夜の調べと金曜日 そして君の歌

美澄 そら

夜の調べと金曜日 そして君の歌

 

 県営のボロい団地の一棟。疲れた体には辛い四階の、四〇二号室。

 時刻は夜の十時を過ぎたところ。金曜日のせいか、どこの家の明かりもまだ点いている。

 冬の気配は過ぎ去ったものの、まだ夜は肌寒い。

 鼻を啜っていると、どこかからか風に運ばれた花弁が、大和の目の前をひらりと舞っていく。

 この春、大和は無事に志望校に合格をして、晴れて大学生となった。

 とはいえ、受験勉強に充てていた時間がバイトへと変わっただけで、大和は相変わらず忙しい毎日を過ごしている。


「ただいま」


 大和の帰宅を、待ちわびていたと言わんばかりに、元気よく「おかえり」と声がかかる。以前は出迎えてくれたのは一人だったが、今ではもう一人増えた。

 長い黒髪をポニーテールにしている女性“夜想曲”《ノクターン》の横に、ツンとした表情が印象的なオカッパ頭の少女がいた。


 大和を一人で育ててくれている、看護士をしている母親が、夜勤で家にいない金曜日の夜にだけ彼女達は姿を現す。

 とても非現実ではあるが、彼女たちは人間の容姿をしているものの、本来は生物ではない。

 ノクターンは母親がくれたヘッドホン。彼女の長いポニーテールの先端にはジャックがついていて、そこを差し込むことで両手から音楽を流すことが出来る。

 そして、オカッパの少女は、母親が大学合格祝いにくれた、近距離無線通信に対応した小型のスピーカーだ。

 ノクターンは真っ黒のパーカーで、スピーカーは真っ白。二人は対照的な見た目をしている。

 なんというか、奇跡とは起こるときは起こるのだなぁと感心してしまう。


 

「大和、ご飯できてるよ」

「……お風呂も沸いている」


 ノクターンは大和が高校生のときから、心も体も支えてくれていた。とくに受験シーズンは、心強い味方だった。

 今はスピーカーも増えて、二人して大和を甲斐甲斐しく世話してくれている。


「じゃあ、ご飯にしようかな」

「今日は二人で煮物を作ったんだよ」

「……はやく、手洗いうがいしてきて」

「はいはい」

 大和からリュックを奪うと、スピーカーはリビングへと行ってしまった。

「わたし、嫌われてるのかな」

 ノクターンはスピーカーの背を見つめながら、小さな声で呟いた。

「そんなことないだろ」

 大和は慰めようと、ノクターンの背を叩いた。

 彼女は頷いてはいるものの、表情は暗いままで、大和は失敗したなぁとノクターンの背を叩いた手を見つめた。


 スピーカーは見た目も中身も中学生女子、と言ったところだろうか。

 悪い子ではないものの、上手く言葉にできないと苛立ち、無言になって、明らかに不貞腐れてしまう。

 彼女が現れてから今日で四日目になる。癖がわかってきたこともあって、大和もノクターンも先に声をかけて、彼女が不機嫌になるのを避けていた。

 しかし、前回から不機嫌な兆候があるものの、なんで不機嫌なのかがわからない。

 大和もノクターンも、どうしようかと手をこまねいている状況だ。

 三人で食卓を囲み、お腹が膨れたところで、テレビの前のソファに移動すると、疲れで指一本動かすのも億劫になってきた。

 大和はずるずるとソファに身を預けて、眠気に誘われるままに目を閉じる。

 ――すこしだけ……すこし、だけ……。

 点けっぱなしにしているテレビから、お笑い芸人の大きな笑い声が響いている。遠くから、ノクターンが食器を洗っているであろう水の跳ねる音。

 そして、微かに聞こえる……あれ、この曲は……

 大和がうっすらと目を開けると、スピーカーが大和が寝そべるソファの横に踞って、音楽を奏でていた。その手には大和のスマホがある。

 ――勝手に弄ったな。

 ちょっと呆れつつ、彼女の様子を見守った。

 スピーカーは口を開いて、歌っているように音を出す。彼女はスピーカーなので、忠実に音を再現してくれるのだが、たまにその口から男性の声が出てくると見た目とのギャップでひっくり返りそうになる。

 ――今、彼女はクラシックを奏でているようだ。

 そういえば、受験が終わってからしばらくクラシックを聴いていないと、大和はふと思った。

「なあ、スピーカー」

 頭を撫でると、癖のない切り揃えられた髪が揺れた。

「……なに」

「なにか嫌なことでもあったか?」

 ノクターンのほうを一瞥すると、スピーカーは自分の膝を抱き寄せて顔を埋めた。

 そしてぽつりと語った。

「……ノクターンは、大和が一番好きな曲なんでしょ?」

 ――うん?

「大和の二番目に好きな曲でいいから、あたしも名前欲しい」

 ずずっと鼻を啜る音がする。小さな体を小さく小さく丸めて、スピーカーは泣いているようだ。

 名前のあるノクターンに嫉妬しているというところだろうか。

「ノクターンはあいつが好きな曲だって言うから付けた名前なんだけど……そうだ、スピーカーも名前付けるか」

「ほんと?」

 顔を上げたスピーカーの鼻の頭も目も真っ赤で、子供だなぁと思う反面可愛く思えた。

「お前は何の曲が好きなの?」

「大和が好きな曲、全部好き!」

「はいはい……さっき何を歌ってたんだ?」

 スマホを奪い取ると、流した曲の履歴を辿る。

 『G線上のアリア』バッハの作ったものだ。

「へぇ……いいんじゃないか。アリアで」

「アリア?」

「この曲は違う意味らしいけど、アリアっていうのはオペラでは歌って意味なんだ」

 口から音を奏でる、スピーカーにぴったりだと話すと、彼女は宝物でも見つけたかのように満面の笑顔で頷いた。


「そっか、お名前が欲しかったんだね」

 ソファに座っている大和の背を、ノクターンが後ろから抱きしめている。ヘッドホンの彼女は、そのほうが落ち着くらしい。

 アリアは泣いたり笑ったりと忙しくしたせいか、大和が風呂から上がってくる頃には、ベッドでぐっすりと休んでいた。

「ノクターンが羨ましかったんだろ」

 ノクターンが気にしていた溝は、アリアに名前を付けたあとにすっかり埋まったようで、彼女の表情も明るい。

「二番目に好きな曲でいいから、なんて可愛いね」

 一番好きなもの、または好きなものはすぐに挙げられても、二番目に好きなものというのはけっこう難しい。

 大和はクラシックは元よりロック、ジャズやラップなんかも聴くので一番を挙げるのもなかなか大変だ。

「今日もレポートがあるの?」

「そう。これからやらないとな」

「何か聴く?」


「そうだなぁ、じゃあ久しぶりに――」


 ――ショパンの夜想曲ノクターンを聴こうか。






おわり。






 

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