これが恋の素顔かいな (シリーズ完) 

 さくらのときが今年も巡り

こころにも花を付け来

身も心も潑剌ハツラツ

軽やかな足取りとなって

格別どれこれとはないのだが

たれかと

いざなわれる

「いよ―! 春の空さん!」とよろこびの聲


「真さ―ん!」明け透けな呼び声。 

振り返ると桜の小枝を持つ結美ゆみ)さん、思ったことを云わずには居られない分かり易い人、莞爾にっこりしながら立っていました。

手を見ると、桜の小枝の切り口に濡れたティッシュを幾重にも巻き付ける心遣い(優しい人なんだなぁ)という印象をうける。

「お―、久し! ママ!」

「たまには顔を見せてくださいな」

「いやいや、野暮用多くてさ。時間があったら行くね」

長原商店街スナックの二代目ママ結美さんです。

初代は隣駅の洗足池にあるスナックであったが更新時に賃料の大幅な値上げの――「大家さんが追い出したいからこの手を使ってんだ」という者もいたが――トラブルを被るようになり、この長原に木造住宅耐久年数は30年と云われているがそれ以上ではないかと思われる古い戸建てを、店の常連たちの勧めやアドバイスもあって、思い切って購入したのです。

ローン支払い完了まで後六年程と聞くと女一人(結美さんの母。その娘もバイト! バイト! と援助)でよくがんばった! と誉めたくなる。

 「お水さんやってられるか! 酔っ払い相手無理! 無理!」と云う娘に母も「そうして! やっとゆっちゃが抜け出せるわ」叔母も『そ! よかった―あ―! あなたたちを見捨てたお父さんを見返してやろう! スクリ―ンに出るようになったらサインちょうだい!』と皆の後押しもあって、威勢よく啖呵たんかを切り俳優を目指し、あと一歩のところ女優デビューかと思いきゃ、突然の心境の変化。

噂では取り巻く野郎共の立ち替わり入れ替わりの身体求めの強要や(セクハラを超え露骨なヤリモク必死な連中の方が多く)陰湿な中傷話が蔓延する芸能界裏街道。かといって、成功してる芸能人の方々もいるのだが。ど―しても成功させたいのなら事務所を選ぶことです。

有名になるか否かは、本人の美貌とか個性力や演技力は二の次三の次(チャンスは乱数――ランダムに回ってくるから)、事務所即ち社長次第。使う相手方は芸人と契約するのではなく事務所と契約をするからです。なので恵まれないときは事務所を変えるしかないのです――変えてチャンスをゲットするか否かは運というタイミング次第であるが実績ある社長と業界との繋がりならば大きく運とういう可能性は広がるからである……というのは、本人のその三つは大体はどの人も似たり寄ったりなので差はないのだから。

見返すという話だが、妻子ある者との恋愛ほど割の合わないものはない。勝ったとしても、誰かに不幸を作ってあげて家庭を壊したという因果応報に見舞われないとは限らないし、そこまで行かないにしても良心の呵責にさいまれるときがあっていつか自分にも回ってくるかもしれないという余計な心配。それでも「生存競争! 捕った者の勝ち!」と済ました顔をしたとしても『天に向かってつばを吐く』がごとく自らの顔にツバはべッチャと返ってくる。『善因善果』若しくは『悪因悪果』といって自らの所行しょぎょうは必ずわが身に跳ね返ってくるものだから(摂理)です。

女性は強いか弱いか?

強い!(と思わなきゃ)。

女性である限りはどこにもその手の野郎が居ることを見越した上で上手に泳ぎまくって往くしかない、これが強さだ。

悪い事ばかりではない。学ぶことも多いのが人間関係! くらいに捉えればいい、なかには良き理解者となる相手もいるのだから。


心境の変化といや―、1980年21歳で人気絶頂のさなか歌手兼女優、ご存知「横須賀スト―リー」の y も同じように m と結婚を理由に突然芸能界を引退したのはそれが真相だったという関係者もいる。

犯罪者の子だ、親が施設だ、在日だ、これが万々万が一にも事実だとしても本人と何の関係があるんだ。その三つ上等じゃんか、却って人間完成に近づくってもんさ……けど(厳密にいや、ほとんどの者は前科者だ! 駐車違反や信号無視や他人への悪口は刑事罰対象なのだから)。

いくら芸人が公人(公共の電波等の媒体を利用して活動する者は誰しも公人)だからって、プライバシ―をエサまでして売る TV 報道や週刊誌類は人としてどうかと思う。

但し『その目的が専ら公益を図ることにあったと認める場合には、事実の真否を判断し、真実であることの証明があったときは、これを罰しない(刑法第230条の2)』

つまり『虚名(事実と異なった悪いうわさ。実質を伴わない売名行為)は罰せられる』という事。

そのような刑法の判断であるから公人である以上は或る程度は致し方ないが『事実の真否』をせずに憶測でとやかく言うのは重大なプライバシ―侵害となる。名誉毀損(必ず損害賠償責任を請求される――日本で良かった、アメリカでなら膨大な金高、例えば数億円ものケースも)で訴えられるのは『公益を図ること。若しくは、真実であることの証明』には至っていないにも拘らず売名行為(商用目的)でプライバシ―を売るからです。

y は1970年代に日本中で大ブレークされ国民的アイドルになった、今でも伝説的歌姫となっている。囲みをした連中はなぜ人となりを評価できなかったのか? 今現在 2018 年になっても沖縄出身の歌手 a もその辺に嫌気がさし引退を決意。事務所社長との度重なる確執、ご本人は「喉に違和感を感じるようになったので云々」と云ってるが、あることないことを中傷する周囲の者ら、この者こそ犯罪者! 告げてあげたい「辞めて正解だよ!」 「人生は仕事じゃないよ」 「うーんと私生活を楽しんで!」 「まだまだいっぱい恋をして!」と。

犯罪者は云い過ぎ? そうですね。

しょうがない、法律が云ってる。

民法 90 条『公の秩序又は善良の風俗に反する事項を目的とする法律行為は、無効とする』は強行規則であって任意法規(当事者間で意思表示した法律行為)に優越する法律なのである。また『善良の風俗』と掲記されているが『社会的な妥当性が認められる道徳観ということであって私人の生活においてはその自由が尊重される』がその主意です。

また『善良の風俗に反する』の意は『社会の秩序を乱す』のことであり、調和のとれた社会主体を撹乱かくらんしちゃダメよって事である。


が、尊敬どころかこれでもかと潰してますね。そろそろワイドショーを仕切ってる大人たちは考える時期に来てるのではないでしょうか。長いスパンで見ればいずれ TV 離れが加速して自らの首を絞めてることになります――スポンサーからコマーシャル代が入らなくなったら困るでしょ。

じゃーあ! どうすればいいか? 

ちょっぴりでもいいから知的好奇心を織り混ぜた番組を増やせばいいんだよ、ヒトは好奇心の生き物だからね。

民放どうした? NHK番組のマネが多過ぎるぞ。

製作費をケチってるのがみえみえ、最悪は、なかには捏造番組まで、嘘の事を事実と作り変える神経を疑う。どうしても資金が欲しいならクラウドファンディング――ネットを通じて一般群衆から百円・千円・万円・数千万円若しかして数十億円になったりして広く資金調達をすればいい。つまらない番組だと思って出す人がどこまでいるか? ここがまた問題だ。


例えばのたとえ、どこにもいる少女が運命のいたずらで大出世をして超池様と結婚(良かったね)して――しかし、これも何かのいたずらか、結婚に失敗、挙句は無一文にまで堕ちて、何だろう? と何かを探る心の旅に出て、物語はここから始まり……以前よりも大成功を収めるストリーになって、みたいな。その際に、ヒトとヒトの、出来事とヒトの、生きと幸せとの、知的世界を掘り下げ永遠のテーマになるようにさ。だって、テーマがいい加減だと只の一過性の娯楽物でオワルでしょ、シッカリとしたテーマには知的要素が絡むでしょ、そうなれば人は皆集まるんじゃないですか? 人は好奇心の生物。正しくは皆、生き物は好奇心のかたまりだらです。好奇心があるから反応する、考える、行動する、立ち止まる、前進する、楽しむ、哀しむ、なのである。つまんないものに反応するイキモノはいません。死んだモノか眠ってるモノだけです。


視聴率のためなら理性もかなぐり捨てる連中が多いの―ぉ。そうしないと左遷されるからです、やっぱワルなやつは一人だ、この一人が、社長とは云ってない、社員のうちの幾らかも含むからです。会社全体を、社会全体を、僅かな者たちが覆っている、結果大きくなり、となっていく元凶主となっている。

よりブロードな目で見ればこれからはどの会社のトップには、モラル監視員会なるものを設け、常時監督助言する必要がある――直近の例として(非公式委員会であったが内部告発によって、ミニマム計算でも月給一億円は不正操作によるとかで検察庁に逮捕された日産会長ゴーン容疑者の事例のようにであるから更に強固なものとした委員会を設けてる必要があるんだよね―)。

突拍子とっぴょうしもない提案かもしれないがしないよりはましなのでチト具体的に云ってみます。

違反した者は制裁金一億円並びにトップ陣は交代(最悪はこれでは会社はつぶれる、いいのです、新しい執行部で新たな会社を興せば)。監視する委員会メンバーは交代制による国民一人ひとり、おでん屋のおかみさんおけ、ブルド―ザ―運転手さん、大学生さん、マンション理事さん、ビル解体屋さん、幼稚園の先生、お坊さん、もちろん国会議員秘書さんも、とか身分じゃなく意欲と誠実味ある人なら誰でもおけにしてさ。一回出席して日当10万円、2週にわたるときは計10日間として百万円、一か月出席なら二百万円かぁ、これなら誠心誠意真剣にやるやろ。 

呉呉くれぐれも、社会的地位でもなければ学歴やキャリアでもなく人望とまでは行かなくてもゼッタイに人柄だけはある者を委員会メンバーとして選考すべし。

ここが難し。

いや、簡単。

その人のペラペラ口語録ではなく今までしてきた行状の逐一を調査し、評価できる人物かを決める委員会を別に設ければいい。はて? どのくらい居るかがまたしても問題。居るには居るはず数は少なくてもおけ。

――人柄有無の判断は既に法務局に登記してあるファイルからチョイスすればいいだけ――たとえ総理でも登記してなければ選考外となり高校生でも登記されてれば委員会メンバー推薦とか。――

最初はどんな革新的なことでも絵空事と云われるんだよ。要は踏み出す一歩が必要なんだ。と自問自答してるというのが正直なところである。

自転車屋さんのライト兄弟が飛行機を作った、飛ばなかった、直ぐ地上に落ちた、みんなが笑った、やっと八メートル飛んだ、どうだい今じゃ、ビューン!ビューン! 地球一周4万kmも飛んでるじゃないか。

ベンジャミン・フランクリンが凧を上げて雷から電気を取ろうとした、取れなかった、何度しても失敗した、失敗して良かったのだ、取れていたら即感電死していた。

これが今じゃ、風から水から太陽から地下から物理反応(原子力)から電気をガンガン取り出しているではないか。いずれ空気からだって人からだって電気がとれる時代が来るかもしれない。

真逆まさか

あるのさ! 

電気ウナギと同じように体内の神経細胞に流れてしびれが、ジッジーン、ピリピリとなるときがあるじゃないか。

黙ってても通じちゃう以心伝心は、きっと、電波が飛ぶからだよ。眼と眼が合っただけで(あ~ぁ、あの子おれに気があるな)というのもさ。

雷からは依然取れてないけど。どうするんだ? その原爆にも匹敵するエネルギ―防御を? 広島の原爆の約3200倍。よく分からないが物凄い事に違いはない。一遍で死んじゃうぞ。あっ、そだ! AIロボットに取らせればイイ。

 このようにワンポイントではなく更に物事をより広く解しようとするなら、事務所や会社や社会からの無為な犠牲を防げて、一般の誰でもが直接民主義に参画できるようなシステムにしたら、快適な職場環境、画期的な TV 番組、エンターテインメントショ―、文化、社会、意外や、画期的な発明発見、そして、大衆の為の個々個人の為の政治だって実現できるようになるかもしれません。

何故こんなことができないのでしょう?

分からないから――やる気が無いから。

では、ありません。

正義より自分だからです。

みんな目の前の事に忙しいからです。vs. ちょっとの余裕でいいから以て行こうではないか! と云う人が増えてほしい。


 どうして人は人を偏見視するのでしょう?

自分の方が偉いと思いたいから。

今日でも芸能界スポーツ界(連日テレビに映ってる人たちで)、経済界(ロッテceo・いつもニコニコ顔のソフトバンク ceo 等々)で、過去に何が遭ったにせよ、また、施設に送られたことがあっても在日であったにせよ、活躍してる人たちいくらでもいる。

あの美貌絶叫の人気女優さんだってあの大物歌手さんだって(肌と歯並びを見れば日本人でないことは直ぐ分かるという人もあり)。

しょうがない、元々この島に住んでいた縄文人は歯並びが凸凹、混血した者も歯並びは悪い、が大陸からやって来た弥生人のは綺麗。

だから今でも、あ、凸凹だ! 縄文人だ! とすぐ分かるのです。

この縄文人・弥生人の種はホモサピエンス。どうして同族と見てやれないのだろうか?――すでに絶滅した多くの旧人類種やネアンデルタール人種なども含むホモサピエンス。「賢い者の意」となっているがどうだろう? もし賢いなら人を殺さないでしょ、戦争をしないでしょ、人を騙さないでしょ、正義から目を逸らさないでしょ。どこが賢いのでしょうか? 只今も未発達の進化形ですね。―― 

短足胴長、みそっ歯、メガネザル、がジャップだ! と若し行った先々の海外で中傷されたらどうしますか? 云い返してやれ! 未進化の毛尨毛むくげゴリラ、ちげ、西洋人! と (云わない方がいいですよ)。ど―しても短足を忌み嫌うなら結婚相手は足長の人にすればいい。


芸能事務所は金のためならエロ業さえ請負、何一つ人として自由に恋愛することすら禁止する契約趣意(こんな類はこの職種に限った事ではない)。

契約書としては双務契約つまり口頭約束――口約束も有効なのだが文言次第では名ばかりの契約書で実態は奴隷契約書となるのです。

『恋愛禁止』とした定めた契約事項は憲法24条の『婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。(中略)法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して云々』に基づき違憲――そう謳っているのであるから「相手が『おけ』」と云うところは世界中何所であろうと誰とであろうと恋愛は自由なのさ。

けど『相互の協力で維持』ともいってるからつづかせるにはこの両者をそよがせる必要があるのは当然の事で、そうすれば永久とわな愛を金髪さんと共にゲットできるかもしれない。

『恋は思いが静かにそよぐ(戦ぐ)こと』っていうでしょ――聞いたことが無いと――いいじゃないか細かいことわ。穏かにそよぐ風はキモチい―でしょ! そうやってたたかって相互の誠実さ(21条『個人の尊厳』)は出来上って行くのさ。このいくさに敗れた者は恋の荒廃を見ることでしょう(ゲッ)。

なんとお堅い文言だ事、良い事はどれもかたいんだよ。だからよく噛んで栄養にしましょう。

おまけに二年間事務所移転禁止の規定違反の場合は高額な賠償金発生、これでは最初から人を唯の万札扱いしてるだけではないかと気付く。

弁護士に相談するとさらにアツく燃えるのは弁護士側ご自身。商売だもんな―あ―!(弁護士さんに失礼ですね。いや、熱意と捉えればいい)。

押し切られたかどうかはどうでもよく、意を決し、代理人を介し事務所に辞職願を出す。

「辞職願いだーあっ?! 目の前に大女優のチャンス来てるぞ。少しぐらいは事務所の為にも君自身の為にも我慢してくれ!」と社長とひと悶着の末、ようやっと奴隷制から解放、当時交際中の一般人と結婚したのでした。アツくなると仕事より恋となる。仕事優先にしてると賞味期限が切れていざ結婚したいと思うときは何処か難点のある売れ残りしかいなくなる。

交際相手は誰でも知る有名大会社の三代目を継ぐ予定の現イケ面執行役員(現在でもテレビで連日派手な広告を出してる会社です)。

が、恋が愛には育たなかったのか、相性不一致か、どちらかの気紛れだったのか(つぶれる原因は大概この辺である)、結婚は長続きしなかった。

大昔、といっても昭和だが、国民的マドンナと称されるほど超美人で東宝の看板スターである大人気女優hは――東宝が 1961 年から 1971 年まで製作した全 17 作から構成される若大将シリーズのマドンナ役として活躍したが――これまた新興財閥 y の御曹司と結婚し日本一高級ベッドタウンの田園調布にしかも駅前の超一等地で新婚生活に入った――父親のホテルニュージャパン焼失の賠償責任から後にこの土地は失うが。

良かった。

直ぐに終わった。

という類は今現在でも、特異でもなければ珍しい恋愛事情でもない、どこにも起きてることなのです。

恋は、唯楽しければおけ。

結婚は、はぐくむ努力を伴う。

はて? どっちがいいでしょう?

花火を好む派は前者。けどその場だけで消えます。

美味しい料理はたまらない。手を加え真面目に作るからだよ。幸せとはこんなものだよ。「賛成―!」と云う人は後者の美男、美女にちがいない。

ちな、料理は女の役目! と云うやつとは結婚しない方がいい。イクメンもすれば家事もするのが男女平等ってもんさ。

主人と呼ぶ派はそれはそれでいい、が云ってる本人は自己満足のカモフラージュに映ってならない。『主人 vs. 従者メイド』になるぞ(アメリカ人はじめ西欧諸国で決して妻を、master=主人とは呼ばない)。妻は、夫、旦那、と呼ぶ人は、男女偏見のない人。それでもな人は(古いぞ、江戸時代に生きる、井の中の者になってる、性的嗜好の M をしてる、の声が聞こえてきそ)。

『汝はこの者を夫として迎え、病める時も健やかなる時も、夫を愛し、貞節を守り、よく従うことを誓いますか?」 「はい、誓います」』と二度も夫と云ってるではないか、どこにも主人とは云ってないぞ。主人(主)はイエスキリストだけである。


 「日常茶飯事にちじょうさはんじ」って「相変わらずの生活」の意味だと思ってたけど違うんだなぁ。辞書でう「日々の有り触れた事柄」ではなく。

「メシを食って栄養を摂る」 「茶を飲んでキモチを整える」という大切な行事なのです。

いつも通りの日々、お茶を飲んだり、食事をしたり、御洒落をして出掛けショッピングをしたり、あそこへ行って友だちと話したり。そのような極有り触れた出来事を中心で生活は回っています。これを「日常茶飯事」というが生きることのほとんどで、牛耳ってるとまではってないが、つかさどってることだけはたしかなのです。

この中心は愛であると思っていたが、甘いんだなぁ! 実はちがうようである。

生活上では愛より富の方が重要視されるからです。しょうがない、生きるためなのだから。むろん愛は鳥渡ちょっとあればいので、どうやって愛だけで暮らしていけるかってんだい。

『貧すれば鈍する』という通り、生活で苦しい立場に立たされると、もう全部が全部頭の天辺から足の爪先までがやに見えて結婚は無理無理となりかねません。

男は、 数十カラットのダイヤあげる、連日バラの花束をこれでもかと色を替えプレゼントの放題しまくり、シャネルの服や装飾品はいくらでも買ってあげる、顔は普通。頭も特別な取り柄無し。

すると女は、それらを男の甲斐性、優しい、頼れる王子様、カッコイイ、と思い込んでしまう。どちらが悪いのでしょう? 

いくらモテ期マッハな十代でも、いくらスポットライトを浴びている女優たちであっても目がくらむ強力スポットライトを浴びてれば目は霞むわね。「恋は盲目」となる方も悪いし、モチ男の方も良いとは言い切れない。

人柄を見抜く目がないまま結婚するからこうなるのです。

若し、居なければ30になっても60になっても人柄の優れた人に出会うまでは結婚しないで恋だけをしてればいい。

結婚とは命も一生も全ても上げてしまうようなものだからです。一度あげたものは返してくれないぞ。使い古されるだけである。

60歳はヤバっ! 子を産めなくなる。そゆうことだから妥協も必要なのかもしれないが、人として味のある人をゲットするに越したことはない。が、頭と欲が別なのも人間なのである。

一生を上げて良かったと思う人が一体どれだけいるだろうか? 半数は居るだろう、じゃ残りは 50 パもいるのか、50 パしかいないのか、それほど結婚とは大ギャンブルでもあるのです。

三人に一人が離婚する時代。これ以外に家庭内離婚を、既に男と女の性別はどうでもよく唯の乍(ながら)として相棒となって人たちを、等を含めると実際はこれを上回るだろう。

然(しか)し! 3人に1人か2人かはしらないが、たとえ月末に金のやりくりに困ることがあっても幸せに暮らしているのも厳然とした事実となっているのだから結婚は良いといえるのです。

男もである、いくら美人だからと中身まで美人とは限りません、平和を食いつぶすってことも、別名トラブルメーカーと云われる方々には特に美人さんにいるらしい。原因は、美人だから周りの男が常に寄って来る。家庭不和があってどうやって男の居場所を確保できるかってんだーい。

――快適な男の居場所は三つ「スリル」 「遊戯」 そして、やはり「自分の落ち着く人」……順位は、前者二つは二の次で「心落ち着く先」が一位なのである。――

と、云ってきたことは唯の呟きであってほしい。


 年老いた母を気遣うことも重なり、あれほど嫌がっていた水商売を継ぐことになる。

母子家庭の下で育ててくれた生い立ちにこの娘結美さんも母子家庭の『てつ』を踏むことになる。前夫との間の子を育てるのと引き換えに得た慰謝料と月々支払って貰う養育費念書との許、バツイチとなる境遇となったのです。意外や本人の顔は晴れ晴れとなっていた。

失敗をしない人はいません。『轍』は過ちを繰り返す『失敗』の意味です。誰が決めたのだろう?

通り過ぎた後の泥濘ぬかるみを作った車輪さんが決めました。

一度してしまった行動は形として残り、再び二度三度同じ繰り返し元の形の所へ車輪は行き易くなる。

この通説如何で環境の形はガラッと変わってしまう。

 

この通説とは、へッブ則( Hebbian networks )の定理といって、脳内ニューロンの働きなのです。

――脳内の神経細胞間の神経は一度経験したニューロンを、シナプスの伝達効率が増強するため、発火し易くなるという科学的な知見である。

このことから、特に医療、工学系、心理学系の脳科学研究者たちにとってはブレ―クスル―するような画期的な解決策として目下大いに研究に役立っていて……工学系の話だがこの原理をコンピューティングにプラグインできるようになると人間脳とまったく同じ並列思考となって複数のタスク処理を同時にできる……現行では一つひとつを行っている……ようになり革命的な利便性をもたしてくれるそうです。まぁ、専門的な話しはそれはそれとして。――


 そうかぁ、生理的な現象なのかぁ……だからどうしようもないのかぁ、短気な人は『また短絡! またショート! いつも切れる』となり性犯罪者も『またかよ―! 懲りもせずに病気だわ』となって安易に快楽へ堕ち易い者は『今度こそ立ち直ります! もお! ヘロインの怖さを知りました』と頭では分かってもまた繰り返してしまう生涯治り難いれっきとした科学的的根拠となっているのです。

傷害事件・性犯罪・薬中毒は再犯率が高く繰り返すのはこれが主因と云われている……だから、もはや病気というしかないのです。

現行裁判では、関係者の知的レベルがそこまで至ってないせいか、赤ちゃん以外は誰も粗(ほぼ)例外なく一往に病気扱いとされることはなく「通常の善悪判断能力ありとして責任能力判断ある加害者」として罰せられのが現状の既判力、つまり、同じような事柄が別の裁判で問題になったとしても確定した終局判決に従うとする暗黙の了解ルールとなっているのです。

刑法第39条には『刑事責任能力のない人は処罰の対象外とする、または、処罰を軽減する』と明文化されていて、例えば赤ちゃんの場合、足が車のサイトブレーキに触れて走り出した車が誰かに怪我を負わせてしまった。これは赤ちゃんに責任は生じません。無論監督責任の親の責は免れることはできない。このように赤ちゃん以外は本人がいくら病気と主張しても「責任能力無し」と認めさせるのは至難の業ってことになる。

だからいくら酒を飲んで泥酔でいすいだとしても脳ミソは常に健全かつ活発に保っておきましょう「酒が入ってて何も覚えてません」はゼッタイ通じないので。いや、酒は程善く、泥酔は拙(まず)い。

 脳内で一度発火して行動したことは、その脳内シナプスの伝達効率が増強され易い(発火し易い)という知見であるから、容易には人の行動パターンは変わらないということだ(良い点といえば長期記憶力という学習効果もあるのだが)。

ひとつ解決策があります! 新たな旅に出ることです。普段見慣れない風物を楽しむことです。

環境は人だから、どこで佳い人に巡り会うか、やってみなければわからない。それでも仕方ないと諦めていると、尻ごみさんと云われ、いつまでも悪環境からの脱出は無理ってことになります。

別れ推進派ではありません、結合推進派である。

納得できる人に出会えるまで何度でも旅の繰り返しをしたらイイ。そのように何度でも再起動を繰り返すうちに中身は修正されていくでしょ。そうしたら成長した姿に魅かれる王子様が、姫様が、何処かできっと、現れる、って。

時間は人を成長させるもの。中一の時は「恋は永遠に続く」と信じ切って中二になると「恋より身体」となって中三になると「恋は続かないかもしれない」と実感し始め高二なって「恋は恋、恋を愛に育てなきゃ」と気付きはじめるように成長するもんさ。成長した人に魅力を感じない人はいないでしょ。


 色白な一見麗人風なお姉系である。されど依然として憧れのスターをしています。「『恋は』『来い』」と云って、魅力ある人に惹かれて行くのは当然である。

「魅かれる? そうです! イケメン第一だよ!」

「だよね。中身なんか判るわけないし」

これが恋の出発基準となっている。しかしこれだけではやって行けないのが恋愛事情、合わなくなったら、鼻に付いたら、一遍で恋はぶっ壊れる。いずれ中身は分かる事なのだからやはり重要なポイントであることに違いはない。見掛けも中身もグッがベストなのだが、さあ、居るだろうか? 居ます! そうなるように二人が共に工夫すればいいんだよ、これが、恋の生長ってもんさ。生長してない果実を、旨い! と云うはずがない。


 スラッとしたナイスボディ―・美脚・美人・男好きな顔・話上手、これじゃ結構ハマる者が居てアタリメエだ。寄って来るのが常連ファンであろうと芸能人ファンであろうとファンに違いはない。一過性ではなく長くつづくファンか否かが大切なのだから。

 いま、真も、話上手に魅かれたか、麗人容姿か濃艶な振るまいに惑わされたか、例の私道ではないかと思わんばかりの路のまた途の先にある奥まったモスへと連れだってテーブルを間隙に向き合った二人。

「ここに入れときますね―!」と結美さんが手にしていた桜の小枝をコップに立ててくれた店長さんの声に対し「ありがとう―! かっちゃん~! い~人~~!」と桜色な声を張り上げるあたり、たとえわずかでも相手に対するリップサービスを怠らない気遣い、流石客商売! との片鱗を見させて貰った思い。

「お医者様かっけえ、モテるでしょ? しかも池様だし、女の子が放っておかないね」

「あ―、モテるね、カネ目立てってのがわびし―」

「いいじゃないか、最初は金目当て(オンナ) vs. ヤリモク(オトコ)は。お互い様」と、さらに目を大きくして「なんも関心がないのに近づくはずないでしょ。その後は情(なりゆき)ってもんがあってさ、このレべ如何で先もあるしジ・エンドにもなるし。ここからが勝負だな!」とマジな目付きに、顔になるのを目の前にして真の目玉も大きくなる。

「お姉さんの恋愛論には適わないわ! って勉強になる―ぅ」

「結美でいいよ。だってこの世は男と女しかいないんだよ、どの道を行くかは本人の意志次第。お互いに良ければ男女は成立ってことね。他人様が口を出すことじゃないわ」

「ですよね。二人が良ければ何でもありだよね」

「なんでもって……云うねぇ。確かにハズカシもなにもかもなくなるけど。ではなく。いいっい! 恋に恋するばかりで、恋愛が充実してれば幸せになれると思っている人が多いんだよな。って恋をしていなければ不幸であると思い込んでるの。恋を愛にするにはどうしたらいいか分かってない人が結構居るのよね」

「へぇ―。ディ―プ! そうだ! そうだ!」と本当はこのときはどういう意味か解らないままでいた。

知るのはずっと後になってこの意味の実を知ることになるのである……『恋は楽しければ万事おけ』 vs.『愛はその人の全てを憶(おも)い遣る』なんだなぁ、って……だって、心にとどめ大切におもう、ただ単に思うじゃなくて。

『人30パ。異性30パ。情20パ』そして、友として戦友として時に兄弟となり母となり父となり20パ、って。

この辺くらいの繋がりで丁度いい愛をみることなるのでしょう。異性の対象者とばかり見てるとそのうち飽きます。同じものばかり、バーガーだ、唐揚げだ、焼き肉だ、ばかり食ってると飽きて、白身魚だ、ナポリタンだ、寿司だ、と他のものを食いたくなる。

親と居るより長く共に生活するのは真っ赤な他人とです。

しかも子孫代代、あの世まで繋がってく。

こんくらい仰仰しく理屈を飾りたてなきゃやってけるかってんだ―い。

25才と云ってるが30くらいではないかと云う者がいても知った事か! と、どこ吹く風なマイペースが却ってヤングに映る。「結美さんのポジティブさ、カッケよな―ぁ」すると結美さんは「…………」じっとこっちをガン見したまんま――何を云いたいのか? 繁繁しげしげと見入ってくる『目は口ほどに物を言う』きっと異性の対象者として観る目なのだろう? ドッキ! と眼のやり場にこまる真。「ね―ぇ! ジッと見るのは恋扉のノックなのさ」と一瞬妄想域になる真。男は美人には弱いってことよ――。

「今日はどうしたの? こんな早くから」

よこはまの叔母さんから乳がんが身体中に転移するだ死ぬだ何だと騒ぎ出し叩き起されて、私が運転することになって母を病院まで連れて行って来たところなの」オ―バ―に気にするのはA型が多いと云われてるが、血液型から人を判断したり占いを信じてみたりはどうも女性特有らしい。実は男性にも居るようだが「女みたい!」と云われるのを避けるためとぼけ顔してるだけなのです。

「あ、そっか、だからその桜かぁ! 洗足池の桜山きれいだもんね―」

「そぉ、第三京浜抜けてホッとしたところにあのピンクのお山さんでしょ」

「だよね、おれ的には上の野の桜は確かに『階段上から見ると豪華絢爛!』だけど、ちっちゃいときから馴染んだこっち方がラグジュアリ―だもんな―あ―」

「桜といえばあなた達の桜も有名になっててよ、いまどき長く続いてるなんてアッパレだわ!(密かにあのキスをしたつもりだったのが他人に見られていたとわ) このォ―! 色男め!」揶揄からかう笑みに濃艶な目つきでじっと見つめる結美さん、グラっともしたが触れてほしくない話題でもあった。

そこへ、先程来からこちらをジッと見ていた色グロ髭面の男性が近づいて来る「ママぁ! 俺ギタ―教室に通うことにしたんだ」(聞いてないぞ!)「あらぁ、ステキ」結美さんから真に目を振ると「彼氏?」すると結美さん堂々と「そ! ……一時間だけの」引きつった顔の汗そのままに「なんだビックリした」 「また寄ってくださいね」 「ギター持ってくよ」(しつこいぞ)とテイクアウトを持って立ち去る。

「だれ? 結美さんに気があるね。さっきから全力でこっちを見てたし」

「知ってたよ、無視してたの。何でも話によると、階上のおばさんが布団をたたく際にノミのカスが落ちて来るって不動産屋さんに苦情を云ったあとこじれて裁判までした人なんだって」

「へ―、確かに人がいるとこにゴミを落とすのは良くないね」

「ま―ぁ、花火大会の後にゴミを散らかして堂々と帰るようなものだ、余計な人間してると気付いてないだけに厄介だな」

(『あなた達の桜も有名になって……』のセリフが気になって)「でぇ?」と訊くと「あんね、時々深夜過ぎ、えっと3時ころになる時もあったかな、黒塗りの高級車で誰かに送って貰ってるみたい、特に土日わ。余計なことだけど。しっかり掴んどかなきゃダメってことな」(ホント! 余計!)。

「一応官僚だから公用車なんじゃないの」と返すと結美さんは「高級ベンツだよ、他にも高級車だったり」とのレス。

「マジ? うそだろ?」 一瞬間「…………」となった。が、云い継ぐ「ハイヤ―にはベンツもあるらしいよ。なんでも話によると主省庁が使用する年間タクシー代が30億円だってゆうから使い放題、それなんじゃないの」

「それ! 金券ショップにその家族が売ってる人も居るんだって。まぁ、女は魔性だからな」結美さん自身が原体験主だから『魔性』と断定したか、口が滑ったか、どっちでもいいが、妙に気になったので「魔性って?」と訊いてみると結美さんから暴露発言「世間様には 0.1 割の超金持ちが居て金の力にモノを云わせこれに盲従する女もいるってこと」と聞かされ、鳥渡(ちょっと)死んだ。

「魔性―ォ? 盲従? え、え、余計分かんねえよ」

「純情とけがれは紙一重ってこと」

「え―え―? どういうことですか?」

「真っ白な服に付いた小さくても黒い汚れは、完全には落ちないでいつまでも目立つってこと」

「あんさ! それって佳菜のことなん?」内心ムッとした気持ちを抑え作り笑いをしながら問うと。

「ちがう! ちがう! 一般論ね。純情ってピュアってことでしょ、真っ白ってことでしょ。その白に付いた色は一滴でも目立つでしょ、そうなるとその色はちっちゃくても真っ白な紙に大きく際立って映るよね。まぁ、いつか分かるようになるよ。もおこの話やめよっか」

上から目線、余計なお世話だーい! 止めてほしい! やめてほしくない! のせめぎ合いとなる真は矢継ぎ早に「ほ―ぉ、白い紙の黒は少し付いてるだけでもめっちゃ目立つよね……そういうことなん?。一応後学のため知っておいた方がいいかなって」

「そ! 真ちゃんのために云ってるのよ」で「一晩に数十万が数百万円にもなることがあって、それ以上もだよ」しかも「しっかり目を開けてないと災難に遭うってこともあるでしょ」と顔色をうかがいながら「その手の会員制クラブが青山銀座他全国にあるけど入会金が並みに数十万円、アップな女性好み派なら数百万円が相場。VIPなら数千万円で入会を受け入れる高級クラブもあるってこと」仕上げに「その後はまた別料金ね」と並びたてた結美さん、カップに付いたるルージュ―跡が自棄に目立つ。

「スッゴ! …………」予期してない言葉だった――唖然となる。

「まぁ、特別といえばそれまでだけど、女は魔性、そうなり易い質(たち)ってこと。男は金で快楽を買う天魔波旬てんまはじゅん――性欲まみれなオスも居るってこと。もう聴きたくないやろ」

「…………」 「いや! 知りたい!」

「云っとくけど佳菜ちゃんがということじゃないからな」

「分かってるよ!」

「需要と供給ってこと」と云うと真の貌色を伺い、平然とした表情でいるのを確かめると継いで出た話は。

「お客さんの話だと日本各地そして世界へもブランチを設けて『モデルプロダクション直営の為、容姿端麗のモデル、イベントコンパニオン、モデルの卵、その他 OL、大学生、ナース、客室乗務員等多数在籍しております』だけじゃないのよ『上質な出会い、上質なひととき、スマートな大人のお付き合いを望む方をエスコ―トしております』と勧誘を謳っていたり『主に会社経営者・上場企業役員・弁護士・IT関係・外資系企業・業界関係者などの身元確かな多数のエグゼクティブ会員が登録しております』なんだよな『全国に展開する信用のおける法人芸能プロダクションが経営してますので安心です』とことさら安心感を与え世間を憚る社会的地位の高い男心を唆(そそ)るキャプションを掲げていたり、それはもう、他にも暴力団が経営するこの手のデートクラブもあって。みたいな」

「参った! 参った! 官能小説の世界かと」それにしても詳しいなぁ、ま、いい。

「でもね、リアルに有るんだよ。紀州の n 社長の場合は一回に付き女性へのチップは50万円からでエキサイトすると数百万も一回でだったとか。これに真っ白な地の子ほど、男が狙った色に染まり易くなるのよ」

「ワオ―! 刺激強過ぎ。それってセックスワ―カ―ってことじゃんか」

「そ! 売春な。でもそれじゃ捕まるっしょ。だから好みの女性を紹介して貰って当事者二人は好みの時と場所で好きなように別にデ―トする事になるの。そうすれば普通のお付き合いになって警察は手が出せないでしょ」

「デ―ト? じゃ……ヤバ!」

「男女ともあの営みだけは触発され易いもの『上の口と下の口の両方の相性が合ってうまくいく』ってゆうでしょ。そうじゃない男と女としては点を下げることになっちゃって続くものもつづかなくなる……何云ってるんだろう」と云う割には涼しい顔付してらー。さすが結婚歴もあって愛の深層の何たるかを知った風な大人の女性って感じ(成熟した女性ってなんだろう? 『自分を満足できる生き方をしてる人』と知ったのは既に桜子さんからであったがここにも結美さんが。女性って可愛い顔して意外と大人なんだなぁ……いや、いや、男が幼いってことかぁ? ……と気持ちの隅っこで認めていたりして。あ―ねぇ! だから女は『男は子供っ』ってゆんだな)。

「触発? 下の相性? いや、まぁ、何となく分かるけど」

「ま―ぁ、簡単に云えば、大金を前に女は……だって超億万長者の数十万・数百万円は千円か一万円くらにしか思ってないじゃないの……目の前にぶら下げられたらどんな事も受け入れる女もいるってこと」

「こんなの常識だよ」――「 k 有名化粧品会社会長さんだって 79 だよ、連日テレビコマシャールしてる n 有名通販会社 ceo さんだって 77 だよ、それでも夜な夜な女をしたい放題、本当だよ。億ション買ってあげて使い放題にさせて、名義は自分にして、そこでだったり高級ホテルでだったり」

「えぇ―? じゃ、ベンツってその手の野郎たちかぁ?」

「分かんないよ。でもこの商売してるとね、お客さんは色々。大声で、自慢げに、有ること無いこと話すでしょ、中には秘密事も得意気に、お酒が入るとみなペラペラになるからね―」

「マージ―ッ、別世界の話かと」

「いい―い! これはリアルな話だよ」

「うん!」 「…………」一瞬、そして、時偶ときたま、またしても思考停止となる真。

白い指に挟んだタバコ、濃い目のマニキュア、余裕のある仕草に顔付き、成熟した女性を漂わす。火を付けフーッと深く息を吐く、煙が辺りにゆっくりと、陽に混じり紫色に。霧雲きりぐもかげりとなる。

その煙の口から「東電 OL 殺人事件って知ってる?」 「あ―、ニュースで知ったね」

「東電のk氏当時 71 歳会長さんって、2017年度総売上高は原発損害賠償等差し引いても 6 兆円も儲ける超リッチ会社のトップな人って書いてあったけどテレビで顔を見たことあるでしょ」

煙草を消すとその口から「その時有名私大 k 校二年の女子 y 子さんを、その母親はポン女卒の良家の出身であり妹も順調な人生を歩んでたが、東電に引き入れて唐突いきなり企画部付役員に据え、女性としては異例の管理職ポストを演出してやって y 子さんの見栄心と高額なゲンナマを目の前にチラチラとエサにして、実の目的は強引に迫って迫っての関係に」 

つい今吸ったばかりなのにまた煙草をくわえて「孫ほどもある年齢差の y 子さんは、男のおもちゃのまま……それとも彼女のほしいままに仕込まれたのか分からないけど、これが性癖の怖さってやつなのね。長年にわたり training(調教)され放題で本人が気付いたときは徐々に……ついに三十歳を迎える頃には渋谷ラブホ街――円山町で倡婦にまで堕ちて夜毎男なしには居られない嗜癖しへきに堕ち込んでいったということな」と云うと一息に喉を通る結美さんのコヒ―のゴックンの音が響き、こっちまで唾を飲み込みたくなるようで。


一息つくと真は「嗜癖って何?」って訊くと「あ、或る特定の行動で或る特異な行動を好む性癖になっちゃうということらしいよ」 「へ―え、そうなんだ」 「日本人って繊細というか複雑な感性を持ってるでしょ、日本語と同じように。だからあっちの方も限りなく複雑なのを好む人もいるってことかもな」 「ゲッ、ヘッブ則は正しかったかぁ! う? 言語と感性と関係あるの?」

「そうね、ヘッブ則もだけど。大有りよ」だってねぇ「他人の痛みを自分の痛みとして感じる心とか、美的センスだったり、もののあわれ、懐かしさ,家族愛,郷土愛,国に長く続いて来た文化・伝統・自然を愛する母国愛、社会的な恥も文化的な価値でも全部がそこに住む人の風土から生まれてきて、それが言葉になったといえるんじゃないの」

「な―るほど。俳句って繊細だもんね。外国人が真似したくてもできないしね」

「そうぉ! 『言葉は郷土の賜物』ってこと」いいーい?「ピストルで人を殺すのが流行ってる国では kill って殺すってことでしょ、これをよく使うフレ―ズがいっぱいあるのは郷土癖のピストルと関係があるのね、『 You’re killing me with your love. (あなたの愛、私、たまらないの!)』『 You’re killing me. It’s too funny. (超うける!面白すぎだわ)』って誰も殺してないのに使うのは土地柄が生んだフレーズ。日本語にそんなの無いわ」――「語順だって結論を急ぐ性格上から主語の後に直ぐ動詞でしょ、これも郷土気質の所為せい

よーく知ってるなと思った真は自分も! と知ったかぶりをして「そっか、だから日本語は会話するときの音が、日本語で102音、英語1000以上(3万という人も)、中国語400超え、韓国語300以上と日本語の音よりはどっちにしても多いけど。だから外国語を聴くのもやっやこ過ぎになっちゃうんだよ、そうかーぁ、そっか、んだから中国人や韓国人はへっちゃで英語を喋っちゃうのかぁ―」

「ほーぉ、それは知らなかった」

調子に乗った真の口は止まらずに「あ―あぁ! 思い出した。だから日本人留学生がアメリカで射殺された事件があったのか。ハ―ロウインに浮かれてこの家の人にも祝ってあげようと庭に入って『プリ―ズ』と迎い入れて貰ってこりゃ! 歓迎だ! と聞こえて一歩踏み行った途端ドッカン!」――『フリ―ズ(frieze)動くな! 止まれ!』を『プリ―ズ(please)どうぞ~』とミス聴きしからだ……確かにペラペラしゃべってる英語はどれがどの単語か同じに聞こえて、気付いたときは分からないまま終わってチンプンカンプン。井の中では「豊かな日本語語彙! 日本語誇れ!」が外の世界では音足らずな日本語は不利だなぁ、って。ちな、撃った加害者は裁判でお咎め無し……「罰するに相応な合理的事由無し」だってさ」。

因(ちな)。日本語には、文字一つ一つに意味を持つ漢字がある、これを表意文字という、ひらがなや片仮名は表音文字という。日本語はこの表意文字と表音文字を併用して使う言語だが、英語は表音文字だけですべての意味を表現する。どうみても日本が側からすると喋るのも聞くのも不利(水と油)ってことなるのです。

――表音式の仮名遣いを用いるべし! と主張した上田万年うえだかずとしおり(この時に変えてれば今日これほど国際的に不利になることなかったのに「伝統大好きというか保守的な分からず屋」が多かったから」)―― 1888 年東京大学卒業後、 B.チェンバレンにつき国語学を学び,1894~1927 年東京大学教授、1890 年ドイツに留学して西欧言語学を修め,帰国後その方法を適用して日本語の歴史的研究の端緒を開いた国語学者である(小説家の円地文子さんは実娘じつじょうです)……おそらく、数年後には……無い! 無い! 五千万年後、一億年後には日本語も表音式に変わっているだろう!? 何故というと、昔々漢字の意味に関係なく音読だけで日本語を表した「万葉仮名」が登場したお陰で、その後爆発的に表意文字と共に表音文字(平仮名。片仮名)が貴族や大衆の間にも広まったからです。今、平安時代の「そうろうふ」を使ったら人は引くぜ、「ございます。……です。よろしければ。よければ。云々類」として目下使われてるのが論より証拠である。


ふむふむ! と聞き流す風に、煙を吹く息に混じって結美さんの口調も絶好調「ついに客の一人のネパール人に殺され」――後に冤罪と認定され無罪判決を得たけどいまだに未解決事件のままなのよと言葉を添えると「この翌年、k 氏は平気で常務取締役に収まったつ―う有名な話。でも天は見ていた、ほれ見ろってばかりに今回の原発事故じゃん、葬られたのは y 子さんと東北一帯の国民でしょ! ぬくぬく知らん顔は彼一人だけって話ね」と、吐いた息の煙はますます濃い紫色となって覆う。

「マジのマジ?」思わず絶句、パニくる、こんなにも自分は弱ったのか? そんなはずはない! と。

「TV新聞で連日大々的に報道してたでしょ! フリージャーナリスト兼ノンフィクション作家の佐野眞一氏による『東電 OL 殺人事件』や『東電 OL 症候群』って本も出てるし、だからホントの話! 国立 t 大出が泣くな。いくら頭が良くてもずる賢いとはスレスレ紙一重になるって危な過ぎだわ」

(じゃ、あの送って貰ってたベンツや高級車のやつらは?)と一気に脳内ゴチャゴチャ感にさいなまれる。


 そういや―、噂は噂だが娘に手を出した佳菜さんのお父さんも経済産業省出向の金融機関調査部長、一般庶民よりおごった鼻息になりがち、その影響からそうなって? ああなって? 以前病院で遭遇した時「お見舞いに」と云っていたが本当は婦人科で診て貰うためだったのか? それに加えてこの東電の k 元会長の話、老練をいいことに幼い女子を手籠てごめし放題の挙句に葬り去ったとすれば、こんなヤツらが現実に居るなんて(ざけんな! 怒鳴りたくなる! いや、殴っちまえ!)。

「真さん! ……ねぇえ! 大丈夫?」と云われ我に返る、一瞬アタマがんでいた。

(ヤな話を聞いた―あ―! そんなこと佳菜に限ってあるわっきゃない!)。

と、突然ここで結美さんは今までの紫色な煙を吹き払うかのように、ステイトメントをイッパツ「又、もし、結婚して子が生まれたら、いくら一緒に暮らそうといわれても、もぉ旦那に縛られた生活は要らないわ―ぁ! 自然に暮らした方がどれだけ楽しめるか! 人って自由じゃなくちゃね!」

なんとなんと、そゆう生き方もあんのかぁと妙に何処かでナットクもしてみる。「結婚ってなんだろう? 自然な成り行き」分かってる。社会的なコントロールがなければ家族制度は崩壊。が、たった一枚の紙に縛れる生活が全てとなるのもどうなんだろう? 特に女性側にとってわ、いては男性サイドにとっても影響大――なんか新しい生き方があるのかもしれない。

あります! 

事実婚です。

この形は不安定。

なら契約書を作って暮らせばいい。

契約書? そこまでして?

してです!

たとえば、互いの居住地は何何、夫婦の営みは、双方のプライバシ―は、生活費は、税金は、浮気をしたら、子供は、家事は、病気の時は、遺産は、という具合に事前に二人の希望や願いを自由意思で決めておいて公正証書として残しておけばいざというときは結婚と同じ法的効力を有す。

たとえば子が生まれたら法律上の婚姻関係にある男女の間に生まれた子どもの嫡出子ちゃくしゅつし として戸籍に登録、健診、予防接種、児童手当の受給等の権利を発するのです。

むろん、何かの契約をする場合でも、他あらゆる場面でも、この公正証書の存在を告げる(誰でも公正役場で自由にその人が120歳になるまでのファイルを閲覧することができます)ことによって通常の法律通りの夫婦として扱われます。只の同棲だけだと戸籍に入れてないから通常の夫婦の権利ないし受給は難しくなるだろう。

少なくても現行の結婚制度のように、特に女性にとっては、「何何すべき! 女はこうあるべし! 女のくせに!」また男性にとっても「契約した内容に応じて一定の刺激があるためパートナ―として賞味期限が延びて好都合かもしれない」とした従来からの生活様式に縛られた生活にだけはならないでしょう(そういや―、日本で女性総理大臣はいないな、議員数の世界の占める割合順位は 13.7 パーセントの第 140 位だって、先進国家のスウェーデンが 43.6 パに対して――どんだけ女性は損をしてるか、男性中心の今の社会傾向ではたして男にとっても何か不都合な影響を受けてはいないだろうか?)――あります。女性が社会に積極的に進出して家計を支えていると夫が蔑視される傾向を防ぐことができます「自由時間を堪能できるぞ」……逆に夫が主夫をした場合、家事に翻弄されるかもしれないが?。

2005年の国民生活白書によればスウェーデンやデンマークやフランスでは事実婚のもとに生まれた子の割合が 40 %を超えるそうです。これは日本の同棲率の正確な数字を確かめたわけじゃないが 1.3 %、スウェーデンでは 25.6 %、フランスでは 29.2 %に及んでいるという背景からだろうが、日本文化は明治以降今日現在でも常に西欧を追従してきた経緯からそうなる可能性は今後高まるかもしれない。

さて、どっちの結婚制度を取るか? それぞれ一長一短があるので両者共これがベストとはいえないが、要は結婚に対する価値観の問題がそこにある。

そもそも結婚は価値観が合わなければいずれ破綻するのだから、どちらを選択するにしても、価値観イコール性格が、制度うんぬんより、重要なポイントを占めることだけは確かです。

このポイントをクリアしていたとしても、どうしても現行制度、ナウ社会的慣習のような「女は家事を行うべし」また「結婚した女は家に居て何何すべし! 主人(この主人とした呼び方には違和感を感じるが)に従って当然!」さらに強制的に「子育ては女の仕事!」と周囲も押し付け「いくら君が母親で(父親としても)育児の為だからって会社より家庭を優先させるのは服務規定からいっても社会的にも道義的にも、君不誠実だ!」と縛られるのが嫌! ならその契約書を作って自らの権利を内外ともに主張すればいい。

個人の尊厳につき、法律はいかなる組織体よりも、いかなる事由(理由。原因)よりも、個人の権利を優先させているのである。「日本国憲法は『すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。 (13条) 』としているのです。

但し、事実婚の場合は公正証書にしておかないと効力は死に体になるかもしれません。公正証書とは、法律行為や権利についての証書なのだから法律とまったく同じ拘束力を発するためです。相手の男性がどこまでこの五千円以上、条件が多いと四万三千円超えもする公正証書代に同意するかが問題だ。

 「好き好き―い!」

「じゃあ、一緒に暮らそう!」

暮して一年がン年かすると鮮度が落ちて「居ても居なくてもいいや」となる夫婦が居るからですよ。

夫婦生活を長く新鮮に、程好い緊張感を以て、保ちたいなら事実婚。安定を望むなら結婚――替りに代償として女性は自由を縛られる――よい結婚生活のときもあるが楽しい結婚にならない日の方が多くなるだろう……「男性だって身を粉にして必死に働き家族を守り食わせていくのだからそれなりに苦労はしてるんだから同じさ」とそん前までは思っていたが事実は、結婚形にしても事実婚形にしても苦労に変わりないのである。さーぁ、あとはふたりに話し合うしかありませんね(『信頼と理解』が愛ってゆうでしょ。好いコトバだ)、が、この理解ってのが問題だ。怡々ついつい自分有利を前提として理解のふりをするもんねぇ。


 どうしたら一瞬が永遠に続くの? どうやれば幸せが続くの? と愛に幸せに希望に向かって生き続けるようとするのは誰しも人間なら普通。

さて、良しとなってつづくか? 悪しきで終わるか? そ! そ! どっちしても有為転変は世の習い。『諸行無常』と仏教も云ってるし『世の中は三日見ぬ間の桜かな』とみーんなも云ってるし、All worldly things are transitory.(この世のものはすべて過ぎ去りやすい)と世界中で云ってるからホントの事。

せめて悪しきには行かなように「人間の勉め(環境選び)」と捉えて、生きてった方が善いことに恵まれるが多い――あ、そ、と就中(とりわけ)考えることは無かった――と認識したのは後になってのことでした。

『覆水盆にかえらず』人倫は水のようものなんだよ。ひっくりかえって流れた水だもんなぁ、どう仕様もね!

そ―なんだよね『後悔先に立たず』だからもう『あとの祭り』だ。

自業自得さ! 諦めろ!

違うんだよね。

気付いたら「何度でもやり直そぉ!」と云ってる気がしならないのだよ。何故かというとね、諦めという環境を自分の内に勝手に囲って出れなるしてるからなんだよね。

多分だけど、大昔のその昔、男女に戸籍はなかったのだから好きならずっと一緒に居て死ぬまででもいいし、10年でもいいし。でなくなったときは他の別々の人と一緒に暮らした、或いは、独身生活を享受した、と思うんだ――互いの生活を新鮮にするためにね。

だって結婚って義務じゃないでしょ、したいからするんでしょ、したくなくったのに暮らし続けても意味はないだろ、只食うため、只子を産み育てるためだけなんて、それでいいの? それでホントに自分は満足なんですか? もっと自分を耀かせたいではないか。

「幸福とは、他人から宛がって貰うものではなく、ただ自分の良心に従って決めるものです」と戒飭かいちょくさせる真であった――自らが善心に対し気をつけて慎まなくて誰がしてくれるかってんだい。


ひょんな話しの行き掛かり上、結美さんと斯々然々かくかくしかじかとなったが、他日別な人とも同じような話題へ自然となっていく。

k 病院は専門の救急科が設けられておりその夜は当直医の任も重なっていて緊急手術を要する患者さんが偶偶たまたま二名も次からと搬送されると、もう仮眠どころか一睡もできなかったことから、流石にくたばって早目の帰宅途中にこれまたたまたま声をかけられる「あ、こんちわ」 「美味しいのがあるわよ!」桜子さんの莞爾にっこり顔がそう誘っている。

『美味しい』の一言に元気回復となったみたいで「いいんですか! でわ!」と案内されたのが店舗階上に在る小じんまりまとまった調度類がどれもキュート……ああ、女性って年齢に関係なく身の回りの物は可愛い系にるんだなぁ……窓辺からそらと雲が青く揺れていら―ぁ、吹き入る風でゆらゆらする花柄のレースカーテン、こっちまで揺ら揺ら女の子になったような気分になりそう。それよりもさっき云った『美味しい』って何だろう? とすっかり気は其方そっちに惹かれていたのです。毎度毎度直らない、美味しい話になると不図ふとついつい。

「話は話しを生んで話は独り歩き(桜子さん! やっやこし云い方しますね)最後は事実とちがう話しになってることは間間あるから、そうかしら? と一度立ち止まるくらいの余裕を持って話は聞いておいた方がいいわよ」と云う薬局兼雑貨屋オーナーの桜子さん、いつも以上に明るく鮮やかなマゼンタ色な髪、これが似合ってる女性は得、男性がすると「男のくせにド派手な赤紫色! 変な奴」と言われ兼ねない(テカテカな金髪色なら云われなのに―)。

「なーるほど。それができれば苦労しないよ、鵜呑みにはしないけど、じゃあ、どこを見て? 顔付だね」

「言葉で無く、話でもなく、実際の行動ね。顔付はふりができるでしょ。真ちゃんはまだ若いからどうでしょう? 行動といってもどうしてそんなことをするのかしらとゆう動機なんだけどね」

「うん!」ムズイ話には簡単に応えることにしていた。

それでもこの桜子さん、何でも知ってる、それ以上に此処らで知らない者は誰一人もいない。気は強いが心優しい若づくりコーディ大好きな目立ちたがり屋さん。欠点は放送局なのである。迂闊うかつに正直に応えようもんなら後で他の人達にどうアナウンスされてるかわからない電波塔なのです。

妹がここ長原にある花屋さんのおかみさんになっているのでよく現れ井戸端会議議長さんを務めることも屡屡しばしば。真とは親子ほどの年齢差にあったがこれが却っていろんな経験知を気安く聴きる対象者ともなって、よく話すことも多くなっていたのです。

それに加えて薬局オーナーと医院としての互恵関係から、父の医院から出される処方箋を患者さんはこれを薬局に出し薬局はそれに応じた各点数調剤料・調剤基本料・薬剤情報提供料・薬剤料という具合の仕組み関係にもあったのです。

なかには薬を 7剤以上出すと処方箋料が 300 円ほど安くなって損をするから場合によってはしないようにとか、互いに持ちつ持たれつの繋がりもあって、 医院の息子の立場にいる真には何かと親切にしてくれていたこともあったのでしょう。

若いころは気っ風のいい明治時代の社交界の華として世の男性をノックダウンさせるほど顔の彫り深く鼻も高く美肌濃艶な元ホステス(芸者)の陸奥亮子さん……外人ポイ顔付……タイプなんだよなぁ……男好きする顔立ち、アメリカ人達からも「ワシントン社交界の華」とその美貌に皆が憧れていたとの話、いま名残り 1/50 ほど。

お嫁さんにした奴が憎い。誰だ? そんな美人を一人占めするなんて(カミナリ大臣と呼ばれた陸奥宗光さんです)。明治 40 年( 1907 年)、条約改正や日清戦争の難局打開に尽力した功績を称えて今でも外務省内に建立した像があるそうです。やっぱなぁ、実力ある男には女は惹かれるものだ。

この界隈の放送局、何でも知っているデッカイ耳、されど人情味あふれる aggressive(超積極的)な桜子さんという名は勇名を馳せている、田園調布警察署から感謝状を貰ったことは町内誰でも知っている。その時偶偶奥さんと買い物をしていた非番のお巡りさん、警察官に間違いはないのだが署内では身分は幾らか低く留置管理係という部署で、通常「看守」と呼ばれているが、荏原警察署署員も居合わせ。

「キィィィィ―――ッ!」アツいブレーキ音のどよめき)。

マバタキする間もなく、仕入れ荷を積んだ軽トラが商店街入り口半ばで横倒。

転げ落ちた積み荷とトラックの間に下半身を押しつぶされた幼子、声無し、表情無し、 息遣い無し。母親真っ青! 絶叫! 凍り付く!

いくら押してもビクとも起き上がろうとしない、商店街主お客さん一同みんな総出で『二―! イチ !!』『二――! イチ !!! 』と必死に押し上げ、ついにその幼い子を引きずり出しました。

途端に泣き喚くなきわめく児、ごめん! ごめん! ごめんね! と頬擦りする母、ふたつの顔はぐっちゃり涙だれけ。拍手する一同。

この時、人呼び、号令、後から進入して来る車の交通整理、救護措置、等々仕切ったのが桜子さんでした。背はちっちゃいがアグレッシブ(思い切り良い)なデッカイ心の持ち主。

境遇は皆されあれど、特異な逆境主――実に世は不公平なツラをしてる――神が与えた試練だろうか、いやいや、神はいないのであるから『禍福はあざなえる縄の如し』といって『幸も不幸も、成功も失敗も、より合わせた縄のように交互にやってくる』ということで、それでも釈然としない逆境ってヤツはひとりに集中的に襲ってくる。

中 2 の時に両親を交通事故で一遍に失った身の上。

普通なら心折れて悪堕ちすることがあってもおかしくないが、ひねくれず悲運にも没せず、妹と更に下の弟との学費や生活費を稼ぎながら、東大大学院薬学系修士号ゲットまでをやり抜いただけはある。

さぞかし努力家プラス強い意志の持ち主にちがいない。

頭は普通でいい、この二つがあれば頭の良し悪しは後から付いて来る。

『天才(成功者)とは、1%のひらめきと99%の努力である』という生き姿勢がこれを実証している。実はこれにもう一つ、桜子さんに遺された遺財があったからなのです――意志だけではどうだったか? 何事も金。若しその金が無かったのならその「99%」に至らなかったかもしれない。


 あの発明王エジソンは『 1 %のひらめきがなければ 99 % の努力は無駄である』と云うのが本意であったと云う方もおられる。国際政治経済学者、元参議院議員として知られる h さんです。

氏の考えのひとつに『サウジアラビアの将来は大丈夫かと不安になる。いくら油田の上に国ができているとはいえ、お金の使い方が半端でないからだ。サルマン国王の毎年恒例の夏休み。今年もお気に入りのモロッコにある「夏の宮殿」で豪華な休暇を満喫とのこと』親が親なら子も子、息子のサルマン皇太子がイチ民間人であるジャマル・カショギ氏がトルコにあるサウジ総領事館を訪問後即行方不明になった事件、暗殺して死体をバラバラに切断しサルマン皇太子に「ミッション成功しました」という噂が世界中を飛び交ってるし、まっこと心配ぜよ! が、彼の相変わらずの機微のあるご意見、同感である。

しかし、99 パは無駄! 無駄って「余計な事」だよね、そんなことはない!

科学者がどれだけ失敗を繰り返し成功を収める確率がどれだけかは知らないが、科学を目指す人は何度好結果を得られなくても根気強く、また、真摯に真実を探究するくらい謙虚な姿勢でいて丁度よいのである。たったの 1 パが 99 パを満たしそれ以上千パもの可能性の、発見の、喜びがあるからです。

そうだとするなら決して余計な事(失敗事)ではない、失敗の中に都度学ぶことがあってこその科学の進歩だからです。


これと似たことをかつて祖父が云っていたことを思い出す「人はピンチ、逆境の時、こそ積極的以上にアグレッシブになれ! 挑戦的なくらい積極果敢になるくらいでちょうどいい、またそう自らが強くならないと乗り越えられるものではない」と。

ハングリー精神ともいうが「死に物狂いでがんばらなければならない」とも解されかねない、ちょっと悲壮感が付きまとうので相応しくない(昭和の昂奮こうふん激しい狂瀾怒濤きょうらんどとうの時代を生き抜かなければならなった祖父の気持ちも解る)。

明治・大正・昭和時代のように富国強兵国家を作ろう! ……と云うと一見聞こえはいいが実質は軍国時代そのものとなる、戦争という悲壮感を伴う、命を落としてまでどこが富国なのでしょうか? となれば「恵まれない環境から脱出するために持たねばならない強固な意志」くらいに捉えればいいと教えられるのです(だから貧乏なアパート暮らしから働きまくって土地をゲットし医院開設までもっていき息子(真の父)も医者にすることができたのだ。少し頑固な上にTVを観てると泣くことがあるが……歳のせいか? 辛酸を知り尽くした故(から)か?)。

「イイじゃないか、富国強兵のどこが悪いんだ? 国が富めば民も富むだろ。国際的な発言権も増すだろ」 「へー、そうかな? 自国を富ませるため、国民を、他国を、踏みにじって、どれだけ多くの内外の人達を無駄死にさせたことか」 「あらぁ、そこまでは知らなかった」 「ウソ付け知ってたはずだ。知って正義を見ようとしないのを何というか知ってるか?」 「知るか!」 「『偽善者』という。この偽善者こそが世をワルくしているのです」 「なーるほど。じゃあ、子のふりして騙す振り込め詐欺、君を幸せにしてあげたいと口先だけの結婚詐欺師、企業が栄えるのは国の為と収賄をする政治家、み―んな偽善者だ」 「ちがうね、犯罪者と云う」

どうすればいいかを本当は知りながら自分に蓋をすることを偽善という。

「そりゃあ! なんとかしてあげよ!」といって手を貸してあげた、或いは、寄付をしてあげた、親身になって話を聞いてあげた、これは信頼の出来る人、つまり、善の人。ところが内心では直(ただ)の自己満足。人に良いとこを見せたいから節税対策で寄付をした、これは偽善行為。松下幸之助が節税を兼ねて大阪市民の利便性の為に歩道橋を作ったあげた。これは人の為になることだから慈善行為。

「銅の弾が当たったら痛いぞ! 戦争反対!」といって具体的に行動を起こす人は信頼に値する人。「でもなぁ、自分じゃなく他人が勝手にやってることだもんなぁ、お上から目を付けらるしな」と心奥では何とかしなくてはと思いながら口先だけで「やめろ! 戦争反対」と唱えるだけの人も偽善者と云わざるをえません。

「そんな無理だよ、彼女を口説くと優しくなるだろ、自分を目いっぱいよく見せるだろ、これを偽善なんて云われたらなんもできないじゃん」体目的なら偽善者、誠の愛の為にするなら善の人。善と決めるか偽善者と決めるかは自分ではなく相手です。


 またこの事は桜子さんから聴き知ったのだが「話の本当、嘘は、何処にtrigger(トリガ―)――一連の出来事のきっかけとなるものだが、動機は何処にあるのか? をみて判断した方がいいよ」と言ってくれた話になるのだが。

 この代表格に何故か坂本直柔なおなりさんの話と重なるのです。後の坂本龍馬です。

この名は特に時代劇大好きな方が明治以降に好んで使った名といま識(し)る。

明治政府を拓いたカッケー人、と明治政府もそうキャッチフレーズを打ち立てた方が都合が良かったのでしょう、広く皆がそう云うようになると、そうかなとなる。そうすると大衆は便乗して盛り上がる、有頂天になる。少しくらい信憑性が無くても英雄好みは誰でも好きだから。

明治16年になって土陽新聞が掲載した小説家坂崎紫瀾さかざきしらん創作の『汗血千里駒かんけつせんりのこま(昭和初期の東映の時代劇みたいなタイトル)』で頻繁に坂本龍馬の名が用いられあたかも史実のように描かれ、次いでこれを知った国粋派の武士道精神大好きな作家 s さんが時代劇小説中の『龍馬がゆく』で巧みに描いたフィクション(作り話)となって世の大多数の人達が信じるようになったのが事の始まりなのです。

所々に史実を織り混ぜながら作るもんだから全部が本当のことだ! と映ってしまう。どこかの局の大河ドラマもこれに便乗したにすぎないのです――どっかに建立した銅像もです。

皆が信じると嘘も真(まこと)になる恐ろしさ――原爆投下はアメリカが悪いと異口同音にいうが(確かに百%ワルい!)、そう行く前に若し国内で戦えば原爆以上の犠牲者が出たことは必至、つまり、当時負けることは必定の状況下にあったのだから「降伏宣言」出していれば原爆投下は防げた筈。何ゆえに政府は出さなかったのか不思議でならない――国民一人ひとりの命より自らの自尊心を優先させた政府関係者と国民性。これを意地という。

文化勲章を選考する側が国粋派なら、国粋派の人を選ぶに決まってる。

が、取材活動は、新聞記者時代の杵柄きねづかか、綿密な調査活動を行うという点では見習いたい。

その割には、あともう一歩考察してればあのような龍馬! 英雄! とした本は書かなかったかもしれない。万が一、知って書いたとすれば――偽善者――今まで s に対して抱いていたイメージが狂ってしまう。売れるのためなら何でも手段は選ばないとなるからです。味は旨いが健康を害する添加物を食う様なものである。

小説に限りません、どの職にも良心が欠けてればいくら功を奏するようになっても、人気を博しても、いずれ人としての評価を下げることになります。『仕事は人』だからです。「なんだ! アイツは! 誤魔化し野郎!」と後に代々云われるようになったらやでしょ。

やった仕事を見ればその人がどんな人物かが分かるから、いい加減な仕事はしたくないものだ。


 『所内では優秀な裁判官との声望の許、被告女性には巧みに言い寄り何かと親切にしてやり結果はヤリモクを犯した実際の事件』また『数々の文学賞を得て他人の小説に対し「ググったではなく、受け売りでもなく、自分の言葉で書きなさい」とコメントを云う傍らあっちこっちの小説を盗用した小説家』更に『東電に対して事実を明らかにせよと真実を迫りつつ裏では一民間団体から五千万円の何処に真実があるのか分からない疑惑金を受け取った憂国忌(三島由紀夫を偲ぶ会)の発起人でもある前都知事、現小説家』等の事例があったようにである。

恋だか愛だかどっちにしても、これも仕事である。

テキト―にやってると、どこかのカップル――真と佳菜の事を云ってつもりではないが――どこに真実があったか? を見えないままの恋愛。恋も仕事だ、となれば仕事の質を下げることになる。

恋も愛も仕事ってか? そうです! 結果がどうであったか? に由るからです。してみて身になったは、いい仕事をしたとなるです。もうしたくないは、勤めであって、務めではない。「生き甲斐」が人の務めであるからです。務めとは本分である。本分とは人として人らしく本来尽くすべき務めなのだよ。

 母国を変えようとした? 新しい日本を拓きたかった? が本当だとするなら、先ず最初に政治勢力となる団体を作り行動を起こし、実績を積み上げ、政治的求心力を掴むのが常道でしょ。

何所にも、一つとして、その記録も形跡も残っていないのです。

そもそも坂本家は代々続いた商人の血筋であった。そう容易く気質は変わるものではない。

『蛙の子は蛙』が普通。『鳶が鷹を生む』は稀中の稀。

こう考えると次のような事実が見え隠れしてきます。

質屋・酒造業・呉服商を営むが、商売を盛り立てるためなら何をしてどうすればいいかくらいは幼いころから見聞きしていたはずで当然根回しをした事は容易に察しがつき、藩から郷士御用人に召し出されて坂本家を興し土佐藩の武士階級の郷士つまり下士というお墨付きを得ることに成功。

行動つまり実際の事跡じせきはとなると、メッチャ高額な真式小銃1,000 余りを船に積んで土佐へ売り付けるのに成功したのです。

ここで得た自信を皮切りにビッグな商売へと乗り出していく……ここで得たインカムは果たして直柔さん個人だけの懐に入るものだったのか? 後に恨まれて暗殺を招いたモノ(遠因)になっていなければいいのだが。

武器商人のイギリス人グラバ―から、商事会社亀山社中を西郷隆盛の協力もあって興すと同時に当時としては最新式ミニエー銃 4300 丁、ゲベール銃 3000 丁を手にすると今のお金に換算すると 169 億円、日本銀行高知支店による計算だが、もの莫大な金高で薩摩藩船で下関へ運ばせ長州藩にも売り付けたのです。

このとき同時に、直柔はこの商事会社を介し輸送代、今でいう物資の宅配代、として薩摩藩から一人当たり 3 両 2 分ものこれまた高額な給与を支給させることに成功したのである。何と商売に抜け目ないご仁であったことか。いやいや、なんと商才に長けていた事か。幼少より肌身に染みついた商売感覚が抜ける筈はない。

また、直柔は、当時は最新式の蒸気船「いろは丸」を借りたとなっていたが直近に発見された記録では、ポルトガル人領事・ロウレイロより10,000 両相当で購入したものとの事実(文書(もんじょ)が出て来る。

一体どこからこのような高額の元手を捻出していたのだろう? 既にこの日のためにと貯めて計画していたとしか思えません。当然ビッグな儲けをゲットしたなら協力してくれた人にそれなりの報酬を与えるのは常識。まさかひとり懐にしまっていたのかしら? 若しそうなら「殺したくなる」と憤る者も居ただろうな。

徳川御三家の一つ紀州和歌山藩であるが、所有している明光丸が直柔所有のいろは丸と衝突事故を起こした。

これはイケる! 金持ち相手だもんな―あ―! と賠償交渉に乗り気になる。さっそく、事前に周到な算段を練り上げたのです。

商売の神様岩崎弥太郎、後の三菱財閥の創始者との根回し、土佐藩の後藤象二郎の悪知恵も用い、実際には積んでいなかったミニエー銃 400 丁他銃火器 3 万 5630 両や金塊など 4 万 7896 両 198 文を積んでいたと直柔は真っ赤な嘘をもってねじ込む。

ころを見計らって万国公法を持ちだし「これに則(のっと)って判断すべし!」と迫った。

まんまと賠償金 8万 3526 両 198 文、今の価値で約 42 億円に当たるそうだが、を和歌山藩からの懇願による再交渉の結果となったが最終額は 7 万両にもなる大金ゲットを得ることに大成功。後の後なって和歌山藩は騙されたと気付く方が自然な感じがするだよね。事実に蓋をすることはできない、必ずどこかで漏れるもの。そうなると龍馬暗殺? の動機がここにも生じるよねぇ。

ま、確たる証拠となる事実は無いのだが、しかし売り付けたという事実は事実。今で云うなら完璧詐欺っしょ! 「日本を今一度洗濯し候」と意気高らかに日本の憂国の士を自認する者が人を陥れる詐欺なんかするでしょうか。ハッキリしてる事は、兎にも角にも商売一徹な考えであったことだけ十分過ぎるほど窺がえるのです。

因、龍馬のその言葉は姉の乙女あてに送った手紙の中で云ってたしても「悪い役人と一度戦って撃ち殺し、この日本をもう一度選択しようということを神様にお願いしたいという気持ち」であって「どこにも新しい日本の夜明けに尽力するとは云ってない」のである。

念のため原文を載せておきます(日本語だけど日本語がじゃないからね)。

「龍馬二三家の大名とやくそくをかたくし、同志をつのり、朝廷より先ヅ神州をたもつの大本タイホンをたて、夫より江戸の同志と心を合セ、右申所の姦吏を一事に軍いたし打殺、日本ニツポンを今一度せんたく(洗濯)いたし申候事ニいたすべくとの神願ガンニて候」、即ち、当時外国船の往来によって政情が騒然とするなか勝海舟の影響を受けた龍馬は「神にお願いして『異国打つべ』と神にお願いをしていただけなのです。

直柔さんが尊王運動の主要人物である長州藩士の久坂玄瑞と桂小五郎と薩摩藩の島津斉彬と大久保一蔵と西郷隆盛と、将又はたまた、公家の岩倉具視と他に勝海舟と誰と会って何をしてどんな約束をしたかは問題外。

『日本の夜明けぜよ』と云った事実は、龍馬ではなく、当時よく行動を共にすることが多かった中岡慎太郎からの感化だったのです。この者こそが新しいニッポンの制度を提唱し係る行動を仕切り行った人物の一人なのです。

当時の政治情勢から、長州は薩摩を敵視していたがこの長州に薩長同盟を説き伏せたのも中岡慎太郎であって、これに迎合して、頼まれ並行して薩摩を説くようにと動いたのは龍馬なので、いくら薩摩が「いいよ」と云っていたとしても、長州がその気になっていなければ薩長同盟すなわち倒幕の一大勢力にはなり得なかった話です。

後に、彼ら二人と親交のあった板垣退助は明治になって「(中略)坂本龍馬よりは、中岡慎太郎という男は立派、西郷、木戸と肩を並べて参議になるだけの人格を備えていた」と語っている。

証言に勝る事実なし。裁判したら中岡慎太郎勝つね。そのうち、きっと、誰かが「慎太郎燃ゆ!」って小説書くな、顔も凜凜(りり)しいし。

いくら金持ち相手だからと、憂国の士だからと、唯と関わり合ったというだけで商人が命を投げ出し国家のために尽くそうという志士になるというものではない。

であるから、政治よりも商売の方に目が向いていたと捉えると彼と行動との間に辻褄つじつまが合うのです。

年齢的にも、あの(勃時33歳)若さじゃ人一倍モリモリする結婚適齢期さ。

恋をするとなればお金が要る。 

買って与えたくなるものも増える。 

何処に行くにしても食扶持くいぶち分は二倍。

デート軍資金も必要。 

そこへ持ってきて性格も、そうじゃなくてもカネはいつも以上に必要となって、商いには目はいく。 

新しい事には何にでも目が向く。 

格好良くよく見せるには、当時流行っていた尊王攘夷そんのうじょうい派へも。 

武術の腕前にも!(北辰一刀流の免許皆伝を許された剣の達人というのが有力説とされているがこれを記載した事実(文書)は何処にも残ってないのだが)。 

政治の話にだって! 何らの政治的イデオロギーを示すことなく商売であっちこっち行く直柔なら幕府からノ―マ―クされてるという点を利用して薩摩藩の西郷らが手紙を長州藩に届けさせただけの話なのです。

最期はお醤油販売の近江屋で龍馬が暗殺されたと云われてるが、最近の資料等を考察すると中岡慎太郎暗殺が目的であった。或いは両名であったのかもしれない、または中岡慎太郎から感化を受けた龍馬の形振なりふりの方が目立ったことから幕府には張本人と映ったのかもしれない、が何所にも記録が無いので前述の状況証拠から推し量るしかありません。

格好いい人を見ると真似したくなるは人情。長州藩のシンパ中岡慎太郎、革命児だ、格好いいぞ、と共鳴したに過ぎないのが龍馬であったと推定される所以である。

ここでも感化とは真似ともいうように、中岡慎太郎が武力で幕府を倒すべきと作ったのが陸援隊であって、これをパクって龍馬は海援隊を作ったのです。後者の隊は倒幕ではなく商事会社であったこと。


中岡慎太郎の主な軌跡は此樣こうなっています。

一 龍馬以前の若いころから終始倒幕派であった事。当時龍馬は無思想。

二 尊王攘夷を掲げる土佐勤皇党に始まり長州の忠勇隊に加わり活躍していた事。

三 薩長同盟締結を云い出した人である事。

四 将軍から天皇に実権を返すようにといち早く大政奉還の提唱をしていた事。

五 倒幕派の先鋒であった薩摩と終始提携していた事。

六 薩長同盟を実現することで「一から四」を実際に成功に導いた実績があった事。

七 「三から五」の目的のため討幕派の人事の育成、土佐藩の上士としては珍しく武力倒幕を一貫して主張していた乾退助、後の板垣退助、を薩摩に紹介していた事。(当然西郷も武力派となったわけだ)。

八 岩倉具視と三条実美と倒幕派との連携に尽力。

このような「一から八」までを幕府側が知らなかったわけがない。そうなりゃ当然、幕府にとって中岡慎太郎は殺してしまいたくなるほど忌ま忌ましい幕府の敵となる。若し龍馬が本命だとするなら、これは派手な行動をしていた為に、コイツこそ真犯人と誤認をしたと推測されるからです。

中岡慎太郎を襲った伏見奉行所が翌日に京都所司代(桑名藩)へ報告した記録中に『坂本龍馬所持書類写取奉差上候可然御取斗奉願候』と、日本語なのか中国語なのか分からないが、記されている。

中岡慎太郎を検証して行くうちついでに龍馬の持っていた書類を写し取って報告書と共に所司代に提出したということだけであったのを作家 s による『竜馬がゆく』のなかで膨らませて恰も好しとばかりに中心は坂本龍馬だったと捏造したに過ぎないのです――捏造とは実際には何所にも認められなかった事を意図的、即ち、本が売れることを念頭に作ったお芝居ってことです――真偽の程は読者が決めることであるが。

また幕府の追っ手が寺田屋に来た時、お風呂に入ってたお龍が機転を利かせて龍馬に知らせたため難を逃れたという話も常識的には考えにくい小説家らしい作り話にしかみえません。当時の時間は午前3時。こんな深夜に女が一人お風呂に入っていると考えるには無理があるからです(一緒ならわかるが……)。

さらにお龍さんは後年明治になってからこう云っています「西郷さんと龍馬は仲が良かった」と。

馬が合っていたということは本音で話し合える仲であったこと。西郷隆盛は他の者と共に新官制擬定書(新政府の人事案)」を作成した折り「新政府に入ってはどうか?」と龍馬に勧めると龍馬は『わしは、世界の海援隊で商売をやります』と率直に応えている。若し、政治に興味あるならゼッタイ加わり活躍したかった筈。

西郷が本気でそう勧めたかも別、他に客観的な資料が無いから断定はできないが。ただ、もしかしたら野放しにしておくと今までもあっちこっちで調子いい商いをしてきた上に八方美人な行動をしてきたことから、野放しにしておくと、面倒なやつになるなぁ、まだ使えるなぁ、と龍馬を政権内に留めて監視しておいた方が得策と考えていたのかもしれない。

きっと、直柔さんは「よくもよくもそんな話を作ったもんだ、こそがゆいぜよ」と云ってるにちがいない。

まだまだ今日現在でも検証は続いてるわけでいつなんどきどんな合理的考察が為されるかは予断を許さない限りであるが。


 万事、事実でない一つを事実と信じると百の嘘がまかり通るのです。


 お茶を一気に飲み干して息を吐くと「まーぁ、そうゆうこと」

「だね! ちょっと考えちゃうよね。誰かが作った物語本じゃなくちゃんとした文書もんじょに書かれた記録を信じるしかないもんね」

「そう! と云いたいけど違うんだよ。文書でも感情移入、又は、時の政府を忖度してないとは限らないでしょう!」

「あっそっか。じゃ、どうすれば?」

「事象! これしか真実は語らないね」

「ゲッ『事象』って?」

「イベント、出来事、形となって現れたものね」

「形って?」と訊くと「実際に行った行動だよ。行動は見えるでしょ」だって「この行動には、例外無く必ず『動機』が伴うからこれしか『事実』はないわ、あとは絵空事だよ」 「よくあるでしょ、なんでこんなことするかしら? って」だから「意識・無意識に関係なく行動するときの『原因』となるものね」

「なっるほど。了!」


 「『美は、善ともいうが、信用であるか。そうである』と云った有名な近代文芸批評の確立者として今でも高校の現国に掲載されて尊敬する人もいるけど」

「誰ですか?」

「えっと、半二枚目の k 氏としとこう」 「なんでも限度ってものがあって『美は信用』と云う裏では真逆な思想つまり戦争協力者になっていたということね」 「戦争のどこが美で何が善なんでしょう? 変と思わない?」 「うん、思う!」 「平和を守ることは、戦争より勇気が要ること……臆病者だから『美』なんて言葉で誤魔化してるのね」 「へーぇ、そんな人いたんだ。桜子さん、ホントによく知ってますね」 「ねー、真ちゃんならどう思う?」

「うん! まったく桜子さんに同感だよ」

「『知は道を拓く』って謂うでしょ」

「ああ、知ってる――『真理が自由にする(ヨハネ 8:31,32)とイエスさんが云ってるから……(国立国会図書館カウンタ―上にも書いてあるよ。カツ丼が安く旨いよ)」 「殺し合いを賛美するなんてニンゲンじゃない!」

「そぉ! 真珠湾攻撃の航空写真を見て k は戦争を賛美したのよ(戦争を知らない者ほど戦争を賛美する――知って賛美する者はデヴィル。キリスト教では悪の権化、不幸への誘惑者とされている)」

そう云うとポットのティ―をカップに注ぎ一気に飲み干す桜子さん(よく飲む人だ、喉が渇いてるにちがいない)は「『空は美しく晴れ、眼の下には広々と海が輝いていた。漁船が行く、藍色の海の面に白い水脈を曳いて。さうだ、漁船の代わりに魚雷が走れば、あれは雷跡だ、(中略)、美しく見えるであろう(中略)そういう光景は、爆撃機上の勇士の眼にも美しいと映らなかった筈はあるまい』だって」

ゲッ本当かよ、詩的というか、兎(と)にも角(か)にも当時の多くの人を言葉の綾(あや)を以て酔わせた文言だったんだろうな……とんでもね! 人殺し場面を賛美するなんて! 小説家ともある者が言葉で騙すなんて!

仮に、アメリカ軍 B29 のパイロットが『燃えるアジアの都東京、紅炎の中を行き交う人と人、どれもこれもこの世のものとは思えないほどに刺激的、美しい戦果、あ―! 我ゆく正義の光よ!』と云ったとしたら、当時の被爆者たちが聞いたら、どう懐(おも)うと思う?

真逆に若し k が当時『こうなった以上は一日も早く命の奪い合いをどのようにして終えるかが誰にも問われる英知だ! 先ずは我らの良心を世に訴える勇知を持とうではないか!』と云えば株が上がったのに―ぃ。

更にまた、k 氏は知的障害画家の山下清――3歳の頃に重篤な消化不良で命の危機に陥り死線をさ迷い一命こそ取り留めたものの軽い言語障害、知的障害の後遺症を患う――について、画風については評価しつつも、精神性の欠如を指摘してその人間性を文筆にて退け(馬鹿にし)ています。病気を理由にして人を評するなんて人間としての神経を疑う。


 「本当に本当の話!」 「こんなふうに行動と云ってる事とが真逆な人は今でもいっぱい居るかもねぇ」 「偽善者を信じちゃ駄目!」

「うん! 気付ける!」

「『気を付ける』という人は大丈夫かも。人の話を鵜呑みにしたり、屁理屈を上手く並べ返しておけば大丈夫と思ってる連中は大抵偽善者たちネ」「ここにもその手の人が居て」――『本当の愛に打算はありません。 困ったときに損得を忘れ、 助け合えるのが愛なのです』とご自身の小説では云っておきながら、その当に! 『助け合うこと無く』自分だけの打算から実の幼子当時 4 歳を捨てた s 小説家さん。内緒だよ」

「ハハハハハハハッハ内緒って。そんなヤツ通報しちゃえ! ゴッホンッ! ゴッホッホッー!」

「そんな一気に口入れるから―」

「それにしてもこれ旨い! 見掛けないけど何処で買ったんですか?」

「フランス製のブルーベリーチョコ。中に包まれた実が日本のとは違って大きく柔らかくて甘酸っぱいの―! 私大好き。到来物だけど、明治屋で売ってるかも」

「明治屋? 何所? まぁいい、それでぇ! カッカッカーッ」

「ほら―、ほらあ―! ティーと一緒に食べないから」なぜ桜子さんがさっきから何杯も飲み干していたかがわかった。

 この s さんは、云いたくないが云う――知って貰って「殷鑑いんかん(他山の石)」としたいから。人は人から学び人として返してしくのが人|相応(らしい)道の由。

夫が教え子と恋に落ち、やがて年上の男とさらには年下の男の妻も含めた四角関係になって、茫然自失(ぼうぜんじしつ)とするなか、独り意を決し幼子を家に残し京都の尼寺での生活に忽然(こつぜん)と入ってしまう。

ご自身は新たな再出発を切ったつもりであろうが、未だ幼い 4 歳になる残された子の心情は大雨(今で云うなら『完璧! 育児放棄(刑法218条の保護責任者遺棄罪に該当す。(懲役 3 か月以上 3 年以下)』)。 母が去った、捨てられた、とするこの地に生きる者への心遣いには至らなかったことになるんじゃないの。「quite right !(まったく同感)」――中学んときに習った英語はあまり残ってないけど」――四歳の時に習ったピアノや英会話は今でもシッカリ出来るしね、それほど幼いころのことは覚えてるってこと(そういや、肩車をしてくれて走った父は、二歳頃だった……しっかり覚えてるぞ)。

TV 座談を通して云うことには『その時に子を一緒に連れだしたら私が貧乏になるからご飯を上げられなくなる、止むを得なかった』としているこの厚顔無恥(こうがんむち)さ加減。止むを得ないは、諦め、と同趣旨。ということは『やろうと思えば諦めは飛んだはず!』つまり、科(とが)」と暗に認めてるじゃないか! 「貧乏を理由にして子を捨てたら世界中捨て子だらけになるわ」

仕事と人柄とに乖離かいりがあり過ぎるとその作品までが色あせて見えてしまう(そんなのお構いなし。売れればいいだという出版社もどうかと思う)。

完璧とまでは行かなくてもせめてそこに近付くくらの努力はしてほしい。s はこうも綴っている『私たちの生きているこの世で起きることにはすべて原因がある、これが「因」です。起こった結果が「果」です。因果応報というように、必ず結果は来るのです』

小説家なら当り前風な云い方をするな! 云い回しが在り来たりで吹いたぜよ。因果応報というならブーメランを招いた張本人は誰なんでしょう!? となる。


 「まさに『名声と人格は一致しない』とする『他山の石』としたい、ということよね」

「科かぁ……」

「認めなければならないあやまち。のことね」

「知ってるよ」

「ホントにぃ?」

「今知った」 「素直でよっし! って哀しいね―!」 「両者とも」

「そうかしら、子供の方じゃないの。良識っていうのが大人にはあるでしょ、幼子には理屈が分からないからどうすることもできなったのよ。良識といっても大人って時々頭では分かっていても平気で偽善者にもなるしね」

「そっか! 確かに! つーか自分第一、次に相手、たとえ自分の子でも、第3者扱い。これが良識外ってことでしょ?」

「エライ! 良心が欠けていたということになるね。良心は人の証。これがなくなったら人間じゃないわ! 動物以下だわ! だって動物だって仔の為に命を張るって云うのに」

「俺が『偉い』! ってよく分かったね」

「ま―あ! いけ図図しいこと!」

「テッへ、人は行動を見て、この行動の動機がどこにあるかを判断するってことでしょ! それ以外は信じるなってこと! よ―くわかりました」

「そう! 素直でヨチヨチ!」

「あの―ぉ、子供じゃないんですけど」

「男は皆子供だよ」

「じゃ―あ! 女はみな未確認物体だよ」

「だからあ! 面倒を見たくなるの! 知りたくなるの! お互い様だわ。わかったあ」

「ハハハハハハ! あっ! もうこんな時間! ごちそうさま―ぁ! 今日も勉強になったあ! あざます!」

「ちょっと待ってて! まだブルーベリーチョコあるからお父様に持って行って! 嬉しそうにティーを三杯もお代わりしながら食べていらっしゃったから、と、このコスメはその前話してたのってお母様に」


 スナックママ結美さんの爆弾発言は人は染まり易いという『性正説(性悪説)』ってことか。そして、ここ桜子さんの云いたかったことは行動には必ず動機があるからそれを見るようにするとホントの人となりが分かるってことか。どっちにしても共通因数は『環境は人である』ということに違いはない。それは人を変えてしまうということなのだ。

だからね、やわらかいこころを持ちましょう。真実を見る目をもちましょう。このふたつが心が治めてくれるっていうことです。

真実とは何だろう? 

さー、何かなぁ、これが問題だ。

これを見るために人は生れて来たんだ。大袈裟でもなければ誇張した話でもない、これが普通の生き方ら―。

このゴールを失うと乍ら一生、30歳になってもっと輝いたはず? 50歳になってああすれば良かった? 70歳で別な人生を歩んでいたら? でオワル。

ろくなものしか手にしなくなって。結果、自分にはこれで良かったと無理に云い聞かせ、実態は 1/100 の幸しかみえなくなっている、勿体ないではないか! 現役指揮者小澤征爾ナウ 83 歳は、この歳を過ぎても「明日ではない。今日である」と云って今日も何所かで後継者を育てている。見習えって!

この気迫は一体何所から来るものだろうか。なので年齢は関係ありません。本人が何所まで真剣かです。

これはなにも悟り云々の話でもなければ宗教でもなく哲学でも終活でもなく極身近な話なのである。物ごころつくのはいつ頃からなんだろう? 中高生以降だろ。なら誰にも関係する話ってこった。

「しゅき! しゅき! だいすーき!」と、実はヤりたいだけの男。時を遊びたいだけの女。

vs

「そうなんだぁ! じゃあ! 命を賭けて愛す、なんでもしてあげたい」と云って返ってくる山彦恋愛(人生)の方が全然幸せ度はアップするにきまってる。

と今「生きの目的さ」と云ったが一応真面目に努力はしたが到達した所と大きく懸離かけはなれてた場合はどうする?

なので、生きは目的ではなく結果なのかもしれません。

努力をした結果なら満足するでしょ。充実感も湧くでしょ!  

逆に、ああ、やってもやっても駄目だった、自信ゼロと思うと普段の力までががれてしまう。損である。

しかし、目標に向かって行く姿勢はめっちゃ大切。目的のための目的ではなくその間に得た結果を味わえるように生きるって事が大切。やっやこしくない。目的と結果の両方を大切にすれば、そこに見える幸せも二倍って話になる。

努力もしないで(目的)、落ちぶれる(結果)のはアタリメエだ。

実は、恋も仕事であって、また勉強でもあるのです。学ぶこと教えられること考えることが、そこにあって、恋次第では人を成長させてくれるからです。

其! 其! 佳き恋をしよう、愛をはぐくもう。

成長させてくれるものが少ない恋は、人を退化させて、恋ではなく只の欲に恋してるだけとなって、いずれ泥になっちゃうんだよね。


 『聞いた百より見たひとつ』会って直接佳菜を確かめるのがイチバン!

と先日来から、今日も時折ふと、どう云えば傷つけず済むのかなぁ? 云って違ってれば嫌われるんじゃないか? どう扱いたいんだ? どうするのが一番いいんだ? 本当に佳菜が好きなんだろ? そん程度の愛だったのか? のように反芻はんすうする真。

数日が数週間が数カ月と時間が唯徒過とかしていく。流石に自分にも苛立ってしまう。

こんな消極的では、夏目漱石の『三四郎』に出て来る『ストレイシ―プ』の心理とまったく同じことをしてるではないか。筆者の投影が主人公というから、当時41歳の男盛りにしては、そこに登場した若い主人公は恋に控えめ過ぎ、漱石さんがと云いたくはないが。

好意を寄せた相手の美禰子の方がはるかに積極的。三四郎は煮え切らないキャラ。これでは得られるはずだった愛も無理ってことになる。少なくても美禰子を迷わし三四郎に振り向かせたかもしれないチャンスを見在(みすみす)失うようなものだ。現に失ったのです。「二人とも好意を寄せてくれてる、どっちにしよ?」 「そうだ! より好意の強い人にしよ!」となるのはアタリメエな話だ。恋はアツければいい。結婚は、アツいだけではどうだろう? より安定した生活(愛)の方を選ぶからです。それには深い、アツい想いが必要なのだ……だれが唯好きだからで結婚するもんか……直(ただ)の寂しさ紛れじゃないか……そのうちマタマタ別な人に寂しさ紛れを求めるに決まってる。


これは、彼の小説中に登場する次のフレーズから窺い知ることができます。

「……迷子」女は三四郎を見たままでこの一言を繰返した。三四郎は答えなかった。「迷子の英訳を知っていらしって」 「ええ」 「迷える子――解って?」三四郎は知るとも、知らぬとも言い得ぬ程に、この問を予期していなかった。

「教えて上げましょうか」(が、三四郎は自らの殻を破れず鬱屈うっくつとした気分になっている自分に気付くことはないままに傍観するだけで男らしい意思表示をはっきりさせないからこうなっちゃうんだよね――恋は消極的になったときから負けだ――恋は情熱だからだ、情熱は停まらない、そのスピードは弾丸のよう)。

美禰子、人混みの中、菊人形を見て回る。

ひとり出口へと行く美禰子を、三四郎は追いかける。

菊人形展で三四郎と美禰子が広田先生一行からはぐれたとき、美禰子がその言葉「迷える子(ストレイシ―プ)」を口にする。

三四郎が大学の講義に身が入らずノ―トに「stray sheep」と何回も書き殴る。

美禰子が結婚することを知った三四郎が、教会の前で美禰子を待っていたときにその言葉、迷える羊、を発するだけ。

三四郎の眺める雲の形が『羊』に見える。

とした等々のシーン。

読んでてれったくなる「すきだ、行くな! 俺を信じろ、全力で守ってみせる!」といや―、よかった。

と、傍からは云えるが彼の心理も分からない訳じゃない。

因、心理といえば、先程「行動にはからなず動機つまり意識がある」と云ったが、その学問領域の目的は「自分の持っている意識(無意識如何を問わず)を知ることは、自分の可能性を知る」というのが心理学の目的らしい。はて、大文豪と称される漱石さんはこの通説を知っていたのだろうか。

本名金之助さんは、生後四ヶ月で里子に出され、一歳の時に父親の友人であった家に養子へとたらい回しに、その後も夏目家への復籍に21 歳までを要し、親無し他人所暮らしを余儀なくされました。これにならったか生涯30回以上も引越しをしたという話。

このように、小児が成長していく上で何よりも必要とする密接な情緒的接触という心の栄養が欠けている環境下では外界に対する『感覚が普通人以上にナーバス――神経質。過敏』になりがち。とする有力説(一部の根強い説)あり。

直近では通説(世間広く一般に広まっている説)となって「大人もそうだが、子どもは自分自身で、こころの病の存在や自らの可能性に気がつくことは難しく、なにかわけがわからない『こころやからだの苦しさにさいなまれている』とした知見が確立(独立行政法人国立特別支援教育総合研究所よりの報告)」。

なお、金之助さんの名誉のために申し添えるなら、過敏は、すなわち、高感度受信機と捉えればいい。

それにしても、薄幸な生まれに生い立ち、作家デビューが三八歳、挙句は四九歳で命を閉じるとは短すぎる一生であった。八十・九十歳まで生きて彼の得意とする教養小説のなんたるかを見てみたった。事実、彼は日本初の「教養小説」を確立した人物です……このことは一気にそこで認めている「『熊本より東京は広い。東京より日本は広い。日本より……』 『日本より頭の中の方が広いでしょう』 『とらわれちゃだめだ。いくら日本のためを思ったって贔屓ひいきの引き倒しになるばかりだ』」のことからも窺い知れるのです。贔屓偏頗ひいきへんばとは、一種のお人良過ぎと同意で、気に入ったものだけを気にかけて行動するタイプ。

このことよりも『日本より個人の意思の方を』と解される部分があります。当時の日本は全体主義国家(個人の全ては国につまり政府の云うことに完璧に従属すべきとする思想)、そのなかでそういった発言は勇気の要った発言であった。まさに正当派小説家とは何たるかを教えられる惟(おも)い。

また『日本より頭の中の方が広い』という趣旨は中高生なら誰でも理解できる。当時あの若さで金之助さんは書けたのだから、二十歳頃には誰でも小説は書けるということだ。

きっとそのうち、日本囲碁界に小6生のプロが誕生したように、またモ―ツアルトは5歳のときには最初の作曲(アンダンテ ハ長調 K. 1a)を行ったように、15歳で16才での大物が現れノーベル文学賞を取るにちがいない……と云ってもノーベル文学賞の基準が公表されてないため少々曖昧さあり。但(ただ)かつて一人だけこう謂っている「候補者は『人類の福祉に最大の貢献』を行っていなけらばならず、文学賞は特に『理想的な方向性』の条件を満たしていなければならない(シェル・エスプマルク、1930年生、スウェーデン ・アカデミー文学ノーベル委員会委員長)」――が、それでも矗然ちくぜんとしない判断基準が残る。「理想的」とは抽象的すぎるからです。『理想的とは』感傷的ではなく理論上『人と社会に勇知と希望を与えるものでなければならない』と言えばよかったのに。

手前勝手に云わせて貰えば、まことの小説(文学)とは、等しく誰にも幸せを与えるテーマを有していることで文法的、文脈的、語彙的、技術的、一貫性、は二次的な事で、場合によっては全文平仮名でも読み易ければいいので、テーマさえしっかりしてればいいのです。だから、中高生でも書けると云ったのです。名曲のどこにセオリーがあるかってだい。セオリー(理論)は徹底的あくまでも後付けの理屈なのです。理屈は飽きるぜよ、芸術は感性だ!

娯楽は楽しい事。

幸せと楽しい事とは異なる。

楽しいは一過性のもの、幸せは生きるための幹となるもの。

幹がちゃんとしてなければそのうち枯れてしまう。どこが枯れるか? さぁ? 自分で考えたら!

「オ―! 綺麗な絵画! 色遣いが天才だ!」と異口同音に云ったとしても伝わる真実性の迫力が無ければ時代時代の価値観に応じていつか賞味期限切れ(駄作)となって捨てられるようにである。

真実への旅、自己啓発のための小説ともいうが、金之助さんの小説はどうもこれもテーマだった気がする。

自分だけの価値観にとらわれず、人はもっと、フリーキャパシティ(寛容)であった方が良いのだよ。

そうすると見えなかったものが見えて来るんだよね。

キャパシティ(capacity)は、可能性つまり(学習や記憶の)知的能力、(成長や発展の)潜在的な可能性、うつわの意。余計な理屈を並べて自らの可能性を閉じるのはもったいない。

たったの12年間の作家活動だったのかぁ。それだけに彼を惜しんで今日まで広く世間で慕われてきたのかもしれません。

ジェームズ・ディーンがたった四・五年間の芸能生活だったにもかかわらず二四歳で没したことが却って今日現在百年近くになってまでも、これから千年も、う慕われるていくようにです。

千年万年惜しまれる人になりたいではないか。今一瞬は評価されたとしても行けば行くほど、なーんだあいつの仕事振りは、と思われたらサイアクだ。これで分かったでしょ、どこが枯れるか?

 

 今年も「かき氷だ! ハーゲンダッツだ―!」の猛暑の八月になっていた。

ここでも人間ってやつは巧みな印象操作が好きなようで。ハーゲンダッツという音からドイツかデンマーク辺りを想像してしまうが生産はアメリカでアメリカ人によってなされているのです。ヨーロッパの酪農国をイメージさせれば売れると算段したのだ。

だからね、売れてる小説だからって、大河ドラマだからって、著名な作家さんだからって、世界的に著名な研究者だからって、みんなが異口同音に云ってるからって、言葉の鵜呑みは程々にしなくちゃね。読み手の側の考えが危始あやふやだからそうなる……悔しくても認めなきゃね。今はそうでも後になって変わるのは結構、変わるのは進歩のサイン(兆候)だからです。

季節の変わり目の天候はころころ変わるでしょ、だから季節は進むのです。

いちばんころころ天候が変わるのいつだろう? 春から梅雨にかけて。

ではない、秋です。

四季で最も変化するのが冬だからです、日本列島ぜんぶが冷凍庫になるんだよ――夏はちがう、夏真っ盛りでも軽井沢や北海道等地域によっては涼しい――秋は一番長雨も続くし台風も多いのだ。次が春です。って事は、考えも天候と同じ。知らない人を急に好きになると変化が激しく起こるでしょ――好きな人と急に別れると、とならないまでも変な人と分かると、激しく相手を憎むようになる、かもしれない。

こんな風に考えは、事の真偽を確かめる目を常に持って、また急に変わることもあるから、ただ漫然と曖昧あいまいな見方をしてると凶(偽り言)を招き易いのでご用心って事。曖昧なままでいると偽物を見てることなるでしょ。

今日も気象庁発表は41.3度。大正昭和の夏、暑かったぁ! と云われてるが、精精せいぜい28度や行っても30度くらいでしょ。それが今じゃどうだい、40度以上がアタリマエになってるではないか。JCCCA(気候変動枠組条約)に反対してるトラちゃんやピンちゃんの神経がわからない。その二カ国は気候変動に遭ってないのかしら。

土壌から上方 1.2 ~ 1.5 m の通風方式基準に基づく百葉箱で測っての話だから、直接日射を浴びる実際の体感温度はとんでもない!  70 度、80度以上だろう。

アスファルトやボンネット上に置けば卵焼きができる。なぜサハラ砂漠の民が半袖にショーパンでなく長袖に足首まで覆っているかが分かった気がする。

猛炎百度になったって、なんのその!(出たら即死だ!)。が、ついに積極的に攻めることに意を決する。

何よりも先ずはこの際、判切ハッキリさせておきたかった。と云う以上に、彼女の身の上に何が起きてるのか? 若し、もし、それが事実なら救ってやりたい! 『兼愛交利けんあいこうり』――日頃から『人には区別をしないで広く愛せば、互いに利益を与え合うことになる』をモット―としていたこともあって――その純粋なおもいからでした。

 (計画 10 % 、行動 90 % )とばかりに自らを鼓舞し、さっそく行動を起こす。さっと佳菜にコンタクトしてみると、いともシンプル、「会いた―い!」の返事が返ってくる。だったらもっと早く云えば良かった。モテるの―! と自惚てもしまう。


 むかしむかし周囲には目立つものはなく六本の大きな樹しかなかったからそな地名になったのだろうが、ナウはビルまでが生えて六本木という名の界隈に灯が点り始める夜のとばりのころ。


東に星の光煌(きら)めく声

西の界(かい)に夕焼け顔

君の顔と ぼくの思い

火照る期待を 抑えるふたり


いま三つの世界を一望する昼と夜のステージを入れ替える幕間となって、スズメやハトさん達は家路へ急ぎ、入れ替わり、仕事から解放された人たち、アソビ好きな人たちが集う、街の貌。

この舞台は二人だけのモノ! と最前より二人踏みゆく歩幅も何気に揃え、いま瀬里奈店に向う。真 28 才、佳菜 29 となっていた。

入ると直ぐに一択の席に棲み所を任すふたり。

すると「ねえ! 訊いていい?」柔らかい声はつづき「真くん! なんでメールしてくれなかったの?」

「いや―ぁ! 待ってたのはおれの方だよ」(前回も、またその前もだが、こう応えるしかなかった)。

ずるい! そんなの! 男でしょ! でも許しちゃう、今日こうやってデート出来たからー」飾った言葉でない。 素直な声! 妙に取り繕った云い回しでないだけに心のままに発するだけにどの言葉も仕草も率直すんなりと気持ちが入って来る。

長く真っ白な布(ナフキン)を首から掛け、一枚 21,600 円神戸牛サーロイン、7,560 円鮑の炭火焼、1,994円のカニとアボカドのサラダ、腹を満たせば気持ちも満たされる。少々お高い……高くない! この場を演出してくれるのだから(恋に金をケチるな。釣った魚に餌を与えない――こりゃあ、ダメでしょ。資本主義とは上手にカネを回すこと――どうして恋人に資本を注入してやらなくて恋が上手に回るかってんだい)。

ラウンジに移りシナモンカフェの香り漂うなか、二人の思いに穏やかな空気が薫りたつ。

「やはり真くんは特別な人~ぉ。 他にもうこれ以上の男はいなよ―」 (これ以上の誉め言葉ったらありゃしねぇ) 背筋を目一杯伸ばした真は「だろ! お相手がサイコ―の女性だもんな~ぁ」一瞬戸惑いな空気、即爆笑、ただ笑い、ただ微笑み長く、層一層そういっそう和やかな空気に取り囲まれる。

カフェを口に運ぶたび、嫋々なよなよしい身体からの透き通るような白い手・腕・仕草、に見惚みとれながら、見まいと思ってもどうしてもそうなって、ああ、これが愛なんだろうか、欲なんだろうか、どっちでも誠の思いであることに変わりはないのだから、そ! このままの素直なキモチに沿っていけばいいのさ、という心境になって「どう? 忙しい?」と言葉を投げ掛ける。

「うん、忙しいにはちがいないけど嫌じゃないから。真くんは?」と云う目線がこっちの顔から全部を見てくる風な空気感がそこに。同じ心境になってくれているならいいんだぁ、と胸のうちが騒いでいる。

「並みに忙し、けど忙しく休んでるからね」

「ん? あ―! よくサボるってことね」

「サボりじゃなく英気補給だよ。鋭いの鋭気の方じゃなく英語の英の方の!」

然然そうそう! 私も。ただやる気だけの根性じゃ無手勝流だとろくなことがない。しっかり体の休養・栄養あっての『英気』だもんね、同感だよ」

「合うね。東大出才媛さま!」

「合わせたの! ってホントの才女は、キャリアとかじゃなくて、幸せマンになることかなって」

「だね! 男も仕事より自分世界かなって」


 理想形は、仕事と私生活両方の充実かなと思ったり違うと思ったりしていたが、やはりイチに私生活、二に仕事としていた。

仕事で社会に貢献というのは解るがこの為に自分の生活を犠牲にしてまではどう見てもおかしいと思うようになっていたからです。

それでも致し方なく仕事第一として達成感に浸ることがあっても先輩たちが定年で仕事を離れ目標を失ったかのようなわびしい姿を見るにつけ、そう教えられてならないのである。きっと先輩たちも当初はそうであったかもしれないが、職場の空気上致し方なくなったのだろうが、そんな仕事社会は、いや、そう強いる人が居るのが問題、改めるべきが当然……会社の「働き方の見直し」を監督指導するのが厚生労働省等の監督官庁だからいつまで経っても改まらない、強いた人を「警察・検察が直接処罰する刑事案件」として検挙すればいい……いつかそんな時代が来るかもしれない……少なくても過労死や自殺は防げるのであるから。

……努力家の女子が精進に精進を重ねてついに東大に合格。四年生過程を無事に修了し就職先も電通に決まり夢いっぱいの人生に喜んでいた。入社1年目の当時 24 歳の可愛い顔をした高橋まつりさんが、過労自殺(なんと日本は過労死が多いことか……社会の、家庭の、会社の、国民性の、其其の理解が未発達だからだ)に追い込まれた。自殺した日の朝に「今までありがとう」とのメールが置かれていた。

なんと疾痛惨憺しっつうさんたん――憐れを超え痛々し過ぎたことか、言葉を失う。

人一倍頑張り屋に責任感も強く連日連夜にわたる事もあったが全力で頑張り抜いていたが、これを逆手にとって次から次へと仕事を押し付けた会社サイドは責めても責めても余りある。なので、そな会社は犯罪者、即検挙すればいい、これが正義である。


 「冷房マッハじゃん、温かなのがいい!」と佳菜はお代わりをオーダ、真も「おれも!」とリクエスト、共にホットココアをウェイターに告ぐ。

これを仲立ちに、向き合って座っていた席を隣同士へと座り直す。別にどうこうするとでもなく軽く触れ合ってるこの仕草がここちい―!

「私もう直ぐ三十路みそじじゃーん。だからいろいろさ」

「おれが貰うから!」

「え?」「…………」――「お嫁さんになってあげる~う!」(嬉しそうな顔、テレじゃない、素で云ってる、本気だぁ、応えなきゃ!)「マジ、マジ! 貰うから!」

佳菜の方から腕を組んで来た最初はあの洗足池でだった、二人は中三と高一になったばかりの春、佳菜の美しさに直直ただただ萌え萌えしてたあのトキの少年心。

そして今組んで来る腕が、あのときのアツい思いの向こうに、和やかな落ち着きを感じるようになった青年心。

(なんとしても幸せにしてあげたい! 人としてもずっと力になってあげたい!)と普通に女性視するだけでなくイチ人としても思い遣る大人に成長したのだろうと、鳥渡ちょっと己惚うぬぼれたキブンになってる(これでイイのだ! というのが正直な感慨であった)。

六本木を抜け赤坂、やがてお台場へ。

「白っていいよねー」と云いながら勝手にダッシュボードを開けて見る佳菜(何か身体検査をされてるような気になる)、チェックする目的は他に女が居るかどうかだろう。

「膨張色で相手から目立つから交通事故防止になるかなあって」

「安全運転する人すき―よ―。片手でハンドル操作する人ってなんか危なかっしっくてぇ。しかも下腹ン段畑は目立つし」ニタっとおどけて笑う表情がカワュ。

「片手は緊張してない証拠、だからフニャフニャ腹も余計に出っ張って見え出す。然然そ、そ)! 事故は 1/10 秒差の一瞬、毎時 50 ㎞ は決して速くない、でも停止距離は 32 メートルだって(人を曳くには充分過ぎる距離)」

妙に真剣な目になって佳菜を見ながら。

「アブナイ! ブレーキ踏んで止まったときは 30 メートル先だよ。こうして両手を乗せておくだけでも万が一の時にはその 1/10 秒に即対応できるし! それに一定の緊張が却って気を休める効果も与えてくれるんだよ」

つられて佳菜も真剣な表情で。

「そ! 教習所で云われた、一瞬が走る鉄の棺桶になる! って」

「だよ! 本人はン十年してるから大丈夫という過信こそが大敵、一生を失うんだよね」

こんな話、普段すると妙に教戒じみた会話になって引きかねないが今自然と話が溶け合うのがここちィイ―!

狭い車内、脚を組み直す腰し周りの動き、妖艶に映ってならない、見て見ぬふりがどうしても目が行ってしまう。佳菜はそれに気付いたのか? 間を置くと「うち、今日帰りたくないなあ」の強烈パンチ炸裂。

「そっか!」(何故かこれしか云えなかった)。

走る車中に射し入るネオンのあかりが、耿々こうこうと目に、そして気持ちにともり、これと星々との交互の彩りが一対となったこの火照った空気感。

刻々と照り映る佳菜の顔を見「ホテルオ―クラどう?」と訊く「ホテルニュ―オ―タニがい!」の返答。共に急に静かな仕草になる、騒ぐ胸懐を心地好く抑える二人。

チェックイン、2 名様 41,980 円、足元を見られたな? まぁ、いい。部屋へと案内されたのが深夜一時過ぎ。

先程来から胸のうちに、次のシーンがやたらに頭をもたげてくる情火、抑えても抑えても押し返して来る(抑えるのを止めたぁ―!)。

シャワ―音を耳にし待つこと十五分ほど、濡れた髪に湯気立つ佳菜の腕を真の肩越しにポンっと置き「どうぞ!」との相図に促され真もシャワー室へ向かう。

二人の湯気の薫り立つ身をオソロなバスロ―プに包み、手をどちらからともなく絡め唇を重ねる。

「ねえ! 全部消してくれる?」云われるままに全消灯する。足元の僅かなライトと星たちの瞬く灯だけとなる室内。

静かなこころ内、騒ぐ胸の内、交互の紆波うねり。一心同体となるトキ、愛に言葉は要らない、身体が気持ちが、言葉となり、火照りとなり、伝わり合い行き来している。

「…………」 そして 「…………」

「う―ぅん。大丈夫! 避妊してあっから。やっぱ若いよね、スッゴかったぁ―」と髪を払い上げ含羞 はにかみ)笑いをする佳菜 (若い? 誰と比較してるんだ?)。

「ありがと!」としか云えない真。

(お嫁さんにしよ―!)となる。 窓辺のカーテン越しに覗く朝明けさんも薄らと照れ恥ずかしそうな姿を現し始めていた。


 その後、時が、日々が、いくら移ろってもいまだにあの夜のことが自分をしっかり捉えているのはお人好しか、幼いか、馬鹿か、全部か、人にこれほどまで刺激を与えているものとは一体何だろう。

そうです! 格好付けて云えば『愛は互いに生き甲斐(生きてる価値)となるもの!』なのだろう――『 Affection is reciprocally life-giving. 』と数学者兼哲学者・社会批評家兼ノーベル文学賞の受賞者、且つ又、四度目の結婚は御歳おんとし80 歳になって 30 歳下の女性としたというラブ大ベテランの Bertrand Russell(ラッセル)さんが云っただけにある種の重み感じる。

自分も恋をするなら生き甲斐となるもの! と自分を納得させると、何処か、こそかゆくなる。その割にはあの夜の事があってもその後、またしても今回もだが、二人の間のラブの形が未完成のままでいることに苛立ってしまう。

 佳菜からの電話は途切れ途切れに、特に土日ナッシングは意味不明・不安・深刻。

これではどうしようもない、よ―し! 今日こそわ! 明日は土曜! 誘うチャンスと電話をする。

珍しく即繋がった。

「よっ! げんき!」

「久ぃ―! 元気元気! 真くんわぁ」

「げんきとロマン! おれのトレードマークだからな」

「相変わらずキザだねぇ―」

「ロマンは夢を感じる事。実現する事! おれの事!」

「じゃ―あぁ! わたしにも感じさせて」

「やっと云わせたあ! 土日にでも会わないか? デズニーとか」

「好き好き大好きディズニ―! 会いたいけど。風邪ひいちゃってさ」

「そりゃいけねえ、夏風邪は治りにくいからな―」

「大丈夫。食欲ないけど、寝てれば治るって」

「熱あんのか?」

「うん、40度あったけど今は39 度行ったり来たり」

「そっか、何か持ってってあげようか?」と矢継ぎ早に「えっと、知ってるぅ? 夏は水分を多くとるだろ、冷房もよく使うでしょ、この二つが免疫力を落としてウイルスがお腹の中で増殖し易くなるんだよ。これが、夏風邪の元、治りにくい原因な。夏バテと勘違いして栄養! 栄養! と食ってても治らないぜ」

「へ―ぇ、流石お医者様。でも、いい。ありがとう」

「冷房は避けて暖かくして寝てな! 汗かくくらいで丁度いいんだからね、これがイチバン治る方法だって」

「ありがとう。優しいねえ」

「治る! 治る! 若いもーん」

「ありがとう。声、少し渋くなったね、男らし」

「男は、渋く派手にいかなくちゃー」

「何それ? うん、そんな真くん大人の色気感じちゃったりして」

「佳菜さんこそ、声がギャルっぽいというか乙女チックに変わってないか」

「もう乙女じゃない。ね―! 好きな人できた?」

「うん! 出来た! 全身毛むくじゃらなやつ」

「えっ?」

「あ、あ、分かった、猫でしょ! 相変わらず冗談うまいんだから―ぁ! 吃驚(びっくり)した」

「どうして判った?」

「ゴロゴロの音がしたもん。口元にすり寄ってたんでしょ」

「お―、よくわかったね、実はそう! 声にならないほど小さな音でもちゃんと拾っちゃうのがデジタルマイクってやつの凄さ。恋人同士だって声にならない声って聴こえるでしょ」

「座布団3枚! 優しもんね―、真くんって。動物は勘がいいから判って近づいて来るんじゃない、女もぉ」何気に真に彼女が居るか? をしきりに探る云い様な女心。

「さ―、どうだか。なぁ、よければだけど、風邪治ったら土日ならいつでもいいからさ」

「い―よ―ぉ―! また電話して!」

さっそく翌日の土曜、お見舞いに果物セットを携え佳菜の家を訪問。

「あら―ぁ、お久しぶり! すっかり紳士になられて、お医者様ですもんね」

「どうも御無沙汰してます。お元気そうで」

「あの子ね、急ぎのお役所の仕事のやりかけがあるからって、さっき出て行ったばかりなんですよ」

(『39度ある』って云ってたのに!)と喉まで出かかった言葉を押し殺す。

「え―、風邪引いてるのにですか?」と云い換える。

(うそなんだなぁ、39度って)と勘が奔った。うその定番は『病気・身内親戚のせいにする』である。(流石に自分がそう騙されたとするなら悔しいぞ!)。

「……そうなんですけど。良かったら甘酒飲んで行きません? 作ったばかりのがありますから」(夏の甘酒は、飲む点滴ですからね!)と云い掛けたがこれも云う気が失せる。

「あ、これせっかくですから置いて行きま―す」

「本当にすみません。また寄ってくださいね」

「ハ―イ」

 玄関を出ると足早く階段を降りる。

其時、傍らのたもとに黒ネコさんが居る。じっと目が合う。それとなく互いに目をそらす。双方共「マナーは守ったぞ―ぉ」になる。

黒色の門構に彫られたニャん子柄とオソロな格好で陣取っている(残念でした)と話しかけて来る。そういやー、源さんちのあっちゃんも黒猫、親子だろうか、親戚にちがいない?

(まぁね―)と苦笑いするしかなかった。でも(何も知らない君に云われたくないな)とボソっと云い返す。すると(私は、時々この家の横をワンちゃんとジョギングして行くのを見てるからあなたのことは知ってますよ―だ―あ―)と云い返されました。という会話になった気がしてなりませんでした。

 そこへ、ゴォーッッ! とジェット機の放つ轟音!(うるさいなっ!)……大田区は羽田空港を擁する地、さどかし沖縄では迷惑だろうなぁ。通り過ぎた跡にチュンチュン! チッチッ! と柔らな声、すぐ分かる、色が薄茶色、きっとこの春に生れた子雀たちにちがいない。少し気が紛れるといつものような闊歩な足取りになっていた。

佳菜さんちから角の電柱を右に折れ、直ぐ二分ほどで緩やかな下り坂道に差し掛かり、数十秒も下らない所の右側に待ち構えていたとばかりに誇らしく建つ長原教会。そこのボードの手作りポスターに次回招待講師による「地の塩、世の光」が載っている。

(知ってる! 有名な説話だもんな)この教会に来るまでは知らなかったが『知るは事の始まり』と今では知ってトクをした気分となっている。

環境とはこんなもんさ。

教会という環境があったからこそ自然と入って来た説話、この自然ってのはどうしようもないもの。いつの間にか、しよう! と意識しなくても勝手に染まるからなんともすごい事なんだよ。

命の元が塩。「地の塩、世の光」という話しはこうなってるそうです。

脳ミソがわるいやつは嫌われるでしょ、その脳からの神経伝達に塩(ナトリウムイオン)が深く関係し、感覚や刺激、命令の伝達に重要な役目を果たす、そうすると頭脳明晰となって好かれる。また塩は、体内の水分量を調整し、細胞と体液の間の圧力(浸透圧)のつりあいを調整しているそうです。

そりゃそうだ! 40 億年以上前に人間に繋がる生命体が誕生したのが海だ。ここにしばらくいてやっと陸に上がって来たのが4億年前とされている。こんなにも長い年月私達の祖先は塩漬け、チゲ、塩浸けのままでいた。

ヒトの体は約 60 兆個の細胞でできていてその細胞の全部は一つひとつが息をしている。このエネルギーを使ってどのイキモノも生命維持に必要なものを作り出して生きているのです。

その際の塩がなくてどうして生きてけるんだ?

採り過ぎは死海、病気、死んでしまう原因ともなるが、塩が命の源であることは厳粛な事実なのである。

特に肉体労働者やスポーツ選手が、その最中に塩分を採れ! 採れ! と注意喚起されてるのはそれらの理由からなのです。

昨今の健康ブームとやらで塩分には気をつけましょうというが、塩分を極端にセーブすると頭悪くなるぞ―!


 塩といやー、有名な美談がある! 

と昨日まではそう思ってたがそうではないらしい。

殺されるか生きるかの戦国時代、武田信玄と上杉謙信はガチンコ勝負をしていた。信玄の国(山梨県)は山は無しはうそで海が無い(は、は、は、ってこの日本語の助詞には困る、外国人はさぞかし苦労してるだろうな――日本語も英語のように助詞を省いた構文にすりゃ良い――わたしそうでもない、どこ行く? どうもどうもよろしく、と助詞がなくてもちゃんと文意を成してるのだから――ヤッパあった方がいいかな? いや、英語のようにした方が日本語は世界にもっと広まるじゃないかな)。

これを見かねた日本海に位置する越後(新潟県)(有名だもんな、鵜の浜海水浴場、日本海(この海は日本のではないらしい。そりゃそうだ、韓国から見れば目の前の海になる。「日本海呼称問題」ってやつ)に沈む夕日を背景に見る人魚像はファンタステックそのまま「恋人の聖地」と云われてる)。

上杉謙信は人道上の理由から塩を送ってあげた。何という美談だ事。

が、どうもこれは作家たちの妄想らしい。

信玄と家中の者、領民一同は大いに喜び、送られてきた塩を大量に舐めまくった。結果、信玄とその一味をはじめ、領民みなが高血圧になり不健康になってしまった(これも妄想チックだが)。

本当の狙いは塩を送るふりして信玄の領地で商売をして金を得るのが目的だったらしい。現に塩がみるみるうちに金塊に変わったうんぬんと云われている。どうもこれが史実のようである。

だとすると上杉謙信のイメージは変わりますね、そりゃぁそ―だ! 殺すか殺されるの時代、綺麗事じゃ生き残れない。確かに塩に目を付ける辺りは頭がいい。

歴史に若しはタブーだが、塩は海水から採るよりも岩石から大半が取れるのを信玄が知っていたなら歴史は逆になったかもしれない。

実は、世界で生産される塩は 70 % 前後が岩塩から生産されるもので、主な生産国としてはアメリカ・中国・ドイツ・インド・カナダの5か国の生産で世界の生産の半分くらいを占めているそうです。それら5か国と謙信とは喧嘩しない方がいい。

頭がいい人は聖書を書いた人もです。

塩の効能をイエス様は知っていたのだろうか? 後の人々の共著創作が聖書なのだから知らなかったでしょう。

聖書では『塩』は腐敗を防ぐことから『道徳や行いの優れた社会の規範となるべき人々』を示す比喩としてこの話しへとなったのです。

つまり『自分の中に塩を持ち、互いに平和に過ごしなさい。もしも人が正義の御国の中に入れないなら、たとえその人がどんなに健康であったとしても、陰府(旧約聖書用語で「死者の行くところ。神の国」の意)では、いわゆる地の地獄に生きるようなもので、何の役にも立たないまま命を終えるでしょう(マルコ 9章50節より)』――キリスト教に「地獄無し」の話はどうなった? だから「ような」と云っている。言葉は見ただけじゃ、一度読んだだけじゃ、分からないものじゃの―。

|然(そ)だ! 其(そ)だ!「塩まけ! 塩まけ! 悪を退けろ! 塩にな―れ!」とイエス様は云いたかったにちがいない。


 左方下に、彼の小さいが、大きな一角。誇らい顔をしてる小池という名の池在り。正直いうとここに好い印象は持てない、フナ等の釣り堀であるから。が、眺めは最高であある。

前方には下り坂延び、この先の登り坂は空に聳(そび)え、それぞれの坂道から根を伸ばすように路・途・径を伴って辺りの住宅街はまるで「みょうと――仲のよい夫婦」か、「みみょうと――親子孫、三代の夫婦」か、がそろっているかのように親しみをもって向かい合っている。

登りきった地点から今訪ねた家の方を再び振り返り、佳菜に電話をすることこれで三回目。やはり「電波の届かない場所にあるか、電源が入っていないためかかりません。留守番電話に接続します」の突慳貪けんもほろろなな機械音だけが虚しく残る。

小池一帯から高台に吹き上がる風が頬を撫でゆく。不図ふと目の前の風景越しの隙間を|掻(か)き分ける。宙に目を向ける。深く息を吸い込むと「フ――ッ」と大きく息を吐く。吹っ切れた。そうはならなかった。気が紛れただけである。気が晴れるには佳菜との事がスッキリとなるしかない。再び、息を大きく吸う。――雨・雲の後は晴れさ! 冬の後に来ない春はない。そう云い聞かす。――



 幾く日か幾く週が過ぎ。 

そこは春爛漫――何処も彼処も光あふれんばかに輝く日々となっていた。

「これ……良かったら」まったく予期していなかった。縦型の二重底になってる弁当箱が目に入る。

「おれにか?」突然嬉しさが跳ね上がってくる。

「お口に合うかどうか」差し出した弁当箱の Kiki(キキ)と Lala(ララ)デザインが「キラキラ願う―ぅ」と歌ってるみたい、「可愛い」模様だ。

「マジィ! これは有難い! 手作りってつうのがいい!」素直に厚意に甘えることにした真、気持ちは薄ピンク空模様。

まだそこに立ち姿のまま含羞はにかむ頬笑みの看護師高畑絢香あやかさん。見下ろす目が温かい、この佇まいの高畑さんの、いや、絢香さんが急に「なり」と覚える。

「出前弁当や外食ばかりじゃ栄養バランスが悪いと思って。余計な事だよねぇ」

「余計なもんか! 過分! 過分! サンキュ―! 申し訳ない気もする。ありがとうさん」

これに始まり、以降もじゃんじゃんジャカジャカ。

「どうでした?」と甘い声に継いで「先生のお好きなオムライスと思って。ちょっとグチャグチャになってるかも」と微笑んだ笑顔のまま「これもお好きっておっしゃってたから今日はチーズケーキ焼いたの」差し出す手と口元は一層穏和になって「仕事よりも、食生活・健康第一というから―! あ、それ野菜スム―ジ―だから食べる前に飲んでおくと血糖値の予防になるからぁ」等々と最近やたらに日替わりで手作りお弁当をサービスしてくれるこの絢香さんの気遣い、お弁当よりうまい! 時に水っぽい味でも、気が抜けたような味でも「うまぃ!」と返していた。


 一方職場では、春の風物詩のひとつが、フレッシュマンが沢山、引退者も沢山、の新旧入れ替わりの季(とき)。病院スタッフも学校も普通の法人会社もみな同じ季を迎えている。

其々それぞれが交代するターニングポイントが春なのです。人もタ―ニングポイント、優しい人を見つけよう、見極めよう、その人たちを大切にしなくちゃ! となる。野に咲く若い花に目は行く、枯れた花に目が行くやつはいない。

その中にはニュー看護師たちも含まれていた。風物詩の筆頭には、やはりヤングマンたちの登場がある。働く姿がゆれてる、蝶のようになってこちらもゆれ動く。な―んだ、人は格別だ、高尚だ、どこがでしょう? まったく自然界のモノと同じになってるではないか。

k 大学、伝統も格式もある憧れの有名私大と世間では評されている。幼稚舎から大学院まである誰でも知る総合大学。ここの看護医療学部卒業生の 9 割以上が毎年、看護師・保健師・助産師として同大学病院勤務を優先的に占め、残りは企業・市町村の保健管理部門等に就職していきます。

「どこ病院?」と問われると皆の返答は鼻息が荒くなる(ブランドが違う!)と云ってる顔になる。この学校出身者は手前天狗が多い、だから同大学付属病院勤務を願う者が多い、うぬぼれともいう。「旦那さんが k 病院医師」と将来のイメージの元に働く者もいるようで現に職場結婚率は高い。

このように選ばれし者と云えばそれまでのことであるが、日々 3000 人もの患者数が外来に訪れ、常時 800 人前後の患者さんが入院してる病院で働くようになると、もう天手古舞てんてこまい。

果たして予想出来ていたのであろうか? いつまで続くことができるか? 心配でもあり、頑張って! とエールを送りたくなる。

と今年も思うなか、准看護師から看護師資格取得を経て真 29 才となっている専門医科内科室付に就くことなった 22 才のマニッシュな女性、これが絢香さんです。お弁当作戦司令官である。

さっぱり、荒削り両面ある男性キャラ風、かといって繊細な女性独特な神経を持ち合わせる主さん。何よりは進む先の道を間違えたかと思わんばかりの美人さん、アメリカの女優兼歌手のヴィクトリア・ジャスティス似なのである。それだけに周りの医師たちの彼女に対して注ぐ目線も忙しくなっているのです。そのためか、なんかどことなく競争してる気に押しやられてるみたいになって、これが却って彼女が気になる存在となって来るのです。

似てるのはそれだけではない、スラットしたスタイル、それもそのはずハ―フ特有の容姿。プラス、優しさアリ。といえば、『優しさに勝る武器はない』とした別な話が頭を過る。


 厳しい不毛をもたらす北風さん、と、暖かくさせてくれる恵みの太陽さん、この双方がガチンコ勝負をする。

頑固な旅人の上着を脱がせることが出来るか? 答は脱がせてしまった太陽さんの勝ちとなる有名なイソップ物語のひとつである。

忙殺される勤務から解放される瞬間、一見大したことのないようなことでも大きな悦びとなるものもある。お弁当づくりの好意は実に有り難い。

初めての好意に、続く好意に、変わらぬ好意のままに、それまで身に付けていた衣が古臭い上着に見え出し、徐々に脱ぎはじめている事に気付かされる。

日々レシピの腕も上がり旨くなってゆくではないか。食を満たせば能天気になる、すべてが好く見え出す、旨さにゃ男はイチコロだ。 

そんな絢香に、感謝の念を、アツい思いを、特別な感情までも、憶えはじめていた。一生の基本は「衣食住」というが、順位は「食・住・衣」な気がしてきた。


 出逢ってわずか数カ月。今デズニーホテルのシャワー室へ向かう絢香。

今まで経験したことのないようなとっても新鮮な affection(愛情)の形に出会ったと感じてならない―― affection は「男女間の愛」 vs. love は広く「恋愛感情」若しくは「全般に対する善意」――求めていたのは前者だったからです。

同時に(これで普通!)と何度も自分に云い聞かせている。

週末・連休にはデートするのが当たり前になって、グランドホテル、プチホテル、老舗旅館、時には可愛い風見鶏が揺れるペンションだったりとワンダ―フォ―ゲル( Wandervogelは、戦前期ドイツにおいて始めた青少年による野外活動が「登山」の意味として日本に浸透)のごとく渡り歩いてゆく。山々野々には見たことのない空気感や動植物との出会いもあったりとても新鮮な思いがさらに二人を新鮮な想いとさせて往った。

こんな屈託のないラブ進行は初めてであった。このスム―スさはむしろこわいくらいであった。

悩みも心配も不安も皆無な恋愛! と云ったら嘘になるが、少ないに越したことはない、それどころがまったくなかったのです(若し、恋愛中にこの度合が濃い場合は取りやめた方が無難である――相思相愛こそが安全道、恋愛の交通安全。これ無くして愛の歓びが成就することはない、希薄になるからです、不安になるからです)。 

この素心若雪そしんじゃくせつのままに生き生きとなる付き合いこそ普通・本来の形・求めていたモノだ。と、静謐せいひつに、同時に、激しくも、身も心もなってることを自覚し始めていた。

そりゃ―あ! そうだ。いくらワイワイしても、いくらスリルに酔う恋であっても、最後は静かで安らかな落ち着き所を好むのが男だからだ、人だからだ。女だってそうだろうと念(おも)う。

土日は決まって電話口に応じることのなかったカノジョ、ベンツ等での深夜帰宅の話、父の佳菜に対する身体欲求を原体験とした負の連鎖はあったのか? その影響でか外でどんな嗜好の生活をしていたのか?

万が一あったにせよ助けたいと願っていたが土日の見えない部分の不安がそれを妨げていた、打ち消していた。

このような一連の北風の流れは、どう仕様も無く比べてしまうからです。

今日もこの連休を利用して、志賀高原にあるヴィラホテルの一室に身を任せている二人。

「星が落ちてくる美しさ」と聞くことはあったが経験するの初めてだった。こんなにも星の数ってあるんだぁ、そのうちには一際(ひときわ)瞬く星があって、眩し―い、と三嘆(さんたん)している。電燈は要らない、星明りだけで十分に相手の表情は見える、ああ何と幻想的なかり。

「ね、ね―! 見て―え―!」と絢香がグッグったタップ先に「森に囲まれた高原教会で二人の永久の誓いを……」とする星野リゾートによる結婚式提案(少々お高い)が旅行シリーズ雑誌に載ってる。

森の青さと空の青さを背景としてるあおい空気感の下に純白な花嫁衣装の写真を指差し雀躍(こおど)りする顔(可愛いったりゃありしない)。今はっきりときらつく一筋の光りが差し込んだと思い、又そう自分に思わせていた。

「運命ってやつかなぁ、知り合ってよか―た! ずっとこのままつづいたら一緒になりたいな―あ―」vs.「お―! おれで良ければ一緒になろ! 新しい人生を作ろ―ぜ!」と真と絢香の間で既に結婚話が瞥瞥ちらりちらりしていたこともあって、二人ともソク異口同音(い―ね―え! しよ! しよ!)即決裁断! 軽井沢で式を迎えることになります。『スム―スな合意』は実現。『長引く』は実らない。これをいま)る。

挙式は大勢の出席者をと願う真の父を説き伏せた母でした。

米国と在日三世というハーフーの身の上、親戚縁者がここに少なかった上に心ない者たちからの妙な好奇の目、偏見を避ける事も重なり、何よりは二人の希望であったからです。

当初は二の足を踏んでいた父が絢香に会う度に気に入ってくれたことが何よりでした。

だけでなく、ここには既に絢香を狙ってる男性陣が彷彷うろうろいたこともあり一気に解決させる意図があった事は云うまでもない。『先んずれば人を制する』――『恋は早い者勝ち。一年が賞味期限。長くなればなるほど味は落ちる』――『善は急げ』である。

二人の挙式の話はとんとん拍子に進む、この綏綏灑灑すいすいさいさい感が堪らなくここちい―、このゴールデンウイ―クに軽井沢高原教会での挙式となりました。


 ハープのナマ演奏がながれ

外気から小漏れる樹木たちの燥(はしゃ)ぎ立てる囁き

皐月さつき青葉の放つ情熱的な色彩いろ

澄んだ人心地ひとごこちになるのがイ―


そして、ここに牧師さんと純白の花嫁と真っ白なタキシード姿のそれぞれだけが坐(ざ)している。

森の妖精たちに囲まれ、鳥たちのさえずりに包まれ、そびえ立つ雄大な浅間山のふもとに抱かれ、白馬の馬車の軽快な音にノリ、ふたりのアツい想いに応え合い、新たな誓いに深く息を吸い込む。



 暮らしてかった。

想像していたよりかった、好きと云うのが挨拶となってるのがかった。何もかもが遠慮なく振る舞えるこの自然な暮らしが途轍とてつも無く新鮮かった。新婚だからだよ、と人は言うけど、どんなことがあっても一生つづくさ、とおもっている。

「只今―!」玄関を開けると同時に走り寄って来る新妻「ね! ね! みつき生理が来な―い」と抱きつく! 痛いくらいハグしてきた。痛くなかった、嬉しさがそれを上回って寧ろそうしてくれることを嬉(たのし)んでいた「やり―!」と改めてハグし合う新婚なカップル。

妊娠20週目、女の子だとエコ―検査により判明(女性を大切にしよう!)イッペンに女性優先主義を取ることになる。

(パパかあ!)(そうなんだあ!)(親になるんだあ!)(女を尊敬しよ! 大切にしよ!)一遍に何処に居ても四六時中この喜びともさとしともが出て来てしまう。


 そこへ新婚一ヶ月が経った頃の真の許に「佳菜ちゃんお母さんになった」の話が結夏さんから飛び込む「…………」――う? 結婚した話は聞いてない……誰と? もし? もしかしたら? と不図ふと指を折っていた。

あの 8 月ホテルニューオータニでの一夜からこの 6 月となると 10ヶ月目で正産期に当ってるではないか(まさか? まさかーぁ?)と思い棚引く……。

 目線を落とした庭に、最近よく遊びに来る祖母の手入れのお陰もあり、そこかしこの草木は今年も四季をまたつわものどもとなってこちらを見入って来る。

大輪の花を大きく甘く上品な薫り漂わす百合のカサブランカはクイ―ン。

美しいがボレロは我がままなとげを備えた薔薇でいても、雄姿を誇るキング。

この百合の、このバラの、白色はけがれを知らぬ愛よ! と示唆してくるよう。

佳菜に、 産まれた子に、そして、自分に、けがれのありようがない――皆一人ひとりが誇れる者で居たい、してやりたい!

人は誰でも間違いを犯さないとは限りません、がしかし、人の道に外れたままにしていれば『悪魔に魂を売ることになる』大袈裟と捉える者は――及び腰な人、心ちぢこまるひと。魂を容易く売る者――優柔不断な者、であってはならないのだよ、失うものの大きさに気付いたときはもう半分は悪魔の姿になってるんだよ、そうなるともう近寄って来る者はいなくなるのさ。

売れば『自らも悪魔となりいずれ退治される、退治される前に多くの者に伝染させてしまう』ということなんだよね。

さっきからそんなこんなを考えては迂路々々うろうろと書斎を歩きまわる真。

佳菜とのことをすべて話すべきか? 云えば傷付く絢香になるのでは? とぼければ騙すことに?「…………」 

もし、佳菜の子が自分の実の子なら子に罪はない。もし子として認めなければ、つて一度真剣に培った佳菜との愛をも全否定することになる。併せて佳菜も子も哀傷あいしょうの淵へ追いることになる(あの乳児園の子達のような奈落の底を見せてるような人対人にだけはゼッタイにあってはならない)。

自分だけが良くて幸せと感じるのは逃避。誤魔化しでありいずれ剥がれるに決まってる。因果応報の憂き目に遭うのが世の常、ブ―メランとならない者は誰ひとりとていないのだ。

しかし子と決まってる訳じゃない。

庭にサーっと風が吹き入る、思いは突風となって、矢庭やにわに真はスマホの方に目を落とす。

忽忙そそくさとPINコードを入力、開かない、もっかい暗証番号、あれ? も一回! 開いた(慌てるな!)と自分に云い聞かす、佳菜のアドレスを探り始める。

そこへ、啐啄同時そったくどうじ「ね~え! チーズケーキとハーブティーが入ったよぉ~!」と新妻が「結婚三カ条だよぉ!」と結婚前に突き付けて来て賛成した定例の『カップルト―ク・タイム』だが、これは日に一回絆を確認し合う場として必ずどんなときもト―クタイムは設けようね! とした約束事であったのです。

「今行く―ぅ!」といつもより声高に、普段より朗ら朗らに、応えた真。

「ね―え! おいしい?」 「そりゃ―! もう!」 「チーズって体にいいんだよ。いろんな栄養素が詰まっていてその割には太らないし美容にもね」

「知ってる! 旨いねぇ、もう一個ある?」

「ばかやろ―ォオ! 欲張るんじゃないよ!」

「え? えーぇっ? どうした?」綾香の顔は怒ってない、真剣マジ顔である。

「何イラってしてるんだ?」(……もしかしてスマホ見た? 見られるはず無い、無い!)。 

「会って確かめな! 先ずわ」 

「…………」

「知ってるんだよ。誕生日か名前のニシャルかが暗証番号って――真くんの子かもでしょ」(な―んだよ! 人のプライバシーは守れよ! いくら夫婦でも)と云いかけたが負ける話なので云わなかった。

「見たのかぁ……。実は、おれの方から云おうと思ってたんだ」汗タラタラどころではなかった、唖然としながらも全力で冷静に務めたのです。

「結婚前の事は事。今したら許さないからな! って人を不幸にするのは善くないからね」

「解ってる!」

「事実なら公認したるわ。ただし、親子関係だけだからな」

「勿論! ありがとう、がちセンキュー―! デラ恩に着る」ちっちゃくなるどこでない――って、ちっちゃいを『女みたい』と世間ではいうけど嘘だね、男以上に心でっかい女はいるんだよね―え―。


 秋深まった土曜の朝、佳菜の家を訪問、わざと早朝としたのだ、どうしても話したかったからである。

早過ぎたのか何度押しても返答が無い。

「大切な事、伝えに来たんだ―あ―」と玄関ドアの隙間から、小声で、しかし、ゆっくり穏かに一語一語噛み締めるように言ってみる。

近づく足音が聞こえる、開いた、懐かしい顔であった。

奥の部屋に案内され、そこに、なんと小さな手が軽やかに動いているではないか。指をさし出した一本を指五本で握り返した赤ちゃん、真っ白で柔らかな指、その握る強さ。

「真くんソックリ」と抱き上げて見せる佳菜。

「そっか! やっぱり」

「見て! 頭円形脱毛症になっちゃたぁ」

「…………」辞(ことば)が出ない真……。

佳菜の頭をなでる。下を向いている頭をそっと持ち上げる。

べビィ―ベッドにあかちゃんを横たえる佳菜の腕が痛々しくいとしい

「なぁ! ぶっちゃけ! 訊くけど、やなら聞かないけど、どうしても知りたいことなんだ―ぁ」。

「いいよ!」

「土日には電話が繋がらなかったけど、正直言ってくれないか」

「何が?」

「うぅ……、他にデートするやつがいたのかなって」

「いるわけないでしょっ!」

「じゃあ! どうして?」

「パパと会ってたの」

「えっ、もしかして、パパって本当のお父さんと?」

「河川敷暮らして、その上歳だから体はボロボロになってるし、かといって借金まみれで出てきたら又元の地獄になるし。だからいろいろケアしてたの!」。

「え―! 何で? 何で? 云ってくれなかったんだよ! 力になれたぞ!」

「云えるわけないでしょ。恥だし、バレたら元の杢阿弥もとのもくあみになるだけだし」

「え―えっ!」


 と云ってみたが『時効は法的な死亡の擬制』法律効果を認めるだけであって、現実には確たる死亡したとの証拠が無ければ保険金受取は不可。後で生きてると分かると返還義務が生じる。実質的には『借金に時効は存在しない』のである。

『債権――貸した金を返してもらう権利は、10年間行使しないときは消滅する(167条1項)』と10年の消滅時効が定められているが「もう法律上時効になったから借金は返しません」という意思表示をしてはじめて有効となる。相手がこの申し出を断ったときは千年『返せ!』と云われるのです。

つまり、時効が成立しないケースとして時効期間の進行中に債権者から裁判を起こされてしまったら時効は中断して判決が確定した日から更に10年の時効期間の経過が始まってしまう。ということは佳菜の父のような失踪不明者のケ―スの場合はどうしても不可能――永遠に借金債務は残るってことです。

このことを佳菜も知っての上でのことだったのでしょう。(やる気になれば、チャラにする別な方法もあるのだが)、しかし『借りたものは返す』は社会通念上の大原則だからね。


 「なぁ―! どうしてなんだ? それでも妊娠したと分かったとき言ってほしかった! 何で云わなかった? どうしてだよ? こんな大事な事!」

「言ったよ! 何回も。其度毎そのたびごとに下書きにしたのを駄目にしたのは誰なんだよ? 『真先生、ご婚約なされた、ご結婚なさってます』ってあんたの病院の先生たちみんな言ってたんよ。『あんた』……初めて云われた……怒ってるな、知らせたくても電話なんかしたらうちが惨めだよ! お前から一回でも電話してくれたときがあったかよ、『お前』……。

せめてメールで知らせようにも浮気してるし、訊きたいのはこっちの方だよ。見ろよ此れ! あんたの病院の母子手帳見れば分かるよ、妊婦健康診査・乳幼児健康診査・出生届出済証明……父親名は出さなかったから安心だろ、まったくぅ! 堕ろそぉ! と何度も考えたけど止めたんだよ、分かれよ!

そうしてるうち『妊娠 22 週目は人工妊娠中絶は法律上できません』と先生に言われたこともあって、そんなことはどうでもよくて、どうして産むことにしたのか分かるっしょ! 真の児だからだよ、DNA調べれろよ、判るから。うちらの愛だったからぁ、どうしても堕ろせなかった、産む決心したんだ―ぁ!」

「…………」のままうつむく佳菜の貌――涙を堪えてる吐息が真に波入ってくる。痛恨(いたい)。

真も「…………」のまま、傍らの赤ちゃんを、率土そっと、抱き締める、女の子である、目をじっと見入ってくる、口元が笑ってる。



 恋は、いや、この世のものは全て、「心象しんしょう」なのである。

心に描く象。これが人間たるゆえん。生きる上での、他の動物との、分水嶺ぶんすいれい。幸も不幸もうむ原泉。

全てはここから始まりここに収まるニンゲン動物(サピエンス)のさが。文化文明、権力、仕事、価値観、貨幣、宗教、国家、家庭制度、世の常識、欲、恋だった、このようなイメージでこの世界は、この世の人々は、成り立ってる。万事はイメ―ジからなりたっている――描いた象によって決まった往く。

若し、佳菜が真実一路であったと信じていれば、このような象(顛末)にはならなかったのであるから。

イメージしたぞうは独り歩きをする。故に、多くの果実を、利を、生む。啐啄同時そったくどうじに数多くの腐りを、凶を、もたらす。


 善心(良心)にたどり着くのが人の道のゴ―ルのはずだった……。



 ときは往き、真に、……。

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