二番目に好きな空

九十九 那月

二番目に好きな空

「雨なんか降らなきゃいいのに」


 鈍色の空の下、広げた大きな傘の隙間から空を怨めしげに睨みつけて、君はそう言った。


「な、美空みそらもそう思うだろ?」


 ふと思いついたように、私に聞いてくる君。その子供っぽい、どこか楽しそうな表情を見ながら、そうだね、と、曖昧に相槌を打つ。

 その瞬間に、舌先に広がる、ほんのちょっとの苦味。


「だよなぁ。やっぱ晴れだよ。俺好きなんだ、晴れが」


 納得したようにしきりに頷いている君を一歩下がったところから見つめながら、私はさっきついた小さな嘘を噛み締める。

 確かに、雨には困らされることがたくさんある。

 一人暮らしを始めてからは、雨の日に憂鬱そうな顔をしていたお母さんの表情の意味も分かるようになったし、君と一緒にいるようになってからは、雨音に遮られないで会話のできることも待ち遠しく思うようになった。


 だけどそれでも、私にとっては、雨は二番目に好きな天気なのだった。


 そう、私は雨が好きなのだ。

 美しい空、なんて名前を親に貰っておいて、実際に好きなのは鈍色の空なのだからなんとも変な話だ。いや、美しさの基準なんて人それぞれだと思うけど。

 ともかくそんなわけで、私は「雨なんか降らなければいいのに」なんていう君の意見には、本当は賛成できないのだった。


 こんなことを言うと、倒錯している、と言われるかもしれないけれど。

 あるいは、気持ちはわかるけど、それを楽しみにするのは変わってるね、と――これは実際に言われたことだけど。


 雨雲の下で晴れを想う。

 私は、そんな瞬間もまた、たまらなく好きなのだった。


 例えば、強い雨。

 外出する気も起きなくて、部屋干し中の洗濯物に囲まれて、何をするでもなくベッドで寝転がっている時。

 ふと、携帯が鳴って、画面を見ると同じように暇を持て余した君からのメッセージだった、そんな小さな喜びとか。


 あるいは、にわか雨に降られて。

 二人で雨宿りしながら空模様を眺めて、「早く晴れないかな」と言ってる君の横顔をこっそり眺めている時。

 そして、やっと晴れた空を見上げながら、心から嬉しそうに笑う君に釣られて笑顔になることとか。


 そんな小さな喜びを積み重ねてきて、段々と雨の日を楽しめるようになってきて。


 今では、傘に当たる雨の音でうまく言葉が聞こえなくて、何度もお互いの言葉を聞き返すことも、跳ね返った雨水で濡れた服が肌に当たって、少し冷たい感触がするのも、雨の日らしくて好きだ、と思える。

 こう言うと君は機嫌を損ねるかもしれないけど――そんな、君からするとちょっと嫌な出来事を重ねた後で、君はその分だけ眩しい表情を見せてくれるから。


 私は一歩先を歩く君に、一歩小走りで近づいて、傘を持っていない方の手にそっと自分の手を潜り込ませる。

 ごく自然に、その手がそっと握られる。その手が、いつもよりもちょっと温かく感じられて、そっか、これも雨のせいかな、なんて思って、嬉しくなる。


 雨の先にいつか晴れの空が現れると知っているからこそ、そして変わらず君がいてくれるから、私は、たまには雨もいいな、なんて思う。

 私は、鈍色の空を見上げながら、お互いにさしている傘のせいでいつもよりちょっと離れ気味な君との距離を、もう少し詰めて歩く時の晴れ空の様子を密かに妄想しながら、君に手を引かれて歩いていく。

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