お前、今回のテスト最下位じゃなかったのかよ!

近藤近道

お前、今回のテスト最下位じゃなかったのかよ!

 私の名前は、末森奈々子すえもりななこ

 十五歳、中学三年生。

 今年、身長が四センチ伸びた。

 好きな食べ物は、放課後に寄り道して食べるハンバーガー屋のフライドポテト。

 童顔のクラスメイトの彼氏がいる。

 彼氏が出来てから、髪の毛を伸ばしている。

 そして定期テストはいつも学年最下位。


 今日、私のアイデンティティの一つが消滅した。


 今回の中間テスト、私は最下位じゃなかった。



 私の学校では生徒一人一人に、各教科の点数と学年順位を記したプリントが配布される。

 要するに、自分の順位だけが通知される仕組みだ。

 三年生は一八五人いて、私の順位はいつも一八五位だった。


 だというのに、今回のテストでは、あろうことか一八四位だったのである。


「奈々子、お前何位だった?」


 クラスで仲良くしている、帆詩ほしが話しかけてきた。

 帆詩は、私が最下位だってことをわかって、いじりに来たのだ。

 だけど私は最下位じゃない。


「帆詩、ヤバい」

 と私は言った。


「あ? どしたん?」


「見ろ。これ見ろ」


 配られた成績表を見せる。

 すると帆詩の顔も青ざめた。


「おおぉい! 奈々子が最下位じゃないぞ!」


 大声で帆詩は言った。

 そりゃ衝撃的なことだけども、だからって大声でクラス中に広めなくたっていいのに。


 帆詩の発言を聞いたクラスメイトたちは、少なからずざわついた。

 友達連中は、


「それ本当?」


「えっ、大事件じゃん」


「おめでとう!」


 などと言って、私の席に集まってくる。

 そして成績表を見て、悲鳴を上げる。


 そして普段接点のない連中も、私が最下位ばっかり取っていることは知っていて、だから私の方をちらちら見ている。


 私の彼氏、大翔ひろとも驚いた顔をしていた。

 驚くと、ただでさえ大きい目がさらに大きく開かれて、可愛いのだ。

 なんて思っている場合ではなかった。


「じゃあさ、最下位は誰なんだろう?」


 そんなことを、集まってきた女子の一人が言い出した。


「はい。私、十二位」


「死ね優等生。ちなみに私は三十五位です」


「お前も充分良いじゃねーか。私は九十九位だ」


 みんな口々に自分の順位を言う。

 わかりきったことだけど、この中には最下位はいなかった。


 すると帆詩がすぐ近くに座っていた男子を捕まえて、


「おいお前、何位だった? 通知表、見せな」

 と強引な感じで聞いた。


 その男子は成績表を帆詩に見せた。

 そこに書いてあった順位は、二十二位。


「違うか。オッケー、ありがとな」


 肩を叩いて、帆詩はそのまた隣の席の子に話しかける。

 クラス全員から聞き出すつもりだ。


「そういうのやめようよ。誰も得しないから」

 と私は制止するのだが、そのブレーキは利かなかった。


 帆詩だけじゃなくて、集まっていた女子みんなが手分けして最下位を探し始める。

 人海戦術のおかげで、クラス全員の順位は二分も経たないうちに明らかになった。

 そしてこのクラスの中には学年最下位はいなかった。


「つまり、他のクラスのやつってことか」


「どうする?」


「どうするもこうするもないでしょ。やめておこうよ」

 と私は言う。


 幸い、他のクラスにまで手を伸ばすのは面倒だったのか、


「そうだな。先生にチクるヤツとかいるかもしれんしね」

 と帆詩が言って、これ以上の詮索はしないこととなった。


 穏便に済んで、ほっとする。

 だけど、この小さな騒動のせいで、私は世界の真理が見えてしまったような気がした。



 今まで、世界は私と他人で出来ていた。

 たった一人の私と、無数の他人。

 それが私の目から見た世界だった。

 たとえば、この学校のこの学年は「たった一人の私」と「私よりも頭の良い一八四人」で出来ていた。


 でも私は最下位じゃなくなった。

 ということは、最下位の誰かが別に存在しているってことだ。

 その人はもちろん、一人しか存在しない。

「たった一人の誰か」だった。


 そのことに気付いた瞬間、私の世界を構成するものは「たった一人の私」と「たった一人の最下位の誰か」と他人に分かれてしまった。

 いや、それだけじゃない。

 他人はどんどん分かれていく。

 細分化されていく。


 九十九位の帆詩。

 帆詩よりちょっとだけ頭の良い、九十八位の誰か。

 帆詩より僅かばかり馬鹿な、百位の誰か。


 みんながみんな、たった一人だった。


 他人という無数の人間の集合に見えていたものは、本当はみんなたった一人だった。

 私もそういった人間の一人なのだった。



 最下位の「たった一人の誰か」を私は想像する。

 その人は、どんな人なんだろう?

 男子だろうか?

 女子だろうか?

 どうして今回、最下位になってしまったんだろう?

 テストの日、高熱が出ていて全く頭が動かなかったとか?


 私が想像すればするほど「たった一人の誰か」のイメージは明瞭になった。


 身長は一八二センチの男子。

 好きな食べ物は、お母さんが近所のパン屋で買ってくるチョココロネ。

 少し前まで部活でキャプテンをやっていて、今は弟さんがその部のキャプテン。

 部活を引退してから気が緩んでしまったのか、テストの日に体調を崩してしまった。

 そして今回のテストは最下位。


 本物のその人は、私の想像とは全く違うかもしれない。

 だけど、今私が想像したみたいに、具体的なプロフィールのある誰かであることは間違いないことだった。

 雲をつかむような、ぼんやりとした誰かなんて、いないのだ。



 放課後、私は大翔を連れて、行きつけのハンバーガー屋に寄り道した。

 一日学校にいた疲れを、フライドポテトが癒してくれる。


「まさか、最下位じゃなかったとはね。びっくりしたよ」


 トレイを運んでテーブルに着くと、大翔はそう言って笑った。

 私は早速フライドポテトをつまむ。

 疲労を優しく拭いさってくれるような、塩味がたまらない。


「大翔は何位だったの?」


「六位だよ」


「めちゃくちゃ優等生じゃん」


「うん」


 大翔は可愛くうなずいて、そしてハンバーガーをかじる。


 大翔のことが好きになったのは、彼が私の兄とは真逆で可愛い男子だったからだ。

 私の兄は、それはそれは兄貴面をする人だった。

 兄なんだから兄らしく振る舞うのは当たり前のことなんだけども、だけど私はなんだか年長者として振る舞う兄のことが気に食わなかった。

 大翔は兄とは違う。

 まず見た目が可愛いし、言動にも偉そうな感じはない。

 むしろ後輩っぽさすら感じる。

 そういうところが気に入って、付き合うことになったのだ。


「つーか、ハンバーガー、二個も食べるんだ?」


 トレーを見ると、大きめのハンバーガーをもう一つあった。

 私はジュースとフライドポテトしか注文していないから、二個のバーガーは大翔の物ってことになる。


「たくさん食べれば、大きくなれるかもしれないからね」

 と大翔は答えた。


「大きくって、身長が?」


「そうだよ?」


 そして大翔は、身長を伸ばすためにいかに努力をしているのか、私に語った。


 家では毎日牛乳を二杯、朝と夜に必ず飲んでいること。

 寝る直前に、ラジオ体操の深呼吸みたいに伸びをすること。

 家の中ではスリッパを履いたり背伸びをしたりしながら過ごして、背が高くなった時の視界を常にイメージしていること。


 最後のイメージトレーニングは、身長が伸びるのに全く関係なさそうだけど。


「そんなことしてたんだ。知らなかった」


「コンプレックスだからね。そりゃ話さないよ」


「じゃあ、なんで今、言ってくれたの」


「なんでだろう? 最下位じゃなかったお祝い?」

 と大翔は首を傾げた。


 その仕草もやっぱり可愛い。

 可愛いんだから、あんまり背を伸ばさなくたって充分美男子だよ。

 って言いたくなるけど、せっかく努力をしているところに水を差すのは気が向かない。


 でもそうか。

 大翔は今の自分の可愛さに満足していないのか。


 私、大翔のこと、可愛い男子ってことぐらいしか知らない。

 そういうことしか見ていなかった。


 付き合っているんだから、大翔のことをたった一人の人間として見てあげよう。

 と私は思った。


 そして大翔のことを知る度に、私は彼のことをより深く愛するようになるだろう。

 やがて私が大翔について凄く詳しくなった時、世界の見え方はきっと再び変わる。

 自分以外の人のことが、無数の他人に見えがちなこの世界で、たった一人の大翔を見つけられる。


「ねえねえ、大翔ってさ、朝起きる時のスマホのアラームって、なんの曲にしてる?」


 私の名前は、末森奈々子。

 十五歳、中学三年生。

 今年、身長が四センチ伸びた。

 好きな食べ物は、放課後に寄り道して食べるハンバーガー屋のフライドポテト。

 童顔のクラスメイトの彼氏がいる。

 彼氏が出来てから、髪の毛を伸ばしている。


 彼氏の名前は大翔。

 同い年で、クラスメイト。

 顔が可愛い。

 身長を伸ばしたくて、家では変なことを色々している。

 彼が好きな食べ物は、まだわからない。

 兄弟や、お母さん、お父さんのことも。

 私は彼のことをまだよく知らない。

 でもこれから、私たちは互いのプロフィールを埋めていくだろう。

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