第27話 分岐

 目を覚ませば視界が悪い。夜も明けきらぬ時間の室内ならば、このようなものだったということで、イフレニィは宿に泊まったのだと思い出していた。

 部屋中に干しておいた衣類へと手を伸ばし、状態を確かめる。薄手のものは乾いているようだが、厚手の外套とズボンは生乾きだ。それらはまだそのままにしておき、鞄から取り出した替えの服を着る。それから室内の他のものへと目をやり、わずかに逡巡したものの、装備類も身につけていくことにした。

 安全そうな街だと感じたが、失くすと痛い。腹回りを守る最低限のもので安物とはいえ、揃えなおすのはそれなりにかかる。それから逆さまに置いておいた靴を取り、足を突っ込んだら、ひやりとした。最も乾いていなかったが、こればかりは替えがない。


 街の生活時間に合わせ、夜が白んでから部屋を出た。階下へ降りると、空腹を誘う匂いがイフレニィの鼻をくすぐる。宿の一階では、食事を提供しているようだ。昨晩に宿の主人から食事つきの料金だと言われていたことを思い出し、狭い室内に詰め込まれた席の一つへ腰かけた。扉を開け放した隣室は厨房で、忙しく立ち働いていた主人に挨拶すると、「ちょっと待ってな」と言って笑顔が返ってくる。

 興味深く周囲を見回した。コルディリーでは、パン屋などで買ってくるのが普通だったため新鮮だ。

 そして、すぐにも主人が抱えてきた木の深皿を受け取ると、立ち昇る湯気がイフレニィの頬を炙った。白い汁に細かい具材が浮かんでいる。雑穀を煮込んだ粥だ。小さな驚きが襲う。

 イフレニィや大抵の北の住人に、朝から温かいものを食べる習慣はなかったのだ。深皿に、深めの木匙を掬い入れる。風味から、山羊の乳で煮込んでいるようだと判断する。粥の上に散らしてあった小指の先程の黒い粒は、炒った何かの種のようだ。噛み締めると焦がした芳ばしさの後に、薬湯を飲んだ時のような僅かな刺激と塩味が口に広がる。塩漬けにされていたのだろうそれは、甘みのある粥の味を引き締めていた。

 水分も同時に摂れるのは便利だな、などと思いつつ、流し込むように食べ終えると立ち上がる。

 まずは組合へ向かうと決めていた。

 主人に部屋の荷物のことや、行き先と昼までには戻る旨を伝えると表へ出た。


 顔を照らす日差しに、目を眇めながら歩く。一日の始まりに組合へ向かうというのも、懐かしい気がしていた。組合の入り口は、開きっぱなしになっている。

 これは決まりなのだろうかと、やや不思議に思いながらその戸口をくぐると、掃き掃除をしていた職員らしき女に声をかけた。他の姿は見当たらない。活動初めはコルディリーよりも遅めのようだ。

「地図はあるか。確認させてほしい」

「は、はいっ! いいですよ。お待ちくださいね」

 声をかけると吃驚したのか、職員は一瞬飛び上がりながら返答するも、言いながら厨房のような奥の部屋に走っていった。

 ――よっぽど登録者が少ないのか?

 職員の様子に仕事内容が気にかかり、再び掲示板に目を通すと昨日とほぼ変化はなかった。少なくとも、仕事は皆無ではない。確かに大きな街ではないし、通りの雰囲気からも人は多くないようだった。雑事も多くなければ、あまり旅人の成り手もないのだろうか。まあ、そういう街もあるだろうと他人事ながら余計な心配をしていると、紙の擦れる音が聞こえた。どう見ても厨房のようにしか見えない、受付用らしい大きな作業台へと近付く。

「お待たせしました。この街の周辺と、一応帝都までの地図も持ってきましたけど」

 この街からは帝都へ向かう者が多いということだろう。イフレニィも自分の地図を取り出し、台に広げられた地図へと目を落とした瞬間に、違いに気付いていた。

「助かる。手持ちが古くて困っていた」

 イフレニィの予想通りだった。手持ちの地図にはない記号がある。帝都から北へ、ここから西へ向けた中間辺りに街の図があったのだ。道もしっかり記されているところを見ると、新たな街道のようだ。帝国に、そんなものを作る余力があったとは思えないが、なにかしらの意図が合って建設されたのだろう。無理を押してというならば、必要があったからこそだ。

 ともかく、それらを古地図へと書き加えていく。帝都周辺までの地図からも、気付いた点などを書き留めておいた。今のところ欲しかった重要なことは、確かめられた。

 職員は掃き掃除を終えて、作業台の向こう、受付の定位置らしき場所に座っていた。職員を横目に窺うと、こちらに意識を払うこともなく書類を整頓している。

 これだけは、聞いておくべきことがある。

 地図に目を落とし確認を続けるふりをしつつ尋ねた。

「帝都に近いなら、行商人も結構来るのか」

「そうですねえ、ここからは帝都と西の街、どちらにも行けますから、それなりに多いと思いますよ」

「符を扱ってる行商人は来てないか。噂で安いと聞いた」

 噂はでっち上げだったが、女は質問の内容に興味を惹かれたのか手を止めて、意外そうな顔で答えた。

「あら、つい先日そんな人達がいましたよ。でもそんな噂なんてあったかしら?」

 首をかしげている女の言葉に、今度はイフレニィが食いつく。

「見たのか?」

 姿形の情報が入るなら、探し易くなる。

「あっ期待させてごめんなさい。みんなが話してるのを聞いただけだから」

 気を落としかけたイフレニィに、女は慌てて言葉を続けた。

「そうじゃなくて、高いって話してたのよ」

 なるほど、魔術式道具の方が話題になっていたのかと納得する。それにしても何を取り扱っているのだろうか。その内容までは聞いていないようだ。

「勘違いしてたようだな」

 地図の礼を言うと、紹介の言葉で返される。

「符が欲しいなら、この通りを西へ歩くと右手に見える雑貨店へどうぞ。手頃よ」

 作業の邪魔を詫びて組合を出た。仕事も受けずに設備を利用するだけというのは悪い気もしたが、追いつきたいなら今日中に出た方がいいと思えた。急いでいないとはいえ相手がどう動くか知れないのに、わざわざ遅れるような真似は出来ない。

 宿へ戻ろうとして、せっかくなので雑貨店をのぞくことにした。懇意にしているだろうし、後で客が来たかと話題にされても困ると考えてだ。在庫を尋ねると、以前は買えなかった嵐属性の符があった。全て試しておきたい気持ちもあり、五枚ほど買うことにする。その顔料の少なさを見て、眉を顰めた。手頃なだけあって、質はコルディリーの店売り品と大差ない。仕入先も同じではないのかとぼやきつつ、宿へ引き返した。

 宿へ戻ると急いで荷物をまとめて鞄に詰め、未だ生乾きの外套を羽織る。主人と挨拶を交わして出た。

 まだ午前中も半ば。出かけるのに問題はない。これから地図に新たに書き加えた地点を目指す。逸る気持ちを抑え、街中央の十字路を西へと抜ける。


 街から西側へと伸びる道に困惑しながら、踏み出していた。

 ――確かに、道だが。

 目の前のそれは、街道と呼ぶには首をひねる出来だった。まともに舗装もされていない。都と取引がある以上、許可は得ているはずだが、急造といったものだ。草をむしって土を踏み固めた程度の、村道と大差ないものだったのだ。

 頭に思い浮かべた地図で位置確認をする。西の街は現在地と帝都の間、ちょうど中ほどにある。国境にも近い。そこから、大異変後の隣国との争いなどを考えても、急造だろうと拠点が必要な理由が垣間見えた。北からの避難者だけでなく、越境者などの流民対策と、帝都への緩衝として機能していそうに思えたのだ。そう考えれば、最近までなかったのが不思議なくらいだった。しかし、急ぎで構わないとはいえど、場所を均すだけでも大変なことだ。小さな街での例を見るに、以前から砦くらいは置いてあったのかもしれない。

 アィビッド帝国は、幾つもの自治領を束ねているだけあって土地だけは広い。長いこと陸続きの隣国との小競り合いが続いていたこともあり、人手がそちらに集中して管理が行き届かないでいたと聞く。

 しかも、そんな情勢が落ち着いてきた頃に、大異変が襲った。それでも分裂することもなく踏みとどまっているのだから、不運なんだか、悪運が強いといえばいいのか、ともかくしぶとい国ではある。


 歴史へと思い耽りそうになり、地図へと意識を戻した。

 書き加えた図によると、山というほどではないが、起伏が今までよりも激しくなるようだ。距離自体は、ここから前の街までと変わりなく見えるが、時間は遥かにかかるだろう。歩き進めている視線の先には、すでにその地形を確認できた。てっぺんを緑に染めた丘が、幾つも連なっている。まばらとはいえ、木々も見えていた。

 ――その上、この悪路か。

 一つ深呼吸をし、黙々と歩き続けた。丘の合間を縫う道へと入り、しばらく進む。街は、とうに見えない。昼には早いが、日課の目標探しだ。せっかく室内用に新たな方法を編み出したものの、念のため、避けられるなら避けておきたいことでもある。昨晩は街の外で確かめたため結局室内では使わなかったのだ。

 印に精霊力を流して――異変に気付いた。

 脈動が強まっている。

 慣れたと思っていた鈍い痛みに、嫌な汗が出る。

 ――近い。

 この道で間違いない。

 どれだけの距離があるかは分からないが、このまま進むんで良いのだと力付けられたようだった。今後は調べる回数を増やすことを予定に書き加える。

 ――近づいているんだ。

 痛みに気力は削がれても、自然と足取りには力がこもった。

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