二つの地図


 私はテーブルに肘を付いて酒瓶を傾けていた。未成年の飲酒ってなんでダメなんだっけ。そう亜矢に聞いたけど、亜矢は煙草がダメだからセットでなんとなくじゃない? なんて、絶対違う答えを返してきた。

 最近はずっと静かだ、とんでもなく静か。うーとかあーとか言ってるおっさんが徘徊する以外はシーンとしてる。三号棟はフェラ大好きのランコーゾンビがたいりょーはっせーしたみたいだけど、わたしとあやはいちごーとーにいるから、だから……。


「……っあ」


 がばっと体を起こす。私はあぐらをかいてテーブルに突っ伏していたらしい。こちらを心配そうに覗き込んでいた亜矢は、私の目が覚めたというのにちっとも嬉しそうじゃなかった。


「つっか、いい加減にして」

「何が?」

「はぁー……もうお酒飲まないで。そもそも、未成年の私達がこんなの飲んで」

「違うよ」


 はぁ? と若干威嚇するような顔をしている亜矢は怖い。きりっとした顔で、はきはきと通る声でそんな声を上げるんだから、多分私じゃなくてもおっかないと思う。だけど、私は譲らなかった。張り合うように声を作って宣言する。


「未成年がお酒を飲んじゃいけないのは、未成年だから」

「は?」

「未成年というのは日本の法律が定めたもの」

「……なんとなく、何が言いたいのかは察した」

「そ? だから私達は法の届かないここでなら好きにしてもいい」

「はぁ……」


 亜矢は私がまた適当なことを言って自分を正当化していると思っているようだけど、それは違う。だって、生きてる人間をこんな風に閉じ込めるなんて、絶対に法律で認められてないでしょ。でもまかり通ってる。いや、国が許したワケじゃないと信じたいんだけど、知ってたとしても知らなかったとしても、まぁとにかく私達はこうしてここで死ぬ以外の先が無い。あったはずの未来も、起こったかもしれないイベントも、全部強制的に書き換えられてしまった。


「だから、高校生の私達が酒を煽ろうと、誰も咎められない。でしょ?」

「ホントにいい加減というか、楽な方に流れるな。あんたは」


 というか誰が咎めるというのだ。もしかしたらこの団地の最後の生き残りかもしれないって言うのに。みんなが死んでくのを見届けてから最後に死ぬって一番辛い役回りじゃん。飲まなきゃやってられない。っていうか、誰でもいい、私達を見つけてくれ。


「ねぇつっか。これ覚えてる?」

「……あー。多分」

「覚えてないな?」


 亜矢は顔をしているくせに、笑顔があどけない。私の姉に間違えられるくらい大人びているのに、私を呼ぶ時はいつだって”つっか”だ。亜矢のそういうギャップを可愛いと思ってた。

 差し出された汚い紙に視線を落とす。舐めるように酒を口にしながら曖昧な返事をした。誤摩化すようなその反応を見て、亜矢は覚えていないと判断したようだけど、生憎違う。逆だ。心当たりがあり過ぎる。


 少し前。私は亜矢に身体の関係を迫った。断られたし、ちょっと強引にしようとしたら驚くほど簡単にグーパンが出てきたから諦めたんだけど。収まりがつかなくなっちゃって、一人でするところ見ててって言ってみたら、もう二度と会わないって言われたから私は正座をして黙ることしかできなくなった。


 簡単に言い表すと、今の私達はこんな感じ。正直言って果てしなく気まずい。私が気持ち悪いことを言いまくったにも関わらず、今でも友達でいようとしてくれる亜矢の心の広さには感服する。私だったら絶縁するかも。迫ってくる亜矢を想像すると鼻の下が伸びそうになる。だめだめ、そういう話じゃない。相手の立場に立ってって話。


「ねぇ、これって結局なんだったっけ」

「……亜矢が見付けられなかった宝探しゲームの地図」

「覚えてんじゃん」

「多分覚えてるって言ったしょや」

「あんたの多分は信用できないって言ってんの」


 私はへへんと笑って意外そうにしている亜矢に笑いかける。だから続けた。嘘ではない事実を。


「だってそれだけだもん。私が勝った宝探し」

「……まぁ隠す側って難しいもんね」

「そうそう」

「景品なんだったの?」

「忘れた」


 これは嘘。さすがに謎解きの内容は覚えてないけど、景品は覚えてる。というかあの景品だったから、私の羞恥心が全力を出して、とんでもない量とこじつけの謎解きがこの世に生まれることになったとも言える。

 このまま終わりを待つだけだった私達は、終わる場所と、できれば理由を探していた。亜矢が私の求めに応じてくれればそんなのどうだっていいんだけどね。ねぇ、触らせてよ。そんで亜矢の弱いとこ、私に探らせて。だけどそんなこと口にできないから、私は紙とペンを用意してテーブルについた。


 宝探しに出る前に、黄ばんだ紙に書かれた謎を解く。全部で四つ。乗っけから「どんな電波受信してたんだ」ってくらい強引な謎解きが始まって、過去の自分を張り倒したくなった。三年前に流行ってた曲や、中学だった当時のクラスメートの名前なんかを思い出しながら、「多分こういうことじゃない……?」なんて言って答えを埋めていく。亜矢は解説を聞いても「はぁ? そんなの分かる訳ないじゃん」ってキレてたけど。

 それぞれに書かれている目的地をはっきりさせて、私達はやっと部屋を出た。というかそのまま一号棟を出た。


 ギラついた目をしたおっさんを警戒しながら裏にまわる。裏というのは炭山に入る別ルートのことだ。今は使われていない。事故が起こるよりもずっと前に封鎖されているはず。だけど、私がこの宝探しを作ったときはギリギリ開いていた。


「ここに埋めたの?」

「探すのは亜矢の役目じゃん」

「埋めた本人なんだからちょっとは協力しろ」


 協力しろって言われなくてもしてる。ずっと、心当たりのある場所をちらちらと確認して、それっぽいものが無いか探してる。でも三年も前の、子供が埋めたものだ。残ってる確率の方が低い気がする。いや、あのあとすぐに封鎖されたから無事かも?

 私は思考を巡らせながら、見つかって欲しいような見つかって欲しくないような気持ちで、ゾンビ共が近付いてきてないかを監視する。


「あった」

「うそ!?」


 思わず振り返って見ると、亜矢の手には本当に細長い筒があった。あとシャベルと。わざわざ掘り起こしたのかよ。

 今の私達ができることと言えば死を待つくらいだ。だからきっと、亜矢はこの遊びに全力だった。なんでもいいから夢中になりたいんだと思う。

 その中には番号が書かれた紙だけが入っていた。これだけじゃ何の番号かも分からない。当然、埋めた張本人の私はそれを見た瞬間思い出していた。亜矢にとって意味不明であるはずの代物だったが、彼女はあまり落胆している様子は無い。多分、当時失敗に終わった宝探しが一筋縄で行くとは最初から思っていなかったのだろう。


 一番面倒な謎解きを部屋で済ませたので、あとはこの団地の中を歩くだけだ。一号棟のロビーの床を抜いたとこ、学校の教材室の奥の奥、どちらにも私が隠した数字が書かれたメモがまだ残っていた。

 まぁ学校は残ってると思ったけど。たまに茶色くなった紙切れが床や壁から出てくるような建物だ。三年なんて言ったらきっとまだまだ若輩者の部類だろう。


 そして私達は最後の一つのお宝を探しに向かうべく、校舎に背を向けて歩いていた。その表情は暗い。それもそのはずだ。


「飛び降り死体、初めて見たわ……」

「いや過去に見たことあったっけおっかないわ」

「確かに。っていうか、あれさ」

「……うん」


 私達は恐らく同じ人間を思い浮かべて冷や汗をかいている。あれは、一つ下の沢谷だ。子供達が駆り出される雪はねに、あいつはいつもあの黒いダウンを着て、大人びた顔をしてぶすっと端っこに立ってた。一個下なんて大人から見たら同い年みたいなもんで、まとめて扱われるから絡む機会は少なくない。とっとと終わらせて解散するべ、なんて声をかけて作業を手伝うよう促したこともあった。

 だから、私達二人が同時に沢谷のダウンを見間違えることなんて有り得ないのだ。ここで亜矢が沢谷だと思っていない風な返事をしてくれれば良かったのに。「……うん」なんて言って、どんよりとした表情を作ったもんだから、同じ人物を思い浮かべてるんだってはっきりと分かってしまった。


 歩く。沢谷が死んだことは。多分残念だ。あいつは私なんかよりもずっと大人っぽくて周りを見下して、だけど肝心なところで優しいヤツだった。案外面倒見が良くて、顔だけで言ったら「十人居たら十人に嫌われるだろ」ってくらいの悪女顔なのに、まぁ精々六人に嫌われるくらいに留まってる。私は好きじゃなかったけど。だって私より大人っぽいのウザいし。

 でも少なくとも嫌いでもなかった。亜矢は多分、私よりかは沢谷のこと、好いてたと思う。


 まぁ何が言いたいって、家族が死んで、もっともっと近いところにいた筈の友達も、ご近所さんも、良くしてくれたみんなが死んで。だけど、沢谷が自殺したことが、それらと同じか、それ以上にショックだったってこと。

 そんでちなみに言うと、私はショックだったってことにもショックを受けてる。精神的な合わせ鏡だわ、いつまででも凹んでられる。


「……つっか。沢谷のこと、ショックなんでしょ」

「亜矢だって……」

「うん……」


 亜矢は私の指摘を否定することなく、口をきゅっと結んで下を向いてしまった。仲良くなんてなかったけど、でも、沢谷が自分で死ぬ道を選ぶなんて考えられなかった。あいつはそんなヤツじゃないなんて、大して知りもしないけど思ってしまう。

 一体何があったらあの女がそこから飛び降りることに結びつくのだろう。沢谷を死に到らしめた原因なんて考えたくないのに、考えてしまう。誰かに乱暴されたとか、そういうのじゃないといい。いや、あいつはそんなことされたら、絶対に黙って死んだりしない。死ぬよりも殺すことを選ぶはず。

 私達が二号棟まで戻ってきて、そのロビーに足を踏み入れようとした瞬間、亜矢は「失恋、だったりして」なんて言った。失恋で死ぬって意味分かんないし、百歩譲ってそういう女がいたとしても、沢谷がそうだとはどうしても思えなかった。


「沢谷さ。なんで、わざわざダウンなんて着て飛んだんだろうね」

「……さぁ」

「私らさ、沢谷のこと何も知らないから。何にも分かんないね」


 亜矢は寄り合い所の扉に手をかけて自嘲する。そうだ、私達は沢谷のことを、何も知らない。きっと知る機会はたくさんあって、分かり合う機会すらお互いに無視してきた。だから、私達は無意識にどうでもいいと思っていた沢谷の自殺を目の当たりにして、こんなに動揺している自分達を持て余しているんだ。


 鍵が掛かっているかと思ったけど、寄り合いの中はどこもかしこも入れるようになっていた。普段鍵が掛かってる地下室さえ開いている。私達は物珍しさに中を覗こうとしたけど、やっぱりやめた。第二の沢谷が居たらマジで宝探しどころじゃない。

 簡易キッチンの奥の床を剥いで、裸でくしゃくしゃっと入れられていた紙を見る。間違いない、私の字だ。というかここ、一番覚えてる。だって、剥がれる床が無いから私が剥がしたんだもん。マジでめちゃくちゃだ、当時の私は。


 ヒントを全て見つけた私達はそのまま宴会場の端に座って、それぞれの紙に書かれている謎に迫った。もう全然分からなくて、私は帰って寝ようなんて弱音を吐いたけど、亜矢は違った。

 真剣な顔をして、えんぴつを持って唸っている。亜矢は座布団に収まるように、器用に足を崩して座っていた。私は一緒に考えるふりをしながら、ずっと亜矢のふとももとか、手首とか首筋とかを眺めていた。


 亜矢が地図に何かを書き込みながら言う。「今度襲ってきたらホントに殺すから」、と。私だってそんなことで死にたくない。というか、こう見えて亜矢を傷付けたいとは思っていないんだよね。絶対信じてもらえないけど。あと、いやらしい目で見てたのバレてたの、結構恥ずかしい。もしかして、今までのもバレてるのかな。それでも亜矢は私と一緒にいるのか。そう考えたら嬉しいような相手にされていなくて悲しいような、なんとも言えない気持ちになった。


「無理やりなんてしないよ」

「そう」

「見るくらいいいじゃん」

「はぁ?」

「面倒だからもう認めちゃうけどさ。亜矢のことずーっとそういう目で見てるよ。だけど、私の自我がある内は絶対にもう無理矢理なんてしないから。もし襲われたら、私の自我は死んだ、つまり私は死んだものと思って、ぐちゃぐちゃに解体するんでも、頭を叩き割るんでも、好きにしてほしい」

「……つっか」

「……冗談だよ」

「ホントに?」

「うん。だって、亜矢は冗談って言ってほしいんでしょ。じゃあ冗談」


 どこからどこまでが冗談なのかを告げない私はズルい。そんなこと分かってる。だけど、吐き出さなきゃ、体よりも先に心が壊れる気がして、私は抱えたくないものを亜矢に押し付けてしまった。

 罪悪感と重苦しい空気を誤摩化すように、笑って立ち上がる。なんで亜矢がそんな顔するんだ。私が変なことを考えて、私だけが悪いのに。トイレに行ってくると言おうと思ったけど、それよりも早く亜矢が言った。解けたかも、と。

 目を丸くして振り返って、亜矢の横顔を見る。嘘を言っている様子はなさそうだ。亜矢は私を見て、一つ確かめるように言った。


「まさかと思うけど、炭鉱の中、例えば事務局の中に隠したりしてないよね?」

「それはない。あんなところ子供の遊びで使ったらとんでもなく怒られるでしょ」


 というか、私達は冗談であそこに入っていいと思っていない。これは私と亜矢の話じゃなくて、ここの子供達の話。渡り廊下の前はなんだか仰々しくて、子供が入っていい場所じゃない空気を漂わせてる。亜矢の考えが空振りだったのは申し訳ないけど、もう一度考え直してもらうしかない。

 私が場所を覚えていればいいんだけど、たくさん木が植わってるところってことくらいしか覚えてないんだよね。ま、例え私が正解を覚えていたとしても、亜矢は聞きたがらないんだろうけど。なんて。そんな風に考えていたから、亜矢の返答は本当に意外だった。


「だよね。じゃあやっぱり解けたかも。行こ」

「……わ、分かった」


 これから、亜矢の言う場所に行って、さらにそこでお宝を探すらしい。いつ戻ってこれるか分からないと判断した私は、急いで用を済ませてから寄り合いを後にした。用を済ませて立ち上がる時に、意識がぶっ飛びそうになって壁に凭れたんだけど、それは黙っておいた。

 できればもう今日は沢谷のことを思い出したくなくて、用を足している間に一つあいつの明るい話題を思い出せたりしないかなって考えた結果、私は寄り合いを出ると同時に「沢谷、フレンズが十八番らしいよ」と言ってみた。亜矢はちょっと笑って「レベッカの?」と合わせてくれた。


 私達は炭山の北にある林を目指していた。団地の周囲はバリケードで囲われているけど、私の宝探しの地図はおそらくその範囲内だ。きっと到達できると思う。だというのに亜矢は何故か呆れた顔をしていて、時折暗い表情を見せた。

 最初は気付かないふりをしていたけど、段々と私を責めるようなものであるような気がしてきて、私は結局その視線の意味を訊いた。


「謎解きはもう一人つっかが居ないと繋がりが理解できないくらい強引も強引、隠してある場所も正気の沙汰とは思えない。それだけでも呆れてたけど」

「けど、何? っていうか隠し場所、そんなに変だった?」

「学校の教材室、普段鍵かかってるじゃん。こんなことでも起こらなかったら、入るの大変だったよ」


 話の腰を折ってしまった私の質問に答えた亜矢は、その視線を一層強める。言われてみればそうだった。小さい子が大きい定規とか地球儀で遊ぶからって、教材室には鍵が掛けられていた。

 なんでも、私達よりも上の学年の子達がそこで遊んで数針縫う怪我をしたとかなんとか。私がそこを隠し場所に選んだのは、クラス内で割り当てられた役割で、そこに頻繁に出入りできたから。本当に見つけさせる気がなくて笑えてきた。

 しかし、亜矢にはそんな隠し場所よりも許せないものがあるようだ。心当たりがまるで無かった私は、なんとなく嫌な予感を感じながら話を戻した。


「……他に、何に呆れてるの?」

「地図の外じゃん。隠し場所」

「え、そうだっけ?」

「はぁ? 覚えてないの?」


 詰問するような口調でそう言うと、亜矢はいつの間にかくしゃくしゃになってしまった私お手製の地図を広げた。その間も歩みは止まらない。亜矢の言う通り、地図の外まで歩いていかなければいけないとしたら、止まってる時間はないだろう。私は歩調を合わせながら地図を覗いた。


「マジで覚えてないんだよね」

「はぁー……まず、地図に番号が書いてあるの分かる?」

「分かんない」

「だよね。でも書いてあるんだよ。よく見て」


 私は亜矢の指差したところを見る。角度を変えると、地図の端に④と書いてあるように、見えなくもない。ただ紙の上には何も書かれていない。刻印のような跡がうっすらと付いているだけだ。そうしてすぐに思い出す。

 そうだわ、適当な紙の下に地図を置いて、ボールペンか何かで跡付けたわ。鉛筆で周りを塗り潰せば見えるかなと思って。よく見たら、この地図の左端と下の部分にはそんな仕掛けがいくつも施されていた。


「あぁー……こんなことしたわ……」

「いちいちムカつく反応してくれるわ、ホント」

「やぁ、ごめんって。それで?」

「で、この地図って、縦と横に線が入ってるでしょ」

「うん」


 それは見える。エリアで分割するみたいにして結構細かく縦と横に点線が走っている。多分、この線まで数字と同じように一目見て分からないようにしてたら、今頃私は亜矢に数回叩かれてたと思う。


「ズレてるのもあるけど、点線に数字が対応するようになってて、拾ってきた四つの数字を点として当てはめるんだよ」

「へぇー」

「これ、グラフなんだよ。で、今度は点の動きを見る。点の動き方に法則性あるの分かる?」

「あぁ。縦と横、倍々ゲームで増えてるね」

「うん。だから、五つ目の点が来るところに、何かあると思う」

「……どう考えても地図の外じゃない? それって」

「だから怒ってるんだよ!」


 亜矢は私の背中を片手でバンと叩いた。大して強い力じゃなかった筈なのに、私はよろけて前につんのめる。後ろから短い悲鳴が聞こえて、ここで転んだらマズいということを本能的に察知して、ギリッギリのところでなんとか踏ん張った。冗談じゃなく、いま思いきり力んだせいで、残り少ない寿命が縮んだ感じがする。それくらい本気で踏み留まった。だけど、私の仕事はまだ終わらない。


「ごめん、なんかスベったわ」

「ぁ……つっか、本当にへい」

「うん? 行こーよ」


 叩いた時の感触が妙だったんだと思う。亜矢は心配そうに私の名前を呼んだ。「平気なの?」って訊かれて「うん」って言っちゃったら嘘をついたことになるから、私はできるだけこれ以上亜矢に嘘をつきたくないから、自分の発言や誤摩化しが嘘になる前に動き出した。

 分かってる、このままだと亜矢はついてこない。だから私は言った。多分亜矢を釣れるであろう一言を。


「行こうよ。多分、亜矢の読みは当たってる。私覚えてるんだ。林っていうか森っていうか、とにかく炭鉱の入口よりも北の方に歩いてって埋めたって」


 信じられないことに、私が自分の作った宝探しの答えについて言及するのは、これが初めてだ。だって、細かい謎解きについては本当に覚えていなかったし……本気を出したら少しくらい思い出せそうな気はしたけど、思い出したところで、それを私が亜矢に教えるメリットが思い付かなかったから。

 よくわかんないけど、徐々にぼんやりとしてきた頭の中で、いっちょまえに亜矢に見つけて欲しいなんて、今時中学生でも思わないことを考えている。三年前の私はいいんだよ、今じゃないから今時じゃなくて。

 夕刻、日が傾いて風に揺れる樹々の音だけが響く。バリケードで団地を囲まれた今、自由にこの中と外を出入りできるのはきっと、風とそれに乗る鳥達くらいだろう。カァカァと鳴く黒い鳥を見ながらそんな事を考えた。


「何が埋まってるんだろ」

「大したもんじゃないよ」

「つっかは天の邪鬼だから、そういうこというときは大抵すごいものが入ってるよ」

「期待するとがっかりするかもよ」

「だってこの気合いの入りようだもん。先に埋めてから地図を作ろうとして、見つからなければいいのにって思ったんだよ」


 亜矢は驚くほど私の思考というか行動パターンを見抜いていた。その通りだ。当時、私は「好き」と馬鹿みたいに単純な言葉を書いた紙を入れた筒を埋めたあとに、地図を作ったと思う。なんだよ、好きって。しかも、便せんとかじゃなくてノートの切れ端に書いた気がする。色気ってものが無さすぎる。

 手持ち無沙汰なのか、亜矢は持って来たシャベルの土をぱらぱらと払いながら歩いていた。どうせこれから汚れるのに。きっと亜矢も落ち着かないんだ。


 背の高い草木をかき分けて林に向かう。あんまりにも鬱陶しいから、草苅り用の鎌でも持ってくればよかったと後悔してる。亜矢は苛立たしげに草の根本を踏み潰して呟いた。


「うっとーしー」

「あはは」

「何笑ってんの?」

「私も、鎌持ってくりゃ良かったって思ってたから」

「ふふ」


 そうしてやっと林の入口に辿り着いた。自分らの立ち位置を確認する為に振り返って、地図と見える景色とを見比べる。一番分かりやすかったのは団地や学校よりも、立坑のやぐらだ。

 赤錆びたそれは炭山やまが朽ち行こうとしている今も天を突き刺してしゃんと立っていて、それが心強くもあり、切なくもあった。彼が役割を果たすことは二度と無いだろうなんて大人達は言っていたけど、今こうして目印という道しるべになってくれている。まぁ、やっていることは子供の宝探しなんだけど。それでも、あと幾ばくかもない私達の命を削って執り行われる、人生の総決算だ。それももうじき終わる。


「ここ真直ぐ行った辺りかな」

「あんまり行き過ぎない方がいいよ」

「分かってるって。っていうかバリケードギリギリじゃない? これ」

「そだね。もしかしたらギリギリアウトかも」

「そのときはつっかを殴るから」

「えぇ」

「三発くらい」

「こっわ」


 大体の位置は分かっているとはいえ、その詳しい場所まではちょっと思い出せない。きっと亜矢にも分からないだろう。ホント、つくづく探させる気のない謎解きだな。

 私は亜矢がこちらに助けを求めてきたときのことを考えながら歩いていたけど、それは杞憂だった。


「……なんとなく、これな気がしない?」

「あぁー……そうだったかも」


 私達は大きな白樺の樹を見上げていた。呆けている時間はない。亜矢は最後にもう一度位置を確認すると地図を畳み、雑にポケットへとしまいこんだ。この場所がビンゴなら、あの地図はもう二度と誰かに見られることはないかもしれない。哀愁のようなものを感じつつ、近くの土の上に座り込んだ。おしりがひんやりして、ちょっと鳥肌が立った。


「……は?」

「え、何?」

「つっか、まさか見てるだけ?」

「これは亜矢の宝探しじゃん。私は補佐。オッケー?」

「……これで大したものじゃなかったら、マジで殴るから」

「最初から大したものじゃないって言ってるしょやね」


 亜矢はむすっとした顔で白樺の樹の根本を掘り返す。怒ってはいるけど、私が手を貸さないということについては了承したらしく、こちらを振り向くことはなかった。

 私は時折頑張れーとか暗くなる前に見つけてねーとか、亜矢からしたら腹が立つであろう言葉ばかり投げ掛けて、その時を待つ。


「あぁもう」

「ごめんって」

「三年前のつっかも連れてきて一緒に謝ってくれないと許せない」

「無茶言わないでよ」


 いくら周りを掘っても出てこない。多分、そんなに深くは掘ってないと思うんだけど。要するにハズレなんだ。だけど、あの謎解きが間違っていたとは思えなかった。

 陽が落ちてきてるけど、懐中電灯なんて装備は持ち合わせていない。流石に焦ってきた私は、身体がかなりかったけど、立ち上がって周囲を見渡した。本当に、小憎たらしいんだけど、少し離れた白樺の樹の根本の異変に気付いた。


「ねぇ、亜矢」

「なに」

「怒んないでよ。あれ見て」

「っはぁー……」


 これでもかってくらいうざったそうに顔を上げた亜矢だったけど、近くにあった白い何かを視界に納めると、ぴたっと動きを止めた。


「……なに、あれ」

「……多分だけど、ビニール袋だね」


 樹の根元からはビニール袋の取っ手のようなものが見えていた。コンビニやスーパーで貰える何の変哲もない白いやつ。

 亜矢は嬉しそうな顔をして駈け寄るけど、私は違和感に硬直していた。何かを埋めたことは覚えている。だけど、私の気持ちをしたためたこっ恥ずかしいノートの切れ端は、ビニールになんて包んでいない気がする。

 記憶が上手く出てこない。元々適当な性格だったし、ガスの影響でそうなることもあるのは知ってるから、あんまり気にしないけど。

 とにかく、私の隠したっぽい何かが見つかって、亜矢はそれを喜んでいる。もう、それでいいじゃん。何を難しく考えているんだろう。


「どう?」

「これ、引っ張って大丈夫かな」


 そう言いつつも、亜矢は既に袋の端を引っ張っていた。心臓がこれでもかってくらいドキドキしてる。彼女がそれを見つけるってことは、数年前の私の気持ちと対面するってことで。

 私が亜矢の身体を求めた時、亜矢はノリでそういうこと言うのやめてって、泣きそうな顔で言った。私が思っていたよりも、物事って順番が大事なんだなって、そのときに気付いた。後から「前から好きだった」なんて言っても、信じてもらえないに決まってるのに。そんなの、身体を許してもらうために必死に嘘をついてる馬鹿にしか見えない。

 私は好きだなんて伝えてないから、そういう類いの馬鹿になることはなんとか避けられたけど……それって、本当に好きだったって気持ちを伝える手段を失ってしまう類いの馬鹿になっただけだ。ずっとそう思ってた。でも、これが終われば。もう一度だけ。触れたいなんて言わないから、せめて亜矢と向き合うチャンスが欲しい。うそ、できれば触れたい、望み薄だけど。


 引っ張ったビニール袋の中には、何かが入っていた。亜矢が土の上に袋を置いたので、二人で覗き込む。袋の中には筒が入っていた。アポロチョコの。ぽんと小気味良い音を立てて蓋を取る。中には丸められた紙が入っているらしく、亜矢は指を突っ込みながら難しい顔をしている。それさ、私のち、いいや、やめよう。マジで洒落になんない。


「取れないんだけど」

「……そりゃ、三年も放置されることを想定してないからね」

「ったく。あんなめちゃくちゃな謎解き考えておいて、むしろ三年で見つけてもらえたことを感謝しろっつの」

「あはは、言えてる」


 私が笑ったのを合図にしたみたいに、中に納められていた紙が結構な勢いで抜ける。どうやら底面に張り付いていたようだ。いや、私のことだから液体のりを流し込んでから紙を入れたのかも。全く記憶に無いけど、そもそもアポロチョコの筒に入れたことも忘れていたくらいだから全然有り得る。

 亜矢はやっとの思いで抜き取ったそれを、破けたりしないように慎重に開く。私はというと、恥ずかしいから見たくない気持ちを抱えつつ、ちゃんと文字が読める状態で残っているのかが気になって、結局後ろから覗き込んでいた。


 紙を開ききって中を確認して。一拍置いてから、私達は笑い転げた。本当に立っていられなくなって、二人で土の上に転がって大の字になる。


「やっばい、まだ面白い。はははは」

「ったく、どんだけだよ」


 私が自分のノートの切れ端を隠した時の記憶と、現実が異なる理由は簡単だった。多分、私の記憶は間違っていない。透明のビンに入れて、土を掘って隠した。要するに途中が抜けてたってこと。


「もう一枚あったのは私も完全に忘れてたわ」


 そう、中にはもう一つ地図が入っていた。端の方に、新たな謎解きが添えられている。おそらくこれを解けばやっとビンが埋められている場所に辿り着けるのだろう。


「あーあ、笑い過ぎて動けない」

「私も」


 多分、亜矢は嘘を吐いている。だから私も同調した。私達が動けない理由は、その場に転がるしかなかった理由は、きっと笑い過ぎたからなんかじゃない。


「……ねぇ亜矢、何が隠されてたか、知りたい?」


 笑い声でかき消されてもおかしくないくらい、小さい声で言ってみる。勇気を振り絞ったのに、亜矢は聞きたくないと即答した。人の好意を無下にするなんて、酷い奴だとまた笑う。


「自分で見つけたいもん。絶対言わないでね」

「はは……分かった」


 動けないくせに。起き上がって探し回れるかなんて分からないのに、というか多分無理なのに。亜矢がやけに凛とした声でそう言うから、何も言えなくなった。

 結局、宝探しをしたことで、私は彼女に想いを伝えられない理由を増やしただけだ。心の底から滑稽で、悲しいはずなのに面白くてたまらない。鬱蒼と生い茂る木々の葉っぱを見上げて、私達は笑い続けた。

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