共犯者


ーーベットに入ってから

どれだけの時間が経ったのだろうか

目を瞑っても、眠りにつくことが出来ない


寝息を立てている隣の少女を起こさないよう

そっとベットを抜け出しコートを羽織る


目的地は近くの自販機で

コートのポケットから小銭を取り出し

温かい紅茶を買う


そのまま、アパートに戻るつもりだったが

暖かい部屋の中では頭が回る気もせず


近くのベンチに腰掛けて

ペットボトルのキャップを開けた


東雲結城について改めて考えてみる

彼女は口調も仕草も表情さえも

全く違う人間になったかの如く変貌した


ぱっと思いつくのは二重人格であるという事


重大な心理的外傷トラウマによって、

心を守るためにもう1人の人格を作り出す事があると聞いたことは有る


ま突飛な話では無いだろうし

彼女の生い立ちを考えればそんな事があるとしても別段不思議とも思わない


だが、ふとある疑問が頭をよぎる


壊されないために、壊れない為に

…もう一人の人格があるとするならば


「こんばんわ」


不意にかけられた声で思考は途切れて


誰かと思って目線を上げれば

スーツの上にコートを羽織るアヤメが居た


彼女はコンビニのビニール袋を手にぶら下げ

そのビニール袋には、大量のお酒の缶と

おつまみにお弁当とおでんが入っている



つーか、完全に

疲れたサラリーマンのチョイスだよ…


別に若い女の子って生き物に幻想を抱いて

生きている訳では無いけれど、見た目だけは悪くないだけに若干顔が引きつってしまう


「この前は居酒屋で今日は宅飲みかよ?」


アヤメは俺の隣に腰掛ける

「別に私の自由じゃないですか」


…俺だって咎めてる訳ではない


ただ本当にコイツが神だとしたら

酔っ払って世界を作ったんじゃないかって

疑念が消えないだけで


「私だってずっと神様な訳では無いんですから非番もプライベートもあります」



「神様って何なの?会社名かなんかなの?」


㈱KAMISAMA的な?


すごい安泰そうだから、株式投資したい


日本には八百万の神が居るとはよく言うが

シフト制だったとは知らんかった


まぁ、八百万もいるんだったら

そうしないとだいぶ余りそうだとも思う


それにそもそも

24時間年中無休で

働いているなんて思ってない


…というか仮に居たとしたら

定時で働いてるかどうかも怪しいまである


それを特に否定するでもなく

適当に返事を返すアヤメ


「まぁ、そんなところです」


アヤメは袋の中から

チューハイを取り出してプルタブをひねると一気に中身を飲み干す


「プハァー」

「この瞬間のために生きてます」


「完全に中身オッサン入ってんだろ」


アヤメはおでんの容器を取り出し

「なにかつまみます?」と

そんな事を聞いてきた


中身を見れば

溢れんばかりにがんもどきしか入ってない


…選択肢ないじゃねぇか、がんもしかねぇよ


「大根無いとかお前と友達は無理だわ」


「私も人のおでんから大根かっさらってこうとする奴と友達なんて願い下げです」


ーー言われてみれば、確かにそうだ

俺だったら間違いなく絶交だわ、そんな奴


アヤメは開けた蓋を器代わりに

がんもを入れると俺の方に押しやる


「…箸は?」


「無いですよ、手で食べたらどうですか?」


何この仕打ち

つーか湯気抜きの穴から

おでんの汁が漏ってるんですけど?


俺は仕方なくがんもを手でつまみ口に運ぶ



「うわ、ホントに手で食べるとか…」

「プライドとか無いんですか?」


言われた通りにやってるのに、その言い草

クソ上司としての才能しか無い

…そんなんじゃ新人育たないからね?


「プライドくらいあるわ」

というか、なんだったらあり過ぎて困る


それを言われてしまって

今日のユウキとの会話を思い出す




誰かに、正直に話せたらと何度思っただろう


そうしたらこんなにもいろんな事を

こじらせなかったと思う


もう終わった事だと笑い話にして

どうせ叶わなかったなんてちょっと泣いて


…そして、忘れて生きていけたのだろうか?



アヤメは俯いた俺を見て面倒くさそうに

「貴方にとって大切な事だったんですか?」

「その初恋っていうのは」


だから、本当に心を読まないで欲しい

…メンタリズムなの?もう流行ってねぇよ


何も言えずペットボトルを手で弄ぶ俺に

なおもアヤメは同じ言葉を繰り返す


「…そんなに大切だったんですか?」


アヤメが言ったのは間違いで

それは初恋なんて綺麗で美しい物じゃない


今から思えば、ただの自己満足で

押し付けがましいエゴだったんだと分かる


ただそれでも

青春なんて呼ばれる時間の全ても情熱も


それだけの為に浪費して何も成せず

今は色さえ解らない灰色に沈み込んで


そんな事と笑ってしまえるほど

大人になれなくて


どうせ叶わないなんて思えるほど

賢くなれなくて


泣いて忘れるにはあまりにも長すぎた


ただそれだけの話だった



がんもをつまみながらアヤメは言う

「告白してもいない初恋に、よくそんなセンチメンタルなモノローグ付けられますよね?」


「恥ずかしくて、聞いてられないです」


アヤメはいつの間にか

取り出していたビールを飲みながら


「そんな風に思うなら告白して、振られてくれば良かったんですよ」


…コイツ今さらっと

「どうせ無理だった」って言いやがった


だがそんなことは神どころか

アヤメに言われるまでもなく理解している


「どうせ、告白してたら」

「付き合えたかもしれないなんて」

「傷付かないように逃げたんですもんね?」


ごく当たり前のように言われたそれに

俺は憤ってしまう


「黙れよ」



別に間違ったことは、言ってない

俺だってそんな奴見たら同じ事を思う


逃げて、嘘をついて、聞かないようにして、目を背けて


他人を、自分すらも騙して生きている

そんな事、とっくの昔に分かってる






「…だったら、全部買い取ってくれよ」

「優勝の記憶も、恋も、それまでの時間も、想いも全て」


「こんな記憶一つもいらねぇから全部」

「…全部消してくれよ」


それが俺の本心で

そんな俺を冷ややかな目でアヤメは見る




「残念ですけど」

「全部消すには、貴方の今までと、これからを全部売り払っても足りないです」


「貴方には、それしか無いんですから」




まるで、今の俺が何もない空っぽだと

そう言われている気がして


どれくらい時間が過ぎたかは解らない

アヤメの横には空き缶の山が築かれている


否応なく体温を奪う冷たい風で

やっと頭が冷えてくる


「…一つ聞きたい」


「何ですか?」


「俺の残りの人生って、いくらで買ってくれる?」


アヤメは、少し考えて


「ざっくりで申し訳ないですけど、多分20億くらいですかね?」


「それなら…」


俺の言葉を遮るようにアヤメは告げる

「それはできないですよ?」


「貴方の人生を売って、ユウキの人生を買い戻すことは出来ないです。」


言う前に僅かな希望すら潰される


「なんでだよ?」


「簡単な話です、ユウキの残りの人生も、もっと高額で買い取っていただけです」


「そのお金の大半は、ユウキのお願いの為に使ってしまいましたけど」




なるほど、確かに不思議ではあった。


ユウキが幸せになる為に、一番簡単なのは


これまでの事を無かったことにする


それが一番手っ取り早いのに

どうしてそれをしなかったのかと

そんな風に思っていたが出来なかったのだ




俺の下らない

出来事すら無かったことにする為に

残りの人生を売り払っても足りないなら

彼女のこれまでを

精算するなんて逆立ちしたって不可能だ


だから彼女は1週間を残し全てを売った

全てを忘れないまま

それでも幸せになれると信じて


だとしたら余りにも救いがない

その1週間を俺なんかと過ごさなくてはいけないのだから


押し黙った俺を見て、アヤメは続ける


「あなたが望むのであれば、できなくは無いですよ?」


「貴方が5日後に死んで彼女が生きていく」

「別に、私はどっちだって構わないです」




「三億円あったって、この先あの子が幸せになれるとは思わないですけど」


確かに彼女は一人で生きていくには

余りにも何も知らなすぎる


言葉も知らず、世間も知らず

それなのに、人の悪意だけは知りすぎて


たとえお金があっても

幸せとは程遠いと言わざる負えない




「だったら貴方が頑張って、少しでも幸せに情けだと思いますけど?」


その言葉にゾクリとするが

気づいてなかったとは言わない


そういうことなのだ

彼女を終わらせる代わりに三億円を貰う

これを殺人と言わず、なんと言うのだろう


直接引き金を引かないだけで

た何一つ手を下さなくとも殺すのは俺なのだ


「今更、怖気づきました?」

ニコニコとアヤメは笑う


「嫌になってしまったのならどうぞ、お引き取り頂いて結構です」


「私にはもう関係無い話ですから」


その言葉の意味がわからない俺は

アヤメを問いただそうとする


「どういう事だよ?」


「彼女に頼まれたのは家から連れ出すこと

葬儀を執り行う事そして一緒に過ごしてくれる人を探し、自由に過ごせる所を作ること」


「これだけです」

「それ以上は知らないです」



「知らないって…」

これじゃ、あんまりだ

詐欺にも等しい



「それが可愛そうだなんて思うなら、貴方が頑張るしか無いんですよ?」


そんなアヤメに問いかける


「あいつの望みは幸せな最後ハッピーエンドのはずだろ?」


「なら、それを叶えるのが神様であるお前の仕事なんじゃねぇのかよ」


アヤメはそれを鼻で笑う


出来もしない約束は、しませんので」


俺と違ってと言わんばかりの台詞

「だってそうでしょう?」

「あんな


…この神様とか言うクソッタレは

出来る筈ないと知りながら

少女を誑たぶらかしたのだ


お金さえあれば幸せになれるとばかりに


アヤメは、話しつづける

「だから貴方に声を掛けたんですよ?」


「どうしようもない貴方に、三億円なんて餌をぶら下げて」

「貴方が浅ましくて、本当に助かりました」



「ふざけんなよ」

「そんな事やって良いはずねぇだろ」



「…貴方と私は共犯者じゃないですか?」


何をとは言わずとも、理解してしまう。


幸せになれると少女を騙した神様と

そうなれないと知りながら

それでもあの少女と一緒にいる俺


…どちらもなにも変わらないと

そうアヤメは言っているのだ


俺は今にも飛びかかってしまいそうな身体を抑え、精一杯の皮肉を返す


「全知全能なんて、とんだ誇大広告だな?」


アヤメからこれまでの笑顔が消え

鬱陶しげに言い捨てる


「それでも残念な事に」

「私が神様なんですよ」


そう言い残して

「言葉には気を付けたほうがいいですよ」

「…貴方の全部を無駄にしない為にも」


そう言い残してベンチから立ち上がり

その場を後にするアヤメ



そしてやっと最初の疑問の答えに行き着いた


ユウキの変貌が二重人格だというのなら

嫌な事を全て忘れて

全てから逃げる事が出来るというのなら



それならこんな事にはならないはずだ

それだったら彼女は幸せな筈だから


だが、俺もユウキも忘れて幸せに

生きることなんて赦されはしなかった


人生全てでも精算できない

不幸を知らずに生きていけるのなら


それを幸福と言わずして

なんと呼ぶのだろうか?


だから、二重人格は誤りだった



だって彼女は

神が匙を投げる程不幸なのだから

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