来ないのは朝と待ち人 Ⅲ

 事故発生直後に菱井グループの作業員が設けたバリケードは、団地からかなり離れていた。作業中の発覚を恐れただけだろうけど、そのお陰で私達が動き回れる土地は案外広かったりする。それが人間一人分、じわりじわりと触れてはいけない聖域へと変わっていく。敷地の端、つまりバリケード付近に、私達は遺体を埋めている。


 少しずつ狭くなっていく敷地、増えていく墓。見知った顔を見かけなくなったと思ったら死んでいた。最近はそんなことが多い。

 なんで私は死んでないんだろう。みんなの様子から察するに、私は多分、まだしばらく大丈夫だ。自分がそんなに長生きできるだなんて思っていないけど、ここに残った最後の一人は、どんな気持ちで最期を迎えるんだろう。たまにそんなことを考える。


 雑貨屋の栗山さんと、元炭鉱作業員の雨竜さんとで、遺体を埋めるように申し付けられたのは昼過ぎのことだ。代田と呼ばれていた、物資捜索の当番の時に、建物の入口でべろべろに酔っぱらっていたあの人が亡くなったらしい。

 作業が難航したり不測の事態が起こることも考慮して、私は一旦部屋に戻った。そうして作業着の上に薄いパーカーという、なんともアンバランスな出で立ちで待ち合わせ場所に向かっている。もちろん、長靴に履き替えることも忘れていない。


 埋葬する人物の名前は、実を言うとなんとなく予想がついていた。長くないって、思ってたから。二号棟一階の広場に到着すると、私は自分がビリだったことを知る。正確に時間を決めてはいなかったけど、年下のくせに最後にやってくるのはなんとなく決まりが悪い。

 様子を窺うように栗山さんを見てみると、私が遅れてきたことなどどうでも良かったらしく、代田さんの表情にただ安堵しているようだった。釣られるようにして見ると、いい夢を見ていそうな彼の顔はとても安らかだった。

 最初の爆発で亡くなった人達はきっと例外だけど、ガスの影響で死ぬ人達はみんなこんな風に、ほっとしたような顔をしている。こうやって何度も人の死を目の当たりにして、優しげな死に顔を見ると、どんどんと死への恐怖心が薄らいでいく気がする。いや、私は死というものを、まだ理解していないだけかも。もしくは、自分も同じように穏やかな死を迎えることが出来ると信じたいだけだったり。


「最近は何言ってるかわかんないくらい、酔ってばかりだったもんね」

「うん。お店に来たときもね、外にかけてあったヘルメット、勝手に被ってどっか行こうとしたんだよ」

「なにそれ、面白いね」

「多分、元々悪い人じゃなかったんだよ。あのとき、この人笑ってた」

「そっか」


 私達が話している間、雨竜さんは大きな身体を屈めて、黙々とブルーシートを広げていた。栗山さんも結構背が高いはずなんだけど、雨竜さんと並ぶと普通に見える。

 立ち上がった雨竜さんは長い前髪をうざったそうにかきあげた。彼女はこの炭山やまじゃ珍しい女性の炭坑作業員で、団地の中ではちょっとした有名人だった。

 以前は髪を後ろで束ねてたんだけど、最近は下ろしてるようだ。想像していたよりもずっと髪が長くて、初めて見たときはビックリした。彫りの深い顔を見ると、南米の方の血が少し混じってるって言われても信じてしまいそうだ。間違いなく美人なはずなのに、カッコいいという印象が先に来る人、それが雨竜さんだ。

 カーキ色した半袖のシャツから見える二の腕はとても引き締まっていて、自分のと見比べると凹むだろうから、ちょっと隣に並びたくない。


 私は彼女とほとんど面識が無い。一方的に知っているだけだ。勝手にクールな人だと思っているけど、知らない子達が「雨竜さんに話しかけたいけど怖い」なんて言ってるのを聞いたことがあるから、勝手にそう思ってるだけかも。

 今も私達が雑談してる間に準備してくれたし。もしかしたら怒らせちゃってるかな。


「あ、ごめんなさい、私達も」

「いい。遺体に触るのは私だけで十分だ」

「て、手伝います!」

「……したっけ、足を持って」


 雨竜さんは、壁に背をついて座る格好だった代田さんを少し動かすと、脇の下から手を入れて持ち上げた。私一人で両足を持とうと思ったんだけど、栗山さんがすぐ横についてきたので、片方ずつ持つことにした。脚だけなのにすごく重い。

 せーので遺体をブルーシートに乗せると、すぐに墓地まで運ぶ為の準備をした。雨竜さんから手渡された軍手は私の手には大分大きく、指の先がへにゃっと折れ曲がっている。大体の軍手はこうなるからあまり気にしないけど、これが雨竜さんの手にはちょうどいいんだろうか、なんて考えると不思議な気持ちになった。道具はスコップのみというシンプルな装備だ。


 墓地へと向かう途中、私か栗山さんがスコップを持って、二人体制で代田さんを運んでいたけど、どう考えても雨竜さんの負担が大きい気がする。それが顔に出ていたんだと思う。


「私は慣れてる。気にすんな」


 こんな言い方は失礼かもしれないけど、彼女は想像以上に優しかった。前を見て、大きな石や木の枝に注意を払いつつ、代田さんが傷付かないように道を選んで、ブルーシートの端を引っ張っている。

 大して力になれないことを謝るべきだったのに。私はどうしても彼女が言った言葉の真意が気になった。


「どういう……?」

「遺体を埋める当番しかしていない。ろくに料理もできないし、掃除するってのも性に合わないし。ガスの影響か、早く起きられないことが多いから物資捜索の当番も勤まりそうもない。だからみんなが嫌がるこの当番を買って出た」

「そう、だったんだ……」

「この代田という男性だって一人で埋めると言ったんだけど。手伝いがいた方がいいだろうと、通りすがった奴がお前たちに声を掛けたんだ」

「あー……」

「やいや、私は悲観してるワケじゃない。体を動かしてる方が、色々と忘れられる。というか、悪いのは二人じゃなくて、お前達に声を掛けた奴だろ。私のことを女だと思っていないらしいことがはっきりしたな」

「そ、そんな」

「今のは笑うところだ」


 雨竜さんは私の暗い声色を聞くと、フォローするようにそう言って笑った。斜めに振り返る横顔から八重歯がちらりと見える。やっぱり悪い人じゃない。それが妙に嬉しかった。


「最近は、私の仕事が減ってきてる」

「人はどんどん減っていってると思いますけど」

「それと埋めるってのはイコールじゃない」

「私も。それは感じてた」


 雨竜さんの言葉に、栗山さんはすぐに続けた。私は、彼女達が何が言いたいのかをやっと理解して口を開く。


「……つまり、家の中で最期を迎える人が増えたってこと?」

「そそ」


 栗山さんは軽い調子で返事をする。人の生き死にについて、こんな風に淡々と話せる私達はどこかおかしいのかもしれない。雨竜さんも私と同じように思ったのかも。彼女は話題を切り上げるように、晴れてて良かったなと呟いた。


 敷地の端。すぐ近くに、高い高い壁が見える。これが私達と外とを遮断している。噂によると、真上には高圧電流が流れてるらしい。あと二重になってるってのも聞いた事がある。どちらも事実だとすると、絶対に外に出さないという強い意志を感じさせる設計だ。

 時折その壁を見つめながら、既に埋められた遺体を掘り起こさないようにしながら、私達はスコップを振るった。

 雨竜さんがぽつりと呟いたのは、代田さんを地中に置いて土をかけて、彼の姿が見えなくなる頃だった。


「私の妹もここに埋まっている」

「え……」

「何も珍しい話じゃない。父はあの坑道の中にいるしな」

「他にご家族は?」

「居ない。母がいたけど、事故後に病死した」


 ガスの影響で死んでいく人が多い中、それ以外の理由で死ぬ人だっている。診療所のお医者さんは運悪く最初の事故に巻き込まれて死んでしまっているから、一度重篤な病気や発作が起これば、大体は助からない。

 雨竜さんの唐突な身の上話に、気の毒に思いつつも手を動かす。それくらいしかできることがなかったから。居たたまれなくなったから、作業に逃げた。今なら、雨竜さんがこの役割を買って出たことを、少しだけ理解できる気がした。


 こうして、代田さんは地中に眠り、愛内団地の聖域が一人分広くなった。墓標として、倉庫に山程あったというコールピックの先端工具を刺す。大量に人が亡くなることを想定して、それを持ち出した雨竜さんはどんな気持ちだったのだろう。

 あれから一年が過ぎて、この区画は随分と大きくなった。心の割合のほとんどを占めていた筈の両親の死は、時間の経過と共に小さくなっていく。事故当時は空元気や強がりで笑うことすらできなかったのに。


 みんなはそれを立ち直っただとか強くなっただとか、前向きに言い表してくれるし、私もずっとそう思おうとしてきた。だけど、大切な人が亡くなった。そう語る雨竜さんの横顔を見て、やっと分かった。

 悲痛な表情を浮かべている雨竜さんがどこか羨ましくすら思えて……それは多分、時が経っても色褪せない誰かへの思いを、周囲に流されずに持ち続けてきたからなんだと気付く。それを本人に伝えたりはしないけど。いくら私が世間知らずでも、この歪んだ憧れが、口にしていい類いの物ではないことは分かる。


 雨竜さんの「帰ろう」という言葉を合図に振り向くと、夕陽が私達の視界を赤く飛ばした。光源から目を逸らしながら、私達三人は互いに歩調を合わせて進む。

 しばらく歩いてから振り返ると、視線の遠く向こうに墓地聖域が見えた。使い古された筈のコールピックのパーツが、夕陽に照らされて新品のように光っている。


 この区画が広くなるほど、私の心の中の聖域が、どんどん狭くなっていく。そんな予感を抱きながらも、今はささやかな祈りを捧げることしか出来ない。


 どうか消えないで。少しでいいから残っていて。

 それが無理だと言うのなら、その前に安らかに死んでしまいたい。


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