校舎の屋上のリンゴの木

かめかめ

リンゴが真っ赤になったなら

 それはいつもと変わらぬ暖かな昼休み、いつもと変わらぬ春めいた教室の、いつもと変わらぬ明るい顔ぶれで。なのにいつもと違う空気が流れたのはエミのセリフのせいだった。

「えっと……2番目の答えはね……」

 今まで滔々としゃべり倒していたエミの口が急に重くなる。俺はエミがいつもの思わせぶりを発揮しようとしているのだろうと思って先を促した。

「なんだよ、気になる言い方すんなよ」

「心理テストなんてさ、遊びなんだからね」

 エミはあからさまな作り笑いを浮かべてみせる。なんだよ、俺の答えになにか問題でもあるっていうのか?

 噂好きなエミが仕入れてきた心理テスト。俺の答えを聞いた瞬間からエミの表情が硬くなったことには気づいていた。

 だがそれも場を盛り上げるための仕掛けだろう。

「じゃあ、言うね。1番目に挙げた人物は信頼している人。2番目に挙げた人物は好きな人、3番目は尊敬してる人、4番目は……」

「え、2番目はなんだって?」

 俺が耳に手を添えて尋ねると、エミは聞こえるかどうかくらいの小さな声で答えた。

「……好きな人」

「おいおい、まじで? 俺、好きな人孝央なわけ?」

 場はシンと静まった。なんだよ、ここは笑いどころだろう、なんでみんな目をそらすんだよ。

「エミちゃん、俺にも出してよ。その心理テスト」

 孝央が優しい微笑みを浮かべてエミに言う。エミは引きつった顔で孝央から目をそらす。

「こんなの遊びだからさ、気にしないでよ」

「うん。遊びだからさ、出してよ」

 孝央は優しい。いつでも微笑んで誰にでも優しい。いつもと変わらぬ微笑みを浮かべているのに今はなぜか怒っているかのような、そんな表情に見える。エミはその迫力に押されたように口を開いた。

「大きなリンゴの木の下に、あなたの知り合いが次々に集まってきます。初めについたのは誰……」

「来たのは俊」

 孝央が順番をすっとばして俺の名前を挙げた。俺は孝央が場の空気を変えようとしてくれているのだと思い、ほっとした。

「おーい、孝央。2番目は誰だよ」

 わざとニヤリと笑ってみせたが孝央は変わらぬ微笑のまま答えた。

「誰も。リンゴの木の下に来たのは俊だけだよ」

 それはどういう意味だろう。尋ねようとしたとき、始業を知らせる音楽が流れ、すぐに教師が入ってきた。俺たちはてんでに自分の机に戻っていった。

 午後一番の眠気の中で授業を聞き流しながら、俺はぼんやりと孝央の言葉を反芻した。

『来たのは俊だけだよ』

 俺の好きな人は孝央、そして孝央は俺のことを2番目だとは言わない。それって、告白もしてないのにフラれたってこと?

 そんなこと別にどうってことないはずなのに、なぜかモヤッとして俺はななめ前の席の孝央を見やった。色白な孝央の横顔はいつも通りに澄ましていてなんとなくモヤモヤが増した。


 それ以来、俺は仲間から距離をとるようになった。場にいてもみんなと視線が合わないからだ。心理テストなんて遊びだってみんな言ったが、やけに気を使って俺と孝央が近づかないように誰かが二人の間に立ちふさがる。孝央は気づかないのか普段通りだ。だが俺はなんでもない遊びのせいでみんなに気をつかわせるのが申し訳なくて、みょうな空気を作ってしまった責任を感じて、理由をつけては教室から姿をくらますようになった。

 そんなとき足が向かうのは屋上だ。ふだんはカギがかけられているのだが、壊れていて、ちょっとしたコツでカギなしで開いてしまう。今日もカギをかってに開けて屋上に出た。

 よく晴れてぽかぽかと日が差している。ちょっと暑いくらいだ。制服のジャケットを脱いでその辺に放り出すと寝転んで空を眺めた。小さくて真っ白な雲がひとつポカリと浮いている。それを見るでもなく見ながら心理テストのことを考えた。

 ここ数日、同じことばかり考えてしまう。どうして孝央はリンゴの木の下にやってくるのが俺一人だなんて言ったんだろう。他のやつの名前を出すとまたややこしくなるからだろうか。もしそうならエミに全責任をおっかぶせて1番も2番も3番も4番もエミだって答えればいい……。そう思ったのだが、なぜかそれは嫌だと思う自分がいる。じゃあ、誰ならいいんだ?


「俊、話があるんだけど」

 昼休み、また屋上に向かう俺を孝央が呼び止めた。孝央の声を聞いた俺の肩はなぜかびくっと揺れた。そっと振り向いてみると孝央はいつもの微笑も浮かべず、やけに真剣な顔で立っている。

「なに、話って」

 普段通りに聞こえるよう気をつけながら尋ねると孝央は俺の脇を通り抜けて階段の方へ歩き出した。

「屋上へ行こう」

 妙な迫力があって、俺は黙ってついていった。

 孝央は屋上のカギを簡単に開けた。このカギの開け方を知っているのは俺だけだと思っていたのに、ちょっと残念だ。でも知っているのが俺一人じゃないと思うと連帯感というか同士というか、なにやら不思議に孝央がもっと身近になった気がした。

「いい天気だね」

 屋上に出た孝央が空を見上げて喋る。

「こんな天気の日にリンゴの木の下でピクニックしたら楽しいだろうね」

「そうだな、みんなで行くか?」

 ついいつものように答えてしまった。だが孝央はいつものように笑ってはくれなかった。

「あのね、俊。あの心理テストのことなんだけど……」

 どきりとした。告白していないのにフラれたという思いが胸に迫る。それはどうしようもなく寂しく、切ない。そんな気持ちを振り払おうとあわてて口を開いた。

「あれな、気にしないでくれよな! 心理テストなんて単なる遊びじゃないか、エミも言ってたし。それになんかあれ、ひっかけ臭かっただろ。もともと答えたやつをからかうようにできてるんだって……」

「僕は」

 孝央が俺の言葉を堰きとめた。

「僕は遊びじゃない。僕のリンゴの木の下にいるのは1番目も2番目もなくて、俊ひとりだけだよ」

 どういう意味だろう。孝央がなにを言おうとしているのかわからなくて、ただ次の言葉を待った。だが孝央は振り返って微笑むと「それだけ」と言ってさっさとドアを開けようとした。

「あれ?」

「どうした」

 孝央はしばらくドアをガチャガチャ言わせていたが、眉根を寄せた困り笑顔で言った。

「開かない。カギがかかっちゃったみたい」

「え!?」

 横から手を伸ばしてノブを回そうとしたとき、孝央の手に触れた。孝央は静電気が流れたみたいに、さっと手を引いた。孝央の顔を見ると真っ赤になって俯いた。色白だから本当に真っ赤になっている。

「リンゴみたいだな」

 俺は思わず笑って言った。孝央は触れた手を握りしめたまま黙ってしまった。

「孝央のリンゴの木の下にいるのが俺だけってことは、リンゴ食べ放題じゃん。ラッキー」

孝央は沈黙したままだ。今まで感じたことがない気まずいような、むずがゆいような空気のせいで俺もなにも言えなくなってしまって、黙ってドアノブをガチャガチャ言わせつづけた。

 結局、どうやってもカギは開かない。諦めて座り込むと、孝央も隣に腰を下ろした。

「俊、みんなのところに帰ってきてよ。僕はもうみんなに近づかないから」

「なんだよ、それ」

 むっとした。まるで俺のせいで孝央がみんなと居づらくなったとでも言わんばかりだ。居づらくなったのは俺の方だというのに。

「僕のせいだから。みんなが気をつかってくれるのは」

 それはなんだか違うような気がする。気をつかわせたのは俺が心理テストで変なことを言ったからで……。

「ごめん、孝央。俺が変なこと言ったから空気が悪くなったよな」

 孝央はふいっと俺の方に顔を向けた。

「変なことって?」

「心理テストの2番目にさ、孝央の名前出したやつのこと」

 孝央は戸惑っていたが、しばらくするときれいな微笑を浮かべた。

「変じゃない。すごく嬉しかったよ。たとえただの心理テストでも、俊の2番目になれて」

「それって」

 それって、孝央にとって俺が2番目だってこと? いやいや、それは思い上がりというか自意識過剰というか……。いや、なに考えてるんだ。俺たちは友だちで、っていうか、男同士でっていうか、ああ、もう頭のなかがぐちゃぐちゃだ。そんな俺を見た孝央がくすっと笑う。

「俊のそういうところ好きだよ」

 それって、どういう意味で? 友だちとして? それとも2番目として? そう聞けないまま、俺の顔もリンゴのように真っ赤になった。

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