第34話 後戻り

 ――甘かった。

 音もなく呟く。

 気が付かないうちに、精神的な疲れは溜まっていたのだろう。はっきりとしない頭を力なく振る。

 コルディリーを出たときの漠然とした覚悟など崩れ去っていた。どうせすぐに帰れると、高を括っていたのだろうか。

 目標に到達し、ようやくすっきりとした形を見せ始めたもの。目の前に提示されていたそれをイフレニィは無視した。原因から調べなければ、痛みは止まらないかもしれない。だからこそ痛みを誤魔化して生きる道でなく、漠然としていようとも取っ掛かりがあるなら追おうと。

 だから、わざわざ出てきたのではなかったか。

 それなのにだ。

 痛みが消え、掴んだ糸口が正しかったと分かっただけで満足した。何かを探ろうとする前から。これが一時的なもので、何もせず帰れば再発するだろうという、まず考えるだろうことすらせず。


 イフレニィは目が覚めるや慌ただしく宿を出て、コルディリーへ戻るために街道を進んだ。二人組のこともすっかり忘れ、帰巣本能に乗っ取られたように帰ろうという気持ちだけが頭を占めており、ただひたすら歩いていた。

 推測通り、なにかを印が訴え、その目標らしき者に接触して痛みが止んだのだ。その女を助けたら、それでいいのだと思っていた。

 相手が何者であるか、とりあえずの情報も得ることができた。もしも必要があれば、同じ旅人なのだから、組合に連絡の依頼を出すこともできるのだ。

 だからそれでいいと、ここで別れておしまいだと、思い込もうとしていた。

 これで終わると思う方がどうかしていた。

 用事も済んで、さっぱりしたはずだが、行きほど他のことを考える余裕はすっかりなかった。考えまいとしていたが、無意識に気付いていたことに蓋をしていたのだろう。

 街を発って、わずかに離れただけで、印が疼き始めるのを感じていたというのに。

 途端に再開する脈動。息をのみ、静かに奥歯を噛んで、這い上る痛みを追いやろうとしていた。少しの痛みくらい慣れたはずだと、自らに言い聞かせ続ける。

 だが痛みよりも、不安が鼓動を早める。その事実から目を背けた。さらに歩く。少しでも、原因から遠ざかるように。そして馴染んだ屋根裏部屋に近付けるように。歩みを進めるごとに印の脈動は強くなり、体は重く、冷えていく。

 無理を押してさらに離れ、やがて――足を止めていた。

 以前と同じく、目標へ接近した時に感じた強い脈動が、背中を覆うようだった。印がまるで別の生き物に思え、寄生されているようで不快感が込み上げる。さらには、頭を締め付けるような警告すら与えてくるのだ。

 嫌な汗が流れる。

 痛みだけのせいではない。

 焦り、混乱、そして衝動。

 とうとう、その場で体を折る。

「頼むから……帰らせてくれ!」

 他に何をしろというのかと、縋るように叫んでいた。


 力なく、街道脇に転がる岩に腰掛けた。両肘を膝に付き頭を抱え込む。慎重さを失って、勝手に事は済んだと喜んで、期待を裏切られたと落ち込む。

 愚かなことだ。単純なことにも思い至らず、あえて思考を放棄していた。

 今思い返せば、ここ数日は、これまでなら考えられない行動を取っていた。帰りたい気持ちだけが強くなり、目が曇ってしまっていたのだ。

『調子のんなよ』

 警備兵の、嫌味を含む声を思い出していた。あんな使い古された言葉にと、苦い思いが浮かぶ。何度でも使える言葉には、それだけの理由があるのだろう。

 情けない。率直に出た自分に対する感想はそれだ。もう少しくらいは、強くなれたと思っていた。

 何を見るでなく視線をさ迷わせ、痛みを逃すため、無心で呼吸を繰り返す。

 気持ちが落ち着いてくると、ゆっくりと立ち上がった。

 視線は、帰りたい道とは逆を向いている。その表情からはもう、先ほどの苦みなど消えている。

 だが、驚きがわずかに切迫感を緩ませた。

 また印に感覚の変化があると気付いたのだ。

 この短期間に何度目だと、内心で悪態をつく。印から発せられる信号は同じ。いや、今やそれだけではなかった。相変わらず、旅人の女を指している。

 ――そうだ、明確に、あの女を指している。

 女と会う以前と比べて、印の信号の先に、ぶれがない。はっきりと目標が定まっていた。街の外に出てさえ、例の女の位置が分かる。

 気味が悪くてしかたなく、イフレニィの口元は歪む。よもやこれ以上、状態が変化するとは思ってもみなかった。疲労感は増すばかりだ。

「……きついな」

 諦めと共に呟いた。ここで喚いていたって何の足しにもならない。すっかり高くなった日を見上げ、来た道へと戻る。

 戻りながら、改めて今後のことについて考えていた。


 初めに決めたことを思い出せ。解決法が見つからなければ投げてもいいが、出来ることが目の前にあるなら全て試してからにしろ。今度は、発奮するように言い聞かせる。

 あの二人組と、再び接触する必要がある。難しいことだ。

 こちらから切るような態度を取ってしまった。初めに助けるような形になったのですら、無理矢理だったのだ。

 二度目。

 どうやって近付くか。

 イフレニィが街を出たとは知らないだろう。興味を払いもしなさそうだが。

 改めて思い返してみると、変わった奴らだった。初めは警戒されてるせいだと思っていたが。商売っ気のない商人に、好戦的な護衛。どうあがいても、一筋縄でいきそうにない。

 とりあえず商人は置いておくとして。印に関係あるのは、女の方だ。幸い旅人同士、接点はなくもない。

 ただ、既に商人護衛依頼中だ。組合で『偶然』出くわすようなことはない。

 別れ際のあの女の態度から、不信感は拭えてない。話す機会もなかったし当然だ。雇い主の商人を無視して、話ができるとも思えない。

 却って商人の方は、イフレニィへの警戒は弱まっているように思えた。護衛依頼がいつまでかは知らないが、先に商人へ接触するべきだろう。どの道、この街にいる間に、他にできることもない。

 ではこの街を出たら、二人はどうするか。今度こそ、帝都へ向かうはずだ。

 逆の道からこの街へ入ったのだ、次の街は帝都しかないし、新しい地図にもさらに街があるような記述はなかった。

 通常の護衛依頼なら、目的地が決めてある。普通に考えれば、互いに次の仕事を見つけ易い、帝都までの護衛と考えていい。もちろん契約更新の可能性もあるので、その後どうするかは分からない。帝都へ向かうかどうか、その後どうするか。念頭には置くが、それを聞き出せるよう近付くのが先だ。そして、話をするためには今までのようにはいかない。素性を知られているし、そ知らぬふりをして世間話もできない。

 初めが不自然なんだ。今さら自然さを目指した方が、余計怪しくないだろうか。

 興味が湧いた。

 逆にそのくらい単純な方が、納得され易いのではないだろうか。

 あの商人も仕事をしてるなら、街の中を歩いていれば見つけることも出来るだろうと思うのだが、主に売り物が魔術式道具らしいことは引っかかる。

 あんな荷車を引いて、道端で符を売る者のことなど見たことも聞いたこともない。雑貨も扱っているという話を聞いた。具体的な品揃えは分からないが、それなら路上で売り歩いてもおかしくはない。雑貨というのも何処にでもあるものだから、それでも微妙な取り合わせではある。

 仕事をしていてくれと願うも、あの商人の、やる気のなさを思い返すと望み薄な気がしていた。

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