第36話 符の交換

 イフレニィが口を閉じたことで、二人との間に気まずい空気が漂う。

 困惑していた。別に相手がよほどの変わり者なのだと気付いたためだけではない。イフレニィ自身、その辺りに言及できるような人柄でもない。まだ少しばかり残っていた、よっぽどの魔術式具が存在するのではないかという疑念のようなものも、結果的に晴れはした。

「すごいもんだと思う。手間を取らせて、悪かった」

 残念ながらイフレニィには理解できないものだったが、秘蔵の魔術式具を見せてくれたことには感謝すべきだろう。こちらから頼んだのだし、感嘆した気持ちに偽りはない。

 何故か二人は緊張から解けたように、ほっと息を吐き出した。辛辣なことでも言われてきたのだろう。

 短い時間ながら様子を見ていた二人の態度から、このままでは話が終わってしまう。会話を延ばすよう、少しだけ込み入ったことに触れる。

「魔術式はどうなってるんだ」

 工房ごとの技術は秘匿されている。普通に考えれば、そんなことを教えるはずはない。取引する商人も売るための詳細は聞いているものだが、どのように使えるかといった表面上のものであって、技術面での知識はないだろう。それでも物は試しと聞いてみたのは、わずかばかり滞在時間を延ばすだけでも意味はないためだ。なんとも無害な変わり者としか目に映らないものの、金もコネもないように見える者が妙な魔術式具を持ち歩いていたことは無視できない。

 印との共通点が魔術式ならば、この商人が取引している工房に関係ないとは言えないのだ。その場合、印が示しているのが、ただの旅人の女の方だということはおかしなことになるのだが。常に二人で旅をしているのならば、どちらもを指していないとは言い切れないだろう。もちろん、そう信じているわけではなかった。今のところ女の方は、まるで印とは無縁に思えるため、商人の方へと水を向けて見ることにしたのだ。

 その商人は、かすかに眉根を寄せていた。迷いが見える。断れば良いものを、生真面目すぎるのだろうか。

「……種類くらいは知ってるか」

 そこで説明の仕方に迷っていたのだと分かった。イフレニィ側の持つ知識によって、話すことは変わるだろう。

「符の種類なら。補助、防御、攻撃に四属性で光、火、嵐、氷。符使いでもあるまいし、魔術式そのものの知識はない」

 言葉にしてからイフレニィは、属性の歪さに疑問が湧いた。光は感知だけだ。補助で良さそうなものだが、なぜか攻撃に分類されている。

「ふつう以上に、使いこなしてるのに」

 思わず思考が逸れそうになるのを、女の胡散臭そうに睨んでくる目と言葉に引き戻された。

 ――精霊力が強いからって、符なんか一々使ってられるか。

 文句を胸に収め、その視線を振り切り、続く商人の言葉へ耳を傾ける。

「基礎で基本。十分だよ」

「誰でも知ってることだよね」

 女の余計な言葉を挟んで、この商人にしては言葉を強める。

「簡単に言うと、その四属性の配合だ」

 心もち商人は満足気に頷いた。これで話は終わりということだ。

「なるほど」

 イフレニィも、とりあえず頷き返しておいた。説明する気があるのかも分からない言い方ではあるが、雰囲気からして煙に巻こうというわけではないのは見てとれた。どうも、これが素の性格らしいのだ。話を変えることにした。

「残念だ。俺の符を見て文句つけたろ。それで符を扱ってるというから期待してたんだ」

 途端に商人は動揺したように視線を揺らし、やや俯く。そして、また顔を上げた。話すまでに一拍を置くのは、この男の癖のようだ。

「売り物はない」

 そう言って、また部屋の隅にある木箱から荷を漁り、革製の丈夫な袋を取り出した。袋といっても薄く折りたたんであり、遠目には板にも見える。

「これはピログラメッジ用に取ってあるものだ」

 それを机に置きながら言われた言葉に、何のことかと思考が止まる。また女が睨んできた。今度は不貞腐れたように口を曲げている。

「名前」

 それで辛うじて頭の隅に引っかかっていたのが、女の名前だと理解した。聴いた瞬間に、これは覚えられんと記憶から追いやっていたものだ。女の無言の抗議などそ知らぬふりで、机に並べられた符へ視線を向ける。攻撃符の光火氷が並んでおり、手には取らず黙って見る。文句を付けるだけの品質はあるようだった。

 土台の紙から工夫されている。手の平大の長方形には変わりないが、通常のものより短めだ。魔術式の真円で、なるべく紙面を埋めるように書いてある。これなら発動時に残る塵も減るだろう。土に還りやすいものとはいえ、大量に出るものだ。組合などの場合は、まとめておくのに丁度良いから長めにしてあるようだが、使う側としてはこちらの方が良いと思えた。

 なにより顔料が多く、線に掠れも見られない。顔料自体が違うようで、独特の艶を帯びている。通常の緑がかった顔料の他に、僅かだが赤みを帯びた粒が含まれているようだった。これが話に聞いたことのある工房毎の違いというやつだろうかと思う。

「いい出来だ」

 顔料は軍の物よりは少ないようだが、効果は同等か、それ以上ではないかと思わせる。これなら在庫切れも納得だった。何処で売ったのかは知らないが。

 これなら一枚くらい試してみたくもあり、ますます惜しい。そこで、ある事に思い至る。

「そこの、護衛用だと言ったな」

 そこの女、と言い掛け慌てて言い換える。

「嵐の符を使ってたろ。それがないようだが」

「使い切ったのよ」

 見てたなら分かるでしょうと、女は気まずそうに視線を伏せる。

「それが主に使ってるやつだな?」

「そうだけど」

 イフレニィは腰の鞄から手持ちの嵐の符、残り四枚を取り出して並べた。

「出来が悪いのは承知だが、精霊力も強いようだし、動きを止める分にはこれでも十分だろ」

 意外だったようで、二人は一瞬顔を見合わせる。

「一枚で構わないから氷が欲しい。これで交換と、質が足りない不足分は金を払う。どうだ」

 商人が女を促すように頷く。

「そりゃ私は助かるけど、なんで氷」

 氷は最も使い勝手の悪い属性と言われている。火にでもしておけば良かったのだろうが、それでは目的から外れる。

「それが使い易いんだよ」

 変わってて悪かったなと言ってみると、それ以上の言及はなかった。

「ユリッツさん、私はいいけど……」

 女の言葉を受けて、商人はイフレニィを見る。

「金はいい」

 氷の符を二枚差し出してきた。それで品切れのようだが、どういうつもりかと視線だけ返す。

「報奨金、貰ってるしな」

 そんなこともあったことを思い出した。元よりイフレニィが主張できる金ではないのだが、それ以上言えば無駄な譲り合いになりかねず、話を引き延ばす理由もない。

「ありがたい。色々試してる最中なんだ」

 意外なことに、新しい符の入手に素直に喜んでいる自分に気付いて呆れる。

「金のかかる趣味だな」

「それで、私達に……」

 哀れんだような、妙に納得したような二人が感想をこぼした。別の勘違いをされたようだが、警戒は緩和されたらしい。女が初めて、護衛らしい警戒心を滲ませていた視線を和らげる。

「それなら、もっと知りたい話もあると思うよ。ユリッツさん、職人さんだから」

 女は胸を反らして、我がことのように自慢げに言った。

 イフレニィは息をのみ目を見開いていた。先ほどまで、商人を挟んだ工房との繋がりでは距離が空きすぎるというところで思考は躓いていたのだ。その前提が、崩れる事実だった。

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