ブービー省

新座遊

後ろから二番目

日本は人権社会である。

誰もが平等に生き、平等に死ぬ権利を持っている。順番なんかつけてはいけない。

価値観も持ってはいけない。ただひたすら、皆が同じように呼吸をし、同じように呼吸を止めていくのが理想なのである。


そんなわけはない。誰もがそれぞれの価値観を持ち、それぞれ差別しあって生きているのだ。理想を語るやつはその理想の価値観を他人に押し付けているだけではないか。大体、人権を口にするやつの目を見てみろ、狂信者のそれだ。くわばらくわばら。


と、極端なことを言って相手の大切に思うことを否定すること自体がそもそもおかしいのであり、平等であること、人として当然の幸せを持つことは万人に与えられた基本的人権である。それを冷笑的に扱うなんて、誰が許せるものか。


大体、幸せなんてものは相対的なものであり、絶対的条件として定義することが不可能なのに、それをあたかも物理法則であるかの如く語ることがおかしいと言っているのである。それに気づかない奴と何を語っても水掛け論になるのだから、あとは力関係で押し込めるしかない。人権糞くらえ。


ほうら、そうやって極端なことを言いやがる。ヒトラーの我が闘争に近い独善である。大体、力を持つものだっていつかは老いる。その時になって自分が若いころに吐き続けた乱暴な意見を思い出して泣きを見ることになる。他人への思いやりはそのまま自分への思いやりに戻ってくるのだ。その程度の想像力もなくて、よくもまあ理性的な振りをできるものだ。情けは人のためならずという言葉を、間違って覚えているような連中に、どれほどの意味があるのか。死んでしまえ。


ほらな、ほらな。これだ、人権派は。気に食わない奴は自分の人権の砦から外れている外敵なんだろうな。いくらでも残酷な言葉をぶつけてきやがる。


ちょっと待て待て。お前ら、正反対の意見を言い合っているように見えて、その実、同じことをぶつけあっているだけだぞ。何しろ自分の頭の中の論争だからな。結局は自分の意見の揺らぎにしか過ぎない。上位自我である俺様からすればしょせんは井の中の蛙だ。馬鹿どもめ。もちろん、俺以外の自我もまだまだ隠れているが、今のところ俺が一番表面に浮かび上がった自我だからな。ともあれお前らのくだらない論争を止めるために表れてやったのだから感謝しろ。



目が覚めた。俺は布団から抜け出し、疲れの取れない身体を軋ませながら、トイレに直行する。なにか嫌な夢を見たような気がするが、それがなんだったか思い出せない。思い出せないものを気にしても仕方がない。夢というのは脳みそに蓄積した情報の整理整頓のためにある、と誰かが言っていたようないないような。つまるところ、記憶のエントロピーを減少させるための幻想というか現象なのだろう。心のエントロピーを減らすことに成功しているなら、それはそれでよい。あとは身体のエントロピーを減少させるだけだ。つまり、小便をすることで身体の情報を整理整頓するのである。

膀胱がすっきりしたのと同期するように、ようやく頭がすっきりしてきた。心身二元論というのは嘘だな。量子論における粒子と波の関係みたいなもんだ。認識して初めて収束するとかなんとか。いやそんなことはどうでもよい。寝床から出たということが重要なのであり、つまりこのあとは仕事に行かなければならない。

俺の仕事は、日本政府の中央官庁のひとつ、ブービー省である。財務省や経済産業省や総務省などの有名な役所と違って、行政改革の流れに乗って、知らぬ間に設立された弱小組織である。業務分掌的に言えば、その昔地方自治体で流行った、すぐやる課、みたいなものと言えばわかりやすいか。各省庁が拾わない雑務を拾って市民の不満を解消するというところ。

正式名称は誰も覚えてない。いやもちろん当事者は知っているが、口にする気にもならないので言わない。世間ではブービー省と揶揄するのである。まあいいさ、敗者に与えられる賞品のようなものと思えば、役所の本来的役割であるところの、富の再分配のツールということだ。


「おはようございます。今日も仕事頑張りましょう」

上司のキャリア官僚が無表情に挨拶してくる。財務省から出向で来ている若造だ。

「我が省は、官庁の中で後ろから2番目と揶揄されているのに、よくまあ前向きなことを言えますなあ」といつも通りの挨拶を返すと、上司は、いつも通りのことを言う。

「トップよりも豪華な景品が出るという意味もあるんですよ。気楽にいきましょう」

「へいへい、頑張りましょう」

そしてお決まりのセリフで会話を終わらせるのが上司の好みである。

「ブービーって後ろから2番目じゃなくて最下位ですよ」


くそったれめ、省庁に順番なんてあるものか。それぞれの役割のなかでオンリーワンのはずじゃねえか。


またそんなことを言って自分をごまかすのかよ。影響力の違いが順番に表れるんだし、そもそも順番があるからこそ、成績の良いやつから主力省庁に採用されるんだろ。自分をごまかすなよ。人権なんて幻想だぜ。


そんなことはない。日本は人権社会である。

誰もが平等に生き、平等に死ぬ権利を持っている。順番なんかつけてはいけない。

価値観も持ってはいけない。ただひたすら、皆が同じように呼吸をし、同じように呼吸を止めていくのが理想なのである。


あれ、俺は仕事中に夢でも見ているのかな。



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ブービー省 新座遊 @niiza

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