むかしむかしあるところに

…これ持って帰れなくね?

げんなりとした顔で大量の服の山を見る


そんな簡単なことに気が付いたのは

出口でカートを返す時になってからだった


アヤメから貰ったスマートフォン

その地図情報をみれば

ここから20分程歩くことになる


バス停まで歩く事も難しく

諦めてタクシー乗り場に向かう

幸いそこにはタクシーが一台停まっており

近付けば、そのドアが開いた


「この住所にお願いします」


運転手はチラリとスマートフォンをみる

「かしこまりました」


ドアが閉まり、車は静かに動き出した


スマホを弄りながら

隣に座る東雲さんを横目で見る


今日から1週間、この少女と過ごす

その事実に今更ながら尻込みしそうだった


いきなり知らない女の子と一緒に住む


ラブコメなんかではありがちな設定とはいえ

いざ自分がその立場になってみれば

可愛い女の子と同居という嬉しさよりも

緊張感が勝って死にそうというのが本音だ


よく考えてみれば

女の子と一緒に泊まった事どころか

女の子の家に上がったことすら無い


そんな事を考えていると

ゆっくりと止まり、ドアが開く


「お客さん?着きましたよ」




そこにあったのは

白い壁の比較的新しいアパート


会計を済ませ

大量の荷物をふたりで手分けして持つ


アヤメから渡された鍵についたプレートには101号室と書かれている


部屋自体はすぐに見つかったが

ドアを見て、俺はげんなりする


「何の嫌がらせだよ…」


部屋番号のプレートの脇には

「チアキとユウキのおへや」とご丁寧に

ハートマークで縁取りまでされている

表札がついていた


あまりの頭の悪さ加減に、入室をためらう


「どう思う?東雲さん」


東雲さんは何でもないような顔で


「分かりやすくていいんじゃない? 」


…さいですか

半ば諦めて、ドアを開ければ


オレンジ色の間接照明に照らされた玄関

黒の壁紙が薄く照らされ

何処からとなくリラクゼーション効果の

ありそうな環境音楽が流れている


玄関に荷物を置いて、リビングに入る


玄関と同様に黒を基調にアジアンテイストで纏められた部屋


部屋の脇には大きな鉢植えに

いかにも南国です風の観葉植物


中央には布張りのローソファーと

ガラスのローテーブル


部屋のサイズに似つかわしくない

大きなテレビが壁際に置かれている


……こんな感じの部屋を

何処かで見たことある気がする



寝室のドアを開けたとき

俺のそんな疑念は確信に変わった


そこにあったのは

寝室のほぼすべてを占領する

キングサイズのベッドがひとつ


その枕元には、照明や流れている音楽の音量なんかを調節するパネルが付いている


早速困った事が発生している

俺は、スマホを取り出し電話を掛ける


数コールの後


「…もしもし、今日の業務は終了しました

また明日お願いします」


電話を切られる


時計を見ればまだ19時過ぎ

…お役所仕事にも程があんだろ


リダイアルする

舌打ち混じりの声が一言

「…しつこい男は嫌われますよ?」


ガヤガヤと何処かの店内なのだろうか?

電話口は騒がしい


「ふざけんな、なんだこの部屋」


「回転するベットの方が好みでした?残念ですけど、アレもう作って無いんですって」


「…お前確信犯だろ?」


「何の事だか分かりませんねー?」


白々しい返答に、スマホを投げそうになる


電話してる横でバスルームに入り込んでいた東雲さんがスイッチを弄ると

バスルームが七色の光で満たされる


「見てチアキ、光ったよ?」


もう嫌だこの家…

ありったけの怒りを電話口にぶつける


「こんな下らない嫌がらせにいくら使ってんだよ!?」


「金額を聞くなんて野暮ですよ?」

「私からのささやかなプレゼントです」


要らんお節介どころが、殺意すら湧く


というか、アパートが

劇的ビフォーアフター過ぎんだろ…


東雲さんがバスルームから

名前の言えないバスチェアを持ってくる


「チアキ、なにこれ?」


ちょっとそれは

さすがにお答え出来ないです


無視することにした


「それの正式名称、介護椅子って名前で、いやらしいものじゃないですよ?」


「…唐揚げお持ちしましたー」


心を読まないで欲しい

もしくは監視カメラでも付いてるの?


つーか唐揚げ届いてっけど

居酒屋に居んだろコイツ仕事しろよ


「大丈夫です、監視カメラなんて無いです」

「付いてたとしても見てる暇ないんで」


…だから、心の声読むなと言いたい

神の力の無駄遣いにも程がある


「あぁそうかい、忙しいって言う割にはこんな時間に居酒屋ですか?」


そう皮肉を返すがそれも虚しく


「別に私の…すいませーん?レモンサワーまだ来てないんですけど」


店員と会話してるのか返事は無い

諦めて電話を切った


神という奴はこの状況よりも

レモンサワーの方が大事らしい事だけは

よく分かった

…心底、無神論者で良かった


ひとしきり部屋を確認すれば

余計なものも多いが

必要な物もちゃんと揃っている


…よく考えれば風呂が七色に光ろうが

変なものが置いてあろうが使わなければ

いい事に気づいたのは今しがたの話で


なんだったらベットから

電気消せるとか便利だしね


俺がクローゼットに洋服を仕舞っている間

東雲さんはソファーにゴロゴロ座って

テレビに釘付けだった


その画面にはさっきから雄大な大自然の

動物たちが映し出されていて


俺は風呂のお湯張りボタンを押し

東雲さんから出来るだけ離れて座る

「ねぇチアキ?」

彼女は四つん這いで近寄ってきて

俺の横で腹ばいになって

吸い込まれそうな紅い目が俺を見上げる


「私、知りたいわ」

どこか扇情的にも聞こえる声でそれを囁く


「…何を?」



悲しそうな目でそれを俺に聞いた


…バカみたいだ


先程までの浮わついた気持ちは冷水を掛けられたごとく霧散して


一瞬でも、こんな場所の空気に飲まれて

そんなことを考えた自分を恥じた


彼女は食べ終わってから

ずっと考えていたのだろう


自分が食べた奪った生命の事を


「多分そのテレビには出てない」


アメリカの大人気自然番組で

そんなのに出演するほど皆の興味を

そそる動物では無い


…ペンギンやらシロクマなんかより

よっぽど知るべきなのに


俺はスマホを取り出し検索して

何度か検索ワードを変えてやっと見つけ

画面には茶色い牛が映っている


その画面のまま、東雲さんにスマホを渡す

「これが、牛だよ」


彼女はそれを見て微笑む

「…牛さんって名前なの」


学名でいえば哺乳綱鯨偶蹄目

ウシ科ウシ亜科の牛だ


……Wikipedia先生は何でも知ってるからね?


でも、彼女が知りたいのは

そういう事では無いのだろうと


「ごめん、名前はわからない」


確かに、「牛さんって名前だよ」

なんて嘘を付くことは容易かった

だって、彼女はなにも知らないのだから




でも、何かの拍子に気付いてしまった時

彼女が考えているこの時間も思いも

すべてを無下にしてしまうから


そんな嘘は付けなくて


必死になにかを堪えるようにして

画面を見つめ続ける少女は


「…そうなの」

それだけを糸が切れたように呟いた


…どうして?


自分のために消費された命すら知らず

それなのにその事を忘れてあたりまえだと

なに食わぬ顔で生きていける


…彼女が不幸だというのなら

それがこの世界の幸せって事だろうか?


……「ガラスの靴を頂戴?」

そんな願いを聞いたのに

何一つ答えられなかった俺は


またそんなふうに

すべてを先送りにする沈黙で

見なかった事にしようとした瞬間


ーー 息が詰まる

彼女の紅い瞳は涙に濡れていて

そんなことにすら気が付いていないように

画面を見つめたまま


「…ごめんなさい」

「私はあなたをわからない、名前も、全部知らないの、それが悲しいことだってよく知っているのに」


彼女はうわごとのように繰り返すのだ

ごめんなさいと




それを見て、何かを堪えきれなくなる


どうして、彼女が不幸なんだ?


もっと不幸になるべき

人間なんていくらでも居る筈で


ーー 知って慈しみたいと願う事


彼女が望むそれは

そんなに過ぎた願いじゃ無い筈だ


どうして、彼女は不幸なんだ?


涙を流し震えている彼女を

ちゃんと「大丈夫」って

抱き止める人すら居ないんだろう


どうして彼女は

そんな幸せ当たり前すら無いんだろう?




俺は必死に脳内を掻き回す

彼女がこれ以上泣かないように言葉を探す


抱き止める資格はない

だって俺は、彼女を消費しようとしてた

幸せな人間で


幸せな癖に、黙する事すら出来ないのなら

せめて、悲しくない嘘を付こうと決めた


「東雲さん?」

「食べた牛の名前は分からないけど」


彼女は泣き腫らした紅い目で俺を見る

「忘れない為に」

「名前を付けることは出来るよ」


…そんな身勝手に食べて

勝手に忘れないなんて、欺瞞もいいとこで


なんの救いもない

自己満足だと知っているけど

それしか思い付かなかったから


せめて、そんな嘘で彼女を騙そう


東雲さんは目を擦って、それに縋るように

「…うん、名前…つけたい」


「じゃあ一緒に考えよう」


「…あとさ」


改めて言うのは気恥ずかしいが

言わねばならない

「俺もユウキって呼んでいい?」


きょとんとした顔でそれを聞く少女

「なんで?」


「東雲さんって呼ぶと、ユウキのお母さんもお父さんも東雲さんだから」


「覚えてる為にそう呼ぼうと思って」


思えば、はじめから彼女は

俺の事をチアキと呼んでいた


多分それは

馴れ馴れしいとかそういう事では無くて


呼ばれない悲しさを

知られずに消費される苦しみを

知っていたからだろう


だからせめて彼女を

そう、ちゃんと呼んで過ごそう


「だからユウキ、改めて宜しく」


少女は泣き腫らした目に

また涙を浮かべ、笑顔を見せる


「…よろしくねチアキ」



ーー「むかし、むかしあるところに」


ここからの物語が

そんな風に語られる物にはならなくても


そこになにも残らなかったとしても

それでも、俺だけは忘れないように


ユウキという少女が過ごす最後の1週間


それに付く名前が

幸せな最後ハッピーエンドでは無かったとしても


せめて、忘れずに覚えていようと



ああでもない、こうでもないと

言葉を交わし夜は更けていって


気がつけば二人眠りに落ちていた

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