悪魔からの贈り物

つばきとよたろう

第1話

「どうやら、お楽しみのところを、襲われたみたいですね」

 警部は屈み込んで、玄関口の植木鉢を動かした。

「あっ、鍵ならここに」

 体格のいい制服の警官が、ズボンのポケットをまさぐって、表の扉を開いた。室内は、どこにも荒らされた形跡は無かった。犯人は、真っ直ぐにバスルームに向かって、若い男女を惨殺したのだ。

「斧のような物で、ぐさりと肩口から真っ二つに切り裂かれていました。背後から、狙われたようです」

 警部はバスルームを覗き込んで、口に木綿のハンカチを当てた。シャワーカーテンが、大型のシュレッダーに掛けられたみたいに、無残に引き裂かれている。その所々に、黒い染みが飛び散っていた。

「被害者は、皆まだ学生だったと聞くが」

「ええ。全員、近くの大学に通う学生ですね。それも同じ学校の」

「うー、それじゃあ。被害者には、接点があったと言うことだね」

「恐らくは、地元の警察でも顔見知りの犯行だと、既に断定しています」

 警部は、不愉快な物を見付けたように、すぐにそこを飛び出した。

「同一人物の犯行なのかね?」

「ええ、そう見ています。凶器も一致していますし」

 警部は、足早に廊下を歩き始めた。警官は巨体を揺らし、急いで警部を追い掛けた。体が大きい分、後れを取ったようだった。

「警部、もうここは宜しいですか?」

「ああ、ありがとう。ここが三件目だったね」

「はい、そうです。それじゃあ、次の犯行現場を案内します」

 警官は、腕時計をちらりと確かめた。それから、ここへ来たパトカーに乗り込んだ。

「次はどこかね?」

 警部は頭を下げて、助手席に腰を下ろしながら尋ねた。

「あ、はい。ここから、車で十五分掛かります。繁華街の公園ですね。繁華街と言っても、小さな町ですから大したことありませんが」

 警官はハンドルを回して、パトカーを車道へ戻した。閑静な住宅地の通りを、パトカーがもどかしそうに走った。


「警部も、如何ですか?」

「いや結構。私に構わず、遠慮なく食ってくれ」

「それじゃあ、お言葉に甘えて」

 警官は、近くのファーストフード店で買ってきた紙袋から、フライドポテトを二三本摘まみ出しては頬張った。

「あっ、ここです。ここが最初に起きた、殺人現場です。すっかり奇麗になってますが、当時は悲惨なものでした。辺り一面、血の海でしたね。その海の中で、男女がこれから海水浴でもしようって格好で発見されましたから」

 まだ新しい御影石のベンチが、黒々と光って見える。警部は、しばらく公園内を散策した。

「被害者は、どちらも即死だったと検視にはあるが」

「はい、そうです。青年の方は、ズボンもパンツも膝まで下ろしていたし、女の子の方も下着をはいていませんでしたからね。これからってところを襲われたようです」

 警官は、相変わらず自分の食欲を満たすために、ムシャムシャとポテトを齧っていた。警部は、それをじっと見詰めた。

「如何です?」

「ああ。一本、頂くよ」

 警部は、差し出された紙袋に手を入れ、ポテトを一本取り出すと、軽く礼を言って、話を続けた。

「これからってところで」

 警部は無表情のまま、手にしたポテトを直立させて見せた。警官はそれには笑いもせずに、また紙袋に手を突っ込んだ。

「目撃者は居なかったのかね?」

「ええ、今のところは」

「うーん。案外、中まで入ると、植木に囲まれて、外からは見えないものだね」

 警部は、手にしたポテトを持て余すように口へ入れた。

「これは、塩っぱいね!」

 警部は顔をしかめて、警官を見た。

「そうですか。僕には、ちょうどいい塩梅ですが」

 警官は、そう言って、確かめるように口をムシャムシャさせた。

「そう言えば、二件目の被害者は、命は助かったそうじゃないか。その子は、どうなんだ?」

 警部は、ハンカチを手にして、指に付いたべとべとの塩と油を、忌々しそうに拭き取っている。が、何度拭いても拭えなかった。

「あれが助かった、と言える状態か分かりませんがね。彼女からは、とても話を聞くことはできないでしょう。それほど、悲惨な状態でしたからね。二件目の現場に行ってみますか?」

 警部はしばらく目を閉じて、思案するようにした。

「ここから、どのくらい掛かる?」

「ええ?  あー、車で三十分てところですかね」

「そう言えば、君が二件目の現場に駆け付けたと聞いているが」

「はい、そうです。通報を受け、たまたま付近をパトロールしていた、私が現場に急行しました」

「それで、誰が通報してきたんだね。隣の住人だそうです。女の子の悲鳴や、物を叩き壊す音を聞いたそうです」

「君自身はどうかね? もっとも既に犯人は、第三の犯行を行っていたところだろうが」

「ええ、おっしゃる通りです。そこから、次の犯行現場までは、どんなに急いでも四十分以上は掛かりますからね。当然、逃げた後でした」

「うーん、なるほど。それで助かった女の子は、今どこに居るのかね?」

「この近くの病院です。行っても無駄と思いますが」

 警部は、またしばらく考え込んでから、思い出したように言った。

「近くなら見舞いがてら、行ってみよう」

「そうですか。分かりました」


「女の子の病室は、分かったかね」

「ええ、私が知っています。こちらです」

 警官に連れられ、警部は病室へ向かった。院内は午後とあって、患者の往来も少なかった。そこを巨体の警官が通るから、気弱な患者は慌てて道を譲った。

「何だか我々は、場違いな気がしますが。あっ、ここです」

 長い廊下のある扉の前に来て、警官は迷いもなく足を止めた。

「ここかね」

「いいんですか。勝手に入っちゃって」

 警部は、多少後ろめたいような表情を浮かべ、静に扉を少し開いた。

「本当にここかね?」

「ええ、間違いありません。どうかしましたか?」

「誰も居ないようだが……」

「あっ、本当だ。もぬけの殻だ。おかしいですね。どこへ行ったんだろう」

 警部は更に扉を開いて、そっと病室へ忍び込んだ。その途端に、誰かが行き成り近づいて、何かを振り下ろした。ゴンと鈍い音がして、警部が床に倒れた。女の子が、松葉杖の柄を再び振り上げた。ところが、警官を見ると、その手を下ろした。

「どうして、こんな事をしたんだ?」

 警官は、床に倒れた警部の顔を覗き込んだ。

「お巡りさんが、疑われていると思って」

「いいんだ。私なんかは、疑われても仕方ないことを、実際にやってしまったんだからね」

「でも」

 パジャマ姿の女の子は、小さく呟いた。

「あ、痛たたた!」

 床に倒れた警部が、うめき声を上げて、頭を起こした。

「この人、生きてる」

「だから、もういいんだ!」

 警官は、女の子が再び松葉杖を手に、警部の頭を狙うのを制した。警部は、その間にようやく体を起こして、打たれた所を手でさすった。小さなこぶができている。

「大丈夫ですか、警部」

 警部は頭を振って、目をしばたたいた。それで、ようやく意識がはっきりしてきた。

「はは、行き成り殴られるとは、思わなかったよ」

「どうやら、警部は既に犯人が分かっているようですね。いつからなんです?」

 警官は、警部に手を差し伸べると、軽々と立ち上がらせた。

「いつからだって? 最初からだよ!」

 警部は、まだ後頭部を押さえながら、ぶっきらぼうに言った。

「でも、どうして? 私には完璧なアリバイがあったはずです」

「完璧な犯罪など、どこにも有りはしない。それに、君が証明して見せたじゃないか」

「私が?」

「そう。君がね。ここに来る前に、私を案内してくれた」

 警部は、警官をじっと見た。大きな顔に、子供用の帽子を被っているみたいだった。

「ええ、犯行現場を。それが、どうかしましたか?」

「その時、君は三件目の現場から、最初の現場へ向かった。二件目を飛ばしたんだね」

「それは、単に場所と時間の問題で、そっちの方が近かったからです。それのどこが問題なんですか?」

「そこなんだ。普通なら、一件目と三件目が正しい順番のはずだ。それをわざわざ二件目を挟んで、三件目の犯行現場に向かうのは、自然の流れではないんだよ」

「詰まり警部は、犯行の順番が違うと」

「そう。事件の発端は、君が言う二番目の事件だっただよ。恐らく君は、偶然にも現場を通りかかった。通報を受ける前にね。あるいは、通報したのは君かもしれない。しかし、その時には、君は既にその現場を離れていた。そして、最初の犯行現場に向かった」

 その時、携帯が驚くほどの音量で鳴って、警部が電話に出た。彼は、しばらく電話の声に耳を傾けていたが、分かったと答えて携帯を懐へしまった。

「どうかしましたか?」

 警官は、そわそわして、黙ったままの警部に返事を促した。警部は、煙草の煙を吐き出すみたいに溜息を吐いた。

「どうやら、君の乗ったパトカーがその時間帯に、目撃されるはずのない場所の、監視カメラの映像で確認されたよ」

「そうですか」

 警官も深い溜息を漏らして、白いハンカチで、額の大粒の汗を拭った。

「どうしてなんだい?」

「ええ、私は許せなかったんですよ。あれだけ酷いことして、平気で楽しんでいる奴らがね。全く自慢話のようでした。反吐が出る」

「しかし、君のしたことも、彼らと変わらないじゃないかね。それとも、君は神になったつもりで居るのかね」

「そうじゃない。神様が彼らに罰を与えるなら、私はこんな恐ろしいことはしなかった。だが、私も報いを受けるべきと言うなら、それは当然です」

「どうやら、観念したようだね」

「警部、一つお願いがあります」

「何だね?」

「先ほどの彼女の暴行は、見逃してもらえますか?」

「はは、こう見えても私は石頭でね。あのくらいは何ともないんだよ」

「ありがとうございます」

 警官は、微笑を浮かべると、突然と拳銃を手にし、自分のこめかみに向けて撃った。犯人の警官は即死した。被害者の女の子は、衝撃のあまり、事件の記憶を全て失ってしまった。私は、それは神様というより、悪魔からの贈り物に思えて仕方がなかった。

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