたし、短期間で済んだこともあり、ここでも結局組合での仕事は受けなかった。

 掲示板は確認していたが、内容は前の街と大差ない。ここでも北への臨時依頼は大量に目にした。

 帝都には、組合本部がある。そちらはどうなっているかと、興味が湧いていた。

 他に気にかかったのは符くらいだろうか。この街で見かけた符も、コルディリーの魔道具店など、これまでイフレニィが買ってきたものと同じようだった。同じ工房のものに思うが、それが近場に固まっているなら、取引している商人が北方を縄張りにしているということだろう。


 街道に乗ってから、時がゆるやかに流れているようだった。

 誰もが無言だ。

 緑の強くなった荒地を仰ぎ見る。気候も、北に比べてかなり穏やかになっている気がした。荷車のがたつく音が、どこか耳に心地よい。

 セラが荷車を引いて歩き、荷台の後から、イフレニィとバルジーが横並びで付いていく。ふと視線を感じたイフレニィは隣を見下ろす。しかめっ面のバルジーが、横目に様子を窺っていた。

 ――愛想のねえ女だ。

 それが大方の印象だ。そんなことを思い返しながら、今も、なんでお前がいるんだという忌々し気な目を向けられ、まじまじと見返す。

 不思議なものだと思った。近くに居る限り、意識を向けなければ印は反応しない。痛みも何もない。それ以上のことを示さないなら、本当に何がしたかったのだと思えて仕方がない。ただイフレニィの人生を掻き回すだけが目的だったのではないかと、愚痴りたくもなるというものだ。

 見返して待ってみたが、バルジーからは文句の一つも出なかった。ただ、嫌味な視線を向けるだけだ。そこで、普通に歩いていることに思い至る。傷は浅くはなかったはずだ。問題ないのだろうか。

「歩くのか」

「骨に傷ないから平気」

 バルジーは機嫌を損ねたように答えた。強がりでもなさそうだった。実際、足取りはしっかりしている。雇い主の手前、護衛がその遂行能力を疑われるのは面白くないだろう。それでも、無理が祟って後々面倒をかけるよりは、休めるときは休んだ方がいいだろうと忠告のつもりだった。

「無理せず荷車にのせて」

「鍛えてるから!」

 が、イフレニィの提案は言い終える前に慌てて遮られた。しかめっ面が崩れている。荷車に詰め込まれて運ばれるのは恥ずかしかったらしい。

 しかし、肉が抉れるほどだったのをイフレニィは目にしている。背中だけでなく、足にも傷を負っていた。

 ――瘡蓋かさぶた、でかそうだな。剥いでやろうか。

「余計なこと考えてたら痛い目みるよ」

 イフレニィの視線の先に気がついたらしく、鉈に手をかけたバルジーに睨まれた。不審者と思い込んでいる者と同行しながら、雇い主を守るため気を配り続けるというのは厳しいだろう。旅人のイフレニィが、護衛の依頼を受けたわけでもなく商人に同行するのだ。唐突に旅に加わった相手に、警戒心が戻るのも仕方がない。イフレニィは、ふいと目を逸らした。

「気に入らないなら、寝てる時にでも殺せばいい」

 セラと話してみようかと、バルジーの横を追い越し歩き始めた。

「ちょっと、そんなこと考えてたの!」

 殺気立った声が背を追う。失言に気付いた。それではイフレニィにも、そう出来ると取れる。背を見せているのだから、動きを止めたければ切ればいい。イフレニィは振り返りもせず、後を追ってくる足音へと声を重ねる。

「危険はお互い様だろ。落ち着けよ」

「落ち着くわけない! それとも、それ、わざとやってるの?」

 なんの話だ。

 思わず、振り向いていた。

「本気なのか、白を切ってるつもりなのか知らないけど、精霊力、変な流れ出すのやめて。気が散る。それとも脅しのつもり」

 バルジーが苛つきながらまくし立てたことに、内心では驚愕と期待が跳ねた。

「これか」

 ようやく街を出られたことで、半ば無意識に精霊力を体内に巡らせていた。印の発するものを見極めようと思っていたためだが、制御する訓練も兼ねている。体内の流れくらいなら問題ないかと考えていたが違うのだろうか。だが、今までも、他人が符を使う直前に集中しているところだろうと、精霊力を感じたことはない。精霊力を感知できるのは、あくまでも外に現れたときだ。体の外に、魔術式を通して現れるまで、顕在しないものなのだ。

 それを、バルジーは気が付いたという。すぐに期待は消え、イフレニィの表情は強張った。

 ――いや、印という魔術式を通している。

 展開の黄金に変えるほどではないが、白く光ってはいるだろう。それでさえ、通常ならば距離が開けば読めないものだ。ただ、宿でセラの符に精霊力を通したとき、階上の部屋に居たはずのバルジーは感知した。真横なら、読めないはずがない。

 イフレニィも、ただ気を抜いていたわけではない。この二人も、精霊力に関しては人並み以上ではないかと推測していたが、印と無縁とは言い難い相手だ。何かに気付かれて行動を起こすならば、それはそれで好都合と言えなくもなかった。

 問題は――バルジーは、本気で苛立っているということだ。

 それは、得体の知れないものに対する、本能による警戒。イフレニィの心に、暗雲が立ち込めていく。

 原因らしき者が、理由を知らない、意図していないという可能性など、あって欲しくはない。それではどうやって解決し、コルディリーに帰るための踏ん切りを、どうしてつければいいというのか。

「だんまり?」

 深みに嵌りそうな思考から引き戻された。頭二つ分、イフレニィより背の低いバルジーは、自然と上目遣いに睨むようになる。大きな真っ黒の瞳は、やはり青を照り返さない。

 バルジーが余程感知能力が優れているのか、イフレニィの体がおかしいから他人へ知覚させてしまうほどなのか。どちらにしろ、人目に触れず制御の訓練をする計画は破棄となりそうだ。

 原因となる理由を知らないというならば。

 常に気を張っていれば、苛立ちもするだろう。ここは仕方がないことだ。無意識に流れたままだった精霊力を止める。

 これまでの常識、何もかもが疑わしくなってくる不安を飲み込み、目を逸らした。

「悪い。制御がうまくない。練習してただけだ」

 バルジーは異常なものを見る目付きを向けはしたが、イフレニィが流れを止めた後は、安心したように息を吐いた。

 印が魔術式ならば、精霊力を通せば符と同じく誰かに知覚できるのは、当たり前ではある。しかし印の線に顔料などは含まれていないのだから、そもそも何かの効果が発揮されること自体がおかしいものだ。

 これまでの己の行動を思い返した。決して人前では使っていない。街の中でも。今までは運よく、精霊力の強い者に会わなかっただけなのだろうか。そもそも段階的に現状へと移っているのだから、これまででは無意識に精霊力を操るなどできなかったことではある。今後はさらに慎重に扱うべきだろう。

 自分で見えないことを推し量るのは厄介だ。

 原因と思しき目標に辿り着いてさえ、解決は遠のいたようで気は重くなる。

 その後は誰も口を開かず、静かな時間は過ぎて行った。

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