聖女が二番目に大切にした最愛なる人ならぬかの者の伝承、あるいは告白

ペトラ・パニエット

聖女が二番目に大切にした最愛なる人ならぬかの者の伝承、あるいは告白

 エフィリアにとって一番大切な存在は神だが、二番目に大切な存在は私だという自覚がある。

 エフィリアは街の神官である。信心に厚く、優しく、可憐。おおよそ汎用的な意味で、エフィリアは恋する相手として優れた人物だと言えた。

 といっても相互恋愛というよりはむしろ見目の良い英雄や姫君にするような、例えるならば憧憬にも似た恋という意味ではあるが、だからこそエフィリアに恋慕を抱くものは多かった。

 エフィリアと私は同性である。さらに付け加えるのならば、エフィリアは私の妹である。しかしながら、エフィリアは先の通り敬虔な神官であり、そしてまた敬虔な神官が時たまそうするように、彼女は神に操を立てた身であった。

 実際にそうである私がいうべきことではないのかもしれないが、同性へのは生物の道理としては異質だ。繁殖と拡大の原理に反するためであり、それを忌避するという行いは一定の理解を示すことが出来る。兄弟姉妹へのそれもまた、奇形児を生みやすくその原理に関わるためだろう。

 しかしながら、そういった恋愛が生物的な禁則であるとするなら、不貞は人理的な禁則だ。神に操を立てた人間はそのためにを許されず、そこに来て、私が勝利する。彼女が私に向ける愛が隣人愛や家族愛に過ぎないのだとしても、それでも人において彼女の最愛であるのはこの私なのだ。都合よく選択された言葉を使うなら、『一番大切な』ともいえる。

 運命というものがあるのだとすれば、私の恋慕はまさしく運命により赦された愛だろう。少なくとも、私はそう信じていた。


 さて、人が『信じていた』と語るときはそれを覆す事象が起こるときだ。

 私の場合それは、神の顕現だった。

 神獣と謳われる獣とも、竜とも、もちろん人とも異なる人ならざる超常の気配。物質的質量を以って実在する衝撃として感じ取れる神聖。如何なる言語体系にも属さず、それでいて本能的に理解できる奇妙にして高潔な御言葉と過去未来現在のいずれの時をおいても聞かず、再び聞くこともないだろう神秘なる声。

 信仰を持つ人間には約束された救済の日そのものの体現にさえ見え、持たぬものにおいても至上の幸福のようであり、あらゆる咎人さえ自身の望むべく最大の赦しのようであったというそれは、私にとってはしかし伝承の奥底に眠る最も忌まわしき万魔の主人そのものでしかなかった。本能が魂を劈くように叫ぶ服従の声を、それ自身の声がかき消したからだ。

 なぜなら、それはこの上ない褒賞と名誉を与えるような口ぶりでこう言った。

「この街にある敬虔なる者のうち、最たるものを次の満月が訪れるまでに北の霊峰の頂上に捧げよ。それを以ってその者は我に娶られる者であり、我が名の下に神使となる」

 その宣言にふと我に返り、隣に立つエフィリアを見れば、その瞳には驚愕だけが映っていた。

 月と夜の精霊ディアルーンが支配する白の月の十日、冷え込みの始まる新月の夜のことであった。


 エフィリアは次の日を普段と同じように過ごし、その次の日とそのまた次の日を別れに費やした。

 町中を回るお礼回りと、また、霊峰の頂上へと向かう旅のつきそいを求められたことに、やはり私が彼女にとっての一番のであることをどうしようもなく確信する。

 この街に住むおおよそすべての人に対し行われた別れと異口同音に備えられた祝福に暗澹たるものを抱えながらも、己の胸の奥底には未だ自身へのそれが行われないことへの仄暗い喜びがあった。先の日に神を見て覚えた想いと合わせて、まるで悪魔にでも落ちたようだ。

 仄かに今は忌まわしき月がその形を表し始めた三日月の夜、二度とは帰れぬだろう故郷に感傷を覚えたか、寝室にあってエフィリアが口を開いた。

「なんだか、未だに信じられないよね。こうして、お別れまで済ませたのに」

 信じられないなら、反故にしてしまえばいい。そんな言葉が喉まで出かかったが、それを言えば私が本当に聖女の信仰を惑わす悪魔になってしまったようで、出来なかった。

 寝室のベランダから望む街並みはやはりいつぞやみた閉塞的なものだったが、エフィリアは別のものを見ているようで、ぽつぽつと「この街で色々なことがあった」ということに要約されるようなことを言い始めた。

 あの服屋で互いに選びあった服を結局着なかっただとか、あの店のケーキは美味しいから買ってきてくれたときはいつも楽しみだったとか、この家を離れるのがさみしいとか、そういった別れを留めたくなる話だ。もしかすると先の例えは間違いで、たった一人の妹を神に捧げねばならぬ私こそが聖女であり、彼女こそがその信仰を惑わす悪魔なのかもしれない。話を聞いているうち、私の胸にはそんな思いがよぎった。愚かな考えだ。エフィリアの信心の厚さは、私が一番よく知っている。

 そんな話はことのほか長く続いたが、やがて語り疲れたのか、その声も途絶え始めた。その頃には私にも些細ないたずら心が沸いており、その誘惑に負けた私は、意識の曖昧なことをいいことに二言三言、次のようなことを漏らした。

 つまりは、私もエフィリアが神に選ばれたなんて信じられない、本当は全然そんな人間ではないのにということだ。それはどちらかといえば希望的な、そうだったならあるいはよかったというような話であり、事実私はエフィリアがそういった人間であるとは思っていなかった。

 それにもかかわらず彼女は意外なことに「そうだね」と返して笑い、それを冗談だといった時には同じことを悲しそうな声で繰り返した。

 それが、妙に印象に残った。


 夜が明け、いよいよ旅立つときが来た。北の霊峰の頂上へは登頂を含めても一週間というところだが、までというからには早い分には問題なく遅れるのは望ましくないだろう。まして、旅というのは事故の多いものだ。

 エフィリアと二人で街を離れることは初めてではないが、何故だか、その日の旅立ちは妙に心細く感じた。二度とこの街に戻れないような、そんな心細さだ。あるいは、秋の寒気がそう感じさせたのかもしれない。

 準備を済ませた彼女は、昨日より晴れ晴れとした顔をしていた。

 その顔に見とれていると、彼女が手を差し伸べていた。

 行こう、という意志表示だろう。晴れやかな旅と思うには聊か憂鬱に過ぎたが、それでも旅に出る分には十分な慰めだった。

 日が天頂に昇るまでは旅路を進み、昼食として用意してきた保存食を取った後狩りに。その間、火のある間に拠点をエフィリアが設置し、夜が来る前には夕餐を済ませ眠りにつく。火と魔除けは拠点の設置時に用意するが、深夜を除いては見張りを交代で行う。夜の魔物への警戒というよりは主に賊徒への警戒のためだ。聖術の心得がある人間の同行する旅の良い所は、魔物を警戒し深夜を見張る必要がないことだろう。

 体力的な兼ね合いのため、エフィリアよりは私が長く見張りをする。とはいっても、意識の覚醒を待つ間、互いに話をする時間もあるために実際に見張りをする時間ほど長さに違いはないといってよいだろう。

 やはりというべきか、私たちがそういった時に話す内容はいつもと大して変わることはなかった。元より、中身にさほど意味を必要とするたぐいの話でもないのだから当然だろう。それがあまりにも普段と変わらないものだから、これがエフィリアにとっては不帰の旅であることを忘れそうなほどにいつもと変わらない旅だった。

 そんな旅が三日続いた。四日目にはいささかの違いがあった。他の旅人にあったのだ。嘘か真か、彼らは世界を救うための旅をしているという。エフィリアの好きそうな話だ。そう思った割には彼女の反応は薄かった。信心篤いとはいえ、流石に滅入っている部分もあるのだろうか。

 ともあれ、彼らは名分の真贋はともかくとして、それに違わぬ人格者であった。

 物資の物資同士、あるいは金銭との交換はおおよそ良心的な価格であり、その日共同で行われた狩りは普段より良い成果であった。彼らのような人物こそ、あるいは神の見出すべきものなのではないか、というのは恨み言だろうか。

 彼らとの別れは明くる五日目の早朝に行われ、とうとう私たちは霊峰の麓へとついた。エフィリアの提案もあり、登頂は明日に回すこととなった。今のところ予定通りに進んでいるし、反対する理由もなかったためだ。それに、別れまでのときを一秒でも伸ばせるならそのほうが好ましいと言えた。

 その夜のエフィリアは、普段より饒舌だったように思う。


 霊峰とは即ち霊地だ。神に阻まれぬ身であればという前提はつくが、その極地的な印象とは異なり、快適なもので七日目はすぐに訪れた。……訪れてしまったのだ。

 満月はまだ先であったが、は頂上に着くや否やすぐに顕現した。相変わらずに私の認知には邪悪めいて知られるそれは、心底満足したような風で天上から次元を劈き、こちらへと手を伸ばしてきた。これまで見た如何なる魔獣の攻撃よりも早く、この場において力を誇示する必要があるのかとぼんやりと感じたものだ。

 だが、その朦朧とした虚脱感と非現実は次に起こったことで一瞬にして払拭された。エフィリアが私の腰の剣を抜き、に突き立てたのだ。の手は、何故か私の肩に触れていた。

「あなたは、私の神様じゃない」

 今日はつくづく信じられないことが起きる。神の衣が深紅に染まっていくのを全くの意に返さず、妹がに突き立てた剣を抜き払うのを見た。天から禍のように降る雷霆を見た。に捧げられるはずだった妹が、わたしを抱えて走っている幻覚を見た。それは現実ではなかった。


 その後の話を、少しだけしよう。

 とはいっても、本当に少しだ。

 目が覚めると神はどこにもいなかった。

 どこかわからない場所で、私はエフィリアと二人で過ごしていた。

 それはなにかしらの森の奥で、二人で暮らす分には満ち足りていた。

 私は幸福だった。



 遥かな未来。

 その森に、神を殺し聖女をさらった魔女の伝説があることを、私は知らなかった。

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聖女が二番目に大切にした最愛なる人ならぬかの者の伝承、あるいは告白 ペトラ・パニエット @astrumiris

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