第3話 精霊溜り

 木を伐り出している北の森に精霊溜りが見つかったという。緊急事態だ。沈黙の後は口々に懸念や怒りの声が上がる。

「なんでこんなところまで……」

「先月、警備団が見廻ったばかりじゃないか!」

 現場監督に来ていた村長は、それらを一喝すると旅人組合に掃討依頼を出すよう指示を飛ばした。精霊溜りを発見した場合、緊急召集となり、依頼の優先順位は変更される。橋作りに駆り出されていた旅人も、イフレニィを含めた精霊力を持つ者は、木材を投げ出し村長へ声をかけた。

「場所は」

 イフレニィは目標地点を確認するため、危険を知らせた村人に案内を頼む。しばらくすれば増援と物資が届けられるが、それまでに情況を把握するべく、居合わせた旅人らと森へ踏み入った。


 ピリ――空気が振動を伝える。

 近付いている。

 鬱蒼とした草木の合間から、淡い光が揺れるような感触。光振こうしんと呼ぶそれを肌に感じるのだが、精霊力の乏しい者には見えないし感触もないという。徐々に肌に触れる揺れが強まる。

「その木より奥だ。頭くらいの精霊溜りがあるはずだ」

 伐りかけで、斧を幹に残された木の向こう。白い光に包まれるようにした中心に、金色がかった光の凝縮された塊が見えた。ここまで近付けば、大して精霊力を持たない者にも視認できるようになる。

 案内人は人の頭ほどと言ったが、実際は違った。いや、精霊力の強い者にとっては――イフレニィは目を瞠る。

 示された方向に見えたそれは、大人一人分の背幅があった。精霊力を凝縮した力の塊は、柱のように天に向かってゆらりと伸びている。

「見たか」

「でかいな」

 場所を確認すると同業達に声をかけ、木の陰から覗きつつ言葉を交わす。隠れることに意味はないのだが、得体の知れない恐ろしさに本能で身を隠そうとしてしまう。


 精霊溜りとは、触れたものを徐々に、精霊力へと変換していくものだ。ありとあらゆるもの。恐らく人間すら。

 放置すれば、全てを飲み込んで膨れ上がり、人の住める場所ではなくなってしまうだろう。そうならないのは進行速度が遅く、そのお陰で被害のない内に対処可能というだけなのだ。

 対処方法は、唯一つ。

 魔術式符を側で使用し、外から力を吸い出して消滅させるというものだ。精霊力を流し込むことによって、魔術式はその効果を発現させる。それを利用して、精霊溜まりの精霊力を消費していく。散らすだけといえば簡単に聞こえるが、小さな紙切れに収められたもので耐久度は低い。符が大量に必要だ。

 しかも符は、個人で幾つも買えるものではない。紙切れに落書きしてあるようなものだが、自力で作成するには魔術式の知識が必要で、式を書くのには特殊な顔料を使う。その原料は、精霊力を伝導しやすい鉱石で、国の管理下にある鉱山から産出される。無論、厳正なる手続きにより許可が必要で入手は簡単でなく、気軽に作れるものではない。必然的に職人の集まる工房での生産となる。

 要するに、そこらの旅人風情が、おいそれと手を出せる代物ではない。いざという時のお守り程度に、一枚を懐に忍ばせておくくらいが関の山だ。その為、こういった緊急時には組合で保管されている物を放出する決まりだった。


 イフレニィらは見張りと誘導の為に一人を待機させ、案内役の村人を帰す。残りの者で光の柱を遠巻きに回り込んだ。他にないか辺りを確認する。ざっと見た限りでは、他の異変はない。どの道、後で警備団の確認作業が入るだろう。

 ひとまずの確認を終えると、イフレニィらは慎重に光の柱まで戻った。



 ほどなくして旅人組合から、増援と魔術式符などの物資が届いた。

「組合の者だ。掃討依頼を受けてきた。符の使えるものは集まってくれ。……二十人足らずか」

 急な召集で人が集まりきらず、組合職員の男は渋い顔をする。発見された精霊溜りは大型であるとの報告は正しく届いたらしい。即座に手配したようだが、符はともかく、昼間なので人はばらけている。

 いくら精霊溜りの進行速度が遅いといえど、一枚の符に吸いだせる量は微々たるものだ。少数ではとうてい追いつかないのだが、これまでの検証で、できるだけ一息に対処した方が消滅は早いとの結論が出されている。二桁の人数が揃ったのだから、処理の開始は可能だ。職員はすぐに表情を引き締め、符を配り始めた。

「一人十枚渡す。後は随時追加だ」

 手の平大の長方形、厚手で目の粗い生成り色の紙だ。イフレニィも割り当て分を受け取り、視察した現場の状態を報告する。

「アンパルシア、さすがお前は鼻が利くな」

「今回は俺が見つけたわけじゃねえよ」

 イフレニィは家名で呼ぶこの職員が少々苦手だ。些か辟易しつつ先導する。

 人より精霊力が強い。そのせいで今までも外回りに駆り出されては、生りかけの精霊溜りを見つけた。魔術式符みたいなやつだと度々言われた。それもあながち間違いではないのだと皮肉に思う。実際、体に刻まれている。背中の中心、腰椎辺りにある拳大の、丸い魔術式に意識を向ける。

 ただの飾りの筈だが、かすかに光が走り、応えた気がした。


 北の森へと進み、入り口からそう遠くない伐り出し場へ到着する。光の柱を前に、職員の空気が変わった。

「こりゃ、時間がかかるな……。人員と符を、集められるだけ集めろ」

 厳しい顔で随行員の一人に追加で指示を出すと、職員も符を手に柱に近付く。集められた者達は、光の柱を囲んで立った。幾人かは既に発動の準備を開始する。手に乗せた其々の符から、白く淡い光の粒が漂い始める。

 イフレニィも、手の平に乗せた符に意識を向ける。辺りから集められ符に流れ込んでいく精霊力が、模様をなぞるようにして光りを放ち始める。白い光の粒が魔術式をなぞり、その意味を解き、空中に写し取る。両腕で囲んだほどの円は、展開されると仄明るく燃えるように黄金に輝いた。発動の成功だ。

 囲んだ者達から続々と、壁のように魔術式は重なり合い発動する。精霊力を感知するだけの単純な魔術式符だ。普段、役立つ場面はない。単純ゆえに発動までも短時間で済む。これが戦場ならば、攻撃符を使用する者を回避するのに役立つこともあるだろうが、平時にはなんの意味も持たないものだ。

 空中に浮かぶ模様に、さらに力を込めるべく意識を光の柱へ向ける。柱から立ち昇る光は、陽炎のように揺らめいて手元の符へと流れ始めた。それが維持できたのを確認すると、イフレニィは受け取った符を束ねたまま、次々と発動させていった。

 魔術式の同時発動――人の集中力の問題で、制御は数を増すごとに難しくなり、比例して威力も弱まっていく。そのため通常は一枚ずつ確実に使う。

 しかし十枚使用してなお、イフレニィの符に効果の低下は見られない。職員の話を鵜呑みにするならば、この街で、ここまでの精霊力を持つ者はいないという。

『精霊力を持つ者』

 それは多少語弊のある呼び方だ。確かに、精霊力に反応しやすい体質を持つことに由来する。しかし実際の使用には、精霊力を通し易いかどうかが重要なのだ。素早く大量に精霊力を吸い上げ、発することが出来る者。それを特に精霊力の強い者と称していた。

 その規定によるなら、その通りイフレニィは精霊力が強いのだろう。多くの者よりも遠くから感知し、流れを掴むことができるのだから。まさに今、わざわざ符を使って行う「精霊力感知」を、普段から魔術式なしに行っているようなものなのだ。

 例えば、誰かが符を使えば、その精霊力の流れが目に見えるように肌に伝わる。光が魔術式を編み上げる形で、どんな系統のものを使うか察知できた。そう考えれば、この感知の符というのも、極端に精霊力の流れを良くするだけの魔術式だろうか。

「……ッ!」

 幾人かが手を引っ込める。許容を超えた符が焼き切れ、焼け残った紙片が宙に舞った。耐久を超えると、金色の光は突如火の粉のように変化し、燃え尽きるように消えていく。実際に火のような熱はなく火傷を負う事はないが、消滅の寸前、触れている部分に振動が走り痛みのように感じられるのだ。何事もないのは分かっている。彼らは、すぐに次の符を発動させていった。

 イフレニィは、まだ初めの十枚を維持していた。流れを良くするための魔術式というなら、イフレニィの維持力が高いのは、よほど負荷がかかりにくいためだろう。依頼作業中ではあるが、使う機会は多くはないため、思う存分に感覚を確かめていた。


 早くも使い終えた何人かが、追加された人員と交代し始めた。集中力が落ちれば、精度も落ちる。休憩は必要だ。

 柱は、頭一つ分は削れたといったところだ。周りが交代しきった頃、イフレニィも手元の符の状態を確認し締めにかかる。交代するためではない。符の方の耐久度を考慮してだ。イフレニィ自身が問題なくとも顔料がもたない。職員の一人へと声をかける。

「追加、頼む」

 職員は驚きを見せた。符を使いながら話せる者も、そうはいないためだ。

「まったく、桁違いだな。魔術式使いになれば、楽できるだろうに」

「柄じゃない」

 魔術式使いと呼ばれるほどの者は、大抵が国のお抱えだ。そんな生活は想像するだけで息苦しく、イフレニィは顔をしかめる。職員は若干呆れたように感心しつつも、すぐに符を手渡し持ち場に戻った。何度か掃討依頼に召集されているので、見慣れてきたのだろう。維持中の十枚へと精霊力を強めると、一際大きく精霊溜りを削り、符は残りの原料を飲み込むようにして弾けた。炎に炙られた紙吹雪が舞う。 

 休みなく、次の十枚に意識を向けた。



 森の中、掘り返したように抉れた地面が晒されている。その中心で、蝋燭の先端が揺れたような火の粉が、小さく爆ぜた。

「ようやく、消え失せたか」

 やつれたような面持ちで、責任者である職員が掃討終了を告げた。周囲から符を掲げて見下ろしていた者も、一斉に溜息を吐き出す。人が集まり始めてからは消化も早まり、どうにか日のある内に終えることができた。

 皆で引き上げながらイフレニィは、なにやら深刻な顔で話し込んでいる職員達の背を横目に見送った。かなりの符を消費した。この街に工房はないため、どこかで調達する必要がある。恐らく数日中に護衛随伴依頼が出されるだろうが、イフレニィには関係のないことだ。


 日は暮れかけている。帰宅後の予定を考え、今朝の気分を思い出した。身体がだるいと、身も入らない。しばらくは酒を控えると決めて、酒場に誘う同業に断りを入れた。ここ数日、怠けていた剣の訓練でもしようと考えていたときだ。

 弾かれたように空を見上げていた。

 だが、なにもない。紫の下りゆく空を、忌々しい光の帯が横たわっているだけだ。

 ――なんだ。

 異常は、自身の体に起きている。大きな氷を押し当てられたような痛みが、腰に広がる。印を中心に波打っている錯覚。

 ――これはなんだ。

 精霊溜りに近付きすぎたのか、精霊力を使いすぎたのか。しかしこれまで、そんな話は聞いたことがない。


 視界に重なるのは別の光景。血の色だ。

 異変の夜、父の服に滲んだ染みだけが、浮かび上がる。

 あの時と同じく体の自由を奪われ、何もかもが失われていくような漠然とした恐怖。それを飲み下し、ただ耐える他なかった。

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