第28話 追跡

 印の捉える力が強まったことで、その流れを辿り、速度を上げて歩き続けた。夜も歩きたいほどに気は逸るが、無駄に疲労しても良いことはない。しかし、歩くしかやることもない荒野の中で気を紛らわせるものなどあるはずもない。そこらで短い睡眠を取れば、夜も明けきらぬ内から歩き続けた。皮肉にも、空を区切る光の帯から溢れる金の粉が地上の陰影を縁取り、夜道の歩行を妨げることはない。まだ街道から外れていないからこそではある。そうする内に、昼を過ぎた。

 上がった息は歩き通しのせいか、痛みのためか。それとも、制御の難しい目標の探知を、無理をして歩きながら行使したせいなのか。判然としない思考の中で、明確になっていくものだけを頼りに進み続ける。

 歩くほどに、感知する力は強まり、目標の存在が確かなものに変わっていく。

 着実に、距離を縮めている。

 近付いているという確かな感覚が、しばしば鼓動を落ち着かなくさせるのを宥めながら歩くしかない。だが、これまでになく疲労は濃くとも、目的が明確ならば気が滅入ることはない。配分を考えながらも道を急ぎ続けた。

 どれほど進んだのか。

 幾度目かの探知を行おうと、印を発動させようとして、止めた。

 ――俺は、何を見て、追っていた?

 呆然と立ち尽くす。

 精霊力を流してもいないのに、日が落ちた後と同様に印が反応しているようだったのだ。自ら探査せずとも、その気配を感知している。まるで、誰かが側で符を使っているような確かさで。

 そんな気配がしたと思った瞬間だった。

 印に反応が迸る。

 見ずとも、印の模様に精霊力が流れ込み光らせているだろう。目的地だ。心臓が跳ねる。精霊力は印を通し、ある形に意図を持って変換され、信号を発した。目の前で指差されたような感覚に促され、顔を向ける。

 恐らく、眼前の丘を超えた向こう側。

 ――いるんだ。

 すでに抑える気もない鼓動は好き勝手に高まり、耳の奥を煩わせる。丘に向かいながらも、ゆっくりと進む。なるべく身を潜めるようにして木々の陰から辺りを伺った。一定の距離を保つために。

「どうする」

 急勾配を登るのに幹に手を掛けたまま、イフレニィの口元は苦いものを噛みしめたように歪む。

 ここまできて、迂闊に接触していいものかと考えあぐねてしまっていた。追う事ばかりに気を取られていたが、見つけた後のことなど考えてはいなかった。そればかりは推測のしようもなく、目にしてみないことにはどうしようもないと思っていたのだ。せいぜい、何があったとしてもいいように、気合いを入れておこうというくらいのものだった。

 現在、目標との距離は、この隆起した一山を隔てた程度だろうか。平原ならば互いに見えている距離なのは確かだった。起伏の激しい場所に差し掛かったのは、幸か不幸か。お陰で、こんな風に迷う理由ともなってしまったのだが、躊躇う理由はある。

 昼間だというのに印が痛みを訴えだした昨日から、再び精霊力の流れ方が変わった。さらに近付き、信号が強まるほどに、脈動が痛みを増幅させていった。走って丘を登れば、相手を見つけることもできるだろう。だが近付くほどに、今もなお、痛みは増して行く。印は、さらに別の反応を示すかもしれない。それが最も怖れているところだった。話せるほど近付いたとして、平気でいられるのだろうか。動けなくなるほどになるのも困るが、はたしてそれだけで済むかも分からないのだ。

 ――まさか、死にはしない……よな。

 精霊力が強まることによる痛みは、符が燃え尽きる瞬間に似てなくもない。本来ならば熱などなく、痛みも振動がそのように感じられるだけなのだ。同じならば、まさか死ぬまでのことはない筈とは思える。しかし大丈夫だと言い聞かせる度に、印が血を流した事実もあったのだと浮かんでしまう。

 ――馬鹿か俺は。

 ここまで来ておいて接触を躊躇うなど、なんのために街を出てきたのだと思う。

 しかし全く接点がないのに、突然見知らぬ男が寄って行けば、警戒されるに決まっている。それもこんな荒野の真ん中でだ。相手を警戒させるだろうということもあるが、逆に相手が真っ当な人間だという保証もない。

 僅かな不安と溜息を呑み込み、がたついた地面を踏みしめる。

 もう少し、調べればいいだけだ。

 幸い、入り組んだ地形だ。どうにか姿を隠せる範囲で、距離を詰めればいい。痛みに気を失うなどという無様なことになっても見つからないようにと、慎重に木々の合間を縫って足に力を込めた。


 イフレニィは連なる丘の中に留まり、苦労しながら歩いている。道なき無造作に生えた木々の狭間を、隠れるようにして、目標の位置を把握したまま移動を続けることにした。

 そうして昼からずっと追跡しているわけだが、さすがに街道を追うより時間を取られる。時折急ぎつつ、距離を調整する。

 未だ姿は見えないが、最大限近付いたと思える位置に来た。丘の上から垣間見えたのは道だ。地図では確認できなかったのだから街道ではないだろうが、村々を繋ぐ道にしても妙な場所を通しているように思えた。相手は、この丘と丘の合間をうねるような道を進んでいたからこそ、鉢合わせることもなかったのだろうか。実際に、今も目標の姿が、はっきりと確認できたわけではなかった。道は細く真っ直ぐではない。外套らしき裾が翻ったように見えたと思えば、すぐに丘の陰や垂れた枝葉で見えなくなってしまう。

 イフレニィは丘をやや下り、木々の合間に潜みつつ、足音のことも考え少し後から追跡している状態を保っていた。不安だった痛み具合だが、これ以上の変化はないようだった。それでも目の前に目標があると思えばこそ、気を紛らわせていられるようなものだ。歯を食いしばって意識を集中しつつ追う。

 これが最大反応の状態なのだろうか。

 そう信じるならば、話せるくらい近付いたところで問題はないように思える。一か八かだ。そう思うも、迷いを振り切れない。

「待つべきだ」

 やはり痛みが示しているのは人間だったのだと理解が及んでくると、ようやく気持ちが落ち着いてきたのか、街で話しかけた方が自然だと思い至っていた。幾らなんでも、街道上で忽然と姿を現すのは怪しんでくれというようなものだ。

 ――俺なら剣を取るぞ。

 慎重に行動するに越したことはないと、言い訳する。

 当たり前の警戒に言い訳だ。慎重なほどでちょうどいい筈だ。だというのに、言い訳がましく思えて、同じ考えを繰り返している。そんな自分に苛立つ。痛みのせいで流れる汗が、顔を伝うのを乱暴に拭う。鼓動は落ち着いてきたが、相変わらず痛みは追い立てるように考えを堂々巡りに陥らせる。

 その逡巡は、別の要因によって遮られた。

 息が止まり、膝が崩れる。

 印への衝撃。

 長い針が、印を突き刺したような、鋭い痛みが走っていた。

「……今度は、なんだ」

 距離は保っている。近付きすぎたわけではない。別の、信号だ。警報といっていい。印が急き立てる。息を整える間も惜しく、目標を目指して駆け出していた。


 木々を避け、転がる岩などを越えて道へと滑り降りるが、姿はない。さらに細かい起伏が、波打つように続いている。

「くそっ」

 畝のような、山なりの地形に遮られた向こう側。増えていく茂みに、足をとられながら、走る。

 その時、飛び込んできた精霊力。

 淡く白い光の糸が、魔術式を解き、編み上げていく。

 次々と浮かび上がり展開されていく光りの筋が、複数。

 ――あれは……範囲魔術式か!

 こんな荒地のど真ん中で、そんなものを持ち出す理由と言えば一つしかない。争いだ。

 この畝の向こうで、誰かが符を使っている。

 相手が人か獣か分からない。いや、この辺に、群れをなす獣がいるはずはない。いたとして、わざわざ符を何枚も使うかといえば、そんな悠長なことをしている間に逃げた方がましだ。人間とみた方がいい。目標が見つかったと思えば戦闘かと嫌気が差すも、気を引き締め直して走る。そうでもしていなければ、痛いほどの目標物への警報で視界さえ霞んでしまう。逆に信号を黙らせるべく、全ての魔術式を見落とさないよう感知を高めるため、印へと精霊力を流した。破れかぶれだったが、間違いではなかったらしい。

 途端に、意識に入り込んでくる魔術式。それも、使用後の名残まで。こんなことは初めてだったが、今は動揺もしていられない。符の残照には、防御系が複数ある。どう考えても、人間同士の戦闘だった。身をかがめ小高い畝を駆け上り、枯れかけた草を掻き分けた。

 畝の合間、溝のような窪地で相対する二派が目に入る。

 その場に伏せた。

 人数が、多すぎる。

 馬車が一台、馬は数頭、なぜか荷車。こんな場所でと不審に思うが村が近いのだろう。茂みの間に腹ばいになり様子を窺いつつ急いで荷を下ろし、懐の符を確かめる。剣は、いつでも抜ける。

 状況の隅から隅までを、寸分漏らさぬよう、目を凝らして追った。

 ――どうしたらいい。

 心中の焦りが、イフレニィの口から今にも溢れそうになる。

 ――俺の目標は、どいつなんだよ!

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る