環状の終点

大宮コウ

環状の終点

 夢を見ている自覚があった。

 だって、こんな光景を僕は見たことがない。

 正面に立っている、ショートカットの彼女のことだって知らない。

 ただ漠然と、夢の中の世界において、彼女は自分の後輩なのだと理解していた。

 夢の中で、見知らぬ彼女と二人で電車に乗っている。僕は座りながら、彼女は手すりに捕まりながら、それぞれ揺れる。揺れていく。揺れ続ける。

 揺れ続けたまま、僕らは口を噤んでいた。

 僕には目の前の相手に語ることはない。一方で、誰とも知れぬ彼女には、僕に語ることがある気がした。そのように見えたからという、理屈なんてひとかけらもない直感だけれど。

 けれども彼女は何も言わない。言葉一つ口にしない。

 僕らは揺れ続ける。何も言わずに、揺れ続ける。何も始まらないまま、時が進む。

 夢の終わりは訪れていない。目覚めることで抜け出せるが、再び眠れば、また同じ風景が再演される。

 僕は同じ夢を、繰り返し見ているのだ。





 夢というのは、無意識に依るものだ。潜在的な欲求による、という話もある。

 近頃、僕は夢を見ている。同じ風景を夜毎繰り返し見ている。少女と二人で、電車に揺られ続ける夢だ。先の理屈ならば、僕は心のどこかでそうしたいと思っているのだろう。見知らぬ相手と。ここではない見知らぬ場所で。


「いや、そんなこと私は認めませんから」


 昼休み中、幼馴染にそう語ってみせれば、聞き手の彼女は僕の意見など一刀両断。知らぬとばかりに言い切ってみせるのだ。

 自身の意見が間違っているなんて、微塵も思っていない素振りで彼女は足を大きく組む。


「認めないって言っても、実際に毎晩見ているんだから仕方ないじゃないか」

「寝ている中で、夢はいくつも見ている、という話もあります。ただすべてを覚えていないだけで。だから、かわいい幼馴染とデートする夢や、かわいい幼馴染と新婚生活を送る夢も見ているけれど、偶然その夢だけ覚えている可能性も考えられますよね」

「いや、僕は別にそんなやましくなるような夢は見た覚えは」

「可能性は、あるよね?」

「はい」


 強く言い切って、彼女は腕を組む。


「まあ、いつも通り私に任せてください。魔法使いである、この、私に」

「あー、うん」


 彼女は魔法使いを自称している。といっても杖から魔法を使えるわけでもない。その他不思議現象を取り扱っているわけでもない。魔法使いを名乗る以外は害のないただの人。彼女の顔の可愛らしさによるものか、それともクラスの治安がいいのだろうか、愉快な変人扱いをされている。

 そして僕にとっては……彼女のことは一言では言い表せない。彼女とは小学生の頃から高校二年の今に至るまでの腐れ縁だ。長い付き合いのぶん、色々な意味合いを持ってくる。

 少なくとも今の彼女は、僕にとって替えの効かない相談相手だった。同じ夢を繰り返し見ることなど、普通に一蹴される内容だ。それにこれまでも、彼女に相談して、僕の問題が解決しなかったためしはない。

 少し考えてから、彼女は口を開く。


「夢は本当に全部、同じ夢なの? おかしな点とかは?」

「全く同じだよ、ずっと電車で、知らない女子と一緒にいるだけ……おい、脛を蹴るな。お前が聞いてきたんだろやめて地味に痛いから」


 机越しに、上履きのつま先で蹴ってくる。理不尽極まりない。


「他には? 周りのものでも、その女のことでも何でもいいから。いつも通り――」

「些細なことからどうでもいいことまで……だろ。ちょっと待ってくれ、思い出してみる」


 思い返す。夢にしては、妙にはっきりと思い出すことができる。繰り返し見ているから、というだけではない。夢の断片が、彼女の言葉を触媒にして集まっていく。意識がはっきりと澄んで、見渡せるようになっていく。

 思い返すまま言葉にする。電車内は緑色の吊革と座席。電光掲示板の文字は霞んで見えない。車窓の向こうの景色は、緋色に染まっている。ビルが立ち並んでいる。

 制服を着た少女は、変わらず立っている。その表情は、陰になっていて、確認できない。

 駅に止まらない、というわけではない。扉は開くが、乗客は増えることはない。

 だから、移り変わるっているのは窓の向こうの風景だけ。その筈だった。


「……景色だ。景色が変わってない、気がする。何駅ぶんか通り過ぎたら、また同じ景色に戻っている」

「なるほど、うん、だいたい分かった」


 自信満々にそう言い切って、彼女はにやりと笑う。


「そもそもの話、です。終点がない電車ときたら、少なくとも国内で思い浮かぶものは一つしか思いつきません。夢の中で君が乗っていたのは、そう――山手線です」





 夢で見た場所がどこであるのか。ということが分かっても、解決ではない。案の定、また僕は同じ夢を見た。ただ、車内に表示されている電光掲示板の停留所が、そのまま山手線内の駅名だった。これは進歩したのだろう。相も変わらず、目の前の少女は話さなかったのだが。

 ということを翌日の昼休み、机を挟んで彼女に言えば、一言。


「本当に山手線だったんだ。よかった、手間が省けた」


 とのことだった。


「……もしかして、当てずっぽうだった?」

「そう思われるのは甚だ心外だよ。半分くらいは、と付け足してもらいたいな」


 大差ないと思ってしまえば、彼女は口を尖らせて言う。


「もしかしたら君は知らないのかもしれないけど、そもそも、環状運転している線路は国内では山手線以外にもあるんだ。それに、僕らが今回話しているのは夢の話だよ? 夢の世界に普通の理屈が通じると思う?」

「それは、まあ、そうなんだろうけど」


 言っていることはわかるが、なんとなく腑に落ちない。見た駅の名前も見間違いだった気がしてしまう。だが何も言い返せない僕に、彼女は勝手に満足して頷く。


「わかってくれたならいいです。それじゃあ、明日にでも行きましょうか」

「行くって……山手線に?」

「そう。まあ身構えずとも、君はかわいい幼馴染とデートするついでに、野暮用を片付けに行くとでも思ってください」

「別に、毎度付いていかなくてもいいんだけど」

「私が好きでやっていることだから、気にしなくていいんだよ」

「……それにそっちがいくら良くても、一つ問題がある」

「なんだい?」

「金がない」


 資産家の娘の彼女と違って、こちらはバイトもしていないただの一般庶民なのだ。そして僕らが暮らしているのは、山手線に縁もゆかりもない関東近郊。交通費がネックになる。

 それに、不確かな推測を頼りに、わざわざ山手線に行くだけというのもいささか躊躇われる。こちらの都合に、幼馴染の彼女を付き合わせてしまうのも気が引ける。

 けれども、僕の弱腰な態度など、お見通しとばかりに彼女は笑う。


「それなら問題ありません。明日は山手線近くの大学でオープンキャンパスがあります。それの下見に行く、とでも言えば、君の両親も喜んで出してくれるはずです」

「いやそんな、騙すみたいな……」

「ちゃんと行くのだから、問題ないじゃないですか。私たちの将来のキャンパスライフの下見に行きましょう。それとも、私の一石三鳥の理屈に問題でもありましたか? あると言うのなら、言ってもらってもいいんですよ。その場合はきちんと代案も出してくださいね?」

「ないです」

「よろしい」




 東京に向かう方法として、新幹線や高速バスを使う手もあった。しかし、幼馴染に押し切られて、行きは電車を乗り継いでいくことになった。僕には及びもつかない何かしらの思慮深い理由があるのだろうと聞いてみれば「君は夢の中で乗り続けたんでしょ? 不公平じゃないですか」と、理屈になっているのか分からない返事が返ってきた。

 そういった経緯で、早朝から二人並んで電車に揺られていた。高校は徒歩で通学できる距離だ。僕も幼馴染の彼女も、通っているのはその理由が大きい。だから電車に長時間揺られるのは、中々珍しいものだ。私服は見慣れたものだが、二人で遠出するのも久しぶりだ。

 隣の彼女は、欠伸を噛みしめている。彼女は昔から朝は弱い方だった。普段の饒舌さも、今日はまだ発揮されていない。

 うつらうつらと舟をこぐ彼女に対して、僕はといえば夢を思い返していた。

 彼女に頼ってばかりではいけない。毎回、最後に相対するのは、他ならぬ僕自身なのだ。

 思い返す。電車の中の風景を。夕焼けに染まる世界を。黙りこくる彼女のことを。

 思いを馳せる。夕焼けの中の世界で、彼女が何を考えていたのかを。


「君、隣に女の子を侍らせているというのに、他の女のことを考えているね」


 咎めるような声に目を向ける。細められた目は、どうにも眠気によるものではなさそうだった。

 彼女には、人の思考を覗き見る力でもあるのだろうか。本当に魔法使いだったりするのだろうか。以前も、僕の考えていることを読まれたことがあった。その時も、何故分かったのか聞いたのだが「君の考えることくらいわかるさ」なんてはぐらかされた。それとも、僕が分かりやすい人間なのだろうか。


「侍らかすなんて人聞きの悪いことを言わないでくれ」

「……別にわかってるよ。夢で見ている子のことだろう。で、君は何が気になってるんだ?」


 いつも通りのことながら、荒唐無稽なことに巻き込んでしまっていると思う。とりわけ、今回のことは僕の夢の話だ。当然、僕にしか見ることが出来ない。僕にしかわからないことだろうに、彼女の厚意に甘えて、疑問を口にしてしまう。


「夢の中の彼女は、何を言いたいんだろう?」


 僕の言葉に、幼馴染は茶化さずに耳を傾けてくれる。黙って、僕の言葉を待っていてくれる。僕は頭の回転が速い方ではない。だから頭の中で言葉をまとめて、それからゆっくり話す。


「彼女は、僕に何かを言いたいはずなんだ。でも、それが……わからない。このままじゃ、もし原因に向き合うことができても、どうにもならない気がして」

「わからないのは、本当に君が、かい?」


 鋭く、問われる。僕は咄嗟に返せなかった。


「それは……」


 夢を思い返す。

 電車。

 少女。

 夢の中にいるのは、二つだけではない。もう一つ、いる。

 僕――いや、僕ではない。少女のことを後輩だと思うのは、僕ではないのだ。

 そこに僕はいないのだ。


「……そうだ、分からないのは僕じゃない、夢の中の僕が、だ」


 言われるまで、気付けなかった。夢の中にいる僕は、僕であって僕ではない。

 見たことのない制服を着て、見知らぬ線路で通学して。そして、夢に出る少女にとっての先輩である何者かだ。

 その彼の気持ちさえもわからない。夢の中で、僕は彼である筈なのに。あらかじめ設定されてないみたいに空白だった。

 そのとき、ようやく僕が見ていたものが何であるのか、僅かに触れることができた気がした。


「……私にだって、わからない。君の夢を見ている訳じゃないからね。実際に相手に聞いてみるまで、君にだってわからないかもしれない。けれど、できることはある」

「……それは?」

「考えること、です。幸いにして、時間はたっぷりとありますから。電車に揺られ続ける時間。加えて電車に長い間、揺られ続ける体験を、現在進行形で君はしています。多少なりとも、わかることはある筈です」

「そうか……いや、うん、そうだな」


 最初から、彼女はここまで考えていたのだろうか。彼女の考えの深さに改めて脱帽だった。


「しかし、です。それは現地に着いてからでもいいと思います。不意の思いつきに任せるのもよいでしょう。それよりも、今は優先すべき相手がいる。君はそう思いませんか?」


 脱帽した直後、いつも通りの彼女であった。





 とはいえ、である。

 長時間の乗車は、中々に苦しいものであった。初めは問題なかったのだが、後から辛くなってくる。エコノミークラス症候群みたいなものだろうか。雑談できる相手がいるぶん、気持ちという点では問題ないのだが、いかんせん身体の座りが悪くなるのはいけない。途中で互いに立ったり座ったりを繰り返してしまっていた。僕が見ていたものは夢だったのだと、改めて気付かされる。

 東京に着いてから、少し早めの昼食を取る。一人では行くはずもない有名なカフェのチェーン店。彼女に勧められて、初めて飲んだコーヒーは甘かった。

 そして済ませることは、早めに済ませる。当初の予定通りに、オープンキャンパスへと向かうより先に、山手線へと乗り込んでいく。夢の中と違って、人がまばらにいる。当然だ。座席が丁度二人分空いたので、並んで座った。

 電車の扉が閉じて、発信する。同時に、急激な眠気に襲われる。明らかに異常な眠気だった。


「大丈夫?」


 声が聞こえて、重たい眠気は変わらないが、意識が引き戻される。


「大丈夫じゃない。すごく、眠い」

「そう」


 彼女は驚いた素振りもせずに返して、それから、僕の手を握る。僕が眠気で抵抗できないのをいいことに、まるで恋人みたいに指を絡めてくる。


「恥ずかしいんだけど……」

「君が起きるまでずっと握ってるから。だから、離してほしいなら早く戻って来るといいよ」

「……善処する」


 彼女に一言告げてから、僕は眠りに落ちる。





 夢を見ている自覚があった。

 僕はこの光景を知っている。

 けれども、正面に立つ彼女のことは知らない。漠然と、夢の中の僕にとって、彼女は自分の後輩なのだと理解していた。

 夢の中で、見知らぬ彼女と二人で電車に乗っている。僕は座りながら、彼女は手すりに捕まりながら、それぞれ電車に揺られている。

 揺れ続けたまま、僕らは口を噤んでいた。

 僕には目の前の相手に語ることはなかった。一方で、誰とも知れぬ彼女には、僕に語ることがある気がした。

 けれども彼女は何も言わない。言葉一つ口にしない。

 僕らは揺れ続ける。何も言わずに、揺れ続ける。何も始まらないまま、時が進む。

 夢の終わりはきっとこのままでは訪れない。目覚めることで夢から解放されるが、再び眠れば、また同じ風景が再演される。

 僕は同じ夢を、繰り返し見ていた。それも、今日で終わりにする。

 僕は口を開く。


「ここに来るまでに、君のことを考えていたんだ」


 僕の言葉に、彼女は俯かせていた顔を少し上げた、気がした。


「結局、どうして僕がこんな夢を見ているのか……どうして君がこんな夢を見ているのか、わからなかった。でも、一つだけ分かったことがある」


 幼馴染の彼女との旅を思い返して、言う。


「長い電車の時間も、無言のままでも楽しいものなんだね」

「……私は、辛かった」


 目の前の彼女が、初めて口を開いた。


「私は、先輩のことが好きだった。先輩と一緒に帰れなくなる日、私は告白しようと思ってた。でも」


 表情を隠していた黒い影が薄れる。その下から現れたのは、普通の同年代の少女だった。


「私は怖くて言えなかった。だからずっと、そのときのことが心残りだった」


 彼女の話を聞いて、ようやく腑に落ちた。予想はしていたけれど、僕は幼馴染ほどに自信に満ち溢れているわけではない。だから、言われないとわからない。

 これは、僕の夢ではない。

 どういうわけか、僕は彼女の『先輩』として、繰り返し続く彼女の不可思議な夢に巻き込まれてしまった。停滞する世界に閉じ込められてしまった。

 だが、彼女は打ち明けてくれた。止まった世界から進もうとしてくれた。

 だから僕は、幼馴染を見習って言うだけだ。


「もし君が、未練を断ち切りたいのなら、前に進みたいのなら、僕が手助けしたいと思う。力不足かもしれないけど」


 彼女は意を決したように、顔を上げる。


「――先輩、私、ずっとあなたのことが好きでした」


 僕は彼女の言葉に応える。


「ごめん、僕、他に好きな人がいるんだ」





 目が覚めると、肩に重みを感じる。隣の彼女は、枕代わりに僕の肩に寄りかかって熟睡していた。正面の老夫婦が、微笑ましげにこちらを見ているのが目に入る。

 気恥ずかしさを誤魔化して、僕は彼女を見る。穏やかな寝顔だ。また巻き込んでしまった申し訳なさと、役得だという利己的な気持ちが相反する。後者はともかく、前者は口にすれば今更だと呆れられるだろうけど。

 目覚めた後も、彼女が変わらず隣にいることに安堵する。僕はなぜか、こういう不思議なことに巻き込まれやすい。だから周りの人を遠ざけようとしたこともあった。そしたら彼女は、魔法使いだなんて自称するようになってしまった。

 その時のことは、たまに夢に見る。「私のほうが、君の言うものよりよっぽど不思議な存在だ。だから、問題ないだろう?」なんて言葉を、それはもう疑いなんて少しも抱いてないみたいに。

 今回、同じ夢しか見ることができなくなって、あの日の夢をしばらく見れていない。でも、明日からはまた見ることができる気がした。

 大学に向かうための駅はまだ遠い。手を繋いだまま、僕はしばらく、彼女を起こさないことにした。





 この後、先ほど夢で見た顔立ちの大学生とオープンキャンパスで遭遇して連絡先を交換した結果、幼馴染の機嫌を取り戻すのに僕が苦戦するのはまた別の話。

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