あなたの一番になりたくて

道透

第1話

 女性は恋をすると美人になるという。本当だと言われるがその真偽はどうなのか分からない。でも、最近私は少し変わった気がする。ダイエットの効果もあるのだろうけど多分違う。教室に置かれる小さな鏡で自分の顔を映しながら思う。

 私には好きな人がいる。でも、自分に自信が持てない。だから、話すことも出来ない。嫌われてしまう気がしてならない。

 女同士の会話で恋愛の話が持ち上がってくるのはごく自然のことだ。真剣にアドバイスするものもいるが、大抵は気を遣って甘い言葉を囁くのだ。同じ性別の人間としてそれを知っている以上は疑うことを忘れられない。

 高校生活一年目の夏。涼しい風が校舎の四階の窓から入り込み私の首筋に滲む汗を乾かす。放課後になると一気に静まる教室の窓側に存在する私の席は初めての席替えで決まったところだ。初めは教卓の真ん前だった。話す人も作れず、せめて挨拶を交わせるくらいの人がいればよかったなと後悔する。

 何気に放課後の学校は私のお気に入りになっていることに気づく人はまだ誰もいない。好きで残る人なんてめったにいないだろうから気づかないことに心を痛めたりもしない。

 何かをするわけでもない。ただ、時間を無駄に過ごす。机に伏せる。今日は最終下校まで寝て過ごそう。私は顔を隠すようにして伏せた。

 その時、教室の扉が開いた。誰が来たかは知らないが知らないふりをしていれば相手も話しかけてはこないだろう。そんな予想は難なく外された。

「寺山? 大丈夫か」

 私は誰が声をかけてきても反応するつもりはなかった。だから、瞬時に伏せていた顔をあげた自分に一番驚いた。

 相手が私の好きな広瀬智樹だったからだ。

「泣いてるの?」

 声の聞こえからしてすぐそこにいるのだろう。今、手を泳がせたら広瀬くんに届いてしまうに違いない。

「泣いてないです……」

 ぎこちない返事に広瀬くんは戸惑っていないだろうか。もっとナチュラルに、泣いてないよって笑って言えたらな。笑うどころか目すら合わせられない。

 クラスメイトと話すなんて何か月ぶりだろう。入学式の日すら誰とも交流を持てなかった。でも、まさか広瀬くんが話しかけてくるとは想定外である。

「そっか、教室入ったら一人で顔伏せてたし泣いてるのかと思って」

 広瀬くんは頭をかきながら笑った。

 胸が引き裂けそうなほどに痛い。深海に沈められるように苦しい。まるで告白の三秒前だ。

「寝てただけなんです」

「え、こんなに暑いのに? 寺山さんって変わった人だな。話したことなかったから知らなかったけど」

 羞恥をさらしたわけじゃないのに恥ずかしい。間違いなく変な人だと思われた。自信がない分余計にへこむ。

 私が小さくため息をつくと広瀬くんは、睡眠の邪魔してごめんねと言って教室を出て行ってしまった。別に広瀬くんが邪魔に思ってため息をついたわけじゃない、ともいえるわけがなく静まった教室に取り残される。

「勘違いされたのかな」

 肩の力が抜ける。

 顔の輪郭をなぞる汗を手の甲で拭う。教室の暑さが増した気がしてすべての窓を開けた。

 次の日から放課後の教室に居つく人が増えた。

「寺山さんって部活とかしてないの?」

「してないです」

 どうして広瀬くんは私にかまうのだろうか。課題をしたり、誰かと待ち合わせをしたりという様子はなかった。もう四日目である。気づけば放課後は広瀬くん

と話す時間として私の中で定着していた。

「広瀬くんは私と話していていいんですか?」

「前から思ってたけど敬語やめない? クラスメイトなんだしさ」

 初めてそんなことを言われた。広瀬くんのような人と対等に話すことがおそれ多く感じる。特に好きな人と話すなんて初めてのことで、どうしたらよいかなんて分からない。

「俺は寺山さんと話すの楽しいけどな。皆とも話してみればいいのにー」

「それは難しいと思うから……私と話すのが楽しいって」

 嘘でも善意でも嬉しかった。

「笑ったとこ初めて見たかも!」

 世紀の大発見でもしたかのようなオーバーリアクションをする広瀬くんと笑いあうのは不思議な感覚だった。未だにクラスに馴染めていないのに嬉しくて、もうこのままでいい気がした。

 どうにか敬語をやめようと脳に指令しながら会話を続けていると廊下を走ってくる音をが聞こえた。その音は教室の前で止まり、同じくクラスメイトの椎名未来しいなみくるが入ってきた。クラスの中心にいるような子で私のような人とは関わり合いにならないタイプの人だ。

「あ、智樹! やっと見つけた」 

「どした、未来。珍しいな」

 胸がチクリと痛んだ。

「智樹こそ教室にいるなんて珍しいじゃん」

「俺は最近ずっと教室で寺山さんと話してたよ」

 椎名さんの丸い眼を合う。不思議な組み合わせに驚いたのだろう。無理もない。私自身でも意味が分からず戸惑っているのだから。

「寺山さんに迷惑でしょ。彼女は一人の方がいいってこの間言ってたの」

 椎名さんに、ね?と肯定することを求められた。広瀬くんと目が合わせられない。全くの嘘なのに否定してしまうことに怖気づいてしまう。

 でも否定なんてしたら広瀬くんを傷つけてしまう。

「智樹、一緒に帰ろうよー」

「いつも友達と帰ってるじゃん、未来は」

 また胸がチクリと痛んだ。椎名さんのこと未来って呼んでるんだ。思い違いだった。私は思い上がっていた。一人で浮かれてた。私はただじめッとした日陰にいるクラスメイト。

「広瀬くん、せっかく椎名さんが誘ってくれてるんですから断るのは勿体ないと思いますよ」

 私は机の横にかけている鞄を持ち上げて二人よりも先に教室を出た。いつもなら一人は当たり前なのに今日はなんだか寂しかった。欲張りになってしまうというのが人の業なら私はその場にある空気にでもなりたかった。

――そしたら広瀬くんとずっと一緒にいられるのに。

 抑え込んでいた本音はいとも簡単に涙になって溢れかえっていた。

 涙を止めるため、校内をぶらぶらとして教室に忘れ物を取りに戻った。すでに広瀬くんは椎名さんと帰ったようで教室は空っぽだった。

 もう、すぐに帰るつもりだったのに机に伏せてしまう。泣きはらした目を見られないと思ったら安心する。

 すると、教室の扉がガラッと開いた。もう最終下校の時間だろうか。先生が施錠にでも来たのだろう。

「また寝てるのか、寺山?」

「え!」

 私はまたも想定外なことに顔をあげた。これで二度目だ。

 目の前には広瀬くんがいた。

「椎名さんは?」

「未来? 一人で帰した」

「どうしてですか」

「だから敬語やめようよ。普通に話したい」

 広瀬くんは目線を外して言う。恥ずかしかったのかな……まさかね。

「一言謝りたくて、ごめんな」

 私の泣きはらした目を見てまたも勘違いをしているのか。

 広瀬くんは本当に一言だけ残して教室を出て行った。一瞬でも時間を止められたなら心の準備でも出来ただろうか。出来ない。でも、このまま広瀬くんを帰したくない。もう話せないかもしれない。

 好きだからとか関係ない。私に、嬉しいという気持ちをくれた人を困らせたくない。何が広瀬くんを困らせるのか分からないけど、今のままではだめなのは確かだ。

 深呼吸をして、手に書いた人という字を三回飲む。行ける! と自身に言霊と言うなの勇気への一歩を捧げて教室の扉を開けて広瀬くんを追いかけた。

「待って!」

 今度は広瀬くんが驚くばんだった。階段から足を踏み外しそうになり、手すりに助けられていた。

「違うから。一人でいたいとか、椎名さんと帰ってほしいとか、広瀬くんと話すのが迷惑だとか。全部違うから」

 めっちゃくちゃだ。

「違うから」

 広瀬くんと話した短い時間の大切な時の流れを反芻するような間さえなかったけど、実感して感じたことは確かで気持ちに嘘偽りはない。

「そんなに泣かなくてもいいよ」

 結局困らしてしまった。広瀬くんはどうしようもなく頭をかいた。

「私、広瀬くんが好き。一番が椎名さんなら、私は二番でもいい……今は」

 いつかは誰よりも私を選んでほしい、なんて言葉を飲み込む。夏の暑さが増すように感じる。

 広瀬くんは、ありがとうと言ったけどどんな顔をしていたかは分からなかった。私が目を合わせられなかったからだ。

「一緒に帰ろうか」

「うん」

 本気でしている恋には自分の自信なんて関係ないんだな。

 私の横を歩く広瀬くんの横顔を見ると目が合って恥ずかしい反面、嬉しくてドキドキと高鳴る胸の鼓動を抑えるのに必死だった。

 やはり空気にはなりたくない。ずっと一緒にいられるし些細なことで悲しむこともないが、一生もののこの感情のせいで眠れないほど嬉しくなることもしれないのだろうから。

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