Best Second ―終わらなかった片想いの向こうで―

市亀

Episode 0 of「Best Second」

「だからさあ、長いタイトルはダサいって言うけどさあ、これだ!って短いの付けても引っかからないとか言われるし」

 とろんとした視線。上半身はゆらゆら。回らない舌で訴えられるWeb小説家の愚痴は、今夜だけで既に二回は聞いていた。

 彼女は僕よりも酒に強いため、酒量の調節は彼女に任せきりだったが、困った。呑ませすぎた。

「僕は花歩かほさんの名づけが一番好きだからさ、ね?」

「他の人の話に感動してたじゃん、この前」

「それは否定しませんが、あの、総合的にね?」

幸嗣ゆきつぐは曖昧」


 普段の彼女に似合わない、横暴ないじけ方。考えていたよりも複合的な要因で、彼女は機嫌が悪いらしい。僕の家に呑みに来たいと急に言い出したときから、察しはついていたが。

 言葉による対応は困難と判断した僕は、彼氏としての特権に出た。


 揺れる彼女を、優しく抱き寄せる。

 アルコールの所為か、いつもより少し高い彼女の温度を感じながら。綺麗な、けどいつもより少し乱れた髪を撫でる。

「実感が湧いてくれるまで、何度も言うけどさ」

 特別な才能も、他の男が持っているような格好よさも、何一つ持っていない、君にとっての二番目である僕から、あげられるものは。


「何かが君より優れている人がどれだけ居たって、他の人が何と言ったって……君が望む君自身が、今の君よりどれだけ遠くたって」

 

 君の一番好きな人が、君を選ばなくたって。


「僕にとって一番可愛いのも、一番素敵な感性を持ってるのも、一番大好きなのも、花歩さんだよ」


 口にするだけで緊張するような言葉を、無事に言い終えて息を吐き出した所で。

 

 ぐい、と。彼女に押し倒される。

「――花歩さん?」

「言って。もっと」

「……ええ」

 随分と甘えた声。顔のすぐ右側に見える彼女の頬は、さっきより少し赤い気がした。

「世界で一番、君が好きです」

「いつまで」

「一生」

「生まれ変わったら?」

「生まれ変わるよりは、天国でも君と居たいです」


 耳元で言い聞かせながら、頬をすり寄せる。ぎゅう、と押し付けられる彼女の身体の柔らかさ、生地の向こう側の素肌の気持ちよさは、努めて意識しないようにしていたのだが。


「えへへ」

 突然で、深いキス。入り込んできた舌と混ざり合う唾液の、艶かしい水気。それらと混ざるスモーキーな香りは、彼女が呑んでいたウイスキーのものだろうか。

 他の何もかもを忘れたくなるような、何にも代えがたい瞬間は、甘いほどに苦い。


「私も好きだよ、幸嗣」


 唇を離して、満足そうに笑って彼女は囁く。

 言葉の前の僅かな刹那に。躊躇いと痛みが彼女の声帯にこびりついているように、思えてしまう。


「あれ、何時?」

 彼女の言葉が、沈みかけた僕の思考を引き戻す。

「23時03分」

「そろそろ片付けなきゃ、終電やばい」

「帰る気だったの……」

 当初は泊まらないとは言っていたが。時間も酒量も日帰りモードではなかったため、てっきり泊まる流れだと思っていたのだが。


「だって、明日講義だし。幸嗣に迷惑」

「あるけど2限だし、君を送ってく方がしんどい」

「ひとりで帰れるもん」

「いやいやいや」

 いくら治安の良い街とはいえ。これだけ酔いが回って注意力の落ちている彼女に夜道を歩かせたくはなかった。とはいえ、彼女が心配だからという理由が効きにくいことは知っている。


「それに、ほら。僕が寂しいですし」

「私がいないと眠れない?」

 僕は一人の方が寝つきがいい。

「寂しくて夜中に目が醒めそう」

「……分かった、じゃあ引き続きお邪魔します」

「喜んで」

「ということで、ちょっと休憩」

 そう言うと彼女は、僕のベッドの上に横になり。


「……すう、すう」

 スムーズに眠りに落ちた。

「……おやすみ」

 相当眠かったんじゃねえかと、内心で激しくツッコみながら、毛布を掛ける。多分、化粧を落としたりとか、寝る前の諸過程を大胆に省略していると思うのだが。どうせ未明に目が醒めて、僕を起こさないようにこっそりと作業するのだろう。

 

 独り、食卓を片付ける。彼女に後片付けを押し付けられた形だが、苛立ちは全くなく。むしろ安心感すらあった。彼女は昔から真面目で、仕事が集まってくる役回りだったから、こういう風に投げ出せる場だってあるべきだし、それが自分と一緒の時だというのは、なかなかに誇らしかった。


 シャワーを浴びてから、眠る彼女の顔を間近で眺める。知り合ってから六年。出会った当初、高校生は大人に近いと思っていた頃の僕らは、思い返すと随分と幼い。

 

 そっと、体に触れる。

 世界で一番大好きな人に触れる、一秒一秒。それが僕にとっての、この上ない幸せだった。


 あの頃、狂おしいくらい触れたかった彼女に、触れることのできる立場は手に入れたはずなのに。

 夢見ていた、彼女の彼氏になれたはずなのに。

 片想いは、終わらなかった。


 ふと、彼女の声が洩れる。

「――、くん」

 夢うつつの中で呼んでいる名前は、僕ではない。

 聞きたくなかった声を、今夜も聞いてしまった。


 

 僕が彼女への好意を自覚し始めたのと。

 僕の友人だった彼を、彼女が好きになり出したのと。

 どちらが先だったのかは、今となっては不確かだが。


「私、彼のこと、好きみたい」

 真剣な表情で彼女が僕に相談してきたとき。

 僕の恋は叶わないんだろう、という絶望があり。

 僕は恋を叶えようとしなくていいんだ、という安堵があった。


 彼は、異性からの好意を独占しながらも、決して離そうとはしない恋人……というよりも、一生をかけて守ると決めたらしい、特別な女の子がいるという人間で。そんな彼への好意は、傍目から見ても叶うようには思えなかった。

 しかし、彼女はそれを知りながらも、好きという気持ちを抱き続けていた。

 そんな彼女への恋を、僕は諦めたつもりでいた。諦めたと、思い込んでいた。

 三年生になり。他のクラスにいた彼女の第二志望校が、僕の第一志望校と同じだったと聞いたときには、ちゃんと第一志望が叶うようにと、本気で願ったつもりでいた。

 

 彼がいると、頑張れるから。色んなことに踏み出せるから、と。

 結局彼女は、その美しく哀しい恋を抱き続け。

 その心の摩擦を、ときには僕と共有し。

 会えなくなる前にと、卒業前に想いを伝え。

 予想通りに、振られたという。彼らしく、誠実に、真摯に拒まれたという。


 そんな話を、地元から離れた大学で、僕は彼女から直に聞いた。

 つまり彼女は、第一志望にも届かなかったという訳で。


「あの頃はさ。色々相談に乗ってくれて、ありがとうね。おかげで、あんまり荒まないでいられました」

 新生活に期待を膨らませる学生たちの、きらきらした表情が溢れるキャンパスで。

 そう語る彼女の瞳には、隠し切れない陰りがあった。

「けど、さあ……何にもできなかったな。ダメな女の子だったな、私」

 大好きだった人の、自嘲するような言葉が耐えられなくて。

 諦めていたはずの想いが、沸き上がり。

「少なくとも僕は、花歩さんのこと特別だったから。一番、大好きだったから」

 だから自信を持って、というフォローのつもりの言葉が、結果として交際につながった訳で。


 元から友人として仲が良かっただけあり、恋人として心地いい間合いを掴むのも早く。交際は思っていた以上に順調だった。周りからも、似合いのカップルと見られていた。

 それでも。

 彼女が一番に好きなのは、今でも高校時代の彼なのだと、彼女の片想いも終わっていないという確信があった。

 それは寝言だったり、タレントの好みだったり、書く小説でのヒーロー役の男子だったりに、顕れていて。


 嫌な訳ではない。圏外であるはずの僕を、実質が二番目であろうと彼氏として選んでくれたことには、どれだけ感謝しても足りない。だから、彼女の最優の二番目でいようと決めていた。

 ただ。何年一緒にいても、彼女の「一番」に決して辿りつけない事実は、ずっと胸を刺していた。



 翌日、大学が終わった後の自宅で。

「昨日はご迷惑をおかけして」

「いや良いって。色々溜めてたみたいだけど、発散できた?」

「おかげ様で。で、散らかしたのでお掃除します」

「元々より綺麗にしてくれるんでしょ知ってる」

 という訳で、彼女と一緒に部屋の掃除を済ませた後に。


「そうだ幸嗣、ちょっとお話が」

「なんでしょう」

「今度、Web小説のコンテストがありまして。新作のラブコメで行こうと思うんだけどさ。

 君を主人公にして、いいかな」


「……僕を?」

 予想外の言葉に、思考が止まる。

「君をモデルにっていうか、当て書きに近いんだけど。一度は恋を諦めた控え目な主人公が、失恋したヒロインに寄り添う、みたいな」

 驚きのあまり、これまで口にしなかった主張が声に出る。


「モデル、あいつじゃなくていいの?」

 びくりと、彼女の肩が震える。

「……ばれてた?」

「うん。君が今でも、あいつのこと一番好きなんだろうとも思ってたけど。どうなの?」

「……否定しきれないのが、ほんとにごめん。怒られる覚悟はできてます」

 

 想像以上に辛そうな目をする彼女に、焦る。

「いや、怒ってるとかじゃなく。僕は、君の二番目に好きな人で十分だし、一番が似合う奴でもないし……だから、主人公でいいんですかって」


「だからだよ!」


 彼女に抱きつかれる。

「君のこと、一番に好きになりたいから。君は、自分が思っているよりずっと格好いいんだって、気づいてほしいから。君を主人公にしたい……ダメかな?」

 泣きそうな声に。心の奥に張っていた氷が、解けていく気がした。


「……いつか。僕のおかげでこんな話が書けたよって、君に言ってほしかったんだ」

 額を合わせ、彼女の瞳を見つめる。

「主人公らしくなんかなくていい。君の瞳に映る僕を、僕に読ませてください」

 彼女の瞳が、喜びに煌めいた、気がした。

「――ありがとう、任せて」



 数週間後。

 彼女が、書き上がった小説を読ませにきた。

「タイトル、ぱっと見で意味分かる?」

 英単語、二つ。それぞれの語義を思い浮かべてから。


「君にとっての、一番優しい二番目。君といる、一番幸せな瞬間」

「……流石だね、一番の読者さん」

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