女神はいつも皆を思う

ぽぽい

1 今日はハッピーバースデイ

 カチャカチャカチャカチャ……。

 三月十一日の深夜。二十三時時五十八分。薄暗いオフィスの中、無機質なキーボードをたたく音が響く。

 音の中心では一人の男性が仕事に精を出していた。

 時計の針が「カタリ」と動く。

 新島敦にいじまあつし。本日、三月十二日をもって三十才の誕生日を迎えた。

 しかし、何も変わらない。秒針はただただ進み、祝いの言葉も何もない。

 時代はとりあえずエコと無駄削減。

 そのせいで部屋の電気も消えて暗く、ディスプレイから放たれるブルーライトは、まるで釘のように敦の目を貫いていた。


「あぁー……。んんー……」


 体をぐいっと伸ばしながら、枯れたような声をあげる。

 新島敦、二十代最後の夜。それは、ただ、残業の中で終わった。


「ただいま……」


 その言葉が敦の口から出たのは、深夜二時の事だった。

 誰も居ないと分かっていても、口から出る帰宅の挨拶。

 独り暮らしでも、「いってきます」と「ただいま」をきちんと言うと防犯に良い。そんな噂を聞いたからか、でも、切っ掛けなんてどうでもいいし、もう覚えてはいない。

 それよりも独り言でも、言わないと、敦の心の何かが壊れそうな、そんな、焦りにもにた気持ちの悪い感情が心に巣食っている気がして。

 それが嫌で、気持ち悪くて……。ただ、それだけだった。


 もう、疲れた。食事もシャワーも明日の朝に……。敦の意識は家のベッドに沈むようにして消えていった。








「新島さん。新島敦さん。起きてください。敦さん」


 目覚まし時計が何かを喋ってる。敦は夢に包まれながら、そう感じていた。

 あぁ起きないと。でも、後、百秒だけ……。敦は心の中で一から数を数え始め……。


「……もう、十時ですわよ」

「ぶおっ……」


 ぼそりと響いた、目覚まし時計の囁きは確実に敦の耳にめり込んだ。

 まるで死刑執行のような衝撃を心に受けたかのように、敦は覚醒した。


「ふぅ。やっと起きて下さいましたわね」


 ひとしごとやり終えた。そんなどや顔をさらして、一人の女性が敦を見下ろしていた。


「え、あの、ここは、あれ……?」


 大きく豪華なプリンセスベッドに、なんだか無駄にキラキラした豪華な調度品の数々……。テーブルには綺麗で真っ白なクロスがかけられ。可愛い花まで飾られている。

 明かに自分が住んでいるボロアパートではないその雰囲気に敦はまぬけな顔をさらしていた。


「まぁ、ふふふ。新島さん、そんなにポカンとなさってどうしたんですの?」


 可愛らしい女性の声がする。

 これは一体何なんだ……。敦は、寝起きの頭を必死に回転させながら、声の主を凝視した。


「あ、そうですわ。私としたことが自己紹介がまだでしたわね」

「は、はぁ……」

「私、女神をやっております。夢女卯富仁子むじょうふじこと申しますの」

「ええと、それは、ご丁寧にどうも……」


 綺麗な金髪。透き通るように美しい緑の瞳。ふんわりとして可愛らしい、それでいてとても上品な純白のドレス。なんか、名前が似合ってないとか、それよりもここは何なんだろうとか、インパクトが強すぎるものに囲まれた敦の頭は、今何時だろうと考え始め、この、あり得ない現実を放棄しはじめていた。


「もう、敦さん」

「あ、はい」

「私、自己紹介をしましたのに。貴方様ももきちんと返して下さらないと」

「え……」


 別にその様なことせずとも、目の前の自称女神殿は自分の事を知っているのでは……。と、敦は、心で思いつつも、彼女から飛んでくる格上の女オーラに押され、余計なことは口からでないようにと、慎んだ。


「あ、えーと、失礼しました。私の名前は」

「うふふ。存じておりますわ。新島敦さん。ついに三十才となり、オッサンの仲間入り。仕事が忙しすぎて私生活もままならず、恋人とも五年前に別れて以来……」


 こいつ、まじ、何なんだよ。

 てか、やっぱ知ってるじゃねーか。後、なんか、悪意を感じる。

 敦は内心苛立ちながら平静を装ってそこに佇んでいた。


「だから、先程から申しております。私、女神ですわ。だから、悪意などというネガティブな感情はあり得ませんことよ」


 口には出していない。でも、敦の眼前にいる女性は、心を読んだかのように、敦に話しかけてきた。


「ふふふ。ここは、私の世界ですもの。貴方の心を見透かすなどとても簡単な事なのですわ」

「……じゃあ、どうして自己紹介しろなんて言ったんですか?」

「あら、それは、軽い神さまジョークですわよ。この流れ、お約束ですのよ」


 どや顔でのたまう、自称女神に、知らねーよと敦は、心の中でキレよく突っ込んだ。


「まぁ、そんな事は置いといて、ですわね」


 自称女神は、たたずまいを直し、美しくにこりと、微笑んだ。

 先程と比べ、空間の空気感が、敦には、少し変わったように感じられた。


「新島敦さん。貴方をここに呼び出した理由。それを今からお話いたしますわ」


 敦はコクりと、頷いた。口の中が少し乾いたような気がする。


「貴方をここによんだ理由。それは……」

「……」


 敦は、静かに自称女神の言葉を待った。


「貴方に、やって貰いたい仕事があるんですの」

「仕事……ですか?」


 眉を寄せながら敦は、仕事、という言葉を繰り返した。


「ええ、そうよ。内容はとても簡単な事。私の作った世界で暮らして、天寿を全うして欲しいの。ただ、それだけよ」


 自称女神は、一枚の絵画になりそうな微笑みを敦に向けて、そう言った。


「意味が、分かりません……」

「あら、何がですの?」


 片やとまどい。片や余裕。両極の声色の中で敦は言葉を続けた。


「俺が、その仕事を引き受けたとします。それで、女神様と俺と、お互いにとってどんなメリットがあるんですか?」

「うふふ。質問ね。いいわ答えてあげますわよ」


 自称女神はそういうとぱちんと指を鳴らした。


「あ、あれ……」


 敦はいつの間にか豪華なティーセットを目の前に、女神と向かい合う形で座っていた。


「さあ、どうぞ召し上がって。お茶でもしながら説明をさせて頂くわ」


 敦は目の前のティーカップに一瞬視線を落としたが、直ぐに自称女神の方を見た。


「えーと、そうね。まずは私のメリットから、説明させて貰いますわね」


 敦は黙って頷いた。


「私、実は新しい世界を作るという、一大プロジェクトを任されておりますの」

「世界を作る」

「ええ、そうですの。でもね、世界を作るって一言でいっても簡単ではありませんの。細かい説明やシステムについてはお話しできない事も多いのですが、まあ、色々面倒なんですの」


 そう言い切ると自称女神は、優雅な仕草で、紅茶を一口飲んだ。


「つまり、貴方を地球という別世界から運んでくる事ができましたら、私のプロジェクトも大きく成功に繋がる。ということですわ」

「はあ、そうですか」


 正直な所、話がぶっ飛びすぎていて、敦の理解を大きく越えてしまっていたが、最早この状況が既にありえない。敦的には、色々面倒の色々について説明をしてほしかったのだが、女神の様子を見るに説明をしてくれそうな気配は無い。


「それから、敦さん。貴方がこの話を受けてくれたときのメリットですけれど……」

「はい」

「敦さん。貴方の感じかた次第ですわね」

「……はい?」


 意味が分からない。何だ、自分の感じかた次第のメリットって……。そもそもこの女神は自分に説明をする気があるのだろうか。敦は戸惑いに心が揺れた。


「私の作った世界なんですけれど、名前がキュベレ、と申しますの」


 そんな事はどこ吹く風。女神は何も気にしていないかのように説明を続ける。


「ん? キュベレって……」

「ええ、敦さんの考えてくださっているキュベレで間違いありませんわ」


 豊穣の世界キュベレ。それは、敦がはまってずっとやり続けていた、ゲームに出てくる世界の名前だった。


『育てて! マイ、エンゼル』通称、マイゼル。そのゲームは、架空の世界キュベレのなかで、一人の見習いシッターとして、その世界で生活するという、育成ゲームである。

 シッターは、ゲームの世界にある、生命の木の実から生まれた子供エンゼル、を育成することで進行し、敦も時間があればこのゲームを起動して双子の子供エンゼルを育てていた。


「でも、なんで、『マイゼル』を模倣した世界なんて……」

「逆、ですわ」


 敦の言葉に被せるように自称女神は発言した。


「逆なんですの敦さん。地球で流行るゲームの多くは、神々が作る世界が反映されたものなんですの」

「は、それは、どういう」

「言葉のとおりです。先程も申したとおり、世界を作るのは色々面倒があるんですのよ」


 女神は、ふざけている風も無く、ただ、事実を述べているだけ。敦の目にはそのように映った。


「もしかして、ゲームを通して相性とかその世界を作るのに役立つ条件を揃えているとかそういうのをゲームを利用して調べてる、ということですか?」

「うふふ。そうですわね。それも一つの理由ですわ。そして、貴方の魂が私の作る世界、キュベレの調節にとても必要だと分かったんですの」

「それで、俺をここに……?」

「ええ、そういう事ですわ」


 自称女神の世界に敦の存在が必要不可欠。それが今までの彼女の話から何となく分かった。


「後、貴方がこの話を受けるメリットですけれど、貴方が大切に育てていた双子の子。ジーク君とフリート君の二人に実際に会えますわ。それが一番のメリットですわね」


 付け加えられた女神の説明になるほど、と敦は思った。


「あの、さらに、質問をさせてもらっても良いですか?」

「ええ、どうぞ」

「この話を受けたとして、俺は……。地球での俺はどうなるんですか」

「死んだことになりますわね」


 自称女神のあっさりとした答えに、敦は小さく「ふぅ」と息をついた。

 正直な所地球に戻っても何も楽しいこともなく、ただ、仕事をするだけの毎日。自分を待つ人もいない。そんな灰色の世界。

 しかし……。


「この、お話。お断り、したいと思います」


 きっぱりと拒否の言葉を敦は紡いだ。

 女神はそれに動じることなく、静かに口を開いた。


「……。理由は……お母様の、お墓、その管理のため、ですわね」

「はい」


 敦の家は母子家庭であった。

 ずっと貧しく、苦しくて。

 でも、敦の母は、いつも彼の事を愛し守り続けてくれた。

 家にゆとりが無く、中学卒業と共に働こうとした敦を止めて、大学まで進学させてくれた。

 そんな母も敦が大学を卒業する一週間前に亡くなってしまった。


「俺をここまで育ててくれた母の為にも、俺は地球で生きて行きたい。きちんと、最後まで」


 母に立派な息子を育てられたのだと、誇りに思って欲しい。その思いを胸に、敦はここまで必死に生きてきた。どんなにつらく理不尽であってもここまで生きてきたのだ。


「この話を受けてしまったら俺は、途中で諦めて逃げてるみたいで嫌なんです。だから、お断りします」


 とても強い生命に溢れた敦の眼差し。それを受けた女神は、美しい笑顔を作った。


「ええ、とても素敵なその思い、私、きちんと分かっておりますのよ。でもね、敦さん。どちらにしても、地球で貴方の命の灯火はもう、長くは無いんですの」


 女神からの突然の宣告

 敦は、脳ミソがフリーズしたかのように、何を言われたのか分からなかった。


「それは、どういう」

「言葉のとおりですわ。貴方は無理をしすぎなのです。ここでこの話を受けるにしても受けないにしても、敦さん、貴方は近い内に命を失いますの」

「……」


 自称女神からの宣告に敦は言葉を失った。


「ねぇ、敦さん」


 優しい声で自称女神が、敦に声をかける。

 しかし、彼は何も答えない。

 それに対して特に気にしたこともなく彼女は話を続ける。


「私の作る世界。そこにはどうしても貴方が必要なんですの。だから、貴方のお母様のお墓。どうしても気になるのなら、キュベレに転移させられますわよ」

「いや、それは……」

「ええ。そうですわ、何か違う、そんな気がしますわよね」


 敦は何も言わない。いや、何も言えなかった。


「それは、違いますわ。間違いなく、新島敦さんには、選択する権利がありますわ」


 まるで、いや、間違いなく、敦の心を読んで、目の前の女神は敦に言葉を投げつけてくる。


「だったら、何で、そんな……」


 上手く言葉にできない。上手く言えない憤りが敦の心を動けなくする。しかし、女神は、特に変わらず、優しげな微笑みを携えている。

 それが、余計に敦の心を刺激するようで、彼は何となく不愉快だった。


「後、数年後。本来なら敦さんが亡くなった時、この話をさせてもらう予定でした。でも、苦しむと分かる未来。しかもその苦しみを味わっても、成長も何もない。そんな苦しみを魂に与えさせてしまうのは、私、嫌なのですわ」


 優しい微笑みを絶やさず、でも、真剣な雰囲気で敦に女神は語り続ける。


「それに、この話は敦さんの為だけにしているわけでも無いんですのよ」

「女神様、自身のためですか……?」


 敦は静かに冷ややかな視線を女神に投げ掛ける。


「それも、もちろんですわ。でも、そうじゃありませんの。そうですわね、これを見て頂けます?」


 そう言うと女神は、パチンと指を鳴らした。すると、部屋が突然薄暗くなり、二人の左隣に、まるで映画のようにスクリーンが現れ、そこに映像が映った。


「あっ……。これは……」

「ええ。そうですわ。この映像は、貴方が大切に育てられていたジーク君と、フリート君の今の様子ですの」


 二人はテーブルの上に料理を並べていた。

 どうやらこれから夜ご飯を食べるみたいだ。

 このところずっと仕事が忙しく、もう一年近くゲームを起動していなかったため、久しぶりの二人の姿に敦は心が落ち着くのを感じた。


「なぁ、兄さん」

「ん、なんだい? フリート」


 しばらくして食事を始めた二人は何か、会話を始めた。

 ゲームでは音声があったものの、何というか不思議な機械音のような感じであったので、二人の本物の声を耳にした敦は、不思議な幸福感を感じていた。

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