世界で二番目に好きなあなたへ

望月くらげ

世界で二番目に好きなあなたへ

 ノックの音がして、古めかしい扉から白のタキシードに身を包んだたけるちゃんが顔を出した。

「準備終わった?」

「うん」

 健ちゃんは私の姿をまじまじと見たあと「馬子にも衣装だな」なんて言って笑う。けれど、その頬が赤くなっていることに私は気付いていた。健ちゃんはいつだってそうだ。照れ屋で、お調子者で、でもずっと私のことを守ってくれていた。

「なあ、話があるんだ」

「え?」

 そんな健ちゃんが、珍しく真面目な顔で私の前に立った。どうしたというのだろうか。式まであと30分足らず。そろそろ、親族控室へと挨拶に行かなければいけないのだけれど……。

「聞いておきたいことがあって」

「どうしたの?」

「……本当に、俺で良かったのか?」

 いつものように、冗談を言っているのだと思った。だから、私もいつものように笑い飛ばそうと思ったのだけれど――健ちゃんの顔は、怖いぐらいに真剣だった。

「なに、言って……」

「本当は、兄貴のこと好きだったんだろう?」

「なっ……」

 健ちゃんの言葉に、私は戸惑いを隠せなかった。そんな私の一瞬の動揺を、健ちゃんは見逃さない。苦笑いを浮かべると「やっぱりな」と呟いた。

「知ってたの……?」

「当たり前だろ、何年一緒にいて、どれだけお前のことを見てきたと思ってるんだ。美和にとって兄貴が一番、俺は……その次だって、ずっと知ってたよ」

「っ……」

 健ちゃんのお兄ちゃんの俊ちゃんは、私たちよりも三つ年上で、頭が良くて、人当たりも良くて、誰からも好かれるそんな人だった。

 俊ちゃんを好きな女の子はたくさんいて、幼馴染というだけで隣に並ぶ私に意地悪をしてきた人もいた。だから、私はずっと嘘をついてきた。俊ちゃんはただの幼馴染で、別に好きなんかじゃない。周りにも、自分自身にもずっと。

 でも、それをいまさら――こんなタイミングで暴かなくてもいいじゃない。こんな、結婚式の、直前で……。

「今なら、まだ間に合うよ」

「え……?」

 健ちゃんの、言葉の意味がわからなかった。間に合うって、何が? だって、私は、私たちは今から――。

「ちゃんと、兄貴に気持ちを伝えてさ、それでOKだったら……俺は、身を引くよ」

「な、にを……」

「大丈夫、親たちはちょっと面喰うかもしれないけど、ちゃんと説明はするし……」

「そうじゃなくって!」

 そんなの、健ちゃんはどうなるというのか。だって、だって……。

「俺は、さ……ずっと、お前の気持ちを知ってて、それで黙ってたんだ。兄貴と付き合わなければ俺の方を向いてくれるかもしれないって、そう思って」

「っ……」

「でも、やっぱりそんなの卑怯だよな。お前の気持ちを置き去りにして、こんなのダメだよな」

 健ちゃんは笑う。悲しそうに、今にも泣きそうな顔で。

「……もうすぐ兄貴がここに来るから」

「え……?」

「だからさ、ちゃんと話しろよ。その結果、どうなったって俺は大丈夫だから」

「た……」

 健ちゃんの名前を呼ぼうとした瞬間、部屋にノックの音が響いた。私をチラッと見たあと、健ちゃんはドアに向かって歩いた。

 そこには、健ちゃんの言っていた通り――俊ちゃんの姿があった。

「どうした? 俺に用って」

「ああ、それ俺じゃなくて美和みわな。兄貴に話があるんだってさ」

「美和が?」

 俊ちゃんはいつもの笑顔を私に向ける。けれど、私はどんな顔で俊ちゃんを見たらいいかわからなくて、思わず顔を背けた。

「……俺さ、親父たちのところに行かなきゃだから、話聞いてやってよ」

「おう。さっさと戻ってこいよ? 新郎なんだから」

「……ああ」

 パタンという音がして、顔を上げるとそこにはもう健ちゃんの姿はなくて、俊ちゃんが優しい笑顔で私を見つめているだけだった。

 一歩、一歩と俊ちゃんは私の方に向かって歩いてくる。私は、金縛りにでもあったかのように身体を動かすことができない。

「美和?」

「しゅん、ちゃ……」

「ドレス姿、とっても綺麗だね」

 その言葉に、心臓を鷲掴みにされたような衝撃が走る。どうしよう、こんなのダメだってわかってるのに、それでも身体全部が叫んでいる。俊ちゃんが、好きだと。大好きだと……。

 そんな私に、俊ちゃんは――小さく笑った。

「失敗したなぁ」

「え……?」

 その言葉の意味を量りかねていると、俊ちゃんは私の頬に手を伸ばした。

「こんなふうに健に取られちゃうなら、もっと早く告白しておくんだった」

「っ……な、にを……」

「やっぱり気付いてなかったか。しょうがないよな、三つも年上じゃあ対象外だよな」

 俊ちゃんはそう言って笑うと、私の頬から手を離して照れくさそうに笑った。

「お前は気付いてなかっただろうけど……俺ずっと美和のこと好きだったんだぞ? 美和が高校卒業したら――、大学卒業したら――、そう思って告白できずにいるうちに、気付いたら健と付き合ってるんだもな」

「そ、んな……」

 足が、震える。

 まさか、俊ちゃんが私を――。

 そんな、そんなことって……。

「美和……?」

「……た、しも……」

「え?」

 気持ちが、抑えきれない。

 こんなのダメだって、わかっているのに、なのに……!

「私も、ずっと……俊ちゃんが、好きだった……」

「嘘、だろ……?」

「嘘じゃない! 小さい頃から、ずっと、ずっと俊ちゃんのことが……!」

「ま、待ってくれよ……。なら、なんで……」

 俊ちゃんは額に手を当てたまま、座り込んでしまう。私だって、頭の中がグルグルまわって、何がどうなっているのか……。

 でも、一つわかることは、私たちは――。

「両思い、だったってこと……?」

「……たぶん」

「マジかー……」

 私だって、信じられない。だって、俊ちゃんが私のことを好きだっただなんて、そんな……。

 ……まさか、健ちゃんはこのことを知ってて私に?

 でも、だからってどうしろっていうのか。もうあと少しで、私と健ちゃんの結婚式が始まるのだ。今更――。

「っ……。な、なーんだ。両思いだったんだね!」

「え……?」

 明るく言った私に、俊ちゃんは怪訝そうな顔を向ける。でも、これでいいのだ。これで……。

「もっと早く知ってたらなー。でも、もう遅いしね! あーあ、残念残念。ってことで、この話はこれで……」

「美和」

「っ……」

 私の言葉を遮るように、俊ちゃんは私の名前を呼ぶと――ウエディングドレスごと、私の身体を抱きしめた。

「美和、もしも、もしもお前が望んでくれるなら、俺……みんなに土下座したっていい。健に殴られたっていい。お前さえ、俺を選んでくれるなら……」

「しゅん、ちゃん……」

 そんなことが、許されるのだろうか。

 だって、今日が結婚式で。みんな私と健ちゃんのことを祝福しにやってきてくれているのに、なのに……。

「美和……好きだ」

「俊ちゃん……」

「お前が好きだ」

 俊ちゃんの顔が、近付いてくるのがわかる。

 もう何も考えられない――。

 私は、流されるようにして目を閉じた。

 健ちゃん、ごめんなさい。

 私……私……。

「美和……」

 俊ちゃんの唇が、私の唇に触れた――はずだった。

「っ……たっ……」

「え……?」

 その声に目を開けると……俊ちゃんが床に座り込んでいるのが見えた。

 何が起きたのかわからなかった。でも、私の両手に残る感触が、この手が俊ちゃんを突き飛ばしたのだと、そう物語っていた。

「ご、ごめんなさい……! 私! 私……!」

「……ははは。いいよ、それが美和の答えなんだよ」

「え……?」

「美和は俺のことをたしかに好きでいてくれたのかもしれない。でも、それはきっと――」

 俊ちゃんの言葉に、私は部屋を飛び出した。たくさんの人が、教会へと移動するのを尻目に、私は走った。周りの人が何かを言っているのが聞こえたけれど、そんなの気にならない。それよりも、今は、今は――。

「いた!」

「っ……美和……」

「健ちゃん、私……!」

 私の姿を見つけた健ちゃんの顔が、一瞬パッと明るくなった。けれど、すぐに自嘲気味に笑うと、苦笑いを浮かべてこちらを見た。

「……上手くいったか?」

「っ……なんで……」

「……俺、ずっと知ってたんだ。兄貴も、美和を好きだって」

「え……?」

 思わず声を上げた私に、健ちゃんは「ごめんな」と呟いた。

「二人が両思いだって、本当は知ってた。でも、知らないふりをしたんだ。そうじゃなきゃ、俺から美和が離れていっちゃうと思って」

「そんな……」

「でもさ、それで結婚までしちゃったら……やっぱり違うだろう。美和には幸せになってほしいから……。俺じゃなくて、本当に好きな人と……。だから――」

 もう一度「ごめんな」と言うと、健ちゃんは私の横を通り過ぎようとする。きっと、みんなのところにいって結婚はなしになったと、そう言うつもりなんだろう。でも、そんなの……!

「そんなの、勝手すぎるよ!」

「え……?」

 私は、通り過ぎようとした健ちゃんの手を握りしめた。

「健ちゃんは、それでスッキリするかもしれないけど、私の気持ちはどうなるの? 急に、俊ちゃんと両思いだったって知らされて? 健ちゃんと別れて俊ちゃんと結婚しろって? なにそれ、私のことバカにしてるの?」

「そ、そんなつもりじゃ……」

 私は、涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げると、健ちゃんの肩に手を置いて――背伸びをすると、その唇にキスをした。

「な、なに……」

「たしかに、私は俊ちゃんが一番好き! そんなのしょうがないじゃない! 二十年以上ずっと好きだったんだもん!」

「だから、兄貴と……」

「でも! 健ちゃんのことは、愛してるの! 愛してるのよ……!」

「美和……」

 健ちゃんは、信じられないといった表情で私を見つめる。

「世界でただ一人、愛しているのは健ちゃんだけなんだから……だから、俊ちゃんと結婚しろなんて言わないで……」

「ホントに……? ホントに俺でいいの……? だって、俺より兄貴の方が絶対……」

「健ちゃんがいいの! 健ちゃんじゃなきゃダメなの!」

「美和……」

 健ちゃんが、私の名前を呼ぶ。

 その唇が近付いてくるのを感じて、私は目を閉じた。

 遠くで、鐘が鳴る音が聞こえる。

 私たちを祝福する、鐘の音が――。

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