2番目でいいよ。

雪波 希音

2番目でいいよ。

 片想いが実ったことは、多分一度もない。


「教室でとかマジか?誰か来るんじゃ……」


「大丈夫、今日は吹奏楽部も休みだし、もうみんな帰ったよ。何より……したい、、、んでしょ?」


 セーラー服の胸元を自らはだけさせる。


 少し顔を赤くしてそこに釘付けになる目の前の彼に、私は囁くような声で言った。


「いいよ。――いつもするみたいに、して」


 すると、彼が廊下の方を気にしながらもセーラー服の中に手を入れてきた。


「んっ……」


 ピク、と反応しつつ甘い吐息を漏らせば、彼が喉仏を上下させて、もっと奥まで手を侵入させてくる。


 落ちた、、、な――と思って、私は彼の首に腕を回し、完全に身を委ねた。


「!」


 微かに足音が聞こえた。それはだんだんと大きくなって、こちらに向かってきているのが分かる。


 即座に小声で「ねぇ、誰か来るよ」と呼びかけたけれど、彼の耳には届いていないのか、止まる気配がない。


 まぁ、“彼女”ではないだろう。そっと息をつき、私は受け身の心構えに戻った。


「はーぁ、忘れるとかほんと馬鹿……ぇ」


 ガラッと教室のドアを開けた男子が、窓際でそれ、、と分かる体勢になっている私達を見て目を見開く。


 私の服を脱がそうとしていた彼も男子生徒に気付き、互いに言葉を失った。


 私含め全員クラスメイトだからだろう、沈黙はかなり長かった。


「……えっ、いや、いやいや!お前、あの子のこと好きって言ってなかった!?あの子はもう諦めたの!?」


「ち、ちげーよ!これもその……ちげーから!な、志月しづき!」


 彼が私から離れ、助けを求めるように見てくる。


 私は目を閉じてすっと立ち上がった。


「うん。だから、気にしないで。井崎いざきくん」


 ごめんね、と彼にだけ聞こえる声で謝ってから、私はそばに置いていた鞄を持ち、井崎くんがいるのとは別のドアから教室を出た。


 ――いいところだったのに。タイミング悪いな、井崎くん。


「っ、志月さん!!」


 急ぐような足音がしたと思えば、背後から腕を掴まれた。


 私は怪訝な顔つきで振り返った。


「何?井崎くん」


「さ……さっきの、何?あいつとどーいう関係なの?」


 様子を窺うような目で心配そうに聞いてくる。


 私は井崎くんの手を振り払い、嫌悪感をわざと隠さずにきっぱりと言い放った。


「井崎くんに関係ないから」


 踵を返すと、何故か井崎くんはついてきた。


「関係はないけど!二人のことは知らないけど、他に知られちゃまずいことなんじゃないの!?現に俺が来たらやめたでしょ!」


「…………」


「無視か……図星か……。志月さん、付き合ってもない人とああいうことするの良くないよ!えっと……もっと自分の体を大切にしないと!」


 その言葉に、歩みを止めた。


 二階へ下る階段の途中で、私は前を見据えたまま井崎くんに向けて呟いた。


「しないよ」


 私の言葉と、井崎くんの「え……」という驚きに塗り潰された声音が、人気のない階段に反響した。


 横から刺さってくる説明を求めるような視線に嫌気が差して、仕方なく口を開いた。


「好きな人には私じゃない好きな人がいる。どうして大切にするのか、理由がわからない」


「……えーと、どういうこと?」


 ごめん、わからない。そう言われて、少し腹が立ってくる。


 さっさと理解させて立ち去りたいところだが、仲良くもない男に自分の心を喋りたくはない。しかし、また絡まれても面倒だ。


 不本意だったが、もう少し話すことにした。


「……振り向いてもらえなくてもいい、好きな人といたいって思う。だからああいうことして繋がってるの」


 それ以外のどんな手も、通用しないから。


「私にはこれしかない。私の目的のために、私を差し出すの。邪魔しないで」


 そして、私は再び階段を下り始めた。


 足音は追いかけてこなかった。




 ◇◆◇




 翌日、学校に行くと。


「おはよう!」


 教室の前で井崎くんに挨拶をされた。


「……おはよう」


 一応、ぼそっと返して、教室に入る。


 その後少し間があり、井崎くんも同じドアから入ってきた。


 怪訝に思ったが、まぁどうせ昨日の今日だから声をかけてきただけで、明日からは元に戻るだろうと高を括っていた。


 しかし。



「おはよう志月さん!」



「おはよう、今日雨すごいねー」



「おはよう!空見た?超綺麗だよ!」



「…………おはよう。見てない」


 私はそれだけ言うと、すぐに教室の中に入った。


 窓際の一番後ろにある自分の席に着き、鞄を肩から下ろして床に置く。


 そして、私は深くため息をついた。


 ――あれから毎日挨拶される。なんで?


 ふと気になって、教卓近くの席に座っている片想い中の彼をちらりと見る。


 彼は友達と楽しげに話していて、胸の奥がズキンと痛んだ。


 ……馬鹿か、私は。


 つい自嘲が零れる。


 嫉妬じゃなくても、ちょっとは気にしてくれていないかな――なんて。体の関係はあっても、この恋は、完璧な片想いなのに。


 変わってくれない想いだけを痛感して、気を紛らわすために窓の外へ視線を投げた。




 ◇◆◇




 その日の放課後、帰宅しようと廊下を歩いていると、思わぬ声に呼び止められた。


「志月さん!」


 振り返ってみれば、鞄に加え部活の荷物らしきものを背負ってこちらに走ってくる井崎くんと目が合う。


 うわ、と思ったが、一度目が合ってしまったのでなんとなく逃げられなかった。その場で立ち止まり、正面まで来た井崎くんを見つめる。


 今度は何だろう。


「あのさ……本気で、好きなんだよね?あいつのこと」


 ――一瞬で話を聞く気が失せた。


「ま、待って!!」


 背を向けると、井崎くんが肩を掴んでくる。


「離して」


 振り払おうとするが振り払えず、苛立った声を上げた。


「その、好きなんだよね。辛くない?あいつは他の子が好きなのに」


「…………」


「志月さんは、自分には体しか繋がる方法がないって言ってたけど、本当にそれでいいの?」


「…………」


 無言を貫いて、心の中で繰り返し自分に言い聞かせる。


 耐えろ。耐えろ。答えるな、自分。


 苦しいのは今だけ。我慢して乗り切れば――。


「あいつの1番になりたいって思ったことないの?」


 ……乗り切れば、きっともうこの人は干渉してこない。だから、耐えるべきだ。


 頭では分かっているのに、――その問いかけは、どうしても聞き流せなかった。


「あるよ!!」


 バッと勢いよく井崎くんを振り向いた。


 驚いた表情になる井崎くんと、目を合わせないように俯きながら、続ける。


「あるよ、あるに決まってる……!2番なんて本当は……、でも……!」


 ――そうでも言わないと。「2番目」と言い張って体で繋がっていないと。


 私は、彼の眼中にはないのだから。


「……それで、君の心は満たされるの?」


「満たされない。けど、慰めにはなる」


 あの人の中で私は、『女』ではあるんだって、そう思えるから。


 ――話しすぎてしまったけれど、今更どうでもよかった。


 ……誰にも言ったことがない本心だったから、口にして少し、スッキリした部分もあった。


 だからといって、井崎くんに感謝とかそういうものは全く感じないけれど。


「……そっか。でもさ、どうせなら1番が良くない?体の関係なんかなくても、心だけで繋がっていられる立場ポジションだよ」


「……当たり前のことをわざわざ仰々しく言わないでくれる」


 強めに睨むと、至極朗らかに笑われた。


「あはは。まぁ、何が言いたいかというと――俺にしない?ってこと」


「……は?」


「好きな人。あいつはやめて、俺にしない?」


 呆気に取られる私を見て、笑顔で井崎くんは言う。


 ……意味がわからない。


「そんな簡単に変えれないし、意識して変えられるものでもないし。無理。そもそもなんでそんなこと言い出すの?」


「それは……志月さんが好きだからだけど」


「……え!?」


 素で驚いてしまった。


 ハッとして、私を見つめてくる井崎くんの純真な瞳から視線を外す。


「……変な嘘つかないで。そういう冗談、好きじゃないんだけど」


「いや、嘘じゃないよ。ほんとに好き」


「……っじゃあ、私のどこが好きなの!?言ってみてよ!」


「いいよ!」


 即答だった。あまりの早さに言葉が出てこなくなっていると、明朗な声がすらすらと回答を並べ立てていった。


「まず、自分の信念みたいなのを持ってるとこ。要は“自分”をはっきり持ってるとこだね。でも、実は結構繊細で、つつかれたら壊れちゃいそうな弱いとこもあって、すごく……そう、守ってあげたくなる感じ。それから、毎日挨拶する俺に嫌そうな顔をしながらも絶対挨拶を返してくれるとこ。優しいし、律儀だよね。あと、」


「わかったから!!わかった……もう、やめて……」


 頬が誤魔化せないほど熱くて、井崎くんから見えないように顔を逸らした。


 どうして本人の前で一切照れずにここまで言えるのこの人……。信じられない……。


「……あいつとは、体の関係だろ」


 どこか暗い声で井崎くんが呟いた。


 少し気になって井崎くんの方に顔を向け直すと、バッチリ目が合って、明るい笑みを浮かべられた。


「だから、俺とは心の関係から始めてみませんか?」


 よろしくお願いします、と手を差し出される。


 その手が緊張で震えていたらまだ可愛く思えたけれど、そんなことは起こっていなくて、井崎くんはただ普通だった。普通すぎるくらいに。


 ……「普通すぎる」?


「…………」


 よくよく井崎くんの顔を観察してみれば、何か他の感情を抑え込んで一生懸命笑顔を繕っているような、“頑張っている”雰囲気が感じ取れた。


「……やっぱ、ダメかな?」


 尋ねる際、油断したのか、僅かに落胆が表情に滲み出ていたのを私は見逃さなかった。


 の顔色をいつも窺っていたから、そのせいだろうと思う。


 ……心の関係、なんて。要は友達からってことでしょ。変な人。



 ……私が頷きそうな言い方を、わざわざ考えたのかな。



「……握手はしないから」


 踵を返して、私は井崎くんの元から去った。


 間が空くこと数十秒。


「ま、待って!それ、つまりOKってこと!?」


「いちいち言わない」


「OKなんだ!!やった!!」


 隣でガッツポーズをして喜ぶ井崎くん。私は冷めた表情で歩みつつ、胸の中で静かに呟いた。



 ……まぁ、始めてみるだけ、ね。

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2番目でいいよ。 雪波 希音 @noa_yukiha

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