2番目の特等席

宮条 優樹

2番目の特等席




『高等部第三学年

 二学期中間試験結果


 首席 三年一組 若林沙希わかばやしさき


 次席 三年一組 神崎美薗かんざきみその


 ――――』


 三年の教室の並ぶ校舎の中。

 掲示板に張り出されている名前の並びを見て、神崎美薗は唇の内側をかんだ。


 まだ朝のホームルームの時間には早い。

 わざわざいつもよりも登校時間を早めてきたのに、校舎の中にはもうたくさんの生徒の姿があった。

 浮ついた彼女たちの様子に、美薗は口の中が苦くなるのをこらえる。

 みんな、今日の朝一番に中間試験の結果が張り出されることを知っていた。

 一分でも早くその結果を知りたくて、誰もがわざと早い時間に登校してきているのだ。


 美薗と考えていることは同じだ。

 ただ、思っていることはまったく違う。

 美薗は、掲示板の周りに集まった彼女たちの、好奇心にきらめく子猫のような視線を懸命に無視した。

 彼女たちは、自分の順位を知りたがっているのではない。

 彼女たちが注目しているのはただ、首席と次席の名前だけだった。


「若林さんよ」


 不意に聞こえた声に、美薗の背がぴりっと緊張する。


「おはようございます、若林さん」

「沙希さん、おはよう」


 さざめきのようなあいさつの声が美薗の方へ近づいてくる。

 美薗はそちらを振り向かないよう、じっと掲示板をにらみつけていたが、


「おはよう、沙希さん。掲示板、もう見た?」

「まだ見てないわ。中間試験の結果、出ているの?」


 白々しいその声に、我慢できずに視線を向けてしまった。


 ブルーグレーの大人しい制服を着たクラスメイトに囲まれるようにして、若林沙希は美薗に向かって微笑んでいた。


「おはよう、美薗さん」

「……おはよう、若林さん」


 かろうじて、あいさつを返して、美薗は沙希のすました微笑みを見据える。

 沙希は微笑みのまま、小首をかしげた。

 白皙を縁取る髪が、さらりと音を立てる。


「美薗さんも早いのね。試験結果を見に来たの?」


 美薗が口を開くより先に、お節介な生徒が沙希にすり寄るようにして言う。


「沙希さんがまた首席よ。美薗さんが次席」

「やっぱりね。さすが沙希さん」

「美薗さんもすごいね。今回も次席なんて」

「それじゃあ、今回も“姫”が沙希さんで、“ナイト”は美薗さんね」

「お似合いのベストカップルだもの、当然ね」


 訳知り顔に次々と言われる台詞にとうとう耐えられず、美薗は振り切るように顔を背ける。


「待って、美薗さん。

教室に行くなら一緒に行きましょう」


 きびすを返しかけたところへ、沙希の声が追ってくる。

 それに続いて、


「そうよ、姫とナイトなんだから」

「ちゃんと姫君をエスコートしないと、ナイトさま」


 はやすような声が上がって美薗は憮然とした。

 悪意のないことが、質が悪い。


 さも当然のような顔をして、沙希は美薗のとなりに並んで歩き出す。

 周りの目がある。

 美薗は仕方なく沙希と肩を並べながら、右手に提げていたカバンを左肩にかけ直してささやかな抵抗とした。


 壁を作られたことに、気づいていないのか気にしていないのか、沙希は軽やかな足音を立てて廊下を歩きながら尋ねてくる。


「美薗さんは髪を伸ばさないの?」

「長いと、面倒だから」


 言葉短に、目線も合わせずに美薗は答えた。


 視界の端で、沙希の手が伸ばされるのが見えた。

 短く切りそろえた美薗の髪を、細い指先がくすぐるように触れる。


「きっと似合うと思うのに」


 目を合わせたくなくて、美薗は聞こえなかったふりをした。

 顔に出ていなければいいのに。

 そう思ったが、頭の奥がかっと熱くなっているのはごまかせなかった。


 姫とナイト。


 こっちの気も知らないで。


 美薗はまた唇をかむ。

 なんて馬鹿馬鹿しい慣習。




 中高一貫の私立女子高。

 生徒の間でだけのこの習わしは、学校設立に始まる伝統なのだと言われているが、本当かどうかは誰も知らない。

 それでも、それぞれの学年で、定期試験ごとにその首席と次席を、姫とナイトと呼んで、いわば公認カップルとして祭り上げることは、なぜか恒例イベントとして律儀に守られ現在まで続いている。


 美薗たちの代が、特にこのイベントに沸き立つのには理由がある。


 若林沙希と神崎美薗。

 二人はこれまで、首席、次席を他者に譲ったことがない。

 中等部での三年間、そして高等部に上がってからもずっと、沙希と美薗は定期試験で不動の首席次席として知れ渡っている。

 そもそもさかのぼれば、中等部入学試験から、美薗の上には沙希の名前があったのだ。


 美薗にとっては、因縁の相手。

 外野にとっては、格好の話題の元。


 更に、高等部最後のこの年に、とうとうクラスまで同じになってしまったのだから始末が悪い。

 何かにつけて、クラスメイトが沙希と自分をくっつけたがるのに、美薗はいい加減うんざりしていた。


 沙希は永遠の姫。

 美薗はその第一の騎士。

 そう期待され、持ち上げられることに苛立つ。


(どうせ私は、万年二番でしょうよ)


 ひねた気分で思いながらも、美薗は諦めていなかった。

 次こそは、沙希を次席に、自分が首席に。

 その決意で、今度の中間試験にも臨んだのだけど、結果は。




(なんで)


 昼休み、友達と机を合わせてランチボックスを広げながら、美薗は気分がささくれるのを隠しきれずにいた。

 またしても沙希が首席、自分は次席。

 今回こそ、自信があったのに。


「そんなにナイト呼ばわりが嫌なの?」


 おかずをつつきながら友達の一人が言う。


「それならちょっと手を抜いて、次席より下になるようにしてみたらいいのに」


 そういう問題じゃない。

 言ってみたけれど、今度は不思議そうな顔で返される。


「じゃあ、沙希さんのことが嫌い?」


 そういうことでも、ない。


 うまく説明できずに、美薗はサンドイッチをほおばる。

 もう定期試験は何度もない。

 このまま、自分たちは卒業してしまうんだろうか。

 最後まで沙希の後を追いかけるだけで。

 一度も沙希の前に出ることができずに、このまま。


「まあ、でも、大学でも試験はあるし。

挽回できる機会はまだまだ」


 ランチタイムの輪の中で一人がそう言うのに、別の一人が、いや、とさえぎって言った。


「沙希さん、外部進学らしいよ」


 えっ、と、思わず美薗の口から声がもれる。


「それ、ほんと?」

「本当だと思う。

取り巻きの子が前に言ってた。

うちの生徒、持ち上がりで大学も内部進学がほとんどだから、珍しいねっていう話を」


 話の途中で、美薗は耐えられずに席を立った。

 怪訝そうに声をかけられるのを無視して教室を飛び出す。


 昼休み、沙希は教室にはほとんどいない。

 美薗をそれを知っていた。


(沙希は外部進学……)


 それじゃあ、もう本当にチャンスは何度もない。

 卒業したら、会える機会も、たぶんない。


 このまま、もしかしたら……。


 頭の中がぐるぐるする。

 それでも足は無心に廊下を進んだ。


 昼休みのざわつきの先、生徒があまり立ち寄らない特別棟へ。

 屋上に続く階段の踊り場。

 見上げると、やっぱり沙希が、一人ぽつねんとたたずんでいた。


 いつも周囲に取り巻きがいる沙希が、なぜか昼休みだけは、ここでこうして何をするでもなく一人でいることを、美薗は知っていた。


「若林さん」


 声をかけると、まるで美薗が来ることを待っていたかのように、沙希は微笑みを浮かべて振り返る。


「外部進学って本当?」

「聞いたの、その話」


 唐突な尋ね方にもかかわらず、沙希は驚いた様子もなく微笑んでいる。


 いつも、そう。


「大学が別々になったら、もう姫とナイトじゃなくなるね」


 沙希がそう言うのに、美薗は苦いものを飲み込んだような気持ちになった。


 いつもそうして、こっちが必死になっているのも知らないで。

 きれいなお姫様の顔をして、ただ前を向いて、後ろにいる自分のことなんか見向きもしない。


 そうして、いつも沙希は美薗の上にいる。

 美薗はいつも、下から沙希を見上げているしかできない。


 どうして。

 一度でいいから。


 黙り込んだ美薗を見下ろして、沙希はかすかに表情をかげらせた。


「美薗さんは、私のこと、嫌い?」


 どうして。

 目の奥が痛くなって、指先が震えた。

 そんなこと言うなんて。


「……ずるい……」


 一言、そうしぼり出すのが精一杯だった。


 美薗はずっと沙希を見てきた。

 いつも自分の上に書かれた名前を。

 いつも自分の前にいる沙希を、一度でいいから、振り返らせたかった。


 そんな自分の気持を何も知らないくせに、そんなこと言うなんて、ずるい。

 そして、結局一度も振り返らないまま、もう手の届かない場所に行こうとしているなんて。


「美薗さん」


 呼ばれて反射的に、美薗は顔を背けた。沙希の声が、静かに降ってくる。


「知ってたわ、あなたが私を見ててくれていること」


 美薗は瞳を見開き、顔を上げた。

 沙希が微笑んでいる。

 いつもと同じように見える、だけど違う、その眼差しに美薗は見入った。


「私も一生懸命だったの。

私が首席でいる限り、あなたはきっと私を見ていてくれると思ったから」


 言って、美薗が見つめる先で、沙希はほっそりした手を自分の胸に当てた。


「ここはずっと、あなたの席。

私にとっての首席は神崎美薗、ずっとあなただった」


 胸に当てた手を、沙希はそっと美薗に向かって差し出す。


「のぼってきて。

姫がナイトを見上げるのは似合わない」


 美薗の足ははっきりと階を踏みしめて、踊り場へと立った。

 差し出された手の上に、自然と自分の手のひらを重ねる。

 少しひんやりとした沙希の手が、柔らかく美薗の手を握った。


「美薗、私のこと、好き?」


 はっきりと言われて、美薗は自分の顔がどうしようもなく火照るのを感じた。


「……だから、そういうのはずるい」


 怒ったふりで言われた台詞に、沙希は一瞬いたずらっぽい笑みを浮かべた。


 手を握ったまま、沙希は踊り場にひざをつく。

 うやうやしく美薗の手を押しいただくようにして、


「ずっと待ってた、美薗がこうして来てくれるのを」


 美薗も思っていた。

 ずっと待っていたのかもしれない。

 沙希がこうして、自分のことだけを見つめてくれることを。


 沙希の真っ直ぐな眼差しと言葉が、熱に震える胸に響く。


「私はあなたのナイト。これからずっと、ね」






               end.

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

2番目の特等席 宮条 優樹 @ym-2015

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ