ひとつ下で息をした

佐倉 青

ひとつ下で息をした

 一番にならなきゃ意味がないんだって、ずっと、ずっと前からそう思ってた。


 今、僕が立つ場所から見える世界は、決して望んだものなんかじゃなかった。この三年間の全てをかけたのに。最後の大会で立つ表彰台は、一番上のひとつ下。カメラを構えた人たちが「みんな笑って」なんて言っている。僕がどんな思いでここに立っているのか、わからないのかな。わかるわけないよな。


 一番にならない限り、次の大会へ進む資格はもらえない。これで、全部終わりなのだ。


 会場から帰る足の先が、自分のではないような気がしてしまう。歩くのって、どうやって動かせばいいんだっけ。今日の朝、どうやってここまで歩いてきたんだっけ。空っぽになってしまった体を抱えて、ただ呼吸を繰り返してかろうじて生きている。


 何も考えずに歩いてきた。いつの間にか、駅前の裏側まで来てしまっていたらしい。目に留まったのは、見るからに怪しい露天商。この通りは、お祭りのときにたくさんの店が出るんだよな。もうそんな時期なのだろうか。何も考えられなかった体が、ふいに引き寄せられてしまったみたい。

「いらっしゃい、どうぞご覧ください」

 真っ黒な服を着た人が、僕に気づいて声をかけてきた。頭にフードがかけられていて、その表情は全く見ることができない。性別も、年齢も、何の情報も与えてくれなかった。

「ああ、おすすめはこれだよ。一番めずらしくて、一番効くと思うよ」

 聞いてもいないのにその人はそう言って、あるものを指差していた。そこに置かれていたのは、陶器で作られた小さなキリンだった。黄色というよりも黄金色をした、見るからに目を惹く美しさを持っている。それなのに、僕はどうしてもそれに魅力を感じることができなかった。

「二番目のおすすめはなんですか」

 無意識に口をついて出た言葉がそれだった。僕の体のずっと奥の方から、一生懸命に這い上がってきた声だった。

「ああ、二番目だったらこれかな。でもね、正直なところ、一番でなければそれ以外はあんまり変わらないんだよ。どれも同じに見えてきちゃうから」

 ぐさりと刺さった。二番目の僕には、その言葉が痛かった。悲しくなって、悔しくなった。

 気がつけば僕は、その二番目を手にして家へと帰っていた。破格、300円。濃紺と白のコントラストが美しい、陶器のクジラ。それを机の上に置いて、親指でそっと撫でてやる。僕はこのクジラに、妙な親近感を覚えてしまった。そのまま顔を近づけて眺めてみると、つぶらな瞳がつるりと輝いている。

「お前も僕と一緒なんだな」

 こんな気分ではあっても、明日提出の宿題は終わらせないといけない。ペンを走らせながら、さっきのクジラをちらりと見る。

 その顔が、目が、まばたきをしたように見えた。あわてて目をこすって、もう一度見ると、当たり前だけど何も変わっていなかった。疲れてるのかな。きっとそうだよな、ここ数日緊張で眠れない日が続いていたもの。寝不足なんだろう。最低限のことだけ終わらせて、いつもよりも早めに眠ることにした。


 次の日の朝、いつもよりも早く目を覚まして、クジラの頭をなでてから学校へと向かった。友人や先生が、僕の姿を見つけてやたらと声をかけてくる。

「惜しかったよな」

「あと少しだったのにな」

「もう辞めちゃうの」

「進学先では続けないの」

 いろんな言葉が飛んできた。優勝を期待されていたから当たり前だ。


 二時間目、耐え切れなくなってしまった。気分が悪いとうそをついて、保健室へと逃げるように駆け込んだ。何度お世話になったのかわからない。この場所で、ケガをするたびに毎回手当てをしてもらっていた。


「私、君が頑張っている姿を見るのが大好きだったよ」


 カーテンの向こう側から聞こえた声。窓際のベッドから、広がる景色を眺めていた。ここからでも校庭が見えるんだ。鮮明に思い出せる、風の音、土のにおい。


 二番目の僕がもらった嬉しい言葉は、すうっと胸の中にしみ込んでゆく。


「君は、どんな青春を過ごしたのかな」


 一番にはなれなかった。たくさんのことを経験した。

 つらかった。嫌だった。楽しかった。終わりたくなかった。


「僕、もう少しやってみたくなりました。――続けてみます」


 自分のなかで育った思いを大切にしよう。

 あの日、一つ下の位置に生きていた、僕の大切な思いを。

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