第3話 人肉・最後の日
七月十三日。私は副業として自殺のお手伝いをしている。今日の依頼は女子中学生だ。
十日程前に届いたメールには、同級生の男の子に酷いフラれ方をしたのでもう死にたい、と書かれていた。自殺志望動機としては余りにも理解しがたい内容で、その程度で死にたいなんて言うなと思うのだが、届いた何通かのメールから適当に選んだので仕方がない。普段はそのようなことはしないのだが、今回は特別なのだ。と言うのも、私は今回を最後に自殺のお手伝いを辞めようと思っている。
私もこのお手伝いを始めて約十年が経つ。今まで覚えていない程の自殺のお手伝いをしてきた。息子が生まれてすぐに夫に逃げられ、女手一人で子供を養っていくための副業兼食料調達としてお手伝いを始めたのだ。最初は世間にバレやしないかと怯えながら必死に取り組んでいたのだが、途中からは少し楽しくなった。人間の肉がどれ程おいしいか、そして自分の異常な性癖に気づいたのだ。その点では天職とさえ言えるかもしれない。
しかし最近は重労働ができなくなってきた。肉を削ぐのにも力がいるし、首を絞めるのも楽ではない。夜も遅く起きていられない。息子も大きくなったし、そろそろ潮時だと思う。
そんな訳で最後の仕事のために私は今歩いている。時刻は二十七時の少し前。待ち合わせ場所は神社の雑木林の中。何故そこなのかはよく分からないが、おそらくは自殺に見せかけたいのだろう。最終的には私が解体して捨ててしまうのだから意味は無いのだが、死ぬ人間にはそのことを言わないので彼女は分からないのだ。自殺に見せかけられないのは本当に申し訳ないと思う。
深夜の街には生き物の気配が無い。あるのは信号機などの機械の動きだけ。人間が関与してこない世界は気が楽だ。お手伝いもはかどるというものだ。
依頼人との待ち合わせであるY神社は真っ暗で、一度見落として通り過ぎようとしてしまった。境内の明かりがやたらと弱弱しいのだ。それ故に雰囲気はあると思う。彼女はこの感じを気に入ってここを選んだのかもしれない。
懐中電灯を取り出して境内の裏へと回る。雑木林に入ろうと思うのだが、そこは地獄のように真っ暗だ。この先の二本杉と呼ばれる二本の杉のある場所が待ち合わせ場所だ。少し緊張しながら歩み出す。
暗がりの中を探るように歩いて行き、依頼人との待ち合わせ場所に着くと、そこには一人の女の子がいた。決して、どれだけオブラートに包んでも整った顔立ちとは言えない。そして、こんな時間だというのに制服を着ている。死に装束と言うことなのだろうか。
「お待たせしました。お手伝いをさせていただく者です。どうですか?気分は」
「こんばんは。特にどうもしません。もうとっくに心の準備は済ませているのでお手伝いお願いします」
そういうと彼女は靴を脱いで綺麗に並べ、私の前に立ってお金の入った茶封筒を渡してきた。一応受け取ってみるが、ここまですぐに作業に取り掛かるのは初めてなので、私は面食らう。彼女の表情からは何の感情も図り取れない。
それでも彼女はすぐにでも死にたいという雰囲気だけは出しているので、私もいそいそと準備を始める。今回は彼女の熱烈な希望により、杉の木で首吊りをさせる。お手伝い開始時刻は午前三時ちょうど。私の最後のお手伝いが始まる。
腕時計で時刻を確認した私は、ボストンバッグから縄とナイフを取り出し、神社の倉庫から持ってきた脚立を杉の木の下に置いた。少し苦戦しながらもその一番上に登り、杉の木の枝に縄を結び付ける。下にいる彼女を見てみると、真顔でただ立っている。微動だにせず、どこか一点を見つめている。私は少しだけ彼女が心配になったが、今から死ぬ子に同情しても仕方がない。縄の強度を確かめてから下に降りる。
「準備ができました。今から作業に取り掛かります。覚悟はできましたね?」
「ここに来る前からできてましたよ。ここに登ってあの縄に首を通せばいいんでしょ」
彼女は言うなり脚立を登り出した。その動作には一片の躊躇いも無い。私の頷く暇も無かった。
そして、あっけに取られている私など気にもせずに縄を持ち、首にかけた。そのなめらかな動作の中で、一瞬彼女は私に向けて嗤った気がする。
その顔は非常に恐ろしかった。一瞬後には先程までの真顔に戻ったのだが、嗤い顔は脳裏に焼き付いて離れない。どんどん彼女が恐ろしくなるが、そんな私のことは気にならない様子で彼女は脚立に座っている。少し震えだした私を急かすように「よろしくお願いします」と言う顔も真顔なのでまた怖い。
ここで私が脚立を倒し彼女が首を吊る予定だったのだが、不思議と気が引けてすぐにはできなかった。手も震えて少しまごついていると彼女は私を急かしてきた。本当に分からない子だ。
震える手をなんとか動かして脚立を倒そうとする。自分ではでは思いっきり力を込めているつもりなのだが、意外と脚立は倒れてくれなくて何度も焦る。その度に私は怖くなり、彼女は苛立っているように見えた。とはいえ、最終的には倒すことができた。
少し大きな音が鳴って、上を見ると彼女が木にぶら下がっていた。数秒待ってみるが木にぶら下がっているモノからは苦しむ呻き声も聴こえない。彼女の思わせぶりな態度からしたらあっけなかったと感じる。何か起こるのではないかと構えていた私は、こんなものなのか、と物足りなさを感じる。
だからと言って私の仕事を疎かにする訳にはいかない。しばらくぼーっとしていたことは仕方がないとして、彼女を木から降ろして解体するのだ。これが最後のお手伝い。ミスなく終わらせよう。
倒したばかりの脚立を起き上がらせ、杉の木に結んだ縄をほどきにかかろうとする。足に力を込めた時に、足元の木の枝を踏んで音を出してしまい自分で驚く。なぜ私はこんなにビクビクしているのだろう。これからもお手伝いの度にこんな状態になるのなら、今回で最後にするという決断は正しかったと言えるかもしれない。
さあ、最後の仕事をミスなく迅速に行おう。そう、決意した瞬間だった。目の前を丸い光が通り過ぎた。私は一瞬でその光が何なのかを理解する。ライトだ。おそらくスマホの。つまりは、人が来る。
まずい。そう直感して脚立とボストンバッグを取って周りの木に身を隠した。恐怖など感じる前に、音もなく脚立を地面に寝かせる。心臓は激しく動くことなんて無い。まるで止まってしまったかのように静かだ。
そこに人間がいることを主張するかのような咳払いが聴こえ、その直後に人が来る。男性のようだが、ほとんど姿は見えない。おおよその年齢も、どんな反応をしているかも分からない。しかし、完全に見つかったのだ。それだけは分かる。
今すぐ飛び出してこの人も殺してしまえばいいのでは。いや、ダメだ。ナイフも持っていない私が飛び出していったところで返り討ちに会うだけだろう。それに、私は自殺志願者のお手伝いをするだけで、私情で殺しはしない。それではただの人殺しだ。
このまま様子を見るか迷ったが、瞬間的に一世一代の決意をする。脚立は置きっぱなしにして、こっそりと、音を立てないようにして逃げ出した。
やってしまった。大失敗だ。最後の最後に人に見られてしまった。今まで誰にもバレずにやってこれたのに、最後の詰めが甘くて全部がダメになるんだ。
私のしたことは全部バレるのだ。当然、死刑になっても足りないと言われるだろう。そうなると息子には大きな迷惑をかけることになるだろう。彼の今後の人生を台無しにしてしまったかもしれない。いや、台無しにするのだ、確実に。
神社を出て家へと走り出す。足元はおぼつかない。何度も倒れながらも進む。世界が、これまでにない程に暗くなる。
もう終わりだ。取り返しがつかないことをしてしまった。いや、ずいぶん前から取り返しのつかないことはしていたのだ。状況の取り返しがつかなくなっただけ。もう、どうしようもないのだ。私は最低の母親だ。人類史上最悪の母親だ。こんなの、自ら死ぬことも許されない。
ごめんね。本当にごめんね、凛太郎。お母さんは世界で一番最悪なのよ。せめて捕まるまではあなたのお世話をし続けるから、どうか恨まないでほしい。でもダメだわ。やっぱり恨んで。一生をかけて恨んでね。ごめんね。本当に、本当にごめんね。ごめんね。ごめんね。ごめんね……。
以上が、「ヒトニク事件」の全貌である。死刑囚の女の証言と、その息子の残したメモにより作成された。そのため、作者の推測や解釈で書かれている部分が多々あるが、どうかご容赦いただきたい。
追記:あなたの家のお肉はおそらく動物のお肉です。明日からもご安心してお食べ下さい。
ヒトニク 稲光颯太/ライト @Light_
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