先輩と二番幸

片山順一

受け止められた僕


 先輩が僕を森ノ宮神社に誘うのは、初めてのことじゃない。


 二年前、先輩の大学受験のときに来た。


 その一月後に、先輩の運転免許試験、一月後に就職試験、また一月後にタクシーに乗るための免許の試験。


 ……なんか、先輩のことばっかりだ。一応、三年前、まだ、ただの隣同士だったときに、僕の高校受験の祈願に、一緒に来たことがある。


 というか、つい二か月前、部屋に缶詰めでセンター対策をしながらの初詣でも、ここに来た。思い返すと、神頼みの類は全部ここでやってしまっている。


 ただ、幸男の儀式を見に行こうなんて言い出したのは、初めてのことだった。


   ※※      ※※


 幸男とは、森ノ宮神社に伝わる幸男という伝説を模した行事だ。


 何百年も昔、病気にかかった子供のために、真っ暗な街道を裸足で駆け抜け、医者を連れてきた青年が居た。


 大雨で増水した川の、流されそうな橋を渡り、獣の出る森を駆け抜け、あまりに必死に走った青年は、子供が助かると同時に息を引き取ってしまったという。


 村人は青年をたたえ、彼が駆け抜けた森の中に小さな社を作っておがんだ。それが今は駅前の商店街に取り込まれた、森ノ宮神社の成り立ちだと言う。


 三月の十日、朝の一番鳥が鳴く頃、現代だと午前五時五十分に、神社の正門を開き、境内まで最も早く辿り着いた者が、幸男に選ばれて、祝詞を唱えてもらう。


 ただそれだけのシンプルな行事だが、十八になった僕が生まれる前、二十歳過ぎの先輩が生まれるさらにもっと前から、マスコミに取り上げられ、全国的な春の風物詩になっている。


 取り上げられたから、有名になって参加者が増えたのか。

 参加者が増えたから、有名になって取り上げられたのか。


 どっちだかは、分からないけど。


   ※※      ※※


 神社の正門前は、くじ引きで順番の決まった幸男を目指す人達がひしめき合っている。道路を挟んだ向かいの通りで、僕より少しだけ背の高い先輩は、


「いやー、やっぱり、あほみたいな人手だよなー」


 四月で二十歳になる先輩は、高卒で就職して、もう一年弱になる。


 どうせなら、染めてみたかったとか言っていたけど、いまだに髪は真っ黒で、付き合い始めたころ、僕の贈ったバレッタで留めている。


 珍しい若い女性のタクシードライバーであり、常連の人達からも、黒い髪のままで居て欲しいと言われるそうだ。


 スーツに、タイトスカートとストッキング姿。化粧もばっちりで、眼鏡のせいもあって、ぐっと大人びている。仕事のできるOLというふうにも見えるけど。これは会社の制服らしい。


 元は受験するつもりだったのが、就職組に決まった先輩。そのことを悔やみもせず、不満も漏らさず、しっかり働いている。


 それなりの奮闘の結果、結局第一志望を諦め、家から通える程度の第二志望の大学に行くことになった僕には、とてもまぶしい。


「同じ日に、十日祭りがありますもん」


「おいおいどうしたー、テンション低いな少年―」


「おぐ……」


 肩をつかまれ、猫でもなでるみたいに、髪の毛を乱される。


 やっと僕も高校を出るっていうのに、子ども扱いは変わらない。というか、先に先輩が働き始めて、ますます拍車がかかった気がする。


 僕は負けた。自分の望みと目標に。もっと頑張っていれば。そう思う自分も嫌だ。自分で自分の子供さが嫌だ。


 先輩のお客さんの中には、僕なんかより魅力的で優れた男の人がたくさん居るだろう。


 言葉を失った僕の肩を、先輩の細い腕がぐっと抱き寄せる。


「まあ、見てみなよ。こんなあほみたいなことに、命かける奴らも居るんだぜ」


 気を遣わせたのが申し訳なくて、僕は顔を上げた。だんだん周囲が明るくなっていく中、幸男選びの開始を告げる、太鼓の音が神社から響いた。


 丹塗りの大扉が、一気に開かれ、男たちが一斉に駆け出す。


 去年の参加者は五百人だったか。門の手前から隣の壁の方まで、続いた行列が一気に駆け込んでいく。


 ただの足音も、これだけ連なると、轟きになったみたいだ。トレーラーでも目の前の道路を横切ったように、腹の底まで響いてくる。


 受験とは、違う熱気。必死さ。


  ※※      ※※


 しばらくして、一般の参詣者も、境内に入れるようになった。


 多くの人に交じって、適当にお参りをした。


 一着でゴールして、幸男になった人が、集まった報道陣に囲まれているのを後目に僕は先輩の買ったカステラ焼きを持たされた。


 参道の端のベンチに座って、流れる人を見つめる。ランニングシューズやジャージ姿の人達は、勝てなかったのだろう。


「厳しいよなー。二番幸はないんだ。どれだけ頑張っても、一番になれなきゃ、幸男にはなれないんだ」


「やっぱり。そうじゃないですか。どれだけ頑張っても、合格まで行かなきゃ」


 大きい声を出してしまう。先輩は頭を振る。


「……でもなあ。一番幸ってのは、逆に不幸になることもあるんだぜ」


 二の句が継げない僕に、先輩はぽつぽつと語る。


「噂だがな。不倫をばらされたとか、上司にいびられたとか、資格試験に落ちたとか、事故に遭ったとか。色々あるんだ」


 それは全然知らなかった。


「反対にな、二番は結構幸せになってる。宝くじにあたった、株で儲けた、医者に来年死ぬって言われてた父親の病気が治った、確実にくたばるような事故に遭ったのに無傷だった、とかな」


「え」


「一生懸命やった奴だけさ。頑張って頑張って、負けて二番って奴が何だか知らんがそういう幸せを引くっていう」


「僕が二番だから、捨てたもんじゃないってことですか」


 言って、しまったと思った。謝ることもできず、唇を噛んでそっぽを向く。子供っぽいリアクションだ。


 困ったようにほほえんで、先輩が僕の肩を叩いた。


「……なあ少年。あたしさ。去年の今頃、死のうと思ってたんだ」


 言葉が出ない。やっぱりか、と思ってしまった。


「そんな顔するよな。だから少年。お前には言えなかった。お前の方が、受験になってたしな」


 先輩は、普通科に居た。


 進学するつもりだったが、三年になった直後に、お母さんが病気になった。お父さんを早くに失くしていた先輩は、一生懸命看病をしたけど、お金もなくなって、受験勉強も十分に出来なかった。


 そのお母さんは、先輩が本来センター試験を受ける日の前日に、息を引き取った。


 それで、どこに行けるだろう。浪人するお金もなく。


 なんて声をかけようかと思っていた僕の家に、ふらりと現れた先輩は、黙って対戦ゲームを毎日やり始めた。ゲームの戦績のことしか話さず、飽きると僕にしがみ付いてきた。


 三月の卒業式直前、ふいと、タクシードライバーになると言い出して、僕の父からお金を借り、普通の免許と、タクシーの免許を両方取った。卒業に前後してハロワに通って無事、市内のタクシー会社に就職。


 受験勉強に追われる僕をおもんばかりつつ、立派に働き、僕の父への借金も返し、今に至っている。


 僕は、先輩のことだから、僕で元気を軽く補充してひょうひょうと生きているのだと思っていたけれど。


「やっぱ、失敗したと思ってるか。東京に行けなくて」


 第一志望に受かっていれば、僕は家を出ていただろう。


 答えられない。うつむくしかない僕の腕の袋から、カステラ焼きを一個頬張る。


「……まだ一年も経ってねえのに。色んな人、乗せたぜ。乗り始めて、二か月くらいで、受験だ大学だってのが、わりと狭いってのが分かった」


「それは、そうでしょうね」


「あー、まあ、そういう聞き分けの良い反応もな、いいんだけど」


 まいったな、と頭をかく。眼鏡の知的なお姉さんに似合わない、男っぽいしぐさは、まあ、高校の頃からそのものだったけど。


「うまく言えないな。ああ、もっと話そうぜ。嫌だとか、怖いとか不安だとか、言いたきゃ言っていい」


 肩をつかまれる。先輩の真剣な目が、眼鏡を通して僕の両目をとらえる。


「あたしは、結構本気さ、お前に」


「え」


「母さんが死んで、受験もだめで、金なくて、家に行ったとき、言ったのお前だぞ、うちの親に頼んでみたらって」


「後、お前は、ただゲームしてただけかもしれないけど、あたしあれめちゃくちゃ助かってたからな。あんだけでどれだけ落ち着いたと思ってんだよ。その、アッチの方も、世話に、なって……」


 後半声が小さい。というか、スイッチが入ると、肉でも食べるみたいに僕をむさぼるくせに、とも思う。


 そのまま、額と額をつける。まだ早朝の冷気の中、ベンチの前を通り過ぎる人達が、ちらちらと見ている。


「どうすりゃあ、いい。あたしは、お前が苦しんでるのが辛いよ。二番目でもいいなんて、軽々しく言えない。でもなにか、してやりたいんだよ。少年にはさ、あたしの横で喜んでて欲しいんだ」


 唇が震えてきた。泣き顔を見られるのが怖くて、僕は視線を外した。


「不安、です。負けた気がするんです。もうちょっと、もっとできてたら、僕の中の、一番まで行けたのにって。何かしたくても、もうできないんじゃないかって……大したことないって、関係ない人もたくさん居るって分かってるのに、こびりついて、このままじゃ……」


 だめだった。僕は耐えられなくなって、体を預けた。

 先輩はしがみついた僕を、抱いてくれた。


 柔らかい太股を包んだ黒のタイトスカートは、涙を存分に吸い取ってしまった。


「おい、しゃれにならねえぞ。スカートだめにしやがって。今日は日勤なんだ。家戻って着替えてたらぎりぎりになる」


「すいません……」


 情けない。けれど先輩は僕のお尻を叩いた。ちょうど朝日が昇ってきて、ビルの隙間から僕達や待ちを照らす。


 日の光が眼鏡を通っていく。先輩の笑顔が輝きながら降ってくる。


「まあ、いいって。何とかなるなる。じゃあ、また明日」


 決めた。これからは、二番幸を背負う。


 先輩と、幸福になれるように。


 多分、それだけが、今僕にできる一番なのだろう。


 働きに行く先輩を見送ると、僕は部屋に戻った。

 大学から通知された、専門書を開いてみた。


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先輩と二番幸 片山順一 @moni111

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