モクモク
@hatomugi_x
黙々
肌を刺すような冷たい風で、目を覚ます。今日はいつにも増して寒い。このボロ小屋もそろそろ限界か、最近隙間風が酷くなってきた。
それに、金をケチって安い布切れを布団がわりにしたのは間違いだったな。次からは気をつけよう。
上体を起こし、すぐ横にあるベッドを見やる。レンは案の定まだ起きていない。俺が冷たい床で寝てたというのに、薄情な奴だ。
立ち上がり、ベッドに近づく。デカい幼虫のようになった布団を引っ剥がし、幸せそうな顔で丸くなっている女の額を二度、指で軽く叩く。
女が目を開ける。とろんとしたその目がこちらを向いた事を確認し、俺はこめかみ辺りに持ってきた拳を軽く振り下ろす。
【おはよう】
それを見たレンも、同じ動作を返す。「手話」と呼ばれるハンドシグナルの一種で、俺が教えたものだ。
【俺は今から水を汲みに行く。お前は布団を上げたら朝飯の支度をしとけ。いいな?】
いつものように、身振り手振りでそう伝える。レンは目をこすりながら、親指をグッと立てた。『了解』という意味だ。
上着を羽織り、水瓶を担いで井戸へと向かう。寒さからか、足元の草花には霜が降りていた。
——————
五年ほど前、俺は森の中でゴロツキ共に襲われている女を見かけた。それを見過ごすほど薄情な男ではないので、襲っていた連中を皆殺しにしてやった、までは良かった。だが、そこで俺はとある違和感に気付いた。
女の声が、しないのだ。
今まさに"自分の目の前で人が殺された"というのに。
思えば、襲われてる時も女の悲鳴は全く聞こえなかった。口を塞がれていたとしても呻き声の一つぐらいは上げられるはずだ。
ふと女の方に目をやると、女もこちらを見つめていた。歳の頃は十六ぐらいか。髪はボサボサで服も薄汚れているが、よく見ると目鼻立ちはハッキリしており、綺麗な顔立ちをしている。襲われるのも無理はない。
さて困った。意思疎通を図ろうにも、俺は昔喉を切り裂かれたせいで声が出ない。それに頼みの綱の手話も挨拶だけしか出来ないときている。こんな事ならあの倭国人にちゃんと習っておくんだった。
俺は取り敢えず女に近付き、唯一覚えている手話を試してみた。
【おはよう】
反応は、無い。まあ想定の範囲内だ。次は、持っていたナイフで地面に文字を書いてみる。
『俺は喋れない。お前もそうなのか?』
女は頷く。
『自分の名前が書けるか?』
首を横に振る。どうやら字は読めるが書く事は出来ないらしい。別に珍しい話ではない。
『家族は居るのか?』
頷く。
『家を追い出されたのか?』
頷く。
『行くアテが無いなら、俺と来るか?』
単なる気まぐれだ。同じ境遇の者に対する憐れみだとか、同情心だとか、そんなものでは断じてない。
女は一瞬こちらを見上げると、地面の文字と俺の顔とを交互に何度も確認し、そして、頷いた。
『分かった。じゃあ付いて来い。俺は「セン」だ。よろしくな。』
帰る途中、この女を何と呼べばいいのかという事が気になったが、呼び合う機会も無さそうなので深く考えない事にした。取り敢えず当面の間は… "サイレント"から取って「レン」、そう呼ぶ事にしよう。
———————
水汲みから戻ると、レンは既に朝支度を済ませたようで椅子に座っていた。
入り口に水瓶を下ろし、上着を脱ぎながら彼女の方に向かう。そして肩を二回、ポンポンと叩いた。
レンが、背後の俺を振り返る。
彼女は"喋れない"だけでなく"聴こえない"らしい。だから、彼女に何か伝えたい事がある時はまず身体に触れる必要がある。
ちなみに額を指で二回叩くのは『起きろ』、肩を二回叩くのは『こっちを見ろ』という意味だ。
【先に食べてても良かったんだぞ?】
後はいつも通り身振り手振りで伝える。動きで表現できない事柄は紙に書いて伝えている。時間はかかるが確実な手段だ。
するとレンは自分と俺を交互に指差し、今の俺の動きを真似した。
【一緒に食べたい】
多分そういう事だろう。彼女は意外と可愛い所がある。
向かい合う形で椅子に座り、両掌を合わせる。今日の朝飯はオムレツか。うん、美味い。レンは最近料理がグンと上手くなった。隠れて練習でもしてるのだろうか。
俺は人差し指と親指の先をくっつける。『美味しい』とか『食える』とかそういう意味だ。
おお、笑った。こんなにニヤニヤしてるのは、街でエプロンを買ってやった時以来じゃないか?一緒に食べたいっていうのも、俺の反応が見たかったからか。うん、向上心があるのは良い事だ。
すると、オムレツの上に何か調味料がかかっている事に気が付いた。マルの上の方がひしゃげたような形をしていたが、気にせず食べる。きっと失敗したんだろう。
何故か、レンが口を開けたままこちらを見つめていた。ど…どうした?財布でも落としたような顔をして、もしや俺に失敗を気付かれたからショックを受けてるのか?
いかん。自身を取り戻させなくては。
『美味い』
睨まれた。違う、そうじゃないとでも言いたげな顔だった。止めろ、そんな目で俺を見ないでくれ。あ、膨れっ面。珍しい。
その日は、何故かずっと空気がヒリヒリしていた。
【じゃあ、頼んだぞ。余った金は好きに使っていいからな。】
レンに紙を渡す。先程伝えた事が一通り書いてあるメモだ。
『行ってらっしゃい』
掌を向ける。
『行って来ます』
同じように掌を向けた彼女は、カゴを片手に街へと出掛けていった。
買い出しはレンの仕事だ。『何をいくつ買いたいのか』が書かれたメモはちゃんと渡してある。いざとなればそれを見せればいい。それに、行かせるのは知り合いの商人の店だけだ。事情はちゃんと話してあるから、余程のことが無い限り大丈夫な筈だ。現に、レンはこれまで一度も失敗した事が無い。
さて、火種でも集めて来るか。何もしないで待つのは流石に悪いからな。
(二時間後)
遅い。流石に遅すぎる。
ここから街まで片道せいぜい十分、いつもなら一時間もすれば帰ってくる筈だ。まさか、何かあったのか…?
意味もなく部屋をウロウロする。
これは、迎えに行くべきだろうかよし行こう。
俺が上着を手に取った瞬間、玄関の扉が開いた。そこにはレンと、お得意先の商人、ロンメルダが立っていた。
【何でお前がレンと居るんだよ】
「いやいや、彼女とお喋りしてたら遅くなってしまってね。こうして家まで送り届けたという訳さ。」
ロンメルダ…ロンとは、子供の時からの付き合いだ。俺が喋れなくなってからは専らコミュニケーション相手になってくれて、今では身振り手振りだけで俺の言いたい事がほぼ分かるレベルにまで達していた。正直な話、若干気持ち悪い。
【お喋りだぁ?レンに変な事してないだろうな】
「失礼な。知っての通り、僕は紳士だぞ?」
俺とロンのやりとりを見てオロオロするレン。それを見て、俺はやり忘れていた事に気が付いた。
親指を額につけるように手を挙げる。レンも同じように返す。
『お帰り』
『ただいま』
見つめあって微笑む俺とレン、そして
「仲が良いねぇ…」
ニヤニヤするロン。いいからさっさと帰れお前。
「そんなに睨まないでくれ、泣いてしまうぞ。あ、そうだセン。君何日か前の朝食でオムレツを食べただろう?」
頷く。
「何か、かかってなかったかい?」
【ああ、トマリを潰して作る調味料だろ?あのちょっと酸味があるやつ。】
「…何か、気付いた事は?」
【かけるのに失敗したんだと思うけど、ひしゃげたマルみたいになってたな。】
「…」
深刻な目でこちらを見つめるロン。お前までそういう目をするのか。
「…分かった。取り敢えず、センにはこれを渡しておこう。じゃあ、僕は帰るよ。」
ロンは何故か俺に本を渡すと、特に何を言う訳でもなく帰っていった。帰り際、こちらに向かってロンが拳を握り、それを見たレンが親指を立てた、ような気がした。
翌日、俺はロンから貰った本に目を通していた。どうやらトランプに関する本らしい。パラパラとページをめくっていると、不意に手が止まった。そこには"ハートマーク"が書かれていた。
俺は黙って立ち上がると、ベッドの上で料理本を読み耽るレンの元へと向かった。いつの間に買ったんだそんなの。
肩を二回叩く。
【この前のオムレツに書いてあったのって、これ?】
レンが頷く。少し頬が赤くなっている。
つまりこれは
そういう、事なのか?
戸惑う俺をよそに、レンが懐から何かを取り出し、恥ずかしそうに俺に手渡してきた。便箋、だろうか。
広げると、そこには不恰好で、お世辞にも綺麗とは言えない、とても大きな文字で
『センへ、いつもありがとう。』
そして小さい文字で
『大好き』
そう、書かれていた。
気付けば、二人とも顔が真っ赤になっていた。
お互いに目を合わせようとしているのに、反発するかのように視線が泳いでしまう。
自分の頬を叩く。しっかりしろ、男だろお前は。
【待っててくれ】
少し考えた俺はレンにそう伝えると、猛スピードで街の方へと走って行った。
———————
『ただいま』
『お帰り』
レンがこちらを見ている事を確認した俺は、息を切らしながら身体を動かす。
【本当は、もっと金が貯まってからにするつもりだったんだ。】
これからは、もっと安い物で我慢しよう。
【でも。俺は今伝えたい。】
これからは、もっとレンの事を見てやろう。
だから
『好きだ 俺と結婚してくれないか』
差し出したのはそう書かれた便箋と、銀の指輪。前々からロンに用意して貰っていたものだ。
あ、あれ…?反応が無い。俺は恐る恐る、レンの顔へと目を向けた。すると
彼女は、泣いていた。
それは、五年間一緒に過ごした中で初めて見せた顔で——
大粒の涙を流しながら笑顔を作ろうとする彼女は、とても健気で——
視線が合う。今度は逃げない。
【レン、これが俺の答えだ。お前の返事を聞かせて欲しい。】
窓の外に沈む夕陽が見える。
オレンジ色の光を身体に浴びながら
目を細め、そっと微笑み、そして
彼女はグッと、親指を立てた。
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