第35話 謎の一つの結末

 あえなく出てきた街へと戻ってきたイフレニィは、あてどなく通りを歩く。宿をどうしようかと悩んでいた。心情的には野宿したい。しかし二人組と接触を試みるなら、街の中で機会を窺う方がいい。宿を取るべきだ。

 彼らがどれだけ滞在する気かも知らなければ、怪我の件もある。滞在予定の延長も考えなければならなかった。そうなると依頼を受けなければならないが、その間に旅立たれては、ますます機会は失われるだろう。

 ――臨時収入は消えるな。

 肩を落とすも、元から運よく手に入ったものだ。丁度良かったのだと踏ん切りをつける。

 ふと、すっかり痛みが消えていることに気付き、忌々しい気持ちで通りを進んだ。それが一時的なものだと、今は知っているからだ。


 昼時だ。通りで流れてきた匂いに釣られ、食堂に入る。金を払い席に着く。ほどなく、一皿に適当に盛られた食事が目の間に置かれた。

 一口大に切り分け、炒められた鶏肉は、まだ音を立てている。油濡れの肉の周りには、白、緑、赤と色とりどりの葉野菜。だったものが、すっかり茶色く色を変え添えられている。掻き込むように食べてしまったが、野菜に肉汁が染み込んでいき、食べ終わってもくどさは感じなかった。

 名残惜しむように空の皿に視線を落とす。毎日食える身ではない。今後しばらくの晩飯は、大量に買ってしまった保存食を消費して過ごすことになる。小さな諦めの溜息と共に席を立った。


 情報が必要だと考えはするが、まずは今晩のことだと組合で格安の宿を尋ねれば、思わぬ機会が訪れた。幸か不幸か、個室で最安値の宿は、例の二人組が泊まっている所だったのだ。

 同じ宿に突然現れるのは、あからさま過ぎるだろうか。昨晩から泊まっていたならば怪しまれなかったかもしれないのだが。

 泊まったところが高かったから移った、ということにすると決めると宿へ向かった。組合情報で移るのは本当のことだ。

 宿を取って、店を冷やかしつつ街をぶらつく。

 住宅街にしろ、急いで建てたせいなのか計画性がなく、区画も曖昧だった。あまり整地もされておらず地面も歪んでいる。コルディリーも、この前の街も、辺境で殺風景なものだと思っていたが、意外と基礎はしっかりしていたのだと気付いた。やはり急造する何かしらの理由があったのだろう。

 小さな街だ。駆け足気味ながら一通り巡ってしまった頃、日も傾いた。切り上げて宿へ向かう。街の中心にある表通りの行き止まりには、組合や商店が並んでいる。その道へ差し掛かったところで、つんのめりそうになった。

 思わず足を止めたのは、組合の軒先で、影の下に覇気のない男が佇んでいたからだ。夕日に延びる濃い影の中に見た、錯覚かと思えたほどだ。荷車の側で眠そうな顔をしている商人の幻など、誰も見たくはないだろう。

 確かに、高価な魔術式道具は別として、符や旅関連なら売り場としては申し分のない位置ではある。しかし邪魔にならないようにとの配慮が、業務妨害になりそうな異様さを醸し出していた。残念ながら、組合から出てくる奴らも一瞬体を震わせると、声を潜めながら立ち去っていく。

 客が寄り付きそうにないならイフレニィにとっては都合が良いことだが、渋々と近付いた。

 しかし、もう痛みの原因を探ることへの躊躇はない。突き放すように別れたことなど悪びれもせず、イフレニィは商人へと声をかける。

「売れてるか」

 つい出た言葉は、不躾すぎたかもしれない。だが商人は、ただ意外そうな顔を向けた。

「あんたか」

 やはりイフレニィの態度から、もう会うことはないと思っていたようだった。そこには触れず、あくまでも客として振舞う。

「符を見たい」

 昨日、街を出るための買い出しで、符は追加しなかった。普通は滅多に使うものではないのだが、近付くことの他に理由もあり、ついでに補充しておいてもいいと考えていた。

 手持ちの符の残りを頭で数える。補助符は一枚、防御符は三枚。攻撃符は、前の街で追加した嵐属性の四枚と火属性が一枚。氷属性は、制御の練習で使い切ってしまった。

 今のイフレニィが使えば、剣の隙を埋めるなんて程度の威力では済まない。氷の符が、制御をしくじっても被害が一番ましだったのだ。もし、盗賊達へ使おうとしたのが嵐でなく氷だったなら、場を治められたのではないかと思うのだ。だから氷の符を追加したいと考えていたのだが。商人の眉の両端が、わずかに下がった。

「符か。在庫切れだ」

「在庫切れ」

 思わず相手の言葉を繰り返し、口を閉じた。

 困惑した。確か、主な売り物の筈だ。今日のところは売り切れ、ならともかく在庫切れというのが理解できなかった。意外と人気店なのか、己の態度を省みれば販売拒否かとも疑ってしまう。もう一度、問いかける。

「なら、旅の道具」

 それならと商人は頷くと、荷車の布を剥がし、幾つか箱を取り出す。拒否されてはいないらしい。

 ――それにしても、これは……。

 イフレニィは腕を組み、なるべく真剣な面持ちで商品を吟味する、ふりをした。何をどう言おうかとの時間稼ぎだった。さらに戸惑っていた。

 碌な物がない。

 麻の袋が大小揃えられているとか、発火道具や修繕道具をしまうのに丁度良い箱であるとか、ちょっと荷を括るのに便利な紐だとかだ。どちらかというと道具そのものというよりは、付属品ばかりが並んでいたのだ。道具というよりも雑貨だろう。

 普段、よく使われるものだし、あれば便利かなという物ではある。だからこそ、この手の物は、どこにでも売っているし、気が付けば家に余っているようなものだろう。その余りが傷んでいれば、ましな部分で作り直すことだってある。しかも、別段質が良いやら面白いなどの付加価値もなかった。

 わざわざ行商人から買い求めるような品ではない、ということだ。

 さらには長旅のせいか、心なし状態も悪くなっているようで、余計なお世話だが、これでどうやって食っていけるのかと心配してしまう。無愛想な家主、クライブのことも心配していたものだが、彼が扱うのは日用品であり品も悪くなかったため、細々ながら暮らしていけていた。

 いや本当に余計なお世話ではある。イフレニィも、こんな道端で他人の心配をできる身ではない。思わず俯き気味に荷物を睨んでいると、商人は広げた荷を畳んで戻していった。顔に表れてしまっていたらしい。

「……悪い」

「構わんよ」

 想定外だった。まさか値段以外の理由で、買えるものがないとは。

 そこで、なにも買うこと自体が目的ではないことを思い出した。袋くらいなら、一つ二つ増えても構わない。などと考えている内に、商人は帰り支度を終えていた。

 夕日の中、荷車を引く背に影が差し、なんとも哀愁が漂っている。

 ――そうじゃない。

 イフレニィは慌てて、その後を追う。

「まだ、聞いてないことがある」

 商人は訝しげに横目でイフレニィを見ながらも、荷車を引く足は止めない。

「魔術式道具、それが売りだと言ってなかったか」

 この男から直接聞いたわけではない。これまでの街で聞いた話から、隠しているわけではないと判断していた。それが売り物というなら、興味を示せば気を引けるかと考えた。商人の方から説明したがるだろうとも。

 一拍の後。

「あんたに買えるとは思えん」

 一言で片づけられた。考えるまでもなく、当然のことではあった。魔術式具といえば、一介の旅人に手が出る代物ではない。それでも追いすがる。

「だからだ。こんな機会は滅多にない。見るだけでも見せてくれないか」

「……そこまで言うなら。旅人の役に立つようなもんじゃないがね」

 商人は、イフレニィの必死さを熱意とでも勘違いしてくれたようだった。追い払われなかったことに胸を撫で下ろした。

「見物料くらいは払うさ」

 荷物は例の女に預けているらしく、部屋まで訪ねることになった。渡りに船だ。帰りがけに料理を買おうとしていたので、お礼を兼ねて飯代を出すことにした。幾つかの野菜を煮こんだだけのものだ。大した値段ではない。

 これで晩飯の間くらいは話ができる状況が整った。

 イフレニィが商人について部屋へ入ると、女は唖然とした顔を見せた後、さも不審だといった目で睨んでくる。それは正しい。だが魔術式具を見たいらしいと商人が説明すれば、追求はなかった。

 そんなに見たければ、前回会った時に頼まないのはおかしいだろうと思い至ったのだろう。今さらだ。ともかくこの機会に、調べられることは調べるしかない。


 場は、沈黙で塗り固められていた。

 イフレニィは料理を口に運ぼうと木皿を見下ろす際に、二人の顔を盗み見する。

 女は、料理を黙々と頬張り飲み下していく。こちらを視界から外しているようではないが、視線は下に向けたままだ。

 商人は、元から開いてるのか分かりづらい目で、どこか遠くを見るようにして口だけを動かしている。こちらは、イフレニィを視界の端にすら留めているようには見えなかった。

 気まずいとか話が途切れた一瞬、などではない。

 食事のため小さな机を囲んでいるが、席に着いてからずっとこのままだった。二人は気にすることもなく、無言で汁をすする。

 ――参った。どうすりゃいいんだ。この状況。

 普通は何か探ろうと思うだろう。そうでなかろうと、客が来れば、それなりに好奇心は働き質問なり会話は始まるはずだった。

 クライブ以上に言葉少ない人間に初めて会った。イフレニィ自身、話題を振ったとしても相手が話すままに任せていたような人間であり、似たようなものだという自覚も少しはある。

 喋らない人間が三人寄っても、煩くなるのは辺りの虫の音だけだ。

 静かでいい。

 などと、今は落ち着いている場合ではない。この機会を逃したら、探る機会など他にいつあるというのか。

 必要なことは話していたのは見ている。無駄口を叩くことが、頭になさそうな連中らしい。二人に用があるのはイフレニィの方なのだから、自分から聞くしかない。

 二人が食事を終えるのを見計らい、声をかけた。

「それで、どんな物を扱ってるんだ」

「魔術式具と符。旅の道具だ」

「そうか」

 それは聞いた。

 そして事実を単に述べられ、後に説明の言葉が続くでもなく。会話は途絶える。

 イフレニィは頭を抱えないように、一度目を閉じた。

 ――俺も、こんな風に思われてたのかもな。

 仮にも商人なら売り込め。これでやっていけてるのか。いけてないから、荷車を自力で引いて旅するような真似してるんだろう。いやこの男の場合、本気でそれでいいと考えていそうだ。なんのために俺はここに来たのかと仮の目的を見失いそうになり、流されるなと己に言い聞かせる。

「魔術式具は、どんなものなんだ」

 商人は口を閉じた。話す気はないとの意思表示かと思ったが、そうではなかった。商人は立ち上がり、部屋の隅に置いてある荷を解いた。両手で、四角い木箱を運び、机の上にそっと置く。

「これだ」

 見たことのない道具だった。

 そもそも魔術式具に接する機会などそうない。知らないことの方が多いとはいえ、見た目からして、何の想像もつかないものだった。

 華美ではないが、花などの彫刻を施された蓋を開くと、中にふるいが逆さまに被せてある。

「説明が難しくてな」

 そう言いながら女に目配せする。女はその道具に手を触れた。精霊力が箱に流れ込む。底に魔術式を仕込んであるらしい。転話具も、魔術式を刻んだ鉱石の板に、水晶をかぶせたようなものだった。似たような構造のようだ。

 よく見れば側面の装飾の中に小さな穴が幾つも開いており、漏れた光が机に模様を描く。そして発動すると、篩から音が流れはじめた。

 衝撃だった。

「すごいでしょ」

 間の抜けた顔を見せたイフレニィに、女が言う。それにただ頷いた。

 掠れたように、はっきりはしていない。しかし、さらさらとした音は一節一節を区切るように、ゆっくりとした旋律を奏でていた。音楽が勝手に鳴る。確かに想像だにしないものだった。疑問が口をついて出る。

「こんな魔術式なんぞあったか?」

「これを見て、はじめに言うのがそれなの?」

 機嫌を損ねたように女は言う。他に何を言えというのかと曲に耳を傾ける。どこかで聞いたことがある。

「旅芸人の歌か」

「子守唄よ」

「祭囃子だ」

 どっちだよ。

「そういや地域によって違ったな」

 どこから広がったのか、どこでも聞くことのある古い歌で、場所によって謂れが違う。コルディリーで暮らし始めてから、トルコロルとの違いを知って「へえ」と思った記憶があった。要するに、特に興味もなかったのでそれだけだ。

「それで、これはどういったものなんだ」

 二人は、同じ表情へと変わる。

 女はこちらを訝しむ眼光すら弱くなり、商人は気が抜けたような雰囲気を眠そうな目が作るのだが、少しの緊張を浮かべる。それでようやく二人は似たような無表情になった。

 それが意味するのは、継ぐ言葉がないということだろうか。

 まさか、本気でこれだけの物なのかと、イフレニィからも表情が消えて無言を返す。

 わざわざ高価な原料の鉱石を塊で用いて、高度な魔術式を組んだ道具なのだ。複雑な効果を発現させてはいるが、人の生活に役立つものではない。

 一つの事実に思い当たった。イフレニィの役に立たないとは、こういう意味だったのかと。

 実用品ではない、高価な道具。これを庶民に売ろうとしてたのなら、売れるはずがない。完全に売り込み先が間違っている。

 ここしばらくの謎の一つ、いつまでも商人と移動しているらしい不思議な魔術式具。その謎は解けたが、なんとも腑に落ちない結末だった。

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